魔道学院時代のローレンツくんとの出会いを思い出すと、ローレンツくんにどうしても会いたくなった。
あの時私は孤独で絶望の中にいたけれど、ローレンツくんは虐めから私を助けてくれたし、先生方に私のクラス替えを強く進言してくれたお陰でアンとメーチェに出会えて虐めもなくなった。
あの時ローレンツくんが私に声を掛けてくれて、あの温かい手を差し伸べてくれたことを私は一生忘れない。ローレンツくんにとっては助けることが当たり前で、なんでもないことだったとしても、私にとっては永遠に忘れられないかけがえのない記憶だ。
アンとメーチェは私は講義に出なくていいと言ってくれたけど、私は講義に出ようと思う。ふたりがいれば、私は大丈夫。ここでめげてちゃ、ローレンツくんから一人立ちする計画が駄目になっちゃう。
「アン、メーチェ。私、午後から講義出る」
涙を拭って、落ち着いた声を出した。気を抜いたらすぐ泣いちゃいそうになる。
「無理しなくていいんだよ。でも、ナマエが出たいって言うなら一緒に行こう」
「午後は訓練だけど、大丈夫かしら〜?」
「うん。大丈夫。私、頑張る!」
両手で頬をパチンと叩き、気合を入れた。バッと掛け布団を巻くってベッドから下りて靴を履いた。
「まだご飯食べる時間もあるし一緒に食べよ?あたしもメーチェもまだなの」
「ふたりとも優しすぎだよ〜!」
お昼も食べないで来てくれたアンとメーチェの優しさに感動して、ふたりに抱きついた。また泣きそうになってしまう。
「あらあら〜。友達なら当然よ〜?それより、お化粧を直してから行きましょ〜。ナマエの真っ赤な瞼と鼻も可愛いけど、隠さなくちゃね」
「も〜それ以上優しくされると泣いちゃうからもうやめて〜!」
ふたりの優しさに鈍感にならないと、本当に泣いちゃいそうになる。辛い目にあった時よりも、その後に優しくされた方が心が揺さぶられてしまう。
メーチェにお化粧を少し直してもらってから三人で食堂にご飯を食べに行った。ふたりの友達に元気を貰ったとはいえ、食欲がなくて今日は桃のシャーベットにした。
トレーを持ってアンとメーチェの対面の席に座ると、ローレンツくんがやってきた。嬉しくて顔が綻んだけど、ハッとあることに気付いてしまった。そういえば、ローレンツくんとご飯食べる約束をしていたんだった。
「ローレンツくん、ごめんね!忘れてた!」
「忘れてた?友人であるこの僕との約束をか……?いや、それより顔色が優れないが何かあったのか?」
お化粧で隠したつもりだったのに、ローレンツくんにはお見通しみたいでびっくりしたし、不意をつかれた。
ローレンツくんは椅子を引き、私の隣に座って私の顔を心配そうに見てくるから、またローレンツくんに心配をかけてしまったと胸が痛む。
「なんでもないよ!元気だよ!」
「だが、ナマエさんを迎えに
「フェリクスくんが?」
「ああ。ナマエさんに関わるなと何故か怒られてね。全く、彼は失礼な奴だ」
「フェリクスくんは私を思って言ってくれたんだよ。きっと」
フェリクスくんはやれやれ言いながらも人の為に何かしてくれる人だと思ってるから、ローレンツくんが私を心配しない為に追っ払ってくれたんだと思う。
それにしても、ローレンツくんの耳に私の"色狂い"板書事件の話が入ってなくて良かった。もしかしたら、殿下が箝口令を敷いてくれたのかもしれない。
「君を思って?あの彼がか?不穏だな……まさか彼は君を……なくはないぞ……!」
ローレンツくんは突然興奮したように声を荒げたのでびっくりした。何がなくはないのか、さっぱりだ。
「彼と話をしにいく。デザート中に邪魔して悪かったね」
ローレンツくんは椅子から立ち上がると、私のトレーに乗っている桃のシャーベットをチラリと見やった。これが主食だよ、なんて言ったらローレンツくんが心配するからそこは黙っておいた。
「ううん。大丈夫。約束忘れてて本当にごめんね。あと、フェリクスくんに会うなら、ありがとうって言っといてね」
あとで機会があれば直接私からお礼を言うけど、察しのいいフェリクスくんに「ありがとう」と言うことで、そのままローレンツくんには伏せているように、という意味で理解してもらえると思う。間違ってもフェリクスくんがローレンツくんに私のことを話してしまうのは絶対に避けたいから。
「彼に礼を言うようなことをしてもらったのか?」
「うん。そうなの。だから、ありがとうだけ言えば、フェリクスくんならわかってくれると思う。だから、お願い。フェリクスくんに会うなら、私の代わりに伝えてくれる?」
「くっ……仕方あるまい。本意ではないが、君の頼みは断れないからな……」
ローレンツくんは拳を握る。怒りを我慢するかのような仕草に違和感を覚えつつ、じゃあね、とローレンツくんに手を振った。
背を向けるローレンツくんが離れていくと、アンがため息をついた。
「アン、どうしたの?」
「ローレンツとフェリクスで喧嘩が始まりそうだなって思って」
「なんで?」
「アンの言う通りよ〜。ローレンツはナマエのことを大事に思ってるのに、フェリクスはローレンツを昨日から追い返してるじゃない?きっと、ナマエのことで喧嘩が始まるわよ〜」
「フェリクスの気持ちはわからないけど、ローレンツの言うように、なくはないからね。どちらにしても、ローレンツが決めつけて喧嘩が起きそうだよ」
「えー!ふたりが喧嘩するのは私、やだよ。それに私のことって、私のせいなの……?」
「ナマエは悪くないわよ〜。フェリクスは言葉選びに問題があるのと、ローレンツはフェリクスに対抗意識を燃やしてるから、喧嘩にはなっちゃうと思うわ〜」
「そうなの?それってつまり、言葉選びの喧嘩ってこと?」
「うん。そんな感じだよ。もうそれでいいと思う」
アンが他人事のように適当に言うけど、私はふたりが喧嘩するなんてやだ。
「ローレンツくんを止めに行かなくちゃ!」
「でも、そんな大喧嘩にならないと思うよ?フェリクスが正論をスパッと言って、ローレンツが嫌味を言って終わるよ。きっと」
「そうかな?」
「そうだよ。それよりさ、明日買いに行く鞄の話をしようよ!」
「いいわね〜。ナマエはどんなものが欲しいの?」
ふたりが気を遣って楽しい話題を振ってくれたのを勘づいた。ずっと不安な気持ちを抱えて胃が重たいし、胸のあたりがモヤモヤしてるけど、どんな鞄を買うか考えたら少しは気が楽になった。本当にふたりとも優しい。うう。また泣いちゃいそう。
*
「これって……」
「酷い!誰がこんなことしたの!?」
「信じられないわ……」
訓練の前に寮の自室にアン達と戻ると、部屋が荒らされていた。ベレト先生に貰った花の入った花瓶は割れて木の床に水の染みを作り、机の上は黒墨だらけで汚れていて、シーツや枕はズタズタに引き裂かれていた。呆然として言葉が出てこない。
「わたしはツィリルに片付けを頼んで来るわ。アン、ナマエをよろしくね」
あのメーチェが動揺して慌しく走っていった。
私はベレト先生がくれた花を拾おうと部屋に入ると、アンに止められた。
「花瓶が割れてるから危ないよ。ここはツィリルに任せよう」
「でも……」
「そうだ。片付けが終わらなかったら、今夜はあたしの部屋で一緒に寝よ?明日はお休みだし、買い物の話とかいっぱいしようよ」
「アン……」
アンの優しさにまた涙腺が緩む。今日は本当に情緒不安定だ。こんな時はローレンツくんに心の落ち着くハーブティーを淹れて欲しいと、また自堕落な考えが頭を過って落ち込んだ。
「ナマエ、犯人に心当たりはないの?」
「わかんない。でも、ローレンツくんの代わりに殿下が助けてくれるようになったのが昨日だから……殿下のことが好きな人だと思う……」
「……そっか。午後の訓練は大丈夫?」
「うん。私はアンとメーチェがいれば大丈夫だよ!だから、アンはそんな顔しないで、いつも通りに振る舞って。ね?」
私の為に怒ったり、心配してくれるお友達に申し訳なくなった。ふたりの大事なお友達にはいつも通りでいて欲しい。
*
駆けつけてくれたツィリルくんに部屋の片付けを頼んで訓練場に行くと、ハンネマン先生や殿下から心配の言葉を貰ってしまった。
そんな殿下はフェリクスくんに怒鳴られて私から離れて行き、フェリクスくんは殿下を一睨すると、その鋭い瞳を私に向けてきて、怖くなった。フェリクスくんは無言で私に訓練剣を差し出すので、恐る恐る受け取った。
「フェリクスくん、怒ってるの?」
「ローレンツを差し向けたな?俺がお前のことを……そんな訳あるまいに……」
フェリクスくんは片手で頭を抱えて横に振る。
「フェリクスったら!ローレンツが勝手に怒ってるだけなんだよ!理由はわかるでしょ!」
アンが私を守るようにフェリクスくんに言ってくれた。
「ああ。あいつが明確に言ったからな……」
「あらあら〜、ローレンツったら自覚があったのね」
メーチェがうふふと笑う。メーチェもアンも、私のお願い通り、何事もなかったかのように振る舞ってくれて凄く助かる。
「フェリクスくんは何を言われたの?」
「お前には言う訳なかろう……本人からいつか聞けるといいな」
「あ、そうだ。フェリクスくん、ローレンツくんに言わないでくれてありがとね……あの事はローレンツくんに知られたくないの」
「だろうと思った。くだらぬ流言は広まる前に潰すことだな。猪王子が犯人探しをしていて、あいつがそれをするのは逆効果であることも伝えておいたが……猪王子がお前に近づかないようにする役目は俺が引き受けるから、お前はさっさと犯人を見つけろ」
「フェリクスくん……」
フェリクスくんが思った以上に優しくて、泣きそうになってきた。皆は私に優しすぎるよ。
「それと、自己防衛の為に稽古をつけてやる。剣を構えろ」
「え、ええ!流石に襲われないと思うよ!」
「うーん。あたしはナマエの身が心配だし……良い考えだと思うよ」
「わたしもナマエが襲われることを考えると怖いわ。ナマエはフェリクスに稽古をつけてもらうといいわ〜」
「で、でも……」
アンもメーチェもフェリクスくんに賛成して、断りにくくなった。
「まずは剣の握り方から直す。いつもの握り方をしてみろ」
フェリクスくんは少しでも間違えたら切りかかってきそうな、人を裁くような目つきで私の手元を見る。凄く怖い。
「フェリクスくん、優しくしてね」
「オレはあのお貴族様とは違う。覚悟しろ」
「ひぃ!」
思わず「助けてローレンツくん!」と心の中で叫んでしまって、自分の甘さにハッと気付いて落ち込んだ。ローレンツくんの為に、自衛のできる人間にならなくちゃ。