ナマエを本気で怖がらせて泣かせてしまった。その罪悪感で胸が塞がり、胃にズンと重苦しい感覚を負う。
貴族の、しかも王国の女性相手に接吻は駄目だったのか。意外と野生味溢れるナマエなら行けると思ったのだが、間違いだった。俺の故郷では女性から男を誘うまであるからな。一応フォドラの価値観もなんとか理解しようと努めてきたが、調整に失敗した。
もっと関係を深めてからすべきだった。ナマエにはどう謝るべきか。
一人で森から大修道院に戻りながら、必死で謝罪の言葉を考えた。
しかし、時折ナマエと擦れ合った鼻先が熱くなり、右手に触れた髪の柔らかい感触や、ふわりと香った汗と花の香油の匂いを思い出して気が散る。申し訳ない気持ちはあるのに反省してないな、俺。
*
「ナマエ、頼むから開けてくれ!」
寮の二階、イングリットの部屋の隣にあるナマエの部屋の扉を必死に叩くが、中から返事がない。部屋には鍵がかかっているから在室しているのはわかっているが、無反応であることに事態の深刻さに拍車がかかる。少し迫っただけで泣くのだから当然か。謝れば許してもらえると思っていたが、謝罪の権利もないとはな。こうなれば、一方的に謝るしかない。
先程から廊下を通りすがる奴らの視線を背中に感じるが、気にしている余裕はない。
俺が扉のすぐ外にいることが悟られないように静かにじっと動かずにいた。少し時間をおいて扉に耳をくっつけると、中から物音がして、それが近づいてくる。恐らく、ナマエはしつこい俺が帰ったのか確認するつもりなのだろう。予想通り、扉一枚隔てた向こう側でナマエの気配を感じる。小さくしゃくり上げる声が聞こえた。まだ泣いていると知って気持ちが落ち込む。
「ナマエ、聞いてくれ」
扉の向こうできしりと床がしなる音がした。ナマエはきっと俺がまだいることに驚いたのだろう。
「ナマエを怖がらせてしまって悪かった。勿論、怖がらせようと思ってしたわけじゃないんだ。ナマエもそういうのを期待していると思ってたんだ。だが、俺が間違っていた。まだ、早かったよな?俺、そういうの疎くてさ。ナマエの気持ちに気づかなかったんだ。もっとお互い過ごす時間を増やしてからすべきだった……」
ここで言葉を切って、ナマエの反応を待っていると、ナマエのすすり泣きが強く聞こえてきた。まさか、余計に今の言葉で泣かせたのか?
「グ、グロードぐん、目が、ごわがっだよぉ」
泣きながら話すナマエの声に胸が痛くなる。こんなに怖がらせてしまったのか。
「ナマエ、悪かった……本当にごめんな?」
「グロードぐんのばがぁぁ。ギスじたらあがぢゃんでぎぢゃうんだよぉ」
そんな、まさか。ナマエは何を言ってるんだと思ったが、よくよく考えてみれば、ナマエがこんなに泣いてるのはそういうことだったのかと合点がいった。勿論その「キスで子供ができる」という思考がなくとも、ナマエの場合は時間をかけてからじゃないと、触れるのすら駄目そうだが。
「ナマエ、落ち着いて聞いてくれ!キスで子供はできないぞ!」
ナマエに伝わって欲しくて必死に大声で言えば、それに呼応するように、通りすがりの女子達の笑い声が聞こえてきた。どうせ俺のことを笑っているのだろう。
「おどうざんがいっでだもんんん」
「それは恐らく可愛い娘の為についた嘘だろう」
「じゃあ、どうやっだら赤ちゃんでぎるの?」
「そ、それはだな……」
周りを確認すると、さっき笑っていたであろう三人組の女子達が離れたところで立ち止まってチラチラとこちらを見ていた。女子達は世間話をしているふりをしているが、完全にこっちの話を聞き取ろうとしている。
「おじえでぐれないの?」
ナマエの追い討ちに、ここでナマエを納得させないと、ナマエが俺から離れていってしまう気がした。仕方なく適切な言葉を頭の中で探った。が、これがなかなか難しい。今の状況で直接的な単語で説明するわけにはいかない。
「た、足りないところに足りてるところを補うんだ」
女子達のうちの一人が吹き出すのが聞こえた。嗚呼。明日にはリーガン家の名が地に落ちる予感がした。家名なんて気にしちゃいないが、正直な話、こんな形で迷惑はかけたくはなく、野望の為に利用できなくなるのだって困る。
「どういうごど?」
「それは……お互いの恥ずかしいところをこう……」
女子達の大きな笑い声が上がった。いつもなら冗談で笑い飛ばすところだが、今の俺には余裕がなく、そこで心が折れた。もう、俺には無理だ。
「あとは友達に聞いてくれ」
「……わがっだ。ギスではあがちゃんできないんだよね……グロードぐん、ごめんね」
ナマエがこれで許してくれたことに多少は気持ちが楽になったが、まだ泣かせてしまったことが気にかかる。
「ナマエは謝らなくていいんだ。俺が悪かった。そうだ。明日こそは一緒に過ごさないか?」
「うん。森でばなざがず」
「ああ、一緒に黄金の花を探そうな」
「じゃあ」
「また明日、だな?」
「うん」
今日はもう刺激しない方がいいと判断し、潔く部屋に戻ることにした。俺を笑っていた女子達は既に廊下から消えていて、途中で飽きたのか、もしくは噂を広めに行ったのだろう。
明日こそはナマエと穏やかに過ごして手を繋ぐところくらいまで持っていきたいが、ナマエの場合それも危うそうだな。ナマエと本当に通じ合うまでの道のりは遠く険しいようだ。