白楊の抱合
週の初めの放課後、事前に約束した通りに大広間の書き机でナマエの弓術試験の手助けをしていた。ナマエが得意なのは信仰と槍術らしく、弓術は苦手だと言う。俺とは真逆のようだ。
「狩猟の経験はないのか?」
「あるけど狩りでは主に罠と魔道でなんとかしてたよ。苦手意識があるせいか、座学の方も頭に入ってこなくて……」
「なるほどな。それで他に聞きたいところはあるか?」
「えーと、『城攻めの時の矢の打ち合いにおいて、高低の利を埋める風の方向と強度問題』がね、よくわからないの。実は……計算問題が苦手で……」
ナマエが恥ずかしそうに声を落として言うが、全く恥ずかしいことではない。それどころかこっちとしてはナマエにも弱点があることがわかって嬉しいし、それを俺の力で補ってやりたいと思える。
「それなら簡単だ。定説の数式と応用の様式を幾つか覚えるだけでいい。例えば高低差が──」
戦術部門は俺の得意な範囲であることもあり、ナマエに詳しく教えてやれた。
ナマエは飲み込みが早く、俺が応用問題を出しても簡単に解くことができた。
「クロードくん、ありがとう。これで筆記はバッチリだよ!」
「それはよかった。で、実技はどうなんだ?」
「うーん。自信ないけど、筆記で補うから大丈夫」
ナマエは眉を落とし、本当に自信がなさそうな様子だ。正直俺には弓を教える過程でナマエと触れ合いたい願望がある。実技の様子を聞いたのもナマエを誘う為だった。
「自信がないなら俺が教えるぜ?」
「でも……あ、クロードくんが弓を射るところは見たいかも」
ナマエからの意外な提案に期待に胸が膨らむ。いつもナマエを想う度にもっと話したいといか、触れたいという感情を持っていたから、何より喜ばしいことだ。
つい緩みそうになる口元を引き結んで、胸の内の昂りを抑えて冷静さを装った。
「それなら、今から訓練場に行くか?」
「うん。ついでに基本から教えてもらいたいし、もうちょっと動きやすい服装に着替えてきてもいい?」
「ああ。じゃあ、俺は先に行ってるよ」
余裕ぶって先に行くことにしたが、実際はナマエと触れ合う時間を稼ぐ為に矢羽根を整えておきたいだけだった。
*
訓練場でナマエを待っている間、鼻歌を歌いながら備品を整えていた。鼻歌は無意識だったが、同じく訓練場でカスパルと力比べしているラファエルに機嫌の良さを突っ込まれて初めて自覚した。
「何かいいことがあったのか?」
「いやー、まあ、な!」
濁す言葉が見つからないくらいにナマエのことばかりを考えていたが、ラファエルに自分の脳内で繰り広げられる妄想の産物を教えるわけにはいかなかった。──例えば、弓術を教える時、ナマエを後ろから抱きしめるようにして弓の握り方を直してやったり、俺が一射で的を射抜くところみせてやったりして、ナマエが感心して俺に抱きついてくることとか。
暫くラファエルやカスパルと談笑していると、ナマエの姿が見えないことに気が付いた。もう来てもいい頃だ。
訓練場にいた、ナマエと同学級のフェリクスに聞いても見ていないといい、何かあったのかと思い、急いで寮の部屋までナマエを探しに行った。
ナマエの部屋の扉を叩くと、中からくぐもった声が聞こえてきた。
「ナマエ?そこにいるのか?」
「いるよ……っう」
聞き覚えのあるしゃくりあげの声に、ナマエが泣いていることを知った。
ナマエがどうして泣いているのか見当がつかないか、また自分が何かしてしまったのかと思い、必死に記憶を辿ったが心当たりがない。
「ナマエ、開けてくれるか?」
「うん……」
ナマエに扉を開けてもらい中に入ると、ナマエは眼尻を拭って顔を俯かせた。
「どうしたんだ?」
「……手」
ナマエの差し出した手を握ると、ナマエは俺の横に来て体を寄せてきた。
服越しではあるが、ナマエの体温がしっかりと伝わってきて、まるで神経をなぶるようなゾクゾクとした感覚が体を駆け抜けた。
積極的なナマエや、初めてまともに感じるナマエの温もりに頭が混乱するが、今重要なのは好きな女の子が何故泣いているのか、その原因を探って解消してあげることだ。変なことを考える余裕なんてない。
「どうしたんだ?」
「うっ……っ」
ナマエは小さく呼吸を乱していて、話せるような雰囲気ではなさそうだった。
仕方なく寝台の縁へナマエを誘い、隣に並んで座り、繋いだ手をちゃっかり指を絡める繋ぎ方に変えた。
「まずは深呼吸するといい。そうすると落ちつける。それから、深呼吸をしながら俺の故郷に伝わる鉄板の小話を聞けば、ベレト先生並みに冷静になれるぜ?」
隣に身を寄せて座るナマエを見下ろすような形で声を掛ければ、ナマエは俯いたまま小さいく頷いて、深く息を吐き始めた。
そこで俺の故郷では大ウケの、『仔牛と飛竜』の小話を聞かせてやれば、ナマエはクスクスと笑ってくれた。
「な、おかしいだろ?」
「うん……クロードくん、ありがとう。すっかり落ち着いてきたよ。あのね、私の話も聞いてくれる?」
「ああ、もちろんさ」
「衣服を着替えにここに戻る時にアネットちゃんに会って……そしたら──」
ナマエの話によると、泣いていたのはどうやらナマエがおまじないの材料集めの為に俺を連れて森に行ったことをアネットに怒られ、口喧嘩になったことが原因らしい。
「なんでアネットは俺を森に連れて行ったことを怒ってんだ?」
「男の人、特に級長におまじないのことを話しちゃうのは駄目だったみたいで、その上クロードくんをおまじないの材料探しに付き合わせているのが嫌みたいなの……私もクロードくんもアネットちゃんの為に行ったのにって言ったら、『そんなこと頼んでないよ!』って言われて……他にもクロードくんとの仲のことまで言われちゃって……それに腹がたって私も怒って口喧嘩になって、アネットちゃんに『馬鹿』とか『頭が堅い』って酷いこと言っちゃって……今思えば、アネットちゃんの言う通りだよね……余計なお世話だよね……アネットちゃん、許してくれないかも……」
俺との仲についてなんて言われかは気になるが、それは置いといて──なんとも可愛いらしい喧嘩だ。女子っていうのはもっとドロドロした喧嘩をするもんだと思っていたから、微笑ましい内容で安心したし、益々自分の中でナマエへの好感が増すのを感じた。
「アネットのことなら俺に任せてくれ。俺から話をすれば大丈夫さ」
「本当?余計に怒っちゃわないかな?」
「その辺はうまくやるさ。ちなみに『俺との仲』についてなんて言われたんだ?」
「そ、それは……」
ナマエは頬を赤らめ、口ごもった。その反応から一体どんなことを言われたのか余計に気になるが、深追いすれば嫌われるような気がした。
「あまり聞かない方がいいか」
「うん……気遣ってくれてありがとね?」
ナマエは俺から体を離すと、小首を傾げた。なんとなく、「もう終わり」と言われた気がして、手を離した。
「好きな子を気遣うのは当然さ。じゃ、今からアネットのところに行ってくるよ」
「クロードくん、嫌な役引き受けさせてごめんね?」
「どうせアネットも今頃ナマエと仲直りしたくて仕方なくなってるはずだぜ?」
ナマエが安心できるように肩を竦めておどけて見せた。
実際アネットが俺にまで怒っていて魔法で吹き飛ばされることも想像できたが、まあ大丈夫だろう。
*
ナマエの為にアネットを探しに行き、メルセデスの部屋で発見してからが大変だった。
アネットは俺を見るなり「ナマエに手を出そうとしたでしょ!変態!」と罵ってきたかと思えば、「ナマエに言われて来たんだよね?ナマエ、怒ってた?」と心配そうに聞いてきたり、「あの子奥手だから、いきなり変な事しないで段階踏んでよね!」と注意してきたりで困惑させられ、仕舞には「あたしの為におまじないの材料探しなんかしなくていいから!」と怒られて反応に困った。
「……情緒大丈夫か?」と思わず言いかけたが、更に怒られそうだから黙ってアネットのいう事を聞いていた。メルセデスがその場にいて何度か助け船を出してくれたお陰で、落ち着いたアネットから「ナマエを呼んできて」と言われ、漸く不安定な情緒の嵐から解放された。
ナマエを呼びに部屋を出てすぐ、メルセデスに呼び止められた。
「アンがおかしくなっているのは今だけなのよ〜。いつもは優しくて可愛い普通の女の子なんだから〜」
「何かあったのか?」
「アンが当番で面倒を見ている馬が病気で危ないところで……それに片想いの相手に他の女子が急接近して参っちゃってて……だから、ちょっとしたことでナマエと喧嘩しちゃったみたいなの〜」
「なるほどな。そのことはナマエにも伝えていいか?」
「ええ。その方が助かるわ〜」
メルセデスの了承を得たところで、ナマエを呼びに行き、アネットの様子や、メルセデスから聞いたことを話して送りだした。
*
自室で本を読みながら、ぼんやりとナマエとアネットは仲直りしたのか考えつつも、ナマエと寝台の縁に腰かけた時のことを思い出して煩悩に満ちた想像力を膨らませていた。
暫くすると、ナマエが俺の部屋まで結果を報告に来てくれた。
「クロードくん、ありがとう!アネットちゃんと仲直りできたよ!」
「本当か?それはよかったよ」
「クロードくんのお陰だよ……!あとね、アネットちゃんがクロードくんのこと……」
ナマエは言いづらそうに言葉を詰まらせ、恥ずかしそうに頬を赤らめた。一体なにを言おうとしているのか見当がつかない。
「俺のことを……?」
「えっと……褒めてて……聞き上手だねって……あんな良い人他にいないから、他の女の子に──いや、これは言っちゃだめで……えっと、我慢させちゃダメって言ってて……だから、今日はクロードくんのしたいことしていいよ……!」
ナマエは頬だけでなく、耳まで赤く染め上げてそっぽを向いた。
「いいよ」と言われても、段階を踏まなければナマエを傷つけてしまう上にアネットに消し炭にされる未来しか見えないが、今のナマエの言葉に、今すぐ食堂に皆を集めて祝杯をあげたいくらいには喜悦で胸が膨らんでいる。
「そう言われてもな……ナマエはそういうことをしたいと思うのか?ナマエの嫌がることは一切したくないんだ」
慎重に言葉を選び、様子見程度に聞いた。それが功を奏したのか、ナマエは甘えるように濡れた瞳で俺を見上げ、俺に一歩近づいてきた。
「さっきね、クロードくんとくっついてて、すっごく胸がドキドキしてて……心地よくて……だから、クロードとくっついていたい、かも……」
「こんな感じか?」
珍しく俺との接触に好意を示す態度に堪らず、ナマエの背中に腕を回して抱きしめた。先ほどよりも接地面が多い接触だが、ナマエは嫌がらないでいてくれた。
ナマエの柔らかい体が、体温をしっかりと感じられる程密着し、頭が俺の胸板に当たる。香油の匂いなのか、ナマエの髪からは花の香が漂って鼻腔を擽られる。
今までにないナマエとの接触で体中の血が沸騰するようにカッと熱くなり、深手を負った時のように脈拍が速まっていく。胸が詰まったように息が苦しいが、不快感はない。
「……」
「……」
気まずいような、心地いいような静寂に包まれた。速くなった心臓の鼓動がナマエに聞こえていないか心配で更に緊張するが、今この瞬間は人生で一番の至福の時と思える。
ただ悲しいことに、人間というものは現状に満足できないようだ。ずっと熱望していたものが手に入れば、次が欲しくなる。──漸くナマエをこの腕に抱くことができたというのに、もっと先のことまでしたくなってきた。
「髪、触ってもいいか?」
「……いいよ」
吐息を洩らすように小さく呟くナマエの声にまで体が反応して、ぞくりと背筋に高揚の痺れが走る。
そっとナマエの頭に手を乗せてみて、髪の表面を撫でるように滑らせた。ゆっくりと上から下へと何度も頭を撫で、手触りのいい毛先に指を絡ませ、梳いていく。
「髪、綺麗だな」
「ありがとう……」
ナマエの手が、俺の背中にしがみつくようにきゅっと制服の上着を握るのを感じた。ナマエは嫌がるどころか、積極的な態度を見せている。それならば──。
「こっち、見れるか?」
「……」
ナマエが少し顔を上げる。ナマエの額にかかった前髪を指の背で払いのけた。
「額に、いいか?」
「うん……」
ナマエは瞳を閉じた。
前髪を払いのけた手をナマエの後頭部に回し、額へと口付けた。唇を押し付ける、というよりは軽く吸い付くような口付けで、ちゅっと接唇音が静謐な部屋に響く。それが自分がナマエにしたことで発せられる音だと自覚すると、鼓膜を擽ぐるような淫猥な音に聞こえる。
熱を持った唇が、ナマエの肌への接唇の欲求に駆られるが、何度も同じところに口付けるのは恰好悪い気がする。だからといって、ではないが──
「瞼にもいいか?」
「うん……好きにしていいよ」
断られるのを覚悟で聞いたが、簡単に許してもらえて拍子抜けした。聞いてみるもんだ。
額にした時と同じように、ナマエの震える瞼に片方ずつ口付けた。
「頬は?」
「いいよ」
瞼にした時と同じように、ナマエの薔薇色に染まる左右の頬へと口付けた。
やはりここまで来ると、問題の箇所──唇も欲しくなってくる。流石にそこは無理だろうが、聞くより他はない。
「唇は?」
「そこは……もっと、記念日とかにしたいかも」
「記念日?いつのことだ?」
「それは付き合って一節記念とか、かな?初めては大事にしたいから……」
「確かに初めては大事だな」
ここまで来てお預けはキツいが、ナマエに「だめ?」と小首を傾げて聞かれたら、「駄目」なんて言えるわけがないだろう。ここはグッと堪え、引き下がることにした。
「ありがとう……クロードくんの優しいところ大好きだよ」
ナマエが俺の胸に頬を当て、俺の背へ回す腕に力が込められるのを感じた。
その一言を聞けただけで、我慢する甲斐があると思えるもんだ。
「ん?……クロードくん、これなに?こんなところに短剣入れてるの?あれ?短剣にしてはちょっと……」
下肢の間でやや片側に寄って怒張しているモノをナマエに触れられた瞬間、理性を失いかけたが、アネットの怒り顔が頭を過ってなんとか耐えた。