自己紹介は大事


 ミルが去った後、部屋に残された恭一郎はというと、あることが気になってそれを確認し始めた。
 ここまでする必要は無かったのだけれど、せっかく良質なベッドの上にいるのだからリラックスしたかった。とは恭一郎の弁。



「!」

 ライは目的の部屋の扉を開けた瞬間に硬直した。

「何をしているんですかっ?!」

 そんなライの後ろから覗き込んだミルは、それを目にした瞬間叫んだ。
 恭一郎は上半身裸で鏡の前に立っていた。
 一足先に城へ帰ってきたライはこの人間を明るい場所で見るのは初めて。思った通り、肌は褐色だった。
 目前に晒された軍人にも劣らぬ屈強な肉体は、浅黒い肌のお陰でどの隊長よりも迫力がある。
 見事に割れた腹筋、厚い胸板。がっしりした肩に太い腕。均整のとれたしなやかな体躯。瞼の下に隠されていた瞳は黒色で、ノークであるはずが無いという、常識に裏付けされた確信が揺らぐ。
 ライは己を真っ直ぐ射抜く、濡れたような黒から目が離せなくなった。
 恭一郎もまた、自分を凝視してくる黒衣の青年に心を奪われた。
 日本ではそうそうお目にかかれない澄んだ翠色の虹彩は宝石のようで、”綺麗”と言うより”美しい”。

 見つめ合う男と男。系統は違えどどちらも見目が良いことに変わりはなく、異様な空気が立ち込める。
 ミルは邪魔をしてはいけないような気がして両手で口を塞いだ。勢い余って鼻まで塞いでしまい、ただ手を離せばいいだけなのにパニックになってそのまま息を止め続けた結果、顔を真っ赤にして昏倒したことで、彼的には不本意だろうが艶っぽい雰囲気は一瞬で霧散した。
 
「またか……おい、起きろ」

 言葉の意味は分からないが、彼が熾天使様に呆れていることだけは恭一郎にもありありと伝わった。
 恭一郎はミルのことを熾天使と勘違いしたままである。それに関連付けて、黒衣をまとうライを死神と認定した。
 容赦なくミルの頬を叩くライに、さすが死神、手加減なしか……と感心する恭一郎は未だ半裸の状態。
 視界に入り込んだ鏡に写る自身の姿に、死神と天使の前で裸はまずいだろうと無造作に投げられたシャツをいそいそと身に着けた。
 ちなみに、彼が衣類を脱いだのは満身創痍であるはずの体の状態を見るためである。流血痕も傷も無く、あの日の朝、着替える際に見たのと同じ見慣れた姿だった。

『その人、大丈夫なのか?』

 部屋に一歩入った場所で恭一郎に背中を向けて踞み込むライは、背後から掛けられた声に振り返った。
 ライを魅了した肉体は薄布に隠されてしまっていて少し残念に思ったが、本来の目的を思い出して気を引き締める。

「お前はどこの生まれだ?」
『げ、ぶ?……何?』
「名前は?歳は?親は?」
『待て待て、何言ってのか分かんねぇよ』
「…………現実にそんなことが起こるだなんて微塵も考えてはいないが……まさか、ノークなのか?」

 語尾が上がっているので何かを尋ねられたのだということは分かった。けれど、早口で流れるようにライの口から出る言葉は聞き取ることができず、意味も理解できなかったから答えようにも正解が分からない。
 とりあえず、初対面でやらなければいけないことは……

『恭一郎。あんたは?』

 自分を指差して名乗る。そして、手首を180度返して指先をライに向けた。ちょっと首を傾げて、問いかけてるんだよアピールだ。

「きお、ちろー……?」
『ブハッ……キオチローって、気落ちした野郎みたいじゃねぇか』
「!」

 吹き出した恭一郎の笑顔にライの心臓が大きく脈打った。

『きょ、う、い、ち、ろ、う』
「キョーイチロー?」
『そうそう、それが俺の名前。で、あんたは?』

 二度目にして正しく発音できたようで恭一郎が笑みを濃くして頷く。
 仕草も手伝って、それがノーク人間の名前なのだとライも理解できた。指差され自分の名を尋ねられていることも自ずと導き出される。

「ラインヒシュリヒガーベだ。我が名を知らぬとは、一体何物なんだ?」
『る……れいがー?悪い、もう一回!』

 恭一郎は人差し指を立てて”もう一回”のポーズを取ったが、ライには通じなかった。眉間に皺を寄せて首を捻ったライに、自分の言いたいことが伝わっていないのだと悟った恭一郎は、先程と同じく、自分を指して名乗りライを指差す。

「ラ、イ、ン、シュ、リ、ヒ、ガー、ベ」
『らいん、しゅりひ、がーべ?』

 たどたどしくはあったが、恭一郎の口から紡がれたのは紛れもなく自分の名で、ライは肯定を示すように静かに頷いた。