人の性と言うものは


 クレオパトラ(仮)に着いていくと、随分大きな建物なんだと気付く。剥き出しの石壁に囲まれた廊下の空気はひんやりとしていて、どこか陰気だ。どこまでも続く同じ景色に自分の居場所が分からなくなる。恭一郎は、淀みなく歩を進めるクレオパトラ(仮)を少しだけ尊敬した。
 階段を下りると雰囲気は一変する。鮮やかな色の垂れ幕が掛けられ、絵画や彫像、装飾品がたくさん飾られていて華やかだ。
 真紅のカーテンの前に立っていたミルは、二人に気付いて駆け寄ってくる。

「エアス、遅いので心配しましたよ」
「私でなくて、彼を待っていたのでしょう?」
「当たり前じゃないですか」
「……あなた、その即物的な物言い直した方がいいわよ」
「?」
「……まぁいいですわ。ライ様がお待ちなのではなくて?」
「そうでした。キョーイチロー様、ご案内致します」

 姿勢を正し礼をしたクレオパトラ(仮)に見送られて、恭一郎はミルと共にカーテンを潜った。



 本日の主役ライは、皇帝の隣に憮然と座っている。
 今回の生誕祭はいつにも増して特別なものだ。何故なら、この場でライの伴侶が発表されるからである。
 多くの貴族はαであることを重んじており、同種婚に拘る。αでない子供は家族として認めず捨てるなんてことも少なくない。結果、結果、貴族の子息子女は必然的にαとなるのだ。
 皇族の伴侶はこれまでαしか選ばれていない。
 つまり、彼らの中からライの伴侶が選ばれる……と、誰もが思っている。

「静粛に」

 ついに、発表の時がきた。
 皇帝が立ち上がり前へ出る。

「第三皇太子、ラインシュリヒガーベの伴侶は
………………………………………………………………キオルチオ!」

 ……誰だそれは。
 この場にいるほぼ全員の心が一つになった。皇帝の背中を見ているライも、カーテンの奥で控えるミルもだ。唯一、当事者である恭一郎だけが理解していない。
 堂々と自信満々に、間違った名前を宣言した皇帝。

「……違ったか?」
「キョーイチロー、です」

 変になった空気を察した皇帝はこっそりライに確認した。

「ゴホン……第三皇太子、ラインシュリヒガーベの伴侶は、キオチローだ」
「キョーイチローです」
「キョ、イチローだ」

 恭一郎の名は発音が難しいということはライも身をもって知っている。しかし、皇帝がここまで手こずるとは思いもしなかった。これは珍しいものを見たと、ライは内心面白がる。
 ほぼ正解に近い発音で読まれた名を聞いても貴族たちはピンとこない。当然だ、彼らは恭一郎を知らないのだから。
 戸惑う貴族を置き去りにして式は進む。幕内からミルに連れられた恭一郎が姿を現した。
 その姿を目にした皇帝は、感心したようにほうっと息を漏らした。
 濃紺の衣に包まれた恭一郎は、皇族にも劣らぬ威厳に満ちている。
 それもそのはずだ。幼い頃より柚木家の嫡子として教育を受けてきて、二十二歳の若さで当主の座に就いたのだ。それから三年弱、会社も家も守ってきた。数え切れないほど社交の場も踏んできた。こういう場での振る舞いは体に染み付いていて、意識せずとも自然と柚木家当主の顔になる。
 幾人かの貴族は、負けた……と思った。それでもプライドが負けを認められずに、恭一郎を睨みつける者もいる。ライの異母兄、リスティもその一人だ。ライの隣に腰を下ろした恭一郎を見る目は狂気に満ちている。
 肉体だけ見れば恭一郎がリスティに力で負けることはないがろうが、強欲で好戦的なリスティが手を出さないわけがない。ライとて素性が知れない恭一郎を信用していないが、だからこそ彼に関するあらゆる問題が解決するまでは生かしておく必要があると、ライは考えている。
 現段階で人前に出せばこうなることは目に見えていたというのに、皇帝は宮廷衣装係のエアステコラツィファーデンまで呼んで恭一郎のお披露目を強行してしまった。
 親子とはいえ、相手は皇帝。正式に決定が下されてしまえばそれを覆す権利をライは持たない。
 次々に挨拶にやってきて上辺だけの賛辞を述べる貴族は、欲塗れの腹黒狸によく似ていると恭一郎は思った。だから彼らが上流階級の人間なのだと分かった。
 どんな世界でも人間の質は変わらないんだななどと、逆に恭一郎に観察されていたとは露ほども思っていないだろう。
 死んだ後も権力を欲するだなんて、死んでも馬鹿は治らないと言うけれど強欲も治らないんだな……。
 これまでに食したことの無い食べ物に舌鼓を打ちつつそんな感想を抱いた恭一郎は、自身の勘違いに未だ気付いていない。