俺がレゴラス様に触れることがないのは、俺が人間で、彼がエルフだからとか、そんな理由だった。好いたひとに触れたい、けれど相手はエルフの王子だから、……エルフのような高潔で神聖な種族に、ただの浅ましい人間が、ましてや邪な思いを抱いたまま触れていいものかと、そんなような遠慮と恐れ多さがあったのだ。
だが、それは「少し前」までの話である。
今ではちょっとばかり、事情が違うのだ。
「レゴラス様」
いつものようにレゴラス様が俺に触れる。目の前の愛しいひとの名前を呼べば、何も言わずにただ微笑を浮かべて、俺の節くれだった武骨な手をレゴラス様の細く長い指がなぞった。時折遊ぶように、でも愛おしそうに触れる指は心地良い。同じ弓を扱っているはずなのに、どうしてこんなにもレゴラス様の指はきれいなのだろうか。ぼんやりそんなことを考える。
そうされていたのはたったの数分だったと思う。日に何度かレゴラス様の気まぐれによって訪れるその時は俺にとっては至福のひとときで、同時に忍耐のひとときでもある。ずっと永く続いて欲しいと思う一方で、早く終わって欲しいとも思う。なぜなら人間、大好きなひとに触れられたら触れたくなるものだろう?
ひとしきり俺に触れて満足したのか、離れていくレゴラス様のその手をそっと捕まえる。いつもは去っていく手を追いかけない俺が取ったいつもとは違う行動に、レゴラス様はその宝石のような瞳を俺に向けた。
「……レゴラス様」
レゴラス様は何も答えない。けれど柔い力で指を絡めれば、彼はそれに応えてくれた。これは彼なりの了承の合図だ。
身体をレゴラス様へと向け、お互いの鼻先がくっつきそうなほどに顔を近づければ、彼は俺にその瞳を向けて、やがてそっと瞼を閉じる。ゆっくりと唇を合わせれば、絡め合うレゴラス様の指に僅かに力が入った。
レゴラス様の唇は薄くて、ほんのりと淡く色付いている。ちゅ、とかわいらしい音を立てて唇を離すと、今度は彼の方からそっと唇が重ねられた。それにすぐにでもその口を割り開いて隅々まで愛撫したくなったけれど、レゴラス様のためそれはぐ、と堪える。
上唇を食み、角度を変えて数回口付けを繰り返す。合間に俺とは違うとがった耳の先を遊ぶように弄れば、その身体がぴくりと揺れた。
「ぅ、ン」
耳が弱いのだろうか、レゴラス様から小さな声が喘ぎ漏れる。今まで知ることのなかったレゴラス様の新しい一面を知れたことが嬉しくて、自然と笑みが溢れた。口付けを止めてそのとがった耳の先に唇を落とすと、触れたところからじわじわと熱が広がっていくかのように耳が赤く色付いていく。
「(ああ、可愛らしい)」
唇で耳から首筋をなぞっていけば、それに反応しまいとしているのか、きゅ、と俺の服を握る手に力が入った。それでも口付けをと強請るように控えめに引かれる手にきゅう、と心臓が音を立てた。
金色の絹の糸のように柔らかい髪を撫で、その下へと手をくぐらせる。その長髪で普段は垣間見えない頸に触れられることが、特別な間柄である俺だけの特権のように思えてどうしようもなく胸が高鳴るのだ、最初の頃は戸惑いばかりだったのに、今ではこのひとに相当参っている。
「ナマエ、」
そのまま後頭部に手を当て顔を引き寄せ、小さく俺を呼んだレゴラス様の唇を塞ぐ。
「ッふ、ぅ、……っン、ん」
頸を撫でると擽ったいのか、くぐもった声が漏れる。口付けを続けながら後頭部の手はそのままに、もう片方の手で太腿あたりにそっと触れてみる。レゴラス様の注意は口付けの方へと向いているようで、俺が身体に触れたことに対する反応は見られない。これならいけるかも、そう感じて太腿から上へと体の線をなぞるように撫でていく。
「ぁ、ナマエ、……っん、」
けれど流石に身体を撫で回す手の感触に気が付いたらしい、レゴラス様は弱々しく俺の名前を呼ぶと共にその身体を強張らせた。ああ、そろそろ潮時だ。固定していた後頭部から手を離して口付けをやめれば、星の光を授かった瞳が瞬いて。
「っまって、まってくれ」
まるで息も絶え絶えに、は、と甘い息を吐き出して。顔を真っ赤にして、どこか瞳を潤ませたレゴラス様は俺にくったりともたれ掛かった。
「すみません、少しやりすぎましたね」
もうこれ以上しないと意思表示のため、レゴラス様に安心してもらうためにその背中を優しく撫でた。俺の肩に置かれている手には力が入っておらず、まるで縋っているようだった。
俺からレゴラス様に触れない理由。それは「これ」が原因だ。感情の機微に繊細なエルフ故なのか、それともレゴラス様故なのか、もしくはどちらもなのか。何があったのか、レゴラス様は俺から触れられるのがどうも苦手になってしまったようだった。ううん、苦手というのは語弊があるような気がする。レゴラス様が、自分から俺に触れるというのは問題ないらしい。が、俺に触られるのはどうしてもだめなようで。だめというか、どうもいっぱいいっぱいになってしまうというか……。
例えば、触れるだけの口付けはまだ平気だ。けれどそれ以上──、身体の線をなぞったり、舌を絡め合うような、恋人同士がするような行為になるととんとだめだ。少しでもそうなるとレゴラス様からストップがかかる。息を荒くして、その白い肌を熟れた林檎のように真っ赤に染めて、瞳を潤ませる。そんなレゴラス様は生娘のようで正直興奮するが、そんなことは口が裂けても言えない。
「レゴラス様、大丈夫ですか?」
「ん……大丈夫だ、………ナマエ」
「はい、」
「…すまない」
「え、…どうしてです?」
涙の名残か、レゴラス様が瞬きをする度に、真っ青な瞳は星の海のようにきらきらと輝く。見つめられ、呼ばれたことにはい、と返事をすれば、突然謝罪の言葉を口にしたレゴラス様に目をぱちくりとさせた。彼のいつもの凛とした表情は、すっかりと影を潜めている。
「……僕が、君に触ってほしいと言ったのに」
「レゴラス様、」
「鼓動が早鐘を打って、身体中が熱くなって、我を失ってしまいそうで……。どうしようもなくなってしまう。君に触れられるだけでこんなにもなるとは、思わなかったんだ」
ぽつりぽつりと言葉を紡いで、それから君よりも何千年も長く生きているのにね、なんてレゴラス様はどこか自虐的に笑う。逆に言うならばその言葉は、数千年を生きるレゴラス様にとってこれは初めてのことであると証明しているようなものだ。
俺のような人間が、永遠の生を持つエルフの初めてを奪ってしまった。そのことに申し訳なさと、けれどそれ以上に嬉しさも感じてしまった。だってレゴラス様の初めてのその先は、全て俺が彼にとっての「初めて」なのだから。
「すまない……、もう少し、時間が要る」
もう一度、謝罪と共にレゴラス様は目を伏せた。瞬きともに震える睫毛がその美貌に影を落とす。
「君に触れられたい」。レゴラス様は確かにそういった。「自分勝手なのは分かっている」、謝罪の後に口に出された言葉にもっともだと、そうも思う。
けれど、種族や身分、生きる時間、数々のしがらみをこえて俺のことを好いてくれたこのひとのことを大切にしたいのだ。レゴラス様の生の中でそれがどんなに短い時間だとしても、俺と過ごした日々が幸せな記憶として残るように。それが人間の俺が永遠を生きるレゴラス様にできる、唯一のことだから。
「俺は待ちます、……レゴラス様のペースでいいですから、ゆっくり進んで行きましょう」
「……ナマエ、」
そっと、ほんのりと色づいた頬に触れる。レゴラス様が頬に触れられるのが好きだと知ってから幾度となくそうしてきたせいか、彼の頬に触れることだけに関しては臆せずにできるようになっていた。
安心させるように柔らかく微笑えば、レゴラス様も嬉しそうに、それでいて悲しそうに微笑う。柳眉を八の字にして正反対の感情が混ざってくしゃりと歪ませた表情は、それでも俺にとっては眩くて、美しかった。
ありがとう、感謝の言葉と共にレゴラス様は俺に触れるだけの口付けをくれた。お返しにとその額に唇を落とせば、それだけで彼の顔は瞬く間に熱を持って、白い肌が赤く染まっていく。その様子に胸がきゅう、と鳴ったが、それと同時に一抹の不安が胸を過ぎった。
果たして彼のそのもう少しとは、どのくらいの時間なのだろうか。
20190811