これの設定


酒は飲んでも飲まれるな、とよく言うだろう。これから酒を飲む奴への忠告として、或いは酒を飲みすぎやらかして盛大に失敗した奴へのたしなめ、もしくは説教として。俺の場合、前者で言われることはあれど、後者のような意味で言われたことはなかった。自慢というほどではないが、生まれて早数十年、今まで酒で失敗したことがないのだ。元々あまり酒は得意ではないのと近くに幼馴染のアル中がいたお陰か、その彼が反面教師として上手く作用してくれていたのだと思う。だから例えば酔っだ末に一夜の過ち…なんてことは俺には無縁の話だったし、俺自体そんなに恋愛に積極的な方でもなくて(淡白というわけではないのだが)、比較的健全な人生を歩んできた。まあそのせいなのかなんなのか、悲しいことに今でも独り身ではあるのだが。
話が逸れた。とにかく、俺は酒に呑まれたことはない。だから酒のせいで失敗した、なんてことはこの人生で一度もなかった、はずなのに。

「………」

ああ、気分が悪い、胃がぐるぐるしているし、頭の中をガンガンと揺らされているようだ。これが二日酔いというものなのだろう、最悪だ。さらに最悪なのは、十代二十代と盛りを過ぎすっかりおっさんになったこの年で、とんでもないことをしでかしてしまったことだ。
目が覚めて一番最初に視界に入ってきたのは、穏やかな寝息を立てて眠るくすんだ金髪の男。俺も上裸、男も上裸、ついでにこうなってしまったであろう昨晩の経緯は、全く、記憶に、ない。
ひゅ、と息が鳴る。その瞬間眠気やら胃のムカムカや頭痛やらは彼方に飛んで、俺は目の前の男をひたすら凝視した。どんなに目を凝らしても視界は変わらない、ましてや目力だけで目の前の人物を消せるわけないのに。
ここで、この男が全く見ず知らずの人物だったらまだマシだった。新しい扉を開いたのかもしれない、この年で…なんて自分にちょっと引くだけだ。だが、俺はこの男を知っている。
クリフ・ブース。ハリウッドスターであり、俺の幼馴染であるリック・ダルトンのスタントダブル。映画業界に明るくはないが、スタントダブルの仕事くらいは俺にでも分かるし、俳優にとって大事な存在ということくらいも知っている。何しろ危険なシーンを身代わりとなって演じてくれるんだからな。…ただリックの場合、私生活の中でも彼のスタントダブル、クリフが担う役割はかなり大きいもののようだが。

リックとは幼馴染ではあるのだが、彼が俳優として成功してからは忙しいのもあり、俺も時間を作れなかったりで連絡を取り合えず、しばらくは疎遠になっていた。再び交流らしい交流を持ち始めたのはここ最近だ。
行きつけのレストランで馬鹿でかい声を掛けられて、何かと思ったら少し離れた先に久しぶりに見る幼馴染の満面の笑み。リックは昔と変わらない笑顔で俺の名前を呼んだ。その後熱い抱擁を交わしたのはいうまでもない。何しろ数年振りの再会だったのだ、俺だって超嬉しかった。まさか、こんなところで会えるとは思っていなかったから。
有名になってもリックは変わらない。相変わらずかっこよくて、素直で明るくて良い奴で。それも俺にとっては嬉しいことだった。

その後、リックから「俺のスタントダブルなんだ」と紹介されたのがクリフ・ブースである。
第一印象は別に悪くはない。ただ、正直何を考えているのか分からない奴だな、と思った。飄々としていて雲のように掴みどころのない奴。分かったのは、リックがこの男のことを相当信用していることくらい。
それから何回か食事に呼ばれたり、セットに遊びに行かせてもらったりということがあり、クリフともそれなりに話すようになったけれど、彼の浮べる薄い笑みの真意も、考えていることもイマイチ分からないままだった。
リックみたいに口数も多くない、表情もころころと変わるわけでもないし、付け加えるならほとんどいつもサングラスを掛けているから、目の表情も分からないし。悪い奴ではないみたいだけど、何となく苦手だな、と思ってしまったのだ。でもリックの大切な仕事仲間だしかなり信頼しているみたいだから、俺的には可もなく不可もなく、当たり障りのない関係性を築いていこうと思ったし、そうしてきたつもりだった。
なのに。
何故こうなる。こんなよく分からない男と、俺は何故同衾なんぞしているのか。記憶にない、どんなに頭を絞ってもマジで記憶にないぞ…………。いかん、変な想像すらしてしまいそうだ。気分が悪いのに加えて変な冷や汗が出てきた。

「(リックになんて説明すればいいんだ…!)」

手を出した?出された?この際どっちでもいい、この男とこんな状況になってること事態が問題だ。
どちらにせよ、昨夜何があったかをクリフに説明してもらうしかない。

「………………なんでこんなことに……」

自然と漏れ出た声は掠れに掠れて頼りない。この男のことが益々苦手になってしまった。これからどうやって接していけばいいんだ…。頭を抱えたい。どうせなら大声で喚きたい気分だった。
そんな俺の嘆きが意識に届いたのか、男の睫毛が震える。ああ、目が覚めてしまった。くぐもった小さな声と共に瞼がゆっくりと開いて、やがて真っ青な瞳が俺を捉える。
ああこいつ、こんなに青い瞳をしてるのか。

「おはよう、」
「……おはよう」

いや、何呑気に挨拶を返してるんだ俺は。ここはもっと別の何かがあるだろうが、状況説明を求めるための何かが!
頭の中で自分に総ツッコミしている俺(きっとめちゃくちゃに変な表情をしているのだろう)を他所に、男は瞳を細め、言葉を続ける。

「昨日は楽しかったぜ」
「…そ、それは、どうも」

だから、違う!言うことが違うだろ!なぜ俺はお礼の言葉を口にしてるんだ!楽しかったって何がだよ!俺は何一つ覚えてないんだよ!!!
クリフは吃り気味の俺の返答に笑みを深める。なんでだ。ああ分からない、こいつ、マジで何考えてるんだ。何の言葉も出てこずにただ見つめるだけの俺を、見つめられているクリフは頬杖をついて視線を投げ返す。今までまともに見たことがなかったからだろうか、彼の瞳の色が眩しい。思わず眉間に皺が寄る。
駄目だ、寝起きで更に混乱しているからか頭が回らない。落ち着け、取り乱すなみっともないぞ。まず第一にこいつに問い質すんだ、お前が俺の家にいる理由と、俺と一緒に寝ることになった経緯をだ。頼むから何もなかったと言ってくれ!

「あのさ、」
「ああ、何か飲むか?コーヒーでも淹れるか、二日酔いに効くからな。それにお前好きだって言ってたろ」
「え、あ、まあ……」
「オーケー。じゃあ淹れてくる」
「どうも………、」

そうして心を落ち着けて、やっと、やっと会話を切り出す一言を繰り出したのに、クリフは俺の言葉を自然な、見事なタイミングでぶった切った。そしてまあ、なんて答えてしまう俺も俺だ。どうかしてる。というより完全に奴のペースに呑み込まれている。その本人はといえば、俺の要望にお安い御用さ、なんて言って俺のベッドを抜け出しキッチンへと向かった。俺はその場から動けずに、毛布に包まったままただそのたくましい背中をアホみたいに見つめるばかりである。さすがスタントマンだ、後ろ姿だけ見てもめちゃくちゃ良い身体をしているというのが充分に分かる。思わず感心してしまった。
……いや、そうじゃなくてだな。
さっきの流れるような会話のやりとりはなんだ。待ってくれここ俺の家だよな?しかも俺あいつにコーヒー好きだって言ったっけ?なんで我が物顔で俺のキッチンでお湯沸かしてんの?食器の場所とか豆の場所とか教えた覚えはないはずなのに手つきに迷いがないんだが?ていうかマジでホントとりあえず、

「おい、頼むから服を着てくれ!!!」

ああ、二度寝したら夢オチってことはないだろうか。現実逃避をせずにはいられなかった。








20200115

青い瞳のサイコなアイツ