おさらいしよう。出会った当初から、俺はクリフ・ブースのあのよく分からない笑みが苦手だった。当たり障りもなく人当たりも良さそうに見えて、どこか胡散臭い。ぶっちゃけるとマジで何考えてるのか分からなくて怖かった。
だから、できることならクリフとはあまりお近づきにはなりたくなかった。が、彼は数年ぶりに再会した俺の幼馴染み、リック・ダルトンの仕事の相棒兼お世話係兼親友だ。リックがいるならその隣には高確率でクリフがいる。つまりリックと会う時クリフと顔を合わせない、というのは中々に難しい。ならリックに会わなければ良いとなるだろうが、俺は彼のことが好きだし、せっかくの彼からの誘いを極力断りたくはない。そもそもリックがクリフを紹介してくれたのだ、クリフに変な態度を取ることで彼に心配や迷惑をかけるようなことはしたくなかった。
だから、せめてクリフとは当たり障りのないよう、少し離れた距離を保つようにしていた。そして実際上手い具合にいっていた。それなりの距離、それなりの会話、それなりのコミュニケーション。上手くいっていたはずだった。
が、先日起こった意味不明な出来事により、その上手く作っていた距離感が全て崩壊したのである。
数日前、俺はリック、クリフと飲み会をした。久しぶりの再会を果たしてから既に数回会ってはいたが、その日の飲みは休みの予定が合ったのでリックの家でオールナイトの飲みをしようということになり、俺も楽しみにしていた。昔話をしたり、リックからハリウッド裏話を聞いたり、クリフのスタントの話を聞いたりと、酒も入りそれはそれは盛り上がった。そこまでは良かった。
その日の翌朝、俺は自室で酷い二日酔いの中目を覚ました。そして瞬時に目が覚めるようなとんでもない光景を目にしたのだ。
目を開けた早々視界に広がっていたのはすやすやと寝息を立てて眠る金髪のおっさん──、ここで薄々察していただけると思うが、そのおっさんこそが俺が苦手としているクリフ・ブースだったのである。
男と同衾している。しかも幼馴染の相棒兼お世話係兼親友と?何となく苦手だからと、あれだけ適当な距離を保つ努力をしていたのに?なんで?
酒のせいで昨夜の記憶がすっぽり抜け落ち、頭がぐわんぐわんしている中で到底理解し難い事実を突きつけられ、混乱して心臓の動悸に変な汗まで出てきた訳だが、それでも辛うじて叫ばずには済んだ。その時の俺、とても偉いと思うし褒めてほしい。
が、出来事の山場はそこじゃなかった。クリフが目を覚ました後こそが最大の山場だったのである。
「おはよう」、「昨日は楽しかったぜ」、「コーヒーでも淹れるか?お前好きだって言ってたろ」。そんな会話がスムーズにベッドの中で交わされ、クリフは「じゃあ淹れてくる」と言ってシーツから抜け出した。そして奴の後ろ姿を見た俺は絶句した。服を身に纏っていなかったのだ。生まれたままの姿でキッチンに向かって行ったのである。
全裸だ、全裸だぞ。意味が分からなすぎる。どうして友達でもなんでもない人のベッドで素っ裸で寝れるんだ?いや意味が分からん。
脳内が?マークだらけになって、とりあえず何も考えずに服を着ろ!!!と大声で突っ込んだのは覚えている。
それからはいや、おかしくない?どう考えてもおかしいだろと理解の範疇を超えた点はいくつもあった気がするのだが、その数が多すぎて最早突っ込む気が失せてしまい、最終的に俺は服を着たクリフと奴が作った朝飯を食った。奴は目玉焼きにベーコンにトースト、そして俺は薄味のスープにヨーグルト。グロッキーな俺にさりげなく配慮されているメニューに、感覚が麻痺した俺はあ、こいつ優しいななんて思ってしまったのである。
そして朝食を平らげた後、さりげなく皿洗いまでこなしてクリフは帰っていった。薄く微笑って、「またな」という一言を俺に残して。
「(いやいやいやいやいや)」
いや「また」なんてねーーーよ!なんでだよ!クリフの車が見えなくなった後、そこでふわふわと夢の中にいたような感覚からようやく我に帰った俺は頭を抱えて、その場でしばらく蹲ったのである。
それがあの日の出来事の一部始終だ。
そしてそれから数日後、現在俺はリックの家で飯を食っている。勿論クリフも一緒だ。クリフと会うのはあの夜以来で、怖すぎるし気まずすぎるしなんか恥ずかしいしで正直視線もまともに合わせられていない。情けないが会話も短い挨拶を交わしただけで、何も話せていない。
けれど、奴には聞かなければいけないことがある。
あの夜何があったのか。俺はクリフと一線を超えてしまったのか。
超えてはいないと思いたいのだが、頭の中の冷静な俺がその希望的観測を否定している。
何しろ奴はベッドで全裸だったし、ついでに言うならあの時、普段何かしら服を着て寝る俺もベッドでは上裸だった。今思えばあの朝俺に向けられていた意味深な視線に意味深な笑みは完全に怪しいし、ていうかまるで事後ですみたいな雰囲気を醸し出してたし、絶対に何かあったに違いない。どうしてもその結論に行きついてしまう。
リックになんて言えばいいだろう。一夜の過ちでお前の相棒兼お世話係兼親友と寝てしまいました?最悪だ。久しぶりに再会してそれはないだろう。クリフとどうなろうと、リックの仕事に迷惑はかけられない。そう考えると、──だめだ、言えるわけがない。
「──おい、ナマエ?」
「え、あ、…何?」
「お前大丈夫か?さっきから上の空だぞ」
「あー…、すまん、ちょっと疲れてるのかも、ここのところ残業が続いてて」
どうやら考えすぎて魂がトリップしていたらしい、話を全然聞いてなかった。がしがしと頭を掻きながら謝罪をする。残業も続いていることが事実ではあるのだが、実際のところクリフのことで考え込んで気疲れ、寝不足なのが一番大きな原因である。考えたらため息が出てしまった。人前では出したくはないのに。リックはそんな俺を見て黙って、それからそうか、と妙に真面目な顔をして一言。
「ならこれ以上ナマエは引き止めるのはよそう、飲みもお開きだな」
「いや、気にしないで続けてくれ、あんたたちまだ飲み足りないだろ?」
「いいんだ、俺もそろそろ脚本を読み込もうと思ってたところでね。ナマエ、今日はゆっくり休めよ」
お前顔がひどいぞ、手を伸ばし俺の頬を軽く叩くリックに苦笑する。ありがとう、礼を言えばリックは世話の焼ける幼馴染だからなと笑った。それに自然と頬が緩む。それからああそうだ、と徐に立ち上がったリックは思いついたようにクリフの方を見遣って。
「なんならクリフに送ってってもらえよ。いいだろ?」
「ああ、俺は別に構わないぜ」
「エッ」
唐突のリックの言葉に詰まった声が漏れた。待て待て、気遣いはとてもありがたいが今クリフと二人きりにされるのはめちゃくちゃに気まずすぎるし嫌だ!!そしてクリフあんたも「別に構わない」とか言うな!俺が大いに構う!!
「え、あーいや、遠慮しておくよ、わざわざ送ってもらうのもアレだし、家が反対方向とかだとクリフにも悪いし……」
やんわりとした断りを入れるものの、俺の言葉にリックはん?と首を傾げる。
「あれ、この前同じ方向だって言ってなかったか?しかも結構近いって」
「え"っ」
そうなの?!俺知らないんだけど!思わずクリフを見遣れば言ってたな、とリックに続けて返された。嘘だろ、いつ言ったんだよ俺、まさかあの記憶がすっぱり抜け落ちてる日にか?!いやていうかそれしかないな!あの日の前後で奴の家の場所も俺の家の場所の話もした覚えないし!
「何ならこの前もクリフがお前を送ってったろ?」
「……あーいやあ、すっかり忘れてた……、ははは」
やっぱりか。その答えに最早渇いた笑いしか出てこなかった。
クリフは俺の家までの道をしっかりと覚えているようだった。どこまで奴の家と道が同じなのかは知らないが、今のところ道順を聞かれていない。
結局、俺はクリフの車で家まで送ってもらうことになった。
断ろうとしたものの、クリフから「ボスからのせっかくの言葉を無下にするのかああん?(超絶意訳)」みたいな有無を言わせない視線が飛んできて首を横に振れなかった。何なんだコイツ、薄々感じてはいたが完全にリックのモンペじゃねーか。怖すぎる。そんなわけで二人きりになることに戦々恐々としていたわけだが、二人きりということはつまりクリフにあの夜の事実確認をするのにもってこいということである。なんだかんだ言ってクリフもリックと一緒にいることが多いわけだし。せっかくの機会なのだからとポジティブに考えることにしたが、いざ狭い車内の中二人きりになると口が重い。もう結構な時間走っているような気がするが、これといった会話らしい会話は生まれなかった。無言の車内では、カーラジオと全開になった運転席の窓から入り込む夜の喧騒が、辛うじてその場の空気を取り持ってくれている。
「…………」
ちら、とクリフを見遣る。ハンドルを握る手に目が行って、そこから腕へ。シャツの上からでも分かる、見事な上腕二頭筋である。やはりスタントダブル、良い身体してる…、なんてぼんやり思うと同時に数日前の朝の風景がフラッシュバックした。シャツの上から分かるどころか俺はこの目でこいつの全裸をしっかりと見てるんだった……。ええ、それはもう割れてましたよ腹筋が見事に……。そんなことは覚えてるくせに何で肝心の夜のことを俺は何も覚えていないんだ……。
自分の情けなさがどうしようもなくて、逃げるように腕を組んで車窓の流れる景色へと目線を遣る。きらきらとしたネオンや看板のサインは郊外へ行くにつれて少なくなって、今は夜の暗闇が目立ちつつある。
「(──クリフは、)」
共通の友人を持つ知人同士。そういう関係だ。あの日のことがあったとしても、その関係性が今も変わっていないと思いたい。クリフがどう思っているかは知らないが、俺にとってこいつのことは「知人」で十分だ。そうだろクリフ。お前もそう思っててくれよ。
……ていうか、そもそも、俺はなんでクリフに対してこなに過剰になってるんだ?
「──おい、ナマエ」
「…っ、何だよ」
突然パチン、耳元で硬い音がしてびくりと肩を震わせる。クリフが指を鳴らしたのだ。弾かれたように音の方を向けば、クリフと目線がかち合う。それからナマエ、と奴の口がゆっくりと動いた。
もしかしたら初めて名前を呼ばれたかもしれない。それに動揺している自分がいる。なんなんだよ、ティーンか俺は?
やけに静かな車内で、陰った水色の瞳が俺を見つめる。その瞳はだめだ、直感的にそう思った。だって、全てを見透かされているような気がする。ああ、そんな目で俺を見るな、
「や、めろよ」
からからに渇いた口から漏れ出た言葉に、クリフはひとつ瞬きをして。
「やめろ?じゃあ俺のところまで来るか?」
「……へ?」
「言ったろ、近いって。ここから10分くらいで着くぜ」
「は、」
「だから着いたって言ったろ。お前の家、ここじゃないのか?」
「……………」
外を見れば、確かにそこは俺の部屋があるアパートの目の前だった。クリフが消したのかラジオは消えていて、車のエンジンの音、どこからか聞こえる犬の吠え声が静かな住宅街に響いている。いつの間に着いてたんだ。というか俺はどんだけ考え込んでたんだ?ぼんやりと窓の外から阿保みたいに家の景色を見つめて数秒。それからクリフの方へと首を向ければ、奴は揶揄うような笑みを浮かべて俺を見つめていた。
「……で、どうする?ここで降りるか、俺のとこか」
「降ります!!!!」
半ば食い入るようにクリフの言葉に被せて大声を出した俺に、くく、声を殺してクリフは如何にも可笑しそうに笑う。何がツボなのか、そんなに笑うとこか?
「あんた、面白いな」
「うるさい!!!」
お前がうるさいぞ、とその顔をニヤニヤさせながらクリフは続ける。それに俺は何も返せなくて、シートベルトを外して勢い良く車から降りた。
そのままの勢いでばたん、大きな音を立てて強くドアを閉め、家へと足早に進む。が、なんだか胸がもやついて数歩進んだところで足を止め、その場で踵を返した。
俺の姿を見ていたのかなんなのか、数メートル距離が空いた先でクリフとばちりと視線が合う。普段の青々とした瞳は、夜の光の下では闇に溶けたような、黒々とした色に見えた。
何も言わずに車まで戻って、口をへの字にしたままクリフの目の前に立つ。奴は運転席の窓から顔を出して、黙って俺を見上げていた。
「…クリフ」
「ん?」
「ありがとな、送ってくれて。……気を付けろよ」
どんな顔をしていただろうか。がちがちに力の入った硬い表情で、眉間に皺を寄せて、…きっと変な顔をしていたに違いない。そんな俺を見て、ふ、と笑みが溢れでたように、クリフが笑った。
その後。車が走り去ったあと、結局あの夜のことを聞けなかったことに気付いてしまい、俺ははあ、と重いため息を漏らしたのだった。
20200310