「おいじいさん…、お、目が覚めたのか」
「スタークか」
つい先程起こった現象に頭の理解が追いつかずに、混乱して思わずスティーブと見つめ合って数秒。沈黙の中、ずび、と鼻をすする合間に扉が開く音がして、それに視線を向けるとスタークさんがひょいと部屋に入ってきた。それに軽く会釈をすると、Hi,とひらりと手を振ってくれる。
「気分はどうだ?神様に首絞められたのに死ななくて良かったな。ツイてるぞ」
「…?」
腕を組みながらのスタークさんに言われたことが分からなくて(というか聞き取れなくて)首を傾げていると、「君、首、怪我してるぞ」と簡単な言葉でゆっくりとジェスチャー付きで説明してくれた。若干わざとらしく。
「首?」
「なんだ、気づいてなかったのか?ほら、痕が残ってる」
「…、」
スタークさんにそう言われて触ってみると、確かにずくりと痛みが走る。痣の類だろうか。もしかしなくてもロキに首を絞められた時だろうな…。
「中々痛そうだな」
「そうだ、さっきの力で治せないのかい?君のその傷」
「は、」
「力って?」
「ああ、さっき僕の傷を治してくれたんだよ。ね」
「う、うん…」
まあさっき起こった出来事を説明するならばそれが適当なのだろうが。スティーブにそんな感じのことを言われて一瞬頭が止まる。あの時はいっぱいいっぱいで何が起こったのかよく分かってなかったし今もさっぱりだ。だからそう言われてもどうすればいいのか分からないし、得体の知れないものなのにそれを自分に使うなんて、しかも使えるかどうかも分からないのに、と色々な考えが頭を巡る中、スティーブとスタークさんの会話はどんどん進んでいく。ナマエに治してもらったんだ、と俺の方を見てからほらここ、と言ってスティーブは破けたスーツの隙間から見える、今は何も残っていない傷跡の部分をスタークさんに見せる。それを見たスタークさんは器用に片眉を上げてひゅう、と口笛を鳴らした。
「ほお、では私の傷も治してくれるかな?地味に痛いんだ、この傷」
「えっ」
そう言ってスタークさんは俺の方に近付いて頬の擦り傷を指差した。まずい、どうしよう。何も言わなかった(というか言えなかった)せいで困ったことになってしまった。自分に使うのさえ躊躇われるのにスタークさんになんて使えるわけない。それ以前に、どうやってやったのかも分からないのにどうやって治せというのか。
思わず口を半開きにしてスタークさんを見遣れば、どうだ?とでも言わんばかりの表情である。目を合わせられず閉口して視線を下に少しずらせば、さっきの大きな戦闘で負ったのだろう、新しい擦り傷には血が薄っすらと滲んでいた。
「………(傷が、)」
……ああ、俺が治さなきゃ、
俺が、やらなきゃ、
「………おれが、」
「ん?何か言ったか?」
俺とスタークさんの間を、一枚バリアで隔てたかのように。スタークさんの声が遠くで聞こえる。スティーブの怪我を見た時のように狼狽も混乱もしていない。けれど血の滲んだその傷を見た時、強い意思が、強迫観念にも似たそれが、俺の意識を支配していく。
「俺がやらなければ、他に誰がいるのか」と。
それからどれくらい時間が経ったのかは分からない。
「…すごいな」
ただ、ぽつりと呟かれたスタークさんの言葉にはっとした時には、俺の指がスタークさんの頬に触れていた。
そして、さっきまであったはずの傷は、もうない。
「っあ、…ごめんなさい…」
弾かれたように手を引っ込めた。
俺がやったんだ。しかも、ほぼ無意識で。
意識の外で、俺が理解の範疇を超えた出来事を起こしている。すう、と静かに背筋が寒くなるのを感じた。
…怖い。
「ごめんなさいスタークさん、っ俺、ごめんなさ」
「何で謝るんだ?傷を治してくれただろう」
震えそうになる声でソーリーと謝罪の言葉を繰り返す俺に、ありがとうナマエと、スタークさんはそう言ってくれたけれど。本当に「傷を治した」のだろうか。目に見える事実はたしかに治したように見える、けれど。RPGで白魔道士が使う回復魔法のような、そんなものじゃない。それだけはなんとなくわかるのだ。得体の知れないこの力が、そしてそれを使えてしまう自分が分からなくなって、言いようのない恐怖に襲われる。
自分の中に、知らない自分がいる。漠然とした不安と恐怖が、心を覆っていく。思考が悪い方へ悪い方へと転がって、じとりと身体の内側から滲む気持ちの悪い汗に、膝の上でぐ、と拳を握った。スティーブとスタークさんは何か会話をしているけれど、聞こえてくるのは外面だけの英語で、その会話の内容は全く入ってこなかった。
どうしよう、どうしよう。
どうすればいいのか、分からない。
「ナマエ」
「っはい、」
じわりじわりと嫌な汗が浮かび、更には心臓さえも早鐘を打ち始める。そんな俺の思考を断ち切るかのように、スティーブが俺の名前を呼ぶ。それに我に返って、弾かれたように返事をした。
「君をこれから仲間の1人に紹介したいと思うんだけど、どうかな」
「え、」
スティーブが俺に言ってきたことは、全く予想外のものだった。
なんで、どうして俺を?
戸惑いで言葉の出ない俺に、スティーブは柔らかい声色でゆっくりと続ける。
ロキに操られていた仲間の1人が回復して目を覚ましたこと。一時的に敵側にいた彼なら、どうしてロキが俺を知っているのか、なぜ俺を狙うのか、俺の中にいる「何か」について、敵方から情報を得ているかもしれないと。
「………」
「…君が知りたいのなら、僕は、彼に会ってみるべきだと思う」
何も言わない俺を見て、スティーブは俺を真っ直ぐ見て、そう言った。でも無理はしなくていいからねと、そんなような言葉を付け足して。
「…俺は」
突然与えられた選択肢に言葉が詰まる。怖い、知りたくない、何もかも投げ出して今すぐ家のベッドに身を投げ出したい。衝動的な思いばかりが頭を覆う。俯く視線の先に、真っ青な破けたスーツから覗く、スティーブの肌が目に入った。
「(…ああ、)」
それを見て静かに悟る。きっともう、戻ることはできないんだ。自分の中にある「何か」に気づいてしまった以上、俺はそれと、一生付き合っていかなくちゃいけない。なら、知らなくちゃ。現実から目を背けてずっと知らないふりをしているよりも、得体の知れないこの力のことを知って、理解して、どうせならその力を使ってみんなの役に立てるようになる方がずっといい。
知りたい。自分の中にある、この力が何なのか。
「行きたい」
だからその時、俯いていた顔を上げて、確かに俺は強く頷いたのだ。
20180508