1作目の時間軸






『クリーデンス』
『君は英雄になれる。魔法界の英雄に』

「おい、大丈夫か?」

その声にはっとして顔を上げる。僕よりも少し背の低い、紺色のコートに身を包んで、暖かそうなマフラーを巻いた男の人が、心配そうに僕を見つめていた。

「え、ぁ………、」

咄嗟のことに言葉が出ない。街中でも、ましてやこんな路地裏でも僕に声を掛けてくれる人なんて、今までいなかったから。どうやらこの人は僕のことを心配してくれているようだった。まさか、グレイブスさんを待っている時に、こんなところで声を掛けられるなんて。

「こんな狭い路地にいるから、気分悪いのかと思って。…顔色も悪いし」

言葉を返せずに吃っていた僕に構わず、目の前の男の人は話を続ける。そして僕をじ、と見つめる。観察しているようだった。その人は手袋を外してコートのポケットに入れたかと思うと、不意にその手を伸ばして、僕の額にそっと手を当てる。いつもの癖でびくりと肩を震わせてしまったけれど、その手は僕が思っていたよりもずっと柔らかくて、温かかった。

「熱はないみたいだな。顔色悪いけど」

目の前の男の人の言葉遣いは少し粗暴だけれど、その瞳は街行く人々が僕を見るような冷たい瞳ではなかった。真っ直ぐに僕を見つめるその双眸は優しくて、初めて会う人なのにどこか安心してしまう。

「…ふーん、セーレム救世軍ねえ。あいつが言ってたやつかな。…あれ、」

ぼそりと僕が配っていたビラの内容を呟くと、持っていたビラの束を取り上げられる。そして握っていた手を広げられた。

「っ、う、」
「…やっぱり怪我してる、」

痛みで呻いた僕の声を聞き逃さず、それから労わるように僕の手のひらをするりと撫でる。

「痛いだろ、この傷。…ちょっと待ってろ」

ごそごそと懐から出した薬瓶を出して、ん、と僕に何かを要求するように視線を寄越す。男の人の意図が分からず、思わず僕は視線をさ迷わせた。

「…あの、」
「手。出して」

そんな僕の態度に痺れを切らした彼は、僕を見つめてただ一言、少し強い口調でそう言った。
それに言う通り恐る恐る手を差し出すと、男の人はぶっきらぼうな物言いとは違って、優しく僕の手を包んで、そして薬瓶の中に入っている液体を塗り始めた。

「…っ」
「悪い、沁みるか?」

じんわりと広がる痛みに身体を強張らせると、男の人は僕の傷に薬を塗り込みながらちらりとこちらを見遣る。

「大丈夫、この薬結構効くんだ。これでしばらくすれば治るよ」
「ぁ………」
「ん?何?」

そう言いながらふ、と口元を緩める男の人の笑顔は優しく、手の傷にじんわりしみる痛みとは裏腹に、徐々に暖かい何かが胸に広がっていくように感じた。

「……ありがとう、ございます……」
「どういたしまして。こんな寒い中コートも着ないでビラ配ってんだろ?顔色悪いし、手のひらにそんな傷付けてるし、見てるこっちが辛くなる」
「…大丈夫です…慣れてる、ので…」

これが僕にとっての日常だ。正直にそう答えると、男の人は目をぱちくりとさせて、それから黙ってしまった。

「…お前、明日もこの時間にここら辺でビラ配りするのか?」

何を思ったのかそう聞いてきた男の人に小さく頷くと、そうか、と短い言葉。それから柔らかく笑って、

「じゃあ今度は何か、美味いあったかいものでも持ってくるよ」
「え、………」
「…あ、お前の名前、なんていうんだ?」
「……クリーデンス」
「クリーデンスね。良い名前だな。俺はナマエ。じゃあ」

またな、と軽く手を振ってナマエさんは身を翻し大通りの方へと歩いていく。僕はそんな彼の後ろ姿が見えなくなるまで、ただただじっと見つめていた。

「…ナマエ、さん」

良い名前だなんて、初めて言われた。
小さく呟いた名前は、路地の暗闇に吸い込まれていった。






「……なあニュート、今日動物探しついでに散歩してたらこのクソ寒い中コートも着ないでビラ配りしてる奴がいてさ」
「うん」
「そいつ、なんか体調悪そうで声かけて聞いてみたら手怪我してて」
「うん」
「魔法で治すわけにもいかないからとりあえずマートラップの触手液使って治したんだけど、マグルに魔法薬使うのってアウトかな、法律的に」
「……駄目じゃないかな、魔法って付いてるし」
「ンーーー…そっか」
「…君って所々抜けてるよね、オブリビエイトしなかったんだろ」
「ジェイコブにオブリビエイトし損ねたお前に言われたくないんだけど?…ティナには秘密な」
「…いいけど、オブリビエイトしに行くんだよね?」
「ん。明日行ってくる。あ、美味いもの持ってくって言っちゃったからオブリビエイトついでに持ってくかな。ジェイコブ、パンくれるかな」
「そうだね、…きっと喜んでくれるんじゃないかな」







20181123

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