ナマエは人間に迷惑をかけるつもりはなかった。たまたま自分の住んでいる山の麓に小さな村があったので、たまにそこに下りたっては、住んでいる人に声をかけただけだ。
「なにかお手伝いすることはありませんか。僕、お腹がとてもすいているんですが、山にはなにもないんです、だからお手伝いをして、食料を代わりにいただけないですか?」
そんなようなことを言うと、初めて会った人のほとんどはナマエの問いかけに目を丸くした後、彼の姿を呆けたように見上げた。なにしろ彼は人間ではなく怪人だったので、ちょっとばかし、人と違う面があったからだ。
もちろん、「ごめんなさい。今は、特にないのよ」と断られることはあったが、その次に、「でもお向かいの家は、確か野菜の収穫に人手が欲しいそうよ」といったようなことを言われることも多かったので、ナマエは「ありがとう」とお礼を言って、無事に労働の対価として食べるものをもらえた。
そういうことを繰り返すうち、村の人間はナマエが特に自分たちと違わない者だと理解し、親切にしてくれた。
またナマエは人間よりも長生きだったので、一代、二代とそのような生活を続けて数十年経った。村はそう変わらず、ナマエは穏やかに暮らしていた。
そんな退屈な夏の日の、いつも通りの午後のことだった。
ナマエは顔見知りの農家の収穫を手伝った帰りで、茹だった道を歩いていた。
ふと、前方に村の人間と話している見慣れない風貌の男がいて、ナマエが近づくにつれてその二人がなにやら言い争っているのが聞こえた。
ナマエは長年の生活でこの村の人間のほとんどが排他的でないことを知っていたので、不思議がりながらもその横を通り抜けようとした、が。
「……あっ!」
ナマエが二人の傍まで近づいた時、見慣れない男の方が、ナマエを見て驚いた声をあげたのだ。横を通り抜けようとしたナマエは思わず足を止め、男に振り返る。男はナマエの姿を見るなり引き攣った顔を見せると、「か、怪人だ!」と慌てた様子で駆けていってしまった。
首を傾げるナマエに村の男が「失礼なやつだ」と難しい顔で男の逃げていった先を見遣った。
ナマエは尋ねる。
「あのう、なにかあったんですか」
村の男は答えた。
「うん? いや、村の近くに高速道路を作るって話があってな。まあ、それは構わないんだが……あの男、それに便乗して商売の話をしてきたんだ」
「はあ」
「ナマエ、不思議そうな顔だね。でもあまり良くない話なんだ。それにお前さんのこともあるし……」
「僕の話を?」
ナマエは首を傾げた。村の男ははっとした顔になって、「いや、悪いことを言った。今のは忘れてくれ。さあ、早くお帰り」と言葉を濁す。
ナマエは素直に分かりましたと頷いて、村の男に別れを告げた。ナマエはぼんやりと、自分が怪人であることとなにか関係のあることだろうか、と考えながら、帰り道についた。
▼
「お前、怪人か?」
家に戻る山道で、ナマエは一人の男に会った。
舗装されているとはいえあまり足場のよくない道を歩いていた男にナマエは驚きながらも、その問いかけに頷いた。
男は目を丸くしたのち、通報は本当だったのか、いやでも、とぶつぶつと一人で呟いている。ナマエは男に目をやりながらも、森特有のじめついた空気に汗を滲ませた。目の前の男はそれを感じているのだろうか。ナマエは検討がつかなかったが、このままここを立ち去るのも悪い気がした。
「僕の家、もうすぐそこなんです。長いお話なら、そこでしませんか」
ナマエがそう提案すると男はぴくりと眉を上げて、しばし黙り込んだ。ナマエは額に滲んだ汗を拭い、ぼうっと男を見遣る。ややあって男は頷く。ナマエは息をつくと、こっちです、と舗装された道を抜けた。
男は道中でナマエと一言も会話を交わさなかった。ナマエは男より前に立って先導しながらも、ずっと男の視線を感じていた。
「どこから来たんですか」ナマエが問いかけると、男は一度立ち止まった。
「……都心の方だ」ナマエが振り返ると、男はそう答えた。ナマエはこの村の外に関しては知識がなかったため、そうですか、と返すしかできなかった。
「ここが僕の家です」
しばらく山道を歩き、ナマエと男は一つの建物の前に到着した。ナマエはポケットから鍵を取り出して、門に巻かれた南京錠を開ける。
鉄の扉が軋む音を立てながら開くようになる。
ナマエは広い庭を一瞥し、野良猫が水を飲んでいるのを見た。
それから二人は玄関にたどり着く。玄関には鍵をかけていなかったので、ナマエはそのままドアノブを捻った。
「どうぞ」
陰ってひんやりとした空気の家の中に、ナマエは男を招き入れる。男はぽかんとした様子ではあったが、「お邪魔します」と小さく呟いて家に入った。
▼
ゾンビマンは困惑していた。泥だらけで薄汚れた怪人が出たと通報を受け、近くまでやってこれば確かに怪人がいた。──が、その怪人が、今、自分をもてなしているという現状にだ。
「暑いのにここまで何をしにきたんですか?」
目の前の怪人はナマエと名乗り、ゾンビマンに冷たいお茶を差し出した。出会い頭では確かに汚れていた彼だが、着替えたのか今は清潔な服を着ている。肌にあった汚れも消えていた。
「いや、俺は……」
ゾンビマンは考えあぐねた。お前を倒しにきたんだとは言えそうにない。油断させてから殺すなんてこともあるかもしれないが、どうも目の前の怪人は緊張感に欠けた。
そもそも怪人は通報のあった村の方からやってきたわけだが、血痕があったわけでもない手前、どうするべきかゾンビマンも持て余す。
「外から来る人はあまり見ないんですよね。あ、でも高速道路? っていうの作るんですか。その関係の人とか……」
「いや、」
「じゃあ商売の話をしにきた人?」
ナマエは確かに見た目は怪人ではあるが、その動作は人間──というより、所帯じみている。
あぐらをかいて片手で湯呑みをあおる姿はゾンビマンの脳裏に“一般人”の文字を思い起こさせた。
──どうにもやりにくい。
ゾンビマンは頭をかき、全て正直に話すことを決めた。人の気配のないところまで来た以上、派手にやり合おうと支障はないだろう、と考え、意を決したように口を開いた。
まず、自身がヒーローであること。
通報を受けてここまでやってきた。通報の直接の原因がナマエにあること。
正直、ナマエから悪意を感じず、人に害を与えるつもりはあるのかということ。
「僕、なにもしませんよ?」
「そうだろうな……」
ゾンビマンは安堵からか、ようやく息をつくことはできた。もちろん、いつでも臨戦態勢に入れる準備はしたままだったが。
ナマエはゾンビマンの話を聞いて、少なからずショックを受けた様子だった。「じゃああの人が通報したのかな」とぼやく。誰のことかとゾンビマンが聞いた。
「ここに帰ってくる途中、村の人と話してる人がいたんです。初めて見る人で、僕を見てすっごく驚いて、どこかに行ってしまいました」
「あー、なるほどな。多分、そいつは外から来たんだろうから、お前のことを知らなかったんだな」
「そっか。なら、良かったです。僕、村の人に迷惑をかけたくないので」
「……いつからここに?」
「そうですね……人が生まれて、死んで、また生まれるくらいの間です」
「またずいぶん大雑把だな……」
「僕、あんまり頭が良くないので」
ナマエは気恥ずかしそうに顔を伏せ、お茶を啜った。「二杯目を淹れてきますね」と立ち上がり、部屋を出ていく。
ゾンビマンはさて、どうするかと天井を見上げた。どのみち、協会には報告しなければならない。現状維持というのも難しいだろう。
ゾンビマンの視線の先では、古い木目が、乱雑に輪を描いていた。▲|BACK|▼