今日は遅いから泊まっていってくださいとナマエが言った翌日、ゾンビマンは布団の上で目覚めた。
体を起き上がらせると、隣で眠っていたナマエの布団は既に畳まれており、誰もいない。ゾンビマンは一つ伸びをして、布団から出た。
「おはようございます」
ナマエは部屋の外の縁側に座っていた。膝の上に猫を乗せ、その背を撫でていた。ゾンビマンの姿を見るなり彼はそう挨拶する。
「ああ、おはよう。昨日の晩は世話になったな」
「いえ。お客さんがあんまりこないので、失礼がないといいんですけど」
「今日は村の方まで行こうと思う」
「分かりました。僕も用があるのでついていきます。その前に朝ごはんを食べましょう」
ナマエは猫を膝から下ろし、窓際にいるゾンビマンのもとへ歩いてくる。ご飯と卵焼きと味噌汁でいいですよね、とナマエが言うと、ゾンビマンは少し笑ってお礼を言った。ナマエはつられて笑いながらも、なにかおかしいですか、とやっぱり気恥ずかしそうに尋ねるのだった。
村は静かなところだった。ナマエと共に村へと下りたったゾンビマンは、村人と挨拶を交わすナマエを見て最後の懸念をようやく崩す。
とくに威圧されているというわけでもなく、ナマエは本当に何もしていないようだった。強いて言うなら村人の手伝いをしている。
「ナマエちゃん、その人は誰?」
「僕のお客さんです、昨日、きたばかりです」
「そうなの。男前ねえ」
村人と農作業をしながらそう話すナマエをゾンビマンは穏やかな気持ちで見た。
道行く子供が「ゾンビマンだー!」と言いながら指をさす。そのまま近寄ってきて、「すっげーホンモノじゃん!」と目を輝かせた。
「ゾンビマンっていうの、あなた」
「ああ」
「外国の方だろうよ」
「じいちゃん、ゾンビマンはヒーローなんだって!」
「ヒロちゃんの好きななんとかレンジャーのこと?」
「ちがうよ婆ちゃん、本物の! ヒーロー!」
ナマエが雑草を抜きながらくすくすと笑っている。近寄ってきた子供はそれをちらと見遣ってから、ゾンビマンに耳打ちする。
「なあゾンビマン、ナマエは悪い怪人? じゃないからさ、倒さないでよ」
「ん、別に倒しゃしねえよ」
「あっそ! ならいーや!」
素早く立ち上がった子供はそのままどこかへと行ってしまった。
ゾンビマンはしばらくナマエの様子を眺めていたが、村人に促されて、彼もその場を手伝った。
三日目。再びナマエの家に泊まったゾンビマンは、今度は自主的に村人の手伝いをした。
「なあ、お前さん」
休憩時間に村人に話し掛けられ、水を飲んでいたゾンビマンは顔を上げる。
ナマエは彼らより少し離れた場所で子供に遊ばれており、こちらを気にした様子はない。
ゾンビマンの隣に座った村人は、彼の表情を伺いながら、そっと口を開いた。
「私はあの子……ナマエとは、子供の頃からの付き合いなんだが」
「…………」
「君をヒーローと見込んで、頼みがあるんだ」
「例えば?」
村人は長い間切り出すのをためらっていた。だがゾンビマンが急かす素振りを見せないでいると、長い息と共に、言葉を吐き出す。
「あの子……ナマエを、守ってやってほしいんだ」
「守る? 何からだ?」
ゾンビマンは眉を寄せて村人を見た。村人は答える。
「人の悪意から。──あの子は昔から純粋で、疑うということを知らん。外から来た人間は、あの子をそうそう受け入れないだろう。あの子は怪人だ。だが、あの子には危害を加えようなんて意思はこれっぽっちもないんだ」
「……あんた達はそれを分かってるんじゃないのか?」
「もちろん。だがな、私たちでは守るというところまではいけんのだ。いつか、あの子にも家族がいた。あの子の家族は、人の手によって殺されたも同然だ。それでも恨みを持たず、ここまでやってきた。あの子は──精神的には、とても強い」
「ああ」
「だけど、力では君たちには適わんだろう。君のような者ばかりであればいいが、恐らくそううまくはいかん。とりわけ、これからの時代はな──だから、きっとすぐに殺されてしまう。怪人に襲われる人間のように」
村人はそう言い、息を吐いた。
「ナマエを村から追い出したいのか?」
ゾンビマンが問いかける。
「とんでもない! だが、私たちは、自分のことで精一杯だ……昨日でさえ、私はあの子に早く帰るようにと言うことしかできなかった。ぞっとしたよ! あの男、まるで親の敵のような目であの子を見るんだからね!」
村人は呻き、両手で顔を覆い、ゆっくりと前に体を傾けて溜息をついた。ゾンビマンは、黙ってそれを見つめる。
村人はやがて、絞り出すように言った。
「でも……君に会えたことは幸いだったんだ。あの子を助けてくれて、本当にありがとう……」
ゾンビマンは、彼の目から涙がこぼれ落ちているのを見た。太陽が強く地面を照りつけている。影は濃く、短く残る。
休憩時間は、終わろうとしていた。
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「ナマエは大分あそこに馴染んでいるんだな」
帰り道、ナマエと歩みを共にしながら、ゾンビマンはそう言った。片手にはビニール袋に詰め込まれた野菜を持っている。ナマエもまた同じような様子で、量の多いそれを大事そうにそれを抱えていた。
「はい。僕、普通には生きていけませんから」
「普通?」
「僕の家族は、もともと外からやってきたんですけど、人間と色々あったみたいで、あんまり信用していなくて、どうしようもなくなって、死んでしまいました」
「………」
「だから、僕もここにいるんですよ。お墓もちゃんとありますよ。もっとも、そんなにちゃんとしてはないんですけど……」
「……そうか」
ナマエは今日はなにが食べたいですか、とゾンビマンに尋ねた。ゾンビマンはそれには首を横に振って、今日でもう帰るつもりだ、と答えた。ナマエはそうなんですか、と小さく声を上げた。
「……もしもの話なんですけど」
ナマエが、不意にそう言った。
「もしも、もしも僕がこのまま過ごすとして、今日みたいに村の人とうまくやっていくことは、可能なんでしょうか」
「どうしてそんなことを聞く?」
ナマエは少し考え込み、顔を上げる。風が吹いて、森がざわめく。
「この村に道路ができたら、きっと今よりも外の人が来るだろうって、言われています。もし、昨日みたいに、僕のことをあまり知らない人が来たら、村の人に迷惑はかからないでしょうか」
「…………」ゾンビマンは答えない。そんなことはないと軽率に断言はできなかった。
「そうでなくても、村の子は、あなたのことや、僕のような怪人が、どんなものか知っていたんですね。僕のこと、怖くないんでしょうか」
ナマエは一つ一つ言葉を探すように、歩きながら俯く。道を横断する蟻の群れを散らさないよう、注視しながら。
「僕、この山に住み続けることには、そうこだわっていません。他のところなら、人と関わらず生きていけるところがあるかもしれません」
ゾンビマンはナマエの顔を見遣った。別段苦しそうでも、淋しそうでも、諦めたような顔でもない。
「あの村の人間はお前を受け入れてると思うぞ」
「それは、分かります。でも、僕、そろそろお別れしないといけないのかもしれないですね」
「……どうしてそう思ったんだ?」
ゾンビマンは尋ねる。ナマエは彼に目をやって、少し笑った。
「なんとなく、そんな世の中になり始めたんじゃないかって思ったので、思い立ったら引っ越し日和かなあと」
ゾンビマンはナマエをじっと見て、「ナマエがいいと思うならそれでいいんじゃないか」と答えた。ナマエは満足そうに笑い、「じゃあ、お別れの挨拶は無駄になりませんでしたね」と言った。
ゾンビマンが目を丸くする。
「もうしたのか?」
「はい。今朝決めて、今日中に」
ゾンビマンはやけに働いていると思っていた。が、今回ばかりは特別であったらしい。ということは、今二人がたくさんの野菜を運んでいるわけはそこにあるようだ。
ナマエは家の前まで辿り着いて、慣れた様子で鍵を開けた。
「実は、ゾンビマンさんが寝ている間に荷物をまとめたんです」
ナマエは玄関を開く。朝にも見た猫が彼の足の間から滑り込む。
「…………なあ」
ゾンビマンがいそいそと靴を脱ぐナマエの背中に声をかけた。
「なんですか?」ナマエは野菜を置いて振り返った。
「俺がいいところを知ってる。行き先は決めてないんだろ?」
ゾンビマンはそう言い、携帯を取り出した。
「──ナマエという怪人は要監視」
唐突に発せられた事務的な声に、ナマエははあ、と気の抜けた声を上げた。ゾンビマンは待て、と手を上げて続きを促す。
「というのが協会の下した判断だが。凶暴なやつの多い施設にぶち込まれるよりかは、ヒーローの傍に置いた方がいいだろう」
「?」
「あー、あのな、俺と一緒に暮らさないか」
ゾンビマンが肩を竦める。ナマエはぽかんと口を開け、「いいんですか?」と頬を掻いた。
「それは俺の台詞だ。別に強制じゃないからな、まあどこへなりとも行く手助けはできる。どうする?」
ナマエは「僕、ゾンビマンさんと暮らしてみたいです」と答えた。その傍らで、猫が喉を鳴らした。
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明朝。二人の影が、山奥に建った家を後にする。
「でも、どうして僕と暮らそうと思ったんですか」片方の影が不思議そうに尋ねる。
「……あー、……味噌汁が美味かった、から」
片方の影は、歯切れ悪く答えた。どこかぶっきらぼうな調子でもあった。だけど、その言葉に、尋ねた方の影は──照れた様子で笑い声を上げたのだった。▲|BACK|▼