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 人間の考えつくことは、元来創造主たる神のものであるはずなのだが時として俺たち悪魔には到底思い付かないことをカタチにする。
「アイドルぅ?」
墜落した先の街をぶらついていたところ、オレンジの髪の人間(もう一人同じ顔の人間がいる、きっと双子だ。)にビラを渡された。
「そうそう、見たところきっとたくさんお友達がいるんじゃないかと思いましてっ」
「良かったら勧誘……もとい紹介してみてください!」
「はあ、人間界にもこんな」
何処も同じだ。人間界? と顔を見合わせる双子に曖昧に表情を作り、ビラを突き返した。
偶像──アイドルか。悪魔として残された余生は教会を壊して回ることに充てようかと考えていたがやめにした。
やはり王道を行く悪魔など悪魔の風上にも置けない。つまらないそれでいてせせこましい悪事の方がジャンキーでずっと面白い!
口笛を吹いて、俺はニッポンの戸籍の準備を始めることにした。



 ナマエにとって午後二時ごろの講堂は正に“天国”だ。五時限目の授業も終盤に近づき眠気と格闘しているであろう学生を想像しながら長椅子に仰向けになるのはあくびが出るほど心地いい。
この悪魔的行為に耽るのはナマエが夢ノ咲学院に入ってからのもっぱらの日課で、午後からの授業の欠席回数は裕に十数回を超えていた。

 たった一匹の悪魔──名前はなく識別番号が付けられていた程度である──という境遇のナマエにとって、戸籍によりもたらされたミョウジナマエという名は彼を気分よくさせた。一方で、どこかにいた同姓同名の一人はある日突然親無しになってしまったようだが。
ともかくナマエは上手いこと夢ノ咲学院の一年生枠を獲得し、人間界での生活を楽しんでいた。
人間の生態でこと不思議なのは何にでも娯楽を見出だせることだろう。ナマエはアイドルとしては全くの無名でむしろアイドルに横やりを入れる側だったが、この学院に入学してからは自主的にそれを控えていた。
それもひとえに、この学院はナマエが囁かずともぐずぐずとエゴが燻っているからだ。
歴史は繰り返すが、悪魔が地球儀を回さずとも人間は勝手に回していることにする。

 人間界に墜ちてから購入したスマホを取り出し、ナマエはぼんやりと人間たちの使う呟きツールの画面を見る。これもまた日々の日課だ。
常に炎上しているタイムラインのなか、自分が地獄に墜ちるとも知らず正義の剣をかざす人間を見るのは大変愉快だった。

 講堂の入り口扉が音を立てる。ナマエはひょいと上体を起こした。開けた人間を見る。
「ふぁぁ」
入ってきたのは一人の人間だ。
長椅子の列を割るように設けられた道を人間の影が延びてゆく。祈りにきたわけでもないのはふらふらとした足取りでよく分かった。
きっとナマエと同じような腹積もりだろう、いかにも眠たそうに、ともすればわざとらしくあくびをしている。その堕落を止めるほどナマエは野暮な悪魔ではない。ナマエは再び仰向けになり目を閉じた。
人間はついにナマエの横までやって来て、人がいると気づいたらしく足を止める。
「…………」
「…………」
「……?」人間は動かなかった。
ナマエは不思議に思い、閉じていた目を開けた。ナマエを見ていたのは黒髪に赤い目の、少し血色の悪い肌の男だった。

「何か?」友好的な笑みを湛えて尋ねる。
人間は無表情でナマエを見下ろしたのち、赤い目をすっと細めて言った。
「……ヒトじゃない匂いがする。あんた、何者?」
「はあ? 変なこと言いますね。もしかして寝ぼけてんの?」
「ふふ」
その人間は、あろうことか、ナマエが横になっていたベンチに手を付いて覆い被さってきた。
これにはナマエも驚いて呑気にむにゃむにゃとしていた口を閉じる。人間は微笑むと、子供に言い聞かせるようにナマエに語りかけた。

「分かるよ……俺、吸血鬼だから。人間じゃないやつはデザートみたいな匂いがする。ねえ、あんたって俺と同族? それとも違うなにか?」
「おい、吸血鬼ふぜいがナメ腐った口を利くもんじゃないぜ。俺が何か聞きたいか? きっと後悔することになるぞ」
「ふうん、生意気。でもいいよ、そしたらこっちはあんたの息の根を止めてやるから」

 二人は数秒お互いを見つめ合った。二人の会話は挨拶みたいなものだ。保険金をかけた両親にいつ死ぬんだ? と言うのと同じでとても純粋な。そして、ついにはナマエの方から折れた。

「俺は悪魔。ちょっと最近色々あってここに来たんだ」
「悪魔?」
「そう。聖書とかにいる──吸血鬼は聖書なんか読まないか。ともかく悪いやつだ」

 そこでようやく人間、もとい吸血鬼はナマエから離れた。
「そ。ねえ、そこどいてくんない」
「断る」
「俺はここに来る前からここに来たらあんたの寝てる長椅子で寝ようって決めてたわけ、分かる?」
「分かるよ。一時間前は俺も同じ気持ちだった」
「じゃあどうすればいいか分かるよね」
吸血鬼は首を傾げて笑った。暴君め、とナマエは片手をこまねいて体を起こした。それから吸血鬼に向かって、恭しく席を譲った。
「いい子。ね、あんた名前なんて言うの?」
「ミョウジナマエだよ。いい名前だろ」
「ナマエ。じゃ、おやすみ」
「どうか悪夢を。さよなら、朔間先輩」
「凛月でいいよ。ふあ……」
吸血鬼はナマエのいた長椅子を占領して、ものの二分で見事に眠りについた。
その寝顔を見下ろしていたナマエは、扉の外でチャイムが鳴るのを聞いて講堂を後にした。

 その後珍しく六時限目に出席したナマエを見、英語の教師は目をぱちくりとさせ、ナマエの隣人は悪魔でも見たような顔をした。


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