“こんにちは”
“キバナ。先日の、ナマエくんの言っていたすてられぶねの話について連絡します。”
“ホウエンの、カイナシティの知り合いに聞いたところ、カクタス号という船の記録はありませんでした。座礁事故の記録も同じように。とても残念です。”
“それから、彼の家についても。記録がありませんでした。こちらのほうが、深刻な話だと思います。”
“ナマエは元気ですか? 彼のこと、よろしく頼むね。ぼくも、出来る限りきみたちの助けになりたいので、なにか困ったことがあったら、小さいことでも、相談してください。くれぐれも気をつけて。”
二日ほどおいて来たカブの連絡は、あまり芳しい内容ではなかった。とはいえ、ナマエに隠しても事態は良いほうには進まないだろう。
朝食を食べ終えて、自分やキバナのポケモンと戯れているナマエにキバナは声を掛けた。あまり良くない表情が顔に出ていたのか、ナマエが心配そうにキバナを見る。
──オレさまがこんなんじゃ、オマエも安心できないよな。ナマエの揺れる瞳を見、キバナは改めて表情を、出来る限りナマエが安心できるような優しいものにした。
「あのな、ナマエ……」
キバナが話終えて、ナマエは長い沈黙の後、「教えてくれてありがとう」と言った。笑みこそ浮かべていたが、嬉しいとかではなくて、困っているのを堪えるような表情だった。それは妙にキバナの胸をついて、なんだか無性に、その頬を両手で包んで目を合わせてやりたくなった。
「……ちょっと……考えてみます」
「それは、オレと? オマエと、ポケモンたちだけで?」
「……」
「……一人になりたいんだな?」
ナマエは黙ったまま頷いた。
「どこがいい?」
キバナが尋ねる。もし、ナマエが行くのがワイルドエリアならば、止めるつもりだった。メンタルが不調の時は、決まって星回りも悪いもので、思わぬトラブルに遭遇するものだ。キバナだって、負けて気持ちが揺れているときはワイルドエリアには行かない。昔それでひどい目に遭ったのでそうしていた。
「ガラル地方で一番高いところって、どこですか?」
「そりゃオマエ、バトルタワーしかないな。行きたい?」
「うん。行きたい」
キバナはいいよ、と言った。
ナックルシティからバトルスタジアムのあるシュートシティの区間には列車が通っている。歩きながらキバナと何度か経路の確認をして、二人は駅についた。
「間違えて逆方向に乗るなよ?」
キバナが言うと、ナマエは少し笑った。
「うん、さっきも聞いたよ」
「言い過ぎて困ることでもないだろ。なあ、あのさ」
「うん……?」
「ちゃんと戻ってこいよ。レースのハトーボーみたいにさ。待ってるから」
「……ハトーボーって?」
「あ、ホウエンにはいないのか」
キバナはううん、と唸って、「……まあいい、帰ってきたら教えてやる」と苦笑する。キバナは口実を作るのが上手い男だった。ナマエはまた頷いて、じっとキバナを見ていた。
切符を買って、改札口でキバナとナマエは別れた。
◆
キバナがナックルジムに着くと、リョウタが入り口近くで箒を掃いていた。彼のペリッパーがキバナに気づいて近くまで飛んでくる。
「お疲れ。いつもありがとな」
「いえ! おはようございます。……今日はあの子、いないんですね」
リョウタは辺りをそろそろと見回すと、少し声を潜めてキバナに話しかけた。
「あの子、キバナさまの恋人の人と同じ名前でしたよね」
「……そうだな」
「なにか関係が?」
「大いに。あるぜ」
「キバナさま、まさか」
「おい。オマエ、メロンさんと同じこと考えてんな……? 違う、悪いことはしていない」
あからさまにリョウタが胸を撫で下ろすのを見て、そんなにやらかしそうに見えるかね、オレは! とキバナは思った。
「どうしてなのかはオレも聞きたいと思ってる! でも、突然ああなった。手持ちも、好きなタイプも、出身もストレスの解消法もアイツと同じなんだよな。突然以外の理由があったらオレが困る。どう考えても犯罪だろ」
「犯罪ですね」
「な? だからオレは、朝起きたら恋人がああいう姿になっていて、決して手は出していなくて、間違ったことはしてないってオマエに主張するしかないわけだ」
「まあ……」
納得したか? キバナが尋ねると、「府には落ちました」とリョウタは言った。
「──仮にあの子がナマエさんだったとして」
「仮に、じゃない」
「仕事の方は大丈夫なんですか? 無断欠勤になっているのでは……」
「……」
「キバナさま?」
「た、確かに……」
キバナは豆鉄砲でも食らったような顔になった。
アーマーガアのタクシーはガラルに点在する街同士を繋ぐ、主要の交通網です。──とは、アーマーガアタクシーのホームページの広報欄に掲載されているフレーズだ。
キバナはその日の業務を終えてシュートシティに降り立った。キバナの恋人であるナマエが働いていたのはシュートシティの営業所だった。ナマエがああなった日から数えて三日目。アーマーガアのタクシーの勤務形態などキバナには知る由もないが、当人がいない以上キバナが確認して、事情を説明する他ない。
朝に列車でこの街に来ていたであろう子供の方の彼は既に帰ったかどうか、連絡を入れるが返事はない。
「アイツ、また見るの忘れてるな……」
どうにもホウエンでの習慣がなかったためか、ナマエは度々キバナからの連絡を無視する。ガラル生まれのキバナにとっては信じられないが、本人曰く「図鑑の感覚で使ってるから」とのことだ。
とはいえ今回の場合は──キバナは頭を掻いて、「帰りに寄ってみるか」と一人ごちる。
「ナマエ? そんな名前の、いたっけな……」
営業所に訪ねてきたジムリーダーに一通り運転手たちや職員は喜んだり話したりとしていたが、肝心の話については薄い反応を見せた。
「おいおい、同僚だろう」
「営業所ぐらいでしか話さないからな。それにキバナさんの知り合いだったら相当若いだろう? 話すこともそうないだろう」
「若いってんなら、印象に残りそうなモンだけどな……」
「まあ俺はこの前異動してきたばかりなんだ。ただ会ってないだけかもしれん」
勤務記録を探すのを待ちながら、キバナはナマエからの連絡が来ていないかを確認した。最後にやり取りしたのは昨日、ナマエに頼まれてキバナがカブの連絡先を渡したときだけ。
「──ああ、あった。三日前だな、夕方の四時に退勤になってる」
運転手がそう言った。キバナは顔を上げる。
「……でも、おかしいな。出勤と……その前の記録がない」
──なんだって? キバナは思わず身を乗り出した。「エラーじゃないか?」運転手はキバナを見てさあ、と言った。キバナのただならない様相に、運転手は気遣うように窺った。
「キバナさん、このナマエって人、どうしたんだよ」
「……」
キバナは床で片方の爪先を二回叩いた。どういうべきか。子供になったなんて言えるわけもない。でもナマエはどこにもいないのだ。
「……病気だ」
ややあって、キバナはそう絞り出した。
「病気? 診断書は持ってるか?」
「いや……持ってない。ジムからそのまま来たから」
「じゃあ明日持ってくるといい。多分、あんたでも問題ないだろう。今日はそろそろ営業所を閉めるから──」
「ああ、ああ。終わる間際に悪かった。必ず持ってくるっ」
「よく分からんが、お大事に」
「ありがとう!」
キバナは慌ただしく営業所を出ていった。残された運転手は勤務記録を閉じながら「ジムリーダーってのは忙しいんだな」と誰に言うでもなく呟いた。
営業所を出た後、キバナは不安に駆られるままに足早にバトルタワーへと向かった。子供でもいい、ナマエがいる確証が欲しかった。
バトルタワーの裏口に回り、キバナはボールからフライゴンを繰り出した。エレベーターは待っていられない。他の客からなにかを求められても、今は十分に対応できそうになかった。
ローズが委員長の頃であればオリーヴから大目玉を食らっただろうが──今はもういない。きっと、あの男なら笑って許してくれるだろう──キバナは息をひとつ吸って、フライゴンの背中に飛び乗った。
◆
連続する雲の切れ間から、太陽と雨がある。くいとズボンの裾を引っ張られて、ナマエは目を開けた。
裾を引っ張ったのはガラルのポケモンのようだった。恐らく誰か他の人間の手持ちだろう。ナマエは少し笑んで、図鑑で確認しようとスマホを取り出す。
「あ」
画面を見て、ナマエはキバナからの数件の着信やメッセージが入っていることに気づいた。うち、一番新しい着信は数分前となっている。キバナからは散々口酸っぱくスマホを確認するように言われていた。──それを思いだし、ナマエが折り返して電話を掛ける。
営業の終了が近いことを知らせる音楽が鳴っていて、いつの間にか屋上にいた他の客は少なくなっていた。ナマエは、足下にいるポケモンを気遣おうと屈みこんだ。
そのときだった。屋上に一筋の強い風が吹く。ナマエが顔を上げ、ポケモンは驚いて走り去っていく。カシカシカシ、と草同士が擦れるような音が段々と大きくなり、屋上にフライゴンが現れた──そこに、キバナが乗っていた。
「ナマエ!」
辺りを見回していたキバナはナマエを見つけると、フライゴンから飛び降りて一直線に駆け寄った。珍しく少しつまづいたキバナに反応してナマエが手を伸ばしかける──勢いづいたままやってきたキバナは、そのままナマエの腕を取って抱き締めた。力の強さにナマエの爪先が僅かに浮く。
「キバナさ……っ」
ナマエが苦しげに声を出す。つむじの辺りにキバナの息が落ちて、彼はため息をつくのと同じくらいの細さで言った。「帰ろう」
「え?」ナマエが聞き返す。
「もう、帰ろう」
キバナはナマエを離して、その両肩に手を置いた。
「どうしたの?」
キバナは目を丸くして、ナマエの問いに考え込む様子を見せた。それから、眉を下げて笑った。
「だめだな、オレさまのほうが先に寂しくなってしまった」
ナマエが目を瞬かせる。キバナはそれを見たあと、ナマエの頬を軽く撫でた。滑るようにあっさりとしたものだった。いつの間にかフライゴンも傍に寄ってきて、二人に向かって鳴いた。
「りぃ、」
キバナがナマエから手を離してフライゴンを見上げる。それから彼ははっとしたように周囲を見渡して、「やべ」と呟いた。
というのも、営業終了間際とはいえ、バトルタワーの屋上にはナマエ以外にもぱらぱらと人影があった。ガラルにおいてキバナを知る人は決して少なくない。当然その手持ちのポケモンにおいてもそうだ。加えて、今回は登場の仕方も派手だった。
つまり二人は、悪目立ちをしているというわけで──。
「失礼! ポケモンで横着をして屋上まで昇った者がいると聞いたのだが!」
「……げっ! ダンデじゃねえか!」
この騒ぎに現れたバトルタワーオーナー──ダンデに、キバナは顔をひきつらせた。
「む! キバナじゃないか! 偶然だな」
笑いかけてくるダンデは「ここにポケモンで誰かが飛んでこなかったか?」と無邪気に尋ねてくる。
「あー……それは、オレだ」
「何?」
「オレがフライゴンで昇りました」
おずおずと挙手するキバナにダンデが眉を寄せた。隣にいるフライゴンが気まずそうなキバナの顔を覗きこむ。
「……本当に君が? ダメだろう、きちんとエレベーターを使わなくては」
「うん、イヤ、本当にすまない」
「何があったか知らないが、トレーナーの規範になるジムリーダーたるもの──」
「あの、」
説教の気配を見せ始めたダンデの前にナマエが出た。ダンデは表情を穏やかなものに変えて、ナマエの前に片膝をつき、「どうしたんだ?」と聞いた。
「僕のせいなんです」
「……? 君が何を?」
「僕がキバナさんの連絡を無視してて……それで、キバナさんが心配してここまで来てくれたんです。だから、この騒ぎは僕がきっかけなんです」
ふむ、と呟いてダンデが立ち上がる。
「彼とは知り合いか?」
「知り合い……そうだな」
「そうか……」
ダンデは少し考え込んだあと、「これは大目に見るべきだろうか?」とキバナ本人に尋ねた。キバナは呆れたような顔をして、「オレはそのほうが助かるが」と肩を竦める。
「よし、じゃあこうしよう。なにかしらの処分をキミにするが、今はいい。また追って連絡するよ」
「あ、それはありがたい」
「そうだな……バトルタワーの全ての階で、窓ふきでもしてもらうかな」
「ゲゲッ!?」
「ははは」
頭を抱えるキバナに「ルリナそっくりだ」とダンデが笑う。キバナは苦笑して溜息をついた。「……全く、変な借りを作っちまった」キバナはナマエを見て、こつん、とこめかみ辺りを人差し指で軽く突いた。
「ごめんなさい。あの、僕も手伝うよ」
「当たり前だ! って、……当たり前、なのか? 今回、オレさまが悪いか?」
キバナは頭を掻いて、まあいいや、と呟いた。フライゴンをボールに収めて、彼はナマエに帰るぞと促した。
「そのままだと目立つだろう。職員用のエレベーターがあるから、そちらを使ってくれ」
「ああ。ダンデ、何から何まで悪いな……」
「構わないさ」
バトルタワーオーナーは晴れやかな笑みを浮かべた。
「キミのやり方はよくなかったが……オレもきっと、弟が心配になったらそうするさ」
ダンデの言葉に、キバナはほっと息をついた。
「ありがとな」
バトルタワーを降りて、キバナは再びフライゴンを繰り出した。
「さっきはよくないことをさせてしまって、悪かったな」
「ふりゅ!」
フライゴンは気にするなとばかりに一鳴きして、キバナにすり寄った。キバナがフライゴンの首を撫でる。彼はそのままその背に飛び乗ると、ナマエに向けて手を差し出した。
「──さて、帰るか」
ナマエが乗り込んですぐに、フライゴンが地面から飛び立つ。屋上に来た時よりも遅い速さで、フライゴンと二人は、シュートシティを後にした。
◆
「ねえ、キバナさん」
「んー?」
「どうしてこんなに……親切にしてくれるの?」
小さなココガラの群れと並走するフライゴンの上で、ナマエはキバナを見上げた。キバナは進行方向をまっすぐ見据えていて、顔さえ動かさなかったがナマエを一瞬だけ目線で見下ろした。
二人はしばらく沈黙した。ココガラの群れが離れ始めたころ、キバナはフライゴンの高度を落として、同時にナマエの腹に腕を回した。
「──ドラゴンタイプのポケモンってのは二通りの子育ての方法があってさ」
囁くような、ともすれば呼気のような声だった。
「うん?」
「……一つは、こどもが産まれたら、崖から落とすとか、他のポケモンの群れに放り込んで、生き残れるか強さを計るんだ。群れよりも、個、種の強さそのものを重視するやり方だ」
「……うん」
「もう一つは、どんな子供が産まれたとしても、他の番の子供だったとしても──大きくなるまでしっかり育て上げる方法。これは個が弱くても、群れ全体として強くなるやり方」
キバナはナマエの腹に回していた腕の力をぎゅっと強めた。
「結局のところ、人間はどっちかっていうならそういう、群れ寄りの種なんだ。……オマエ、わかるか?」
「……あまり」
「じゃあシンプルに言おう。人間がひとりぼっちで生きていくのは、難しいとオレは思ってる。だからオレは、自分の手の届くとこまでを大切にしたい」
「……」
「これが、オレさまがオマエに親切にする理由ってやつだ」
居場所がないのであれば、それを誰かが新しく作ってやるしかない。──キバナはナマエが好きだった。それは恋人のナマエだけでなくて、目の前にいる、子供の姿をしたナマエも好きなのだ。
ナマエが鼻をすする音がした。キバナは聞かなかったふりをして、フライゴンの高度をゆっくりと落としていく。
──ナックルシティの宝物庫を照らす光が見え始めた。辺りはゆっくりと、夜に近づいている。▲|BACK|▼