光あれ! そう言って神は暗いばかりだった地上を明るくした。そしてその選択は正解だった。現代の人間は電車の光景を見るに、光と共になければ生きられないまでになった。それはまるで伴侶のように。神はいつだって間違った選択はしないものだ。正しいかどうかは、ともかくとして。
「思ってたより数倍もっ、 暗いでござるよー!」
「なあ忍、そんなに怖いんなら帰らない? テストなんか一夜漬けじゃなくて浅漬け程度でいいんだよ」
「そ、れ、は! ナマエくんはそれでも点が取れるからで……拙者は浅漬けではだめなのでござる……!」
ぷるぷると震える仙石を背に、ナマエは暗い廊下を進んでいた。時刻は夜九時過ぎを指している──もうとっくに他の生徒は帰宅している時間だ。
「怖ければ歌を歌おう。なにか明るい曲はないの?」
「明るい曲……ええと……あ、流星隊の曲はどうでござるか? メテオレンジャーとか」
「わかった。どっちが誰のパート歌う?」
「……隊長殿のパートはナマエくんにお願いしたく……」
悪魔はなるほどわかったと頷いて言われた通りにし、仙石は残された四人分のパートを歌った。
さて、なぜこの二人が夜中の学校に無断で侵入しているのか。会話からの要素を抜き取れば、つまり仙石が明日のテストの勉強をするための教科書を学校に忘れたということ。
しかし誰もはこう思うはずだ。友達に範囲分のコピーを送ってもらえばいい。実際仙石には同じユニットの高峯と、南雲という青年の友人がいた。わざわざ夜の学校に忍び込み犯罪ともなるリスクを侵す必要は全くない。
今回の件で仙石が一番不運だったのは、よりによって最初に頼ったのがナマエであったこと。二番目に不運だったのは、彼が教科書をコピーして送ってもらう、という発想に至らなかったことだ。彼の善良な心が無意識に邪魔したために。
そしてナマエは悪魔だった。ナマエはコピー機、スキャナー、最悪でもスマホは持ち合わせているし手段としても理解していた。けれども彼はその真意について尋ねられればこう答える。「聞かれなかったから答えなかった」。もしくはこうだ、「思いつかなかったよ」と。
そして彼は仙石をこう誘ったのだ。
「学校に取りに行こう。きっとまだ空いてるよ。犯罪じゃないか? 大丈夫。俺も忍もこの学校の生徒なんだし、ちょっと行ってちょっと帰ってくるだけなんだから」
◆
「“声が小さい! 行くぞー!”」
「“おー!”」
二人分の元気な声が廊下に響き渡る。五巡目に突入したメテオレンジャーは冒頭の“ながれぼしに” 願いをかける前に終わった。
「着いたでござる!」
「ふう、やっぱり広いなこの学校……」
「ナマエくんはここで暫しお待ちを。拙者ダッシュで教科書を取ってくる故!」
ナマエは暗い廊下でぼんやりと佇んだ。
教室からはがたがたと仙石が机を動かしている音が聞こえる。ナマエは悪魔らしからぬ笑みを浮かべ、息をつこうとした。
──しかし。
初め、それは突風のように思えた。それが頬を掠めていったのだと。
ただそれだと可笑しいのは、ここは室内であり窓の開いている箇所などどこにもない。
ナマエはぺたりと自分の頬を片手で触って気づいた。少しだけぬるついた感触がある。
「甘い血の匂いがするのう」
ナマエは視線だけで廊下の奥を捉えた。こつ、と足音を立てて近づいてくるものの影。次いで視線を下ろした。床に転がっているのを見るに、投げられたのは鋏らしい。大きく開いている。
「……穏やかじゃないな」
「穏やか、か」
歩いてきたのは一人の人間──否、そうではない。黒髪と赤目にはナマエは特別な因縁を持っていたので、彼は歩いてきたそれを吸血鬼だと判断した。
「夜は我輩の縄張りじゃ。さて、どう償いをしてもらおうか」
「あー……すぐに帰るよ。勘弁してくれ」
「いいや。今夜の我輩は普段より三倍増しで機嫌が悪い、つまり勘弁できぬということじゃ。悪く思うな」
「兄弟揃って笑えないくらい性格が悪いぞ、あんたら!」
ナマエが言い返すと、吸血鬼は笑った。それからすっと表情を冷えたものにした。
「まずはその手足をもぐか?」
確かに、夜は吸血鬼の領分だ。でもそれってチートじゃあないか? ナマエは数世紀前に天界に匿名で苦情を出したのを思い出した。確かルーマニアである伯爵に串刺しにされた時のことだ。
吸血鬼は速く、ナマエが構えた時には彼が目の前にいた。なにか棍棒のようなものを持っていた。ナマエは左手に刺さってから、それが杭だと気づいた。杭はあまり良くない。案の定左手は白煙を伴って焦げ始めた。
「やっぱりチートか!」
ナマエは素早くそれを抜いて吸血鬼の顔面に突き立ててやろうとした。が、吸血鬼はすぐにナマエと距離を取ったので、それは空振りに終わった。
「──ナマエ、くん?」
ナマエははっとする。振り返れば教室の扉が開いており、教科書を見つけたらしい仙石が目を見開いていた。ナマエは咄嗟に白煙の上がっている左手を隠した。
ナマエがいくつかの隙を見せたのに対し、吸血鬼は動かなかった。ナマエはそれを好機と取って仙石のいる教室に走り、彼の腕を取って教室内の窓を全て全開にした。
「え、ええッ!?」
仙石が叫んだのも無理はない。ナマエは実に三階──十メートル超えの高所から地上に向かって飛んだのだ。仙石を巻き添えにして。
当然仙石の頭はこの事態に処理落ちを引き起こして気絶した。
ナマエには都合のいいことだった。
さて、ここで情報を補足するが、ナマエと仙石がスムーズに学校に侵入できたのはナマエが警備員を眠らせ、警報システムを止め、監視カメラを全て上向かせたからだ。
襲われた仕返しに、未だ吸血鬼──朔間零が残るそこへ向けて全ての制限を解く。途端に多くの警報音が鳴り始めた。
「おお主よ、罪深いわたくしを許したまへ……おえっ」
冗談でも言うもんじゃないな、とナマエは舌を出して警報の鳴り響く学校を後にした。もはや誰が侵入したかなど分かりようもない。今しがたナマエは監視カメラを元の位置を見るよう俯かせた。
気絶した仙石はナマエの背で魘されている。諸々の記憶は消して教科書と共に丁重に自宅に送り返そう。随分楽しませてもらったので。明日のテストは散々だろうが仕方あるまい。──ナマエはそう考え、改めて夢ノ咲学園の校舎を見上げた。
「おお……」
三階の飛び降りた窓からは、朔間零がこちらを覗いていた。赤みを帯びた教室を背に。「ホラーかよ」ナマエは杭を打ち付けられた左手をひらりと振った。白煙はもう上がっていない。
零は手を振り返すことこそしなかったものの、愉快そうに笑った。それは却ってナマエの背をぶるりと震わせた。▲|BACK|▼