お見舞いのはなし


 一二三の携帯が鳴っている。

 会社からの帰宅直後、それはリビングの机の上に置かれていた。
点滅する画面には名前ではなく番号が映っていて誰かは分からない。
寝室を覗くと一二三は眠っている。起こすのはなんだか躊躇われた。というのも、すっぽりと頭まで布団を被っているこの幼なじみは、先日女に刺されたのだ。

携帯は尚も辛抱強く鳴り続けている。──オフィスで電話が鳴っているのに誰も取らないときみたいだ。
もしかすると仕事の大事な連絡かもしれない。俺も営業先によくアポを取るが、繋がらず、同じところにかけ続けるのは切ないものがある。いや俺がいつも悪いタイミングにかけてしまうのかもしれないが
現にこうして一二三の携帯が鳴っているときに帰宅してしまったのもまた、俺のせい……。
心が萎びたキャベツぽくなってきたところで俺は思わず通話ボタンを押してしまっていた。

「はい」
“……伊弉冉さん、いま家にいますか? ”

 低い男の声。そういえばこれ例のストーカーとやらだったらまずかったのでは、と今更冷や汗をかいた。
その場合俺は一二三の友人であることに嫉妬される可能性があったのではないか?
そして自宅を特定され俺は刺され翌日の新聞一面に痴情のもつれとかなんとかの見出しでなぜか俺が加害者のように晒されるのだ。
会社は当然クビになり刑務所に入れられ誰も面会に来ることなく一生を終える──。

“伊弉冉さん? ”
「へっ? あ、ええと、すみません。私は一二三の友人の者です」
“ああ、観音坂さん、ですか? ”
「あ、はい、そうですが」
“よくお名前を聞いていたので……いえ、失礼しました。
俺は伊弉冉さんの同僚のミョウジナマエと申します。お渡ししたいものがあるんですが、伊弉冉さん、しばらく出勤されていないのでこちらからお伺いしました”
「……お伺い?」
“はい。今マンションのエントランスにいまして”

 マジか。今は夜の十時過ぎだがちょっと遅くないか。ホストクラブにとってはゴールデンタイムだから裏の裏をかいた感じなのか。いや電話はしたのだから多分、若干、遠慮しているようなしていないような。

“もしいなければポストに入れておこうかと思ってたんですが、そちらに行ってお渡ししても?”
「ええっと……ど、どうぞ」
“はい。では後ほど”

 携帯を下ろす。通話時間はたったの二分だったが随分長く感じた。スーツのまま電話の主であるミョウジさんとやらが来るのを待った。



 携帯が鳴る。びくりと足を踏み外したような浮遊感に意識が引き戻された。まさか寝てた? 流石に無意識で気絶するのはそろそろまずくないか、俺。

表示されていた番号は先ほどと同じだったので、電話には出ず玄関に向かった。念のためチェーンをかけてドアを開ける。

「こんばんわぁ」

 ──ヤクザだ。
いやなんてこと思うんだ俺! やめろ! 頭を振ってもう一度目の前にいる男を見る。ヤクザだ。見た目が。
明らかに同僚じゃないし年上だ。黒スーツに黒シャツ黒ネクタイなんて中々お目にかかれないと思う。別に見たかったわけではない。

「こ、こんばんは」
「夜分遅くにすみませんねえ。すぐお暇します」

 そう言ってミョウジさんはがさがさと持っていた紙袋から何かを取り出した。まさかチャカ的なアレか。俺は殺されるのではないだろうか。すぐお暇しますはお前は二秒とかからず殺せるの意に違いない。

一二三のいる店にはヤクザ的バックグラウンドの繋がりがあって売れっ子の一二三がなかなか来なくなったので責任を取らせる(物理)ということなのでは。
俺はその口止めとして殺されるんだ。世界は終わり。みんな死ぬ。

「これ、伊弉冉さんが──」
「死にたくない!」
「はい?」

 咄嗟に両手で顔を守った。しかし待てど待てど銃声もないし痛みもないし死なない。
恐る恐るミョウジさんが取り出したであろうブツを見る。携帯だった。ミョウジさんは奇妙なものを見るような顔をしていた。

「携帯」

思わず呟くとミョウジさんは肩を震わせて顔を背けた。「ふぐっ、く、くく……」滅茶苦茶笑っている。
俺はやがて自分のしでかしてしまったことの重大性に気づいた。
「す、すみません! つい出来心で……!」
「はひっ」
ミョウジさんはまた吹き出した。


 ミョウジさんはひとしきり笑ったあと、俺に携帯を渡した。一二三は仕事用とプライベートで携帯を分けているので、これは仕事用だ。忘れていったものだとミョウジさんは説明した。

「あと、これはお見舞いです。果物と、この間旅行したのでひよ子」
「すみません」
「いえいえ。……フフ……あ、ええと、一二三さんはどうですか? 元気ですか?」
「一応、俺にはいつも通りに見えるんですが」
「そうですか」

それは良かった。とミョウジさんは安堵した様子で言った。

「色々あると思いますが、またご一緒できればと思います。どうぞよろしくお伝えください」
「いえいえ、こちらこそ、わざわざお出向きいただき……」

ミョウジさんが頭を下げるので、つられて俺も頭を下げた。社会人として染み付いたそれは結構な深さだったようで、鈍角ぐらいのミョウジさんはまた笑った。
顔を上げる。ミョウジさんは笑ったまま「顔が恐いとはよく言われます」と言ったので俺の頭はまた直角に下がった。「いいんだけどなあ……」ミョウジさんは今度はすこし困っていた。

「ではこれで。観音坂さん、おやすみなさい」
 ミョウジさんはその後とくに話をするでもなく、そう言って帰っていった。
玄関の扉を閉め鍵をかける。「独歩?」振り向くと一二三が廊下に立っていた。

「お客さん?」
「いや、お前に用だったんだけど……ミョウジさんっていう」
受け取った携帯を渡す。一二三はそれを手に取ると目を丸くし、それから笑った。
「別に良かったのに。いや、そっかあ」
「……同僚って言ってたけど本当か?」
「同期じゃないけどね。ほら、ホストクラブってホストだけじゃなくてウェイターとかいるっしょ。あの人はバーテン」
なるほど。確かにその方がそれっぽいかもしれない。
一二三は「見た目コエーだろ?」と聞いてきた。

「殺されるかと思った」
「アハハ! まーね。でもあの人やさしーからさ」
「そうだな……」
俺が手にしている紙袋を覗きこみ、一二三は目を輝かせた。「ひよ子じゃん」好きだったのか。
「ミョウジさんが旅行行くっつーからさ、ひよ子食いたいって言ったんだよね。覚えてたんだなー」
「いつ?」
「いつだったかなあ。ま、とりまあっちでいっしょに食お」

一二三が紙袋を持って歩いていく。
その背中が少し元気になったように見えた。なんとなく安心感を覚えて、俺は気づかれないよう息をついた。

早く俺の友人が大丈夫になる日が来るといい。
ああ、あと俺も。俺も大丈夫な日が来るといいな。


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