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 ──夢を、見ていた。妙に生々しい夢だ。ガラルという地方でひこう使いのジムリーダーになって、何人ものジムチャレンジャーと戦う夢。
 チャンピオンを目指す子供たちやトレーナーの前に、ぼくは壁となって立ち塞がっていた。ある時は負けて、ある時は勝つ。大きくなったぼくのポケモンの凄まじい羽ばたき、その風圧に負けじと彼らは立ち向かいその上を越えていく。

 その時、ぼくはジムチャレンジャーと戦っていた。ホウエンではまず見ない褐色の肌に、オレンジ色のバンダナを巻き付けた強い目をした子が相手だった。
 彼の繰り出すドラゴンタイプを中心としたポケモンたち(ぼくにはまるきり知らない姿形のものもいたが、そう自覚できていた。)、翻弄される天候──激烈なバトルの末に、ぼくは負けた。お互いに手持ち最後までのポケモンを出しきり、両者は気力で立っているのみ。先制したぼくのポケモンの攻撃に、その子のポケモンがふらついた。倒れるか、倒れないか──そのぎりぎりのところでその子供は「負けるな!」と叫んだのだ。彼のポケモンが表情を引き締めて、接近していたぼくのポケモンの懐に飛びついた。それが、勝負の明暗を分けた。

「×××××」
「××、……×××××××××××」
「……×××××。××××」

 勝負を終えて握手を交わした際に、ぼくたちは二言三言会話をした。そのはっきりとした詳細は分からないが、ぼくは彼に対して負けた悔しさと、彼の強さに対する敬意でない交ぜになった表情をしていたはずだ。そうでなければ、彼が無言で力強く頷き返してくれることもなかっただろうから。
 記憶の中で幼げで垂れた瞳をしていた彼の顔立ちが、少しずつシャープになっていく。突然霧がかったような視界に何度か瞬きをすると、ざらざらと浴びていたバトルの砂埃の感覚が消えて、さっぱりとしたシーツの匂いが立ち上った。目を開けると、知らない男の人が僕を見下ろしていた。

「……起きたか?」

 問いかけるその人はあの少年と同じ褐色の肌で──そう、なぜか、──上半身が裸だった。



 キバナが目を覚ましたとき、昨晩抱き込んで眠ったはずの恋人の体がやけにすかついているのを感じた。元から痩身の部類ではあるが、それにしたってこれではほぼ掛け布の塊を掴んでいるようなものだ。

「……ナマエ、いるのか……?」

 ごそ、と腕を動かして抱き込んでいるものをまさぐった。「う、ぅん」どうやらまだ恋人はベッドの中にいたらしい。けれど、呻く声がやけに高いように感じた。昨日さんざん啼かせたので声が掠れることはあれど、これは想定外だった。
 キバナは今度こそ意識をはっきりさせて上半身を腕で起こすと、改めて抱き込んでいた塊を確認した。掛け布団の隙間から覗く黒髪が見える。彼が片手で優しく掛け布団を取り払うと、昨晩の記憶よりもずいぶん幼くなったように見える顔が表れた。辛うじて似ているとも言えなくもないが、取り払ったときに触れた髪は柔らかく、クスネのような滑らかな毛並みをしていた。キバナの恋人の髪は、職業柄少しぱさついた感触をしている。

 ──では、これは誰だ? キバナはいよいよ驚いて掛け布団の中から表れた人間をまじまじと見下ろした。歳は十代の半ばだろう。顔立ちがガラル地方の人間とは異なっている──キバナは同じジムリーダー仲間であるほのお使いのことを思い出した。カブと同郷の人間だろうか。
 なんにせよキバナには記憶がない。恋人がいるのに別の人間を、ましてや子供を抱くわけがないし、昨晩は自らの恋人と睦み合う一時を過ごした。営みをするのに邪魔だからアルコールも入れていない。そも、その当の恋人はこの状態のベッドを放ってどこに行ってしまったのか。

「……んん?」

 首を傾げながら、キバナは一応の確認としてこの子供がきちんと服を着ているのかを確かめた。着ている。むしろこれはアーマーガアのタクシー運転手が着ているような外に向かうための装備だ。腰にはしっかりとモンスターボールが取り付けられており、ここがキバナの家のベッドの上でなければただの子供のトレーナーに見えるだろう。
 そのちぐはぐさに益々混乱しながら、キバナは子供をじっと見つめた。と、いうのも、この子供はキバナにとって好ましい顔立ちをしていたのだ。好ましいというか、いつも見ていて親しみがあるような。
「……あ」
 キバナは何か思い出したように顔をあげた。
ベッド近くのサイドボードに腕を伸ばし、その引き出しを探る。奥にしまい込んでいた黒いカードファイルを取り出す。昔、ジムチャレンジの時にもらったリーグカードを保存しているファイルだ。その始めのページ辺りを捲り、キバナは背面が少し色落ちしたリーグカードを取り出した。

 リーグカードに映っていたトレーナーの顔と、ベッドの上で寝息を立てている少年の顔を見比べる。──やはりだ。キバナは眉を寄せた。リーグカードに写るトレーナーと少年の顔は、瓜二つと言って良いほど、よく似ていた。
「おいおい、マジかよ……」
 キバナは呟く。それと同時に、穏やかに下ろされていた少年のまぶたがぴくりと震えた。掛かっていた前髪がさらさらと落ちて、少年がゆっくりと目を開く。
 キバナはその様子に息を飲んで、それからすぐに表情を引き締めた。

 考えうる可能性──この少年は、キバナの恋人であるナマエ──彼と、同じ人物なのかもしれなかった。



 子供にじっと見つめられて、キバナは今自分の上半身に何も身に着けていないことを思い出した。「おっと」そう言ってキバナはすぐにベッドから降りた。彼は床に落ちていたシャツを着ると、「悪かったな」と子供に向けて一言詫びた。しかし子供は瞬きも忘れたようにじっとキバナを見つめている。
 この対面では圧倒的にキバナが不利だ。初対面(多分)。上半身が裸の男。知らない部屋のベッドの上。しかし通報されるような事態は避けたい。自分のためにも、この子供のためにも大問題だ。「あー……」キバナは両手を挙げて、子供に敵意がないことを示して見せた。
「初っ端からこんな風で信用はできないだろうが、オレはオマエに危害を加えようってつもりはさらさらない」
「……」
「事故みたいなもんだ。正直オレさまもこんらん状態だから、ひとまず互いにインターバルってことにしないか?」
「……あの」
 お、喋れるんだな。とキバナはひそかに思った。「なんだ?」尋ねると、目を伏せていた子供はキバナを改めて見返した。腰元のモンスターボールに手をかけている辺り、警戒はされているのだろうとキバナは踏む。
「ここはどこですか?」
「ガラル地方のナックルシティだ」
「……」
「分かるか?」
 子供は首を横に振った。少し困った表情になっている。不安げに目が揺れているのを見てキバナはどうにか落ち着けてやりたいと思ったが、いかんせん先ほどのファーストコンタクトではどう対応しても犯罪者のレッテル貼りは避けられないだろう。

「とにかく、いったんオレは下に行く。オマエも落ち着いたら来いよ」

 考えた末、キバナは子供が子供である由縁──この状態において無力であるということを踏まえて、一度放置することにした。聞きたいことは多々あるが今の状態では無理だし、なによりキバナは空腹だった。ボールの中にいる聞き分けの良いキバナのポケモンたちだって、空腹には耐えかねる。キバナは部屋を立ち去る直前に、子供がボールに手を掛けたままなのを見て声をかけた。
「ポケモン、出していいぞ。ていうかむしろ出しといてくれ。オレが安心する」
子供の返事を待たずにキバナは部屋を出て行った。

 キバナは階段を降りると、ソファのクッションの上に置いていたボールからポケモンたちを出した。日光浴をしたがるコータスのために窓を開けて庭に出してやる。その後にサダイジャが続いた。のしかかってくるヌメルゴンを撫でてやって、キバナは朝食を作り始めた。
 簡単に切ったきのみでスープを作り、残っていたパンを焼いて冷蔵庫からミックスジュースを取り出す。それぞれ盛り付けて写真を撮ろうとしたところで、キバナはスマホロトムを寝室に置き忘れたことに気づいた。寝坊助なやつだからあの中でも起きていなかったのだろう、とキバナは苦笑する。

「じゅらぁ」
 ごすごす、とやってきたジュラルドンがキバナの背をつんとついた。
「ン? まだ準備してるからなー、朝メシはすこし待ってくれよ」
「ゥ、じゅら」
「なんだよジュラルドン。オマエ、いつも朝はそんなに食わないだろ──?」

 キバナが相棒に笑いかけようと振り向くと、ジュラルドンのその後ろに、子供が立っていた。彼の腕には見慣れないポケモン──頭に花の咲いた緑のやつ、が抱えられている。可愛らしいが強さは心もとないような印象を受けた。ポケモンを出しておけといったのは間違いだったかなとキバナは思った。
「炎上ネタには事欠かないロトね!」
 そしてその子供の周りで余計なことを言ってふよふよと旋回しているのは、間違いなくキバナのスマホロトムだ。子供は目を丸くしてロトムを見上げている。彼の腕の中にいるポケモンは時折ぽやぽやと綿毛のように持ち上がって、そのたびに抱えなおされている。
「大丈夫ロト! なにかあればバッチリ証拠を押さえてポケスタで拡散するロト!」
「やーめーろー。もう、ややこしくなるからオマエはこっち」
 キバナはロトムを呼び寄せると、子供に向き直った。
「……落ち着いたか?」
子供が頷く。キバナはニッと人懐っこい笑みを見せると、「よかった」と努めて優しい声で言った。
「今からメシだからさ、オマエもよかったら食えよ。いろいろ聞きたいこともあるからな」
「……」
「そうだ、それから……それ、オマエのポケモンだよな? そいつ、すっぱいのは平気か?」
「大丈夫、です」
「そうか」

 キバナが盛り付けた食事を持つと、子供がキッチンの出口からそっと身を退かせた。近づいて言ってもさっきほど警戒した様子を見せていない。「おいで」キバナはそう言って子供を食卓に誘導した。ジュラルドンと共に子供がキバナの後をついてくる。
「座って待っててくれ」
 子供を椅子に座らせるとキバナはキッチンに戻った。背後でどすどすと音が聞こえたので大方フライゴンあたりが戻ってきたのだろう。「わ」子供のかすかな声が聞こえた。キバナがそっと様子を伺い見ると、フライゴンがふんふんと子供の匂いを嗅いでいた。子供は怯えているというよりは普通に驚いているようだ。子供の手がフライゴンの額に触れると、フライゴンは目を閉じてそれを受け入れていた。


 子供は並べられた食事をじっと見ていたが、ぐうと彼の腹が鳴ったのを皮切りに食べ始めた。子供は非常によく食べた。お腹は空いていたらしい。キバナも自分の分を食べたりポケモンに食べさせてやったりしながら、「それで」と本題を切り出した。

「オレたちの間に起ったことについて、きちんとすり合わせが必要だよな」
「はい」
「よし。じゃあまず自己紹介だ。オレの名前はキバナ。ここナックルシティのジムリーダーをしている」
「ジムリーダー……」
「オマエの名前は?」
「……僕はナマエです。ホウエン地方のトレーナーです」
「……やっぱり同じか」
 キバナの呟きにナマエが首を傾げる。「いや、知り合いにもホウエン地方出身のやつがいてな」ナマエは「そう、なんだ」と視線を落とした。
「さて、すり合わせとは言ったが……オレは正直さっぱりなんだ。朝、目が覚めたらオマエがいた。本当にそれだけだ」
「僕も、旅の途中で。すてられぶねに行こうとしてたことは覚えてるんです」
「どこにいたのかは?」
「うーん……それは、思い出せない……」
「そうか。オレさま、ホウエンの方には行ったことないからなー……やっぱり、カブさんに聞いてみるしかないか」
「カブさん?」
「オレさまと同じジムリーダーの人だ。ナマエと同じホウエン出身なんだ。なにか知ってるかもしれないな。食い終わったら連れてってやるよ」

 ナマエは一つ頷いて、匙を置いた。食器の中身は既に空になっている。キバナはそれを横目で見た。
「ぴい!」
「あ、こら……今日はだめだよ」
 ナマエの隣で食事をとっていたトゲピーが空の皿を持って立ち上がった。このトゲピーはナマエのポケモンだ。食事の催促をしているが、他人の家とあってナマエは気を使っているらしかった。なるほど、とキバナは笑いを堪えてナマエに顔を向けた。
「別にお代わりくらいいいぜ? ほら、トゲピー、皿出しな」
「きゅりぃ!」
トゲピーが器用に差し出した皿をキバナが受け取る。にこにこと鼻歌のようなものを歌っているこの丸々としたポケモン──コイツがあんな凶悪なのになるんだよなあ、とキバナは感慨深いものを感じながら、スープで満たした器をトゲピーの前に置いてやった。嬉しそうにスープを飲み始めるトゲピーを横で、ナマエがぺこりと頭を下げた。
「ありがとうございます」
「おう! オマエもいるだろ?」
 キバナの問いかけにナマエは驚いたように目を丸くしたあと、ぽっと頬を染めておずおずと自身の空の皿を差し出した。

「はい。おねがい、します」


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