初めて乗るアーマーガアのタクシーに、ナマエは心なしか目を輝かせていた。
「まあせっかくガラルに来たならな!」
「すごい、すごい……見たことないポケモンだ」
「ン? そっか、ホウエンにはいないのか」
「なんだ坊ちゃん、観光客かい?」
タクシーの運転手がナマエに向けて笑いかける。ナマエは「はい!」と上ずった声で返事をした。
「こいつは凄腕のドライバーポケモンなんだ。安心して乗ってくれよ」
ナマエは興奮した様子で何度も頷いていた。アーマーガアが翼を広げてがさがさと重い振動音を立てるのにも感心している様子だ。キバナは子供らしい一面が見れたと安堵して息をついた。
「オレはフライゴンで先に行くから、ゆっくり来いよ。景色とかな、楽しんどけ!」
キバナは運転手に代金を払うと、フライゴンに乗って飛び立っていった。残されたナマエは運転手に言われたとおりに座席に乗り込んでシートベルトを締めると、そわそわと外を眺めた。
「よし、じゃあ、くれぐれも窓の外には乗り出さないようにね!」
◆
エンジンシティに降り立ったキバナは、フライゴンをボールに戻して真っ先にエンジンジムに向かった。カブには既に話を通してある。今がジムチャレンジのオフシーズンで良かったとキバナは思った。
ジムの入り口には既にカブが立っていて、キバナを待っていた。
「カブさん! おはようございます」
キバナが手を振ると、カブもそれに気付いて片手を振り返してくれる。
「おはよう、キバナ! ナマエくんは?」
「今アーマーガアのタクシーに乗せてます。すぐ来ますよ。突然すみません」
「いえいえ。人助けになるなら十分だよ」
カブが微笑んで、白い息を吐いた。キバナとカブが待っていると、少しして上空にアーマーガアの影が見え始めた。「あれだな」ジムの前にタクシーが降り立って、ナマエが座席から降りてきた。運転手にお礼を言っている。運転手は片手を上げて、再び空に飛び立っていった。
「ありがとう、アーマーガア!」
キバナはナマエの方へ歩いていく。ナマエはキバナに気づくと嬉しそうに駆け寄ってきた。
「どうだった、ガラルの空は?」
「キバナさん……すごいです、来る途中、大きな湖があって! あと草原も! 大きい鳥ポケモンがいました。赤と、黒の翼の!」
「赤と黒? 多分ウォーグルだな、それ。オマエ、ひこうタイプ好きなのな」
「はい!」
ナマエが目を輝かせて身振り手振りで何事が伝えようとするのをキバナは微笑ましく思いつつも、カブの方へ体を向けさせた。ナマエが「あっ」と言って照れたように眉を下げる。
「この人がカブさん。俺が言った、ホウエン出身のジムリーダーだ」
「やあ。こんにちは」
「こんにちは。ナマエと言います。よろしくおねがいします」
ナマエがカブの方へ歩いて行ってぺこりと頭を下げると、カブも同じようにぺこりと頭を下げる。しばらくそれの応酬になったので、ホウエン人とはそういうものなのかもしれないとキバナは面白がって眺めた。
「ぼく以外にもホウエンの子がガラルにいるのは嬉しいな。これから、がんばっていこうね」
「はい」
「よし。じゃあみんな揃ったところでジムの中に入ろうか! ここは冷えるしね」
ジムの中に入って行くカブとナマエの姿を見ながら、キバナは雪の降り始めた空を見上げた。降雪が激しくなれば、あのアーマーガアも運転手も随分冷えることだろう。
「オマエ、どこ行っちまったんだよ」
誰に言うでもなく、キバナはそう呟いた。
ジム内の応接室に通されたキバナとナマエは、カブの手によって机に広げられたホウエン地方の地図を見下ろしていた。
「うーん……」
唸ったのはカブだ。というのも、ナマエがキバナと会う前に向かおうとしていた“すてられぶね”の場所に覚えがないという。
「ぼくもしばらくホウエンには帰っていないから、多少変わっていてもおかしくはないんだけど──」
「すてられぶねは、僕が生まれるよりずっと前からあるって……」
「うん。ホウエンに船があることはおかしくない。でも、ぼくの知る限り、ナマエくんの言う“すてられぶね”の場所は、“シーキンセツ”っていう施設の跡地なんだよね。……知ってるかい?」
ナマエは首を横に振った。「場所を間違えてるとかはないのか?」キバナが尋ねる。
「ううん。カイナシティから調査船が出てるから、そこから同行できる場所、なんだけど……」
「カイナシティは僕も分かるよ。博物館のある港町だよね。でも、そこから行くって言うなら、やっぱりシーキンセツだなあ」
ナマエが他に挙げた街の特徴がカブの認識と共通しているだけに、二人は揃って首を傾げた。
「カブさん、シーキンセツってどんな場所なんです? もしかしたら、呼び名が違うだけで同じところかも」
「シーキンセツはね、元は海の資源の採掘のための施設だったんだけど……閉鎖してからは、今は確か自然保護区になってたかな」
「じゃあ、すてられぶねは?」
「すてられぶねは、元はカクタス号っていう船が座礁した後に廃棄されたものです。内部調査と、あと生態系の調査のために、たまにカイナシティから調査船が出てる」
「カクタス号か……」
カブは顎に手を当てて、「カイナシティの造船所に問い合わせたらなにか分かるかもしれないね」と言った。ナマエの目がまた不安そうに揺れているのを見て、キバナが「ナマエ」と話しかけた。ナマエがキバナに目を向ける。
「心配しなくても大丈夫だ! オレたち大人だからな。お前の代わりになんとかしてやる」
「うん、そうそう。それにキバナといれば安心だよ。彼、とても強いからね!」
二人の大人の言葉に、ナマエは困ったように眉を下げて笑った。少し陰が和らいだようだった。「おやつでも食べようか。取って来るよ」カブがそう言って席を立つ。残されたキバナとナマエは、ホウエン地図の一点を見つめていた。
「……そういえば」
思い出したようにキバナが顔を上げる。
「ナマエ、オマエが朝持ってたポケモン、なんて名前なんだ?」
「朝持ってたポケモン……」
ナマエはボールからポケモンを一匹出した。「この子のこと?」「そう、そいつ」緑の体と頭に咲いた花でふわふわと浮き上がるそのポケモンは、くるくると回ってキバナの膝に落ちた。
「その子はポポッコ。僕が最初に捕まえたポケモンです」
「へェ……」
膝の上をふわふわとくすぐるそれを、キバナは撫でた。ガラル地方のポケモンで言うならヒメンカに似ている。
「くさタイプ?」
「うん。それとね、ひこう」
「なるほどなあ。どうりでフワフワしてるワケだ。俺の知り合いも似たようなポケモン、使ってたぜ」
「どんなポケモン?」
「ワタッコ。あれもなかなかカワイイ見た目で、やることは凶悪なんだよな。速いわ、搦め手は使うわで! すぐ手持ちを崩しにかかってくる。オレさまもタダではやられないけど、ねむりごなとか、すなあらしなのに効くのかよって」
段々と熱が入るキバナの言葉に、ナマエがこらえきれない様子で笑った。
「こら。なーに笑ってんだよ、笑いごとじゃないんだぞ?」
「うん、ううん……ワタッコは、ポポッコの進化系だから。そっか、そういう風に戦うのがいいんですね」
「エ、そうなのか? オレさま、敵に塩を送った感じ?」
「うん」
うんじゃねえっての。そう言ってキバナが軽くナマエの頬を摘まんだ。ナマエはそれでも笑い続けて、肩を揺らしていた。ポポッコはキバナの膝の上でふるふると揺れて、キバナを優しくくすぐり続けていた。
◆
進展があれば報告する、と話がまとまり、カブと別れた後、キバナとナマエはナックルシティまで戻った。今度はキバナのフライゴンの背に彼と共に乗せてもらって、タクシーの時よりも早い到着になった。
「オレはジムリーダーだからな。今はジムチャレンジもオフシーズンだから、対戦もそう多くないんだが……それでも他の仕事があるし、日中はオマエと別々に行動することもあるだろう」
「はい」
「で、だ。何かあったとき、オマエがオレを頼る場面もあるかもしれないだろ? それで、連絡するなりジムに来るなりするってことは一向に構わないんだが、ジムに来るならここにいるトレーナー連中と顔合わせはしておいたほうがいい」
言いながら、キバナはジムの裏口にカードキーを通した。勝手知ったる様子で歩いていくキバナの後ろをナマエが追う。廊下を少し進むと、キバナが立ち止まって片手を上げた。キバナの視線の先には、眼鏡をかけた青年が立っていた。
「ようリョウタ! ちょうどいいところに!」
「あ、キバナさま! おはようございます、思ったよりも戻りが早かったですね」
「ああ。今朝は突然半休にして悪かったな。ちょっと紹介したいヤツがいる」
キバナに背を押されて、ナマエはリョウタと呼ばれていた青年の前に出た。彼がナマエを見て「ジムチャレンジャーの子かな?」と微笑みかける。
「いや、それとは別口だ。こいつはナマエ。親戚に頼まれてしばらくウチに居候することになった」
「ナマエ?」
リョウタが何か言いたげな表情を見せたが、キバナはそれを唇に人差し指を立てて制した。内密にしろ、の合図だ。そこでなにか事情持ちだと悟った聡明なジムトレーナーは、表情を戻してナマエの目線にしゃがむ。
「……こんにちは、ナマエくん。僕はナックルシティ、ジムトレーナーのリョウタです」
「リョウタさん。こんにちは。ええと、よろしく、おねがいします」
リョウタの差し出した手を取って、ナマエは彼と握手する。
「ナマエは日中はワイルドエリアか街のほうで過ごさせるつもりなんだが、何かあったらこっちのジムに来るから。その時は通してやってくれ」
「わかりました」
「レナとヒトミは?」
「あの二人なら昼休憩に行きました。僕も行っても大丈夫ですか?」
「ああ」
「それではお先に。ナマエくん、またあとで話しましょう」
リョウタが立ち去り、キバナはナマエに「行くか」と促した。スタジアム、控室、更衣室、応接室、事務室、と順番に通されて行って、最後にキバナの執務室に二人は訪れた。
「ちょっと待っててくれ。予備のスマホが……」
執務用の机の引き出しを開けたキバナが、あった、と言ってスマホを取り出した。後ろから覗き込んでいたナマエにそれを手渡す。
「ロトムは入ってないんだけどな。まあ十分に使えるだろう。オマエ、スマホの使い方は分かるか?」
「スマホ……ううん、知らないです」
「ホウエンにはないのか。まあ使い方は簡単だから、すぐ慣れるだろ。まずこれが電話で、これが地図のアプリだ。位置情報オンにしとくの忘れんなよ。あとは図鑑と、あと──」
「ま、待って待って、早い……!」
そうか? とキバナが言って再び同じ説明を始めた。「とにかく触ってみろよ」とスマホを手渡されてナマエが不慣れな様子で操作し始める。その顔つきがあまりにも真剣で、キバナは自身のスマホロトムを呼び出して写真に収めてやろうかと思ったがやめた。
ひとまず最低限の操作を覚えたところで、ナマエはほっと息をついた。
「なんかオマエをワイルドエリアに放りだすのが心配になってきたぜ」
キバナがそう言うと、ナマエはむっとしたような、納得しているような顔つきになった。キバナは怒るなよ、と笑ってナマエの頭を撫でる。
「ワイルドエリアにもちゃんと巡回のトレーナーと、定位置で待機してるトレーナーがいるから大丈夫だ。そういうトレーナーがいないエリアに行くとか、ポケモンの巣穴……赤く光ってる穴があるんだが、あっても近づくなよ。そういうポイントは地図に載ってるから、ちゃんと見るんだぞ?」
「はい」
「あとなにかあったら、迷わず連絡しろよ? オレさまスマホだけはちゃんと肌身離さず持ってるから、出れないってことはそうないと思うし」
「はい」
「あと──」
キバナの説明はしばらく続き、ナマエはワイルドエリアはそんなに手ごわい場所なのかと緊張感を募らせた。キバナが四回目の「これがオレの連絡先だから──」と連絡先一覧を開いたところで、執務室のドアがノックされた。
「どうぞ!」
キバナが説明を打ち切って返事をすると、「失礼します!」と元気な声と共に二人の女性が入ってきた。先ほどのリョウタとは別のトレーナーだ。
「おお、レナとヒトミ。戻ったか!」
「はい。その子がナマエくんですね?」
女性の一人がやって来て、ナマエに「よろしく!」と言った。
「ヒトミ、そんなにグイグイいったらびっくりしちゃうでしょう」
「ああ、悪い悪い! ごめんなさい」
ヒトミと呼ばれた女性は照れくさそうに笑って、ナマエと握手を交わした。その後ろからレナがナマエに対して「よろしくおねがいします」と優しく笑う。ナマエは「よろしくおねがいします!」と頭を下げた。
「さて……大体の話はリョウタくんから聞きました」
「話が早くて助かるぜ。これからナマエをワイルドエリアの巨人の帽子の方まで送ってくる。すぐ戻るから」
わかりました、とレナが頷いて、ヒトミがナマエに「ナマエくん、またね!」と元気に手を振った。ナマエも笑って、二人に向けて手を振り返した。
「なにかあったら、オレじゃなくてもあいつらに言うのでもいい。リョウタも、レナもヒトミも、他のスタッフも。みんな、うちの自慢のトレーナーだから」
ナマエがキバナを見上げると、キバナは少し身を屈めてナマエに目線を近づけた。
「みんな、気の良いやつらだったろ?」
「はい。すごく」
ナマエが微笑んで返答した。キバナはそれに至極満足げな笑みを浮かべ、「見る目あるぜ、オマエ」と穏やかに言った。▲|BACK|▼