「いいか? 6時になったらさっきの入り口まで戻るんだ。なるべく早く行くようにするから、オレが来るまでちゃんといい子で待ってるんだぞ!」
キバナからモンスターボールとキズぐすりを多めに手渡され、いざワイルドエリアに降り立ったナマエはわくわくとした心持ちで辺りを見渡した。
「絶対に、絶対に、無理はすんなよ?」
そんな念押しを道中で何度もキバナに繰り返されたためにナマエは恐る恐る一歩を踏み出す。ちらと見えた草むらや、上空には、見慣れないポケモンが多く見えた。空へと一直線に伸びる赤い光もナマエの気を引いたが、キバナに「絶対に近づいてはいけない」と念押しされたために足を向けるのはぐっとこらえた。
ナマエは今朝キバナの家を出てからボールに入れたままだったトゲピーとポポッコを出す。二匹とも見慣れない土地に興味津々の様子で、さっそくふわふわと飛んでいきそうになるポポッコはしっかりとナマエが抱えた。
ナマエが降り立ったのは、ワイルドエリア内のナックル丘陵と呼ばれる地帯だった。なだらかな小山がいくつか続く地面は、雪が降るほどではないが冷たい風が東から穏やかに吹いている。
ナックル丘陵は街に近いこともあって、強いポケモンはあまり出てこないというのがキバナの見立てだった。西には大きな湖があるが、“げきりんの湖”と言ってギャラドスやつよいみずタイプのポケモンがいると教えられた。
「今より強くなったら、鍛えるのにいいかもね」
ポポッコを撫でながらナマエは言った。
しばらくナマエは歩いて、見慣れないポケモンを見るたびに図鑑で確認した。アーマーガアのタクシーに乗った時に見た、ウォーグルというポケモンはこの辺りには生息していないのだろうか、ナマエは一帯を見回した。
そこで──ナマエは、見知らぬポケモンがなにかをつっついているのを見た。よくよく見ると黒い羽が一つ散っている。近づこうとしたナマエの足音に気づいて、そのポケモンはさっと逃げ出した。
「なんだろう」
ナマエは歩いて行って、そのポケモンが漁っていた草むらの中身を掻き分けた。
「あ……」
予感はしていたが、ポケモンに突っつかれていたのもまた、別のポケモンだった。とはいえ、ガラル地方特有のポケモンなのだろう。見慣れない姿をしている。ナマエはスマホから図鑑を開くと、そのポケモンをスキャンした。
「アオガラス、……っていうんだ」
カラスポケモン、の文字にナマエはホウエンにいたヤミカラスというポケモンを思い出した。体毛の色もどこか似ている。アオガラスは傷ついてひんし状態のようだったが、ナマエが手を伸ばすと「ガア」と短く呻いてその指をついばもうとした。ナマエは手を引っ込めてキズぐすりの入った鞄に手を伸ばす。その間にも、アオガラスは絡まる草をくちばしで外して飛び立とうとしている。
「かしこいね、きみは」
言いながら、ナマエはアオガラスをじっと見つめた。キズぐすりを目の前に掲げて、「少し沁みるよ」と言った。キズぐすりを傷ついたアオガラスのからだに吹きかけると、痛みからかヤミガラスが鳴いた。
「大丈夫、大丈夫……」
ナマエは極力アオガラスのからだに触れないようにしながら、キズぐすりを傷ついた部分全てに吹きかけた。薬の効果が表れるまでには少し時間がかかる。ナマエは草むらに座り込んで待つことにした。トゲピーがころがってふかふかと揺れる草の感触を楽しんでいる。ポポッコはその踏み鳴らされた跡を気に入ったのか、飛ばされることもなくそこに落ち着いた。
少しして、アオガラスがゆっくりと羽を広げ始めた。首を振るのに先程のような弱々しい様子は見られない。
ナマエはそれを横目で見て、内心で安堵した。程なくして飛び立つことができるだろう。
「ぴっ」
「わ、」
見ていると、ころがっていたトゲピーがナマエの膝の上に飛び乗ってきた。
「あれ、きのみ? どこで拾ってきたの?」
「きゅい!」
トゲピーの小さな手が草むらの向こうにある木を指差した。何種類かのきのみが実っている。ホウエンにある低木のきのみの木とは違い、自然に落ちてくるようだ。
ナマエは二つ差し出されたきのみを受け取って、逡巡してから一つをアオガラスのいる辺りに転がって寄越した。
「……」
鳴き声のような反応はなく、ばさ、と草が擦れる音が返ってきた
「トゲピー、ポポッコ、行こうか──」
ナマエが言いかけたと同時に、バサバサと羽ばたく音がした。振り返ると、アオガラスがきのみを咥えて飛び立っていくところだった。
羽ばたきが強いのか、柔らかな風がナマエたちのいるところにも届く。浮かび上がったポポッコを抱き止めて、ナマエはアオガラスが飛んでいった先を見つめた。
◆
その後、木を揺らしていて落ちてきたポケモン──ホシガリスと戦闘になったり、ヤクデにいたずらしたトゲピーが少しやけどを負ったりしたが、ナマエはキバナに言い渡された時間いっぱいワイルドエリアを楽しんだ。
ナマエはキバナと約束した地点まで戻ると、草むらに座り岩にもたれ掛かった。しばらく待っていたが、約束の時間は少しずつ過ぎていく。
「……」
ナックルシティに行ってしまおうかと思ったが、街に詳しいわけではない。行き違いになってしまうだろう、と考えてやめた。
そのうちポポッコが寒がりだしたのでナマエはボールに引っ込めた。足元にくっついていたトゲピーも小さくくしゃみをする。ナマエは苦笑して、同じようにボールに戻した。
一人きりになり、静かに待っていると、西のげきりんの湖の方からなにかポケモンの鳴き声が聞こえてくる。昼にはいなかったポケモンもちらほらと姿を現し始め、ナマエのいるすぐ近くの木からはホーホーの鳴き声が聞こえるようになった。
ナマエは目を閉じて、じっと風に身を任せていた。冷たい風。ホウエンではあまり感じることのない寒さがナマエの服の隙間に染み込んでいった。
「──アンタ、まいごかい?」
声をかけられる。キバナではなく、女性の声だ。ナマエが目を開けると、薄いブロンドの女性が不思議そうな顔でナマエを見下ろしていた。
「いいえ」
ナマエが首を横に降ると、女性は笑った。
「なんだ。置いてかれた子供みたいな顔だったからさ……ねえ、横に座ってもいいかい」
ナマエが了承すると、女性が隣に腰を下ろす。ナマエの記憶の限りで言うと、故郷にいる家族のような匂いを感じた。
「アタシはメロンっていうんだ。ここに来たのはたまたまさね。アンタ、なんて名前?」
「……ナマエです」
「……ナマエ? そう……もう知ってるだろうけど……ワイルドエリアで夜を明かすなら、テントを張って、火を起こしなさい。そうしないと、ポケモンがいたずらをしに来るからね」
「ううん、僕は、キバナさん……人を待っていて」
「……キバナ? キバナって言ったかい?」
「? はい。知ってるんですか」
ナマエの言葉にメロンが反応して、それから彼女は片手で自分の額を叩いた。「知ってるもなにも、まさかあのキバナが……!」何かを嘆いているようだったが、ナマエは目を瞬かせるだけだった。
「ナマエ! オマエ、スマホちゃんと見るの忘れたろ!」
──と、そこで大声がしてナマエは振り返った──またそれよりも先に、隣にいたメロンが立ち上がった。声をかけたのはキバナだ。急いで来たのか、息が弾んでいる。
「あれメロンさん? 偶然すね──ってどわー!」
「見損なったよ、キバナ!」
驚いたのはキバナ、ナマエの両方である。メロンはキバナの頭を叩いた──叩いたというか、跳び跳ねてその高い位置にゲンコツを落とした。
「この寒い中子供を放っておくんじゃないよ!」
メロンに今度は背中を強かにひっぱたかれたキバナが仰け反る。
「いったァ! いや、放置してませんって! たまたま遅れただけで! 連絡したし!」
「全くアンタってやつはもう! 甲斐性と分別だけはしっかりあると踏んでいたのに──」
「ちょちょちょ、なんか、話がおかしくないか!?」
「なにがだい? アンタの子だろう、あの子は!」
「はっ?」
またもキバナとナマエの二人は、目を丸くした。
◆
誤解を解いて、メロンは照れで赤くなった頬を押さえながらキバナに詫びた。
「早とちりして悪かったね。……子供のこととなると先走って、アタシの悪い癖だ……」
「まあ、メロンさん母親ですしね……気持ちはわかりますよ」
スッゲェ背中は痛いけどな、とキバナがからからと笑う。メロンはじっとりとした目を向けながら「悪かったよ、全力で叩いて……湿布いるかい?」と言った。
「それはいらない。オレさま若いんでこんぐらい平気だし」
「アンタ、あんまり可愛くないと凍らしちまうよ」
「こおり使いだけどハートが熱いですよね、メロンさんって」
二人が戯れ合っているところで、「っ、くし!」とナマエがくしゃみをした。それにキバナが慌てて反応する。
「スマンスマン! 大分待たせたな、もう帰ろうな」
「ナマエ、アタシの襟巻き巻くかい? あとでキバナに返させればいいからさ」
「ううん、ちょっと、鼻がむずむずしただけで……」
鼻声のナマエが「ありがどうございまず」と濁った声で言った。メロンが短く息を吐いて、「アンタ、キバナと違ってかわいい子だねえ」と眉を下げる。
「マクワの小さいころを思い出すよ。あの子も鼻垂らしで泣き虫だったっけ……」
「メロンさん、ポケスタでそういう暴露話するのやめといたほうがいいですよ。この前マクワがイメージがどうとかって言ってたんで」
「親子なんだから別にいいだろう」
「オレは面白いんでいいんですけどね?」
とにかく帰ろうな、とキバナがナマエに促す。その流れでキバナに手を差し出されて、ナマエはキョトンと目を丸くした。
「なに突っ立ってんだよ。ほら、手、貸しな」
「僕、そんなに子供じゃないよ」
「だからなんだよ? オレの知ってるやつの弟なんか、未だに兄貴に抱きついたりしてるんだぞ」
「……」
「それに、オレがそうしたいんだよ」
いいだろ? と言ってキバナが目を細めた。ナマエはおずおずと手を差し出して、その褐色の大きな手を握る。すぐにしっかりとした力で握り返された。
「オマエ、子供なのに手、冷たいのな──」
キバナはそんなことを言った。
「アンタたち、気をつけて、暖かくして帰るんだよ」
背後からメロンの声がかかる。二人が振り向くと、メロンが腕を組んで仕方ないといった様子で微笑んでいた。
「メロンさんもな」
「……さよなら!」
二人の返事にメロンはにっこりと笑って手を振った。ナックルシティの方へ向けて歩いていく二人の背中を見て、メロンは苦笑する。
「確かにアレは、親子じゃないか……」
あのキバナが不格好に背を曲げている。ナマエくらいの大きさなら、豪快に抱き上げてしまっても良いのだ。でも、キバナにとってはそうではなく、ナマエと手を繋ぎたい理由があるのだ。
メロンはそれでもキバナという男を(先程の行き違いはあったものの、)信用していたので、じっと二人を見送った。
げきりんの湖から鳴き声が聞こえる。水を泳ぐギャラドスがコイキングだったころを知っているのは、長くこの土地に慣れ親しんだトレーナーだけだ。▲|BACK|▼