沈みゆく船の中で


 思えば、あれがカルデアに出現し、あまつさえ命乞いをするような真似さえしなければ、今こうして俺をカウンター越しに見つめていることはなかっただろう。
 人理修復に忙しいマスターは、彼のことを「害はないから」と据え置いた。消える時になれば消えるのだろう、それにこういう形での現界は今後何かの役に立つかも知れない、と真剣な目で言われては、言えることはなかった。否、既視感さえ覚えるお人好しに呆れを通り越して何かを言う気にもなれなかったという方がいいだろうか。──このナマエという亡霊は、特に役に立つというわけではないけれど、サーヴァントの特攻にもすり抜けてきたのだから、おおよそ幸運のパラメータがEXだとか、そういう規格外のものに違いない。
あのスカサハでさえも、どうもやる気になれないと槍を置いているからして。

「僕の手がもう少し肉を持っていれば、皮むきぐらいは手伝えたね」
「結構だ、人手は足りている。……大人しく座っていてくれ」
「まあそうだな。あなたはそう言うと思ってた」

 ナマエの手がシンクに乗った玉ねぎをすり抜ける。かさついた皮が湯気にあてられたように膨らみ、しぼむ。霊体といえど、俺たちが当たり前に認識するそれとは少し違うらしい。ホラー映画で言うところの、ポルターガイストにあたるような存在感のあるそれだ。
だけど、爛々と目を輝かせて大げさに肩をすくめるさまは、それほど邪悪なものではない。
 作り置きのスープを彼の前に出すと、「今日もいいお供えだ」と言って手を合わせた。一応スプーンを横に用意していたが、それを使う必要はないらしい。彼が合わせていた手の指先を互いに絡めると、湯気の立てていたスープは渦の中に吸い込まれるように消えてしまった。
「ちゃんと食べているんだろうな?」
「幽霊に何を言うんだ」目を丸くする彼は分かっているのかいないのか、肩を竦める。
「消えるということは、君が何かしらの手段でそれを消費しているということだ」
「つまりそれを知りたいと?」
「……いや」俺は首を横に振った。からかわれているような気がした。彼は、ナマエは、俺の言葉の細かい意味は、含みや、あるいは皮肉さえも、理解していないように見える──ふりをしているのだ。と、俺は思う。

 下ごしらえを終えて臭みを抜けた魚に小麦粉をはたく。「魚の死体!」ナマエが意味なく言葉を放ったようだが無視した。「……魚の死体!」懲りずに声を上げるあたり、学習能力のないやつなんだろう。幽霊だし。
「魚がなんだって?」
代わりに返事をした聞き慣れた声に小麦粉をはたく手を止めて振り返ると、いつの間にかランサーのクー・フーリンがナマエの隣に立っていた。
「よう、アーチャー。今日の飯、なんだ?」
「ミネストローネ。魚のソテーと、付け合わせに粉ふき芋、それからサラダだな」
「ふーん。地中海風かあ、いいねえ」
「……ランサー、君は地中海がどういったものか理解した上で言っているのかね? それともなんとなくか?」
「あ? 面倒くせーな。大体間違ってはねえだろ、間違っては」
ランサーが剣呑な視線を向けてくる。それを鼻で笑うと、やつの眉間に皺が寄った。槍を握る手に力が篭もっているのが分かった。
「地中海料理といえばアレだ、ブイヤーベースとか、食べたいねえ」
──そんな中で、ナマエがぽつりとそんなことを言う。思わず「君には食べる手段がないだろう」と言うと、「願望だけだよ」と彼は応えた。隣にいるランサーが、ブイヤーベースか、と呟く。
「俺も食いてえな……あ、お前さんその辺の生まれか?」
「いや全く。でも旅はよくしたよ」ナマエは空になったスープ皿を見つめ、それから俺に視線を寄越した。片付けろ、というところか。
手に付いた小麦粉を見て、今は無理だと視線を寄越す。ナマエは微笑んで、柔和に頷いた。ランサーが怪訝そうな顔で俺とナマエを交互に見る。
「……お前ら、夫婦みてーだな」
ややあって、ランサーが呆れ声でそう言った。「いいや。エミヤ君は誰に対しても母のような振る舞いをする。思春期の子には鬱陶しい、過保護のような……」余計なことを言うポルターガイストと、違いねえ! と笑う犬の鳴き声に、今日の夕飯は減らしてやろうと魚を熱々のフライパンの上に落とした。



「僕の娘は女優でね」

 いつもの日。いつものカルデア。いつものキッチンの中で、不意にナマエがそんなことを口にした。いつも通り、適当な言葉を呟いたのだろうと思ったが、どことなく彼の存在に一つの実体が現れたようだった。
「僕は大きな新聞社の記者だった」
「待ってくれ」
「うん、どうした?」
「突然なにを──、あなたには家族が──いや、妻がいたのか?」
自分でもどうしてこう動揺したのかは分からなかった。ただ、俺の問いにナマエは「いたとも」と応えた。俺がせわしなく瞬きをするのを、つまり動揺していると悟られたくなくて、シンクに向き合い「それで?」と話の続きを促した。

「僕の娘──彼女は三十路を過ぎたころから有名になってね。僕は記者以前に彼女と家族であったから、ほぼ独占のようなもので、彼女と人生を共にしたんだ。楽しかったよ。たくさんのスキャンダルもゴシップも、娘と相談するんだ。あいつは酷い男だった。こんなことをしたっていうのはどう? なんてね、ソファーに並んで座って話し合うんだ。まるで子供がイタズラを考えるみたいに……」

ナマエはやけに楽しそうだった。俺はなにか追求してはいけないものを感じたが、好奇心からか、黙って話を遮ることはしなかった。午後のカルデアのキッチンには俺と彼以外何も止めるものはない。

「ある時、彼女に誘われて豪華客船に乗ったんだ。当時としては最新式の。アメリカへ渡るやつで、ブロードウェイに行こうと笑い合った。これが親の特権なのかと鼻高々でね、いや、思えば僕ははしゃいでいたんだ。でなきゃ、毎晩船内で靴を踏みならして踊るなんてことはできっこない……」

 ナマエの姿を今一度見ると、彼は、彼の言う時の姿ではないのだろうと分かった。俺の親であったあの人と、同じぐらいの年の娘を持つ人は、もっと老け込んでいるだろう。皺を刻み、白髪の浮いたナマエを俺は知らないが、ぼんやりと想像することはできた。中々に、似合っている。

「船に乗って、四日目の日のことだ。冷たい海風が吹いていたよ。僕は酔っ払っていて、眠ってるのか、いないのか、夢見心地で部屋の天井を眺めていた。そうしていると、突然、大きな衝撃があった。体がベッドから浮いて、背中を強かに打った。何かあったのかと思い、部屋を出ると、それでもとても静かで。頭が少し痛くて、部屋に戻った。やがて、部屋の外がにわかに騒ぎ始めた。ぽつぽつと言葉が聞こえた。どうやら、氷山にぶつかったらしい」
そこまでで、俺の頭にぴんとくるものがあった。
「……タイタニック号」
俺の呟きにナマエは目を向けて、「よく分かったね」と言った。有名だからな、と言うと、彼は「そう。映画にもなった」と子供のように笑った。

「少しして部屋のドアを叩かれ、船員にデッキに上がるよう伝えられた。僕はその前に娘の部屋を訪れて、彼女とデッキに上がった。とても寒かったな。デッキには氷が散らばっていた。娘がきらきら光ってきれいね、と言うから、きっと大丈夫なのだろうと信じていた。立っていると足下を掬われる感じがして、腰を下ろした。しばらく経って救命用のボートに乗るよう言われた。だが、残り一人だけしか乗れないというので、娘だけを乗せてもらった。次のボートを待った」

ナマエはそう言い終え、言葉に詰まったような素振りを見せた。
「……続きを」
急かすような気持ちで彼に促す。

「いくつかのボートを見送って……ようやく乗れると思った時だ。船が傾き、足を滑らせた。海面に叩きつけられたと思ったら、すぐそばの船縁に頭をぶつけ、意識を失った。冷たい水の中に体が引き込まれて──浮上したところまでは覚えている。だけど、溺れているのにもがく力がなくなって、目を閉じた。しばらく波に揺られているような気がした」
「……気がしたとは?」
「ああ。ここから先、どうなったか分からないんだ」彼は肩をすくめ、「多分、死んだんだろう」と続けた。笑っているわけでもなく、どこか自虐的な、初めて見る表情だった。
「…………」
 これを、俺はどう表現するべきか考え、恐らく、これが彼の"ほんとう"なのだろう、と思った。
ならば今までは全て嘘や偽りであったかといえばそうではなく、今まで眺めていた卵の滑らかな白い殻の表面が割れて、中から濡れた雛鳥が顔を出したような、感慨深い気持ちに似ていた。あるいは、割れるのが待ちきれなくなり、木槌で叩き割った、その中の潰れた黄身を見た虚しさか。不意に、自身の頭の隅に、かつて傍にいた人を思い出す。

「あなたはどうしてその話を俺に?」
「え? さあ……なんとなくだ」

 暇だったからかもしれない。ナマエはそう言いながらも腕を組み、考え込む素振りを見せた。だが、すぐさま両腕を解いて首を横に振った。
「考えてみるよ。宿題にしてくれ」
「ああ」
居心地が悪かったのか、彼は立ち上がってキッチンを出て行った。──話して、何か思うところがあるなら言わなくても良いものを。ふと、苛立っている自分に気づいた。何故か、多分、つまらない話をされたせいだろう。視線を上げると、時計の針が三時を指していた。



 大晦日の頃、静まりかえったカルデアで、俺は廊下を歩いていた。人類最後のマスターである青年は、良くも悪くも、明日で終わりを迎える。最初はさてどうするべきかと守護者としての自分が、彼を嘲るのを感じたが、一年もすれば、それは影を潜めた。
 どこまでも運の強い青年だ。かつての自分のような、甘い砂糖に漬けられた理想と似ながらも、実のところまったく違うということに気づいたのは、ウルクに出向いた時のことだった。
かつての恩人に、仇を返すような真似をしてしまったと俯いていた俺のマスターは、それでも戦うといった。やらなければいけないことだ、とも。俺と違ったのは、彼は突然、それを押しつけられたということだ。ただ、どこまでも善良な青年。歩いていると、自然と口角が上がった。

「嬉しそうね、エミヤ」
「……ッ!」

 気を抜きすぎていたのか背後からの声に気づかなかった。または、その声の主がいつかの記憶に残る人物であったために、とても驚いた。
振り返ると、やはりというか予想通りイシュタルが佇んでいる。にやにやと笑う顔は俺の元マスターにそっくりだった。
「なあに。女神に失礼じゃない? その反応」
「女神たるものが、背後から気配を消して近づくことこそどうかと私は思うがね」
「神をストーカーみたいに言わないでちょうだい。燃やすわよ」
「はあ」溜息をつくと、イシュタルがむっとした顔で弓を構えようとしたので片手で制す。

「何か用があるのでは?」
「……ああ、そうだった。亡霊クンがあんたのこと探してたわよ」
「ナマエが?」
「ええ。それだけ。ほんとはこんなことしないんだけど……あいつには一つ借りがあるしね」
イシュタルの言葉に首を傾げると、「なんでもないわ」と返ってくる。
「それで、そのナマエはどこにいるんだ」
「私はそこまで世話しないわよ? 自分で探しなさい、"アーチャー"」
「…………」
「じゃあね!」

 どこまでも自由な女神に溜息をつく。大方頼まれてもいないのだろうが、暇つぶしにとやってきただけだろう。明日は戦いが控えているというのに、彼女はいつも通りだ。むしろ、そういうのが神の在り方なのかもしれないが。
マスターが言うには、イシュタルは人を愛す女神なのだという。俺が思うにカルデアに召喚される英霊の殆どはそうだろう。でなければこんな面倒を、サーヴァントという身であれど引き受けるものか。
 ここにいる連中で戦わない者はいない。いたとしても、それはよほど頭のおかしい者か、人ならざる者か──なんにせよ、結果的に力にはなってしまっている。
当てはまらないとすれば、それは俺の知る限りたった一人だけだ。ふと、思う。いや、思ってしまった。

──ナマエはこの戦いが終わったら、どこに行くのだろうか?


「良い夜だね」
 ナマエは探さずともすぐに見つかった。俺が彼と多く言葉を交わした場所、要するに、カルデアのキッチンだ。
「春になれば、桜とか、ハナミズキとか、カトレアとかが用意できたんだけどね」
彼の手には花束が握られていた。雪のような白い花のつぶさが、床にいくつも花弁を落としている。それは消えない。実体を持たないはずの彼は、さも当たり前のようにそれを持つが、どういうカラクリかは理解できなかった。
「君が私を探してるとイシュタルから聞いた」
「イシュタル……ああ、彼女か! なんて親切な子だ」
「ふ、あの女神をそう言うのは君だけだろうな」
「そんなことないよ」
ナマエは笑い、持っていた花束を俺に向けて指しだした。「くれるのか?」彼は頷く。
「君と──君と同じ彼らと──人々、それから君のマスターに」
「なんのために? また突飛な思いつきか?」
「いいや。人理修復の記念にさ」
その言葉に思わず面食らってしまった。ナマエは悪戯が成功した子供のような顔になり、手を叩いて喜んだ。花束は落ちず、浮いている。

「おめでとう」
「……はあ」
「おめでとう!」

 ナマエがぱっと花束を放る。滑らかな弧を描いて、それはちょうど俺の手の中に落ちた。「こういうのを、ブーケトスって言うんだっけ?」「花嫁というわけでもあるまいに……」
「こんな夜の日は、氷山に注意」
「……おい」
「やろうと思えばたくさん詰め込める。用意は多めに、抜かりなく」呆れて眉間に手を置く。ナマエは意に介した様子もなく、手品でも見せるかのように両手を広げた。"WINNER!" 煙のような文字が浮いた。いつの間にそんな手品を! ──恐らく魔術師連中にでも習ったのだろう。
「いやね、」ナマエは両手を払いながら、気恥ずかしそうに口を開いた。

「本当は、また沈みかかった船に乗ったもんかと思って、正直期待はしてなかったんだ」
「……特異点修復が?」
「そうだよ。だって、なあ、誰がこんな面倒なことをするって思う? 誰が世界を救うって?」
「それはマスターへの侮辱と見なそうか」
「ごもっとも! お恥ずかしい限り。顔向けできないからね、亡霊もそろそろ成仏の時だと思って……」
「、待て」
「うん」
「成仏?」
「ああ! 今日でおしまいだ。でも、君たちの戦いはこれからも続く……と、いいな」

驚いてじっとナマエを見ると、彼は俺を見返した。暗がりで気づかなかったが、彼の体は半分透けていた。思わず詰め寄り肩を掴む。掴めるはずなど、なかったけれど。
「突然すぎる……」
「言うつもりはなかったんだ」
「なぜ?」
「愛着が湧かないと思っていたから。うん、エミヤ、あなたのおかげだ」
ナマエが言う。初めて名前を呼ばれた。嬉しいが、今呼ぶべきものか。
「それは俺の台詞だ」
「…………」
「どうして、こんな、オカルトに」
「あ、すまない……今ちょっと驚いて言葉が出なかった。君もそんなことを言うのか!」
「うるさい! 俺がどれだけお前のことを考えてたと──」
「あああ落ち着いて」
俺がいま彼のことを掴めるならば、彼からもらった花束がなければ、彼の体は四方に力強く揺れていたことだろう。ナマエはするりと俺の手を離れて、狼狽える俺を呆けたように見ていた──と思ったら声を上げて大笑いした。なにがおかしいというんだ。
「困ったな、ますます離れがたくなるよ」
「離れなければいいだろう。強制されるものでもあるまいに」
「ところでこの花はマーリンくんに頼んで作ってもらったんだ」
「俺の話を──」
「いや、だめなんだ。君と話したいことはまだたくさんあるから、余計な感傷には浸れない」
 確かに、ナマエの体は幾分か透明感が増したように思える。「……もしかして、お前の意思じゃないのか?」彼は頷いた。「今日の朝、いつもより体が温かいような気がしたんだ。満たされていて、どうしようもない幸福を感じた」彼はそう言いながら、俺の肩を叩いた。

「ここに僕がやってきた頃、心の中はどこまでも冷え切っていた。比喩ではなく、本当に凍り付いていたんだと思う。一度、ウルクに行っただろう? 君のマスターから冥界の話を聞いて、ふと、僕の魂が、あの日──海に落ちて死んだ日から、凍ったままだったのではないかと」
「あり得ない」
「僕はそうは思わない。最初、君から食事をもらうのは魔力を培うためだった。だけど、多分そうじゃなかったんだ。僕は凍えていた。あの、冷たい海の中で──、それでも、なにかしら暖めるものがあって、溶かされるに至ったんだ」
「、あんたが何を言ってるか、全然分からない」
「…………」

 ナマエは言った。「満足したから、成仏するのかもしれない」「そんな安直な話があるものか」「今、ここに」彼の指先が、俺の胸をとんと叩く。
「もうダメみたいだ。呆気ない別れだよ、本当に。……さよなら」
「待っ、──!」伸ばした手が暗い闇の中を掠める。
 ひとつ瞬きをしただけで、彼はもうそこにはいなかった。気配も感じない。魔力もない。己の片腕の中で、彼のくれた花束が潰れていた。



「それを触媒にしても、カルデアのシステム的に意味はないんじゃないかなあ。もう一人私が出るくらいだと思うんだけどね」
「黙っていろ」
「だって彼は英霊ではないし。出てきたとして君のことは忘れていると思うけど」
「うるさい」
「なんだい? 君って以外と子供っぽいんだね……」

 俺の後ろで笑う魔術師は、まあ試してみればいいんじゃないかとにやにや笑った。彼の足下には花が咲いている。ご丁寧に、今俺が持っている花束と同じ花だ。
傍らにいるマスターは先日人理修復を終えたばかりで、どことなく力ない面持ちで召喚用のサークルを眺めている。疲れているところ悪いが、この奇跡の流れの中で、ふと思いついたことが──なにか、成功するような気がしたのだ。
ナマエを召喚したいと言った時、俺のマスターは、いいよ、と二つ返事で了承した。相変わらず、お人好しだと思う。だからこそ、世界を救うことができたのだろう、と、調子のいいことを考えた。
青い光が立ち上った。さほど強くはない。ばち、と弾ける音が耳に通る。「概念礼装。残念、君の望むものではないだろうな……」魔術師の言葉に目を伏せた。駄目だろうか。駄目だったか。もちろん、無謀な話だとは思っていたが。
マスターがじっとその光の渦を見ている。「……いや、」そして、驚いたように目を僅かに見開いた。

 サークルの中心に浮かぶカードが、プロジェクターのように光を放つ。呼ばれたような気がして顔を上げた。目に入る、浮かび上がった人の影に──息を呑んだ。

「……こんにちは、お三方。ところでここは、船の中ではないのかな?」

 慣れた姿や、声や、仕草とは少し違っていた。それでも俺には分かった。いい年の娘を持った、いい年の男。それも二人で結託しては、すぐにはしゃいで調子に乗るような。冷たい水の中に、落ちる前のその人。

「──おかえり」

 言葉の出ない俺よりも先に、微笑んだマスターがそう話しかける。その後ろで、魔術師が抜けた口笛を吹いた。


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