ぼくたち三人はそれぞれ性格が、夏油先輩曰く、キャラクター性が違う。堅実な七海。明るい灰原。自分のないぼく。庵先輩なんかはぼくらに「あのバカ二人と違って、あんたらは喧嘩しないで偉いわね。ずっと仲良くしなさいよ」とよく言う。
実際ぼくらは今となってはそんなに喧嘩する方ではない。けれど入学して少し経った辺りで、今でも思い出せるくらいの争いごとは勃発していたのだ。
三人のうち、ぼくを除けば七海も灰原も一般家庭の出身だ。呪術界での世間知らずは彼らだが、一般常識での世間知らずは明らかにぼくだった。
例えばコンビニでの使い方が分からないとか、駄菓子屋のシステムを知らないだとか、そういう点でぼくは物事を知らなかった。七海はそんなぼくの態度にしょっちゅう面食らっては困惑し、それでも灰原がどうにかこうにかぼくと世間との仲介役のようになって話すのが常だった。
呪術に関しての「なぜそうなのか理解に苦しむ」といったような文句は七海のお決まりの台詞で、ぼくにとっては七海が物事を知らないんだなと思ってるから「当たり前でしょう」みたいな態度でつんとしている。そうしているとお互い歩み寄りもしないから、ぼくと七海は──有り体に言って、ギスギスしていた。それで、そんなぼくらの険悪な雰囲気を諌めるのは、やっぱり灰原なのだった。
しかし、ぼくにとって思い出せる最も大きな争いごとというのは、実は、灰原との喧嘩なのだ。
二人が高専に慣れて来た頃、ぼくと彼らとで合同の任務が割り当てられた。ぼくはその頃準一級で、二級程度の呪霊を祓うのが任務内容だった。
任務地に着いていざ帳を下ろし、目的の呪霊を確認して愕然とした。それが、呪術を行使する呪霊だったからだ。等級は分からない。けれど少なくともぼくと、七海や灰原で請け負って苦戦する程度の強さ。だから、一級以上ではあるはずだった。
離脱をしようとしたが呪霊が民間人の住む街側へ移動を開始していたためそれは阻止しなければならなかった。補助監督に連絡を取って応援の呪術師が駆け付けるまで一時間強。長いというわけではないが、ぼくはその時──今になって思えば、相当に焦っていた。
単独の任務ばかりをこなしていたぼくは、七海や灰原が呪霊の攻撃に当たりそうになっているのを見てそれを援護するべきだと考えた。
そして都度その考えを実行するたびに、ぼくは段々面倒になってきた。自分も万全で、二人も万全になるように──それは、とても難しいのだ。だから七海と灰原を守るよりも、呪霊の攻撃をぼくに当て続ける
方がいいんじゃないか、そんな考えが浮かんできた。
ぼくがその考えを躊躇していたのは、そのときに“無闇に苦痛を受ける必要はない”という一般的な考えを、灰原と七海を通して知っていたからだった。
けれど呪霊を相手にするなら、そんな考え方は必要じゃない気がして。だってそれは、ぼくたちの当たり前じゃない。普通を守らなくていい理由はいくらでも思いついた。
そしてぼくは、その考えをまた、実行することを決めてしまったのだ。
「ナマエ?」
灰原を呪霊の攻撃から遠ざけたあと、ぼくはそのまま呪霊に向かって突っ込んでいった。「待っ、」声を上げた灰原を七海が抑えているのを見る。
ぼくの頭半分が吹き飛ばされた後、ぼくは獣になった。だからこの間のことは、あまり覚えていない。
ただ、ぼくはずっと前から同じような戦い方をしてきたはずなのに、その時は不快な感じが体中を駆け回っていたように思う。
まがる
うねる
ちぎれる
つながる
◆
「……倒した?」
気づいたら、応援の呪術師が既に駆けつけていた。ぼくを興味深げに見ていた呪術師は、ぼくの呟きに「私が来たときには、もう全て終わっていたよ」と返事をした。
「君は優れた反転術式を持っているんだね」
「……」
少し補助監督に話を、と言ってその人は去っていった。入れ替わりに七海と灰原がやって来て、二人が困惑した様子でぼくを見た。
「どうなっているんだ」
七海が呟く。
「ナマエ……どうしてあんな戦い方をしたの?」
灰原がぼくの近くにしゃがみ込んでそう尋ねた。
二人はそう大きな怪我もしていなかった。ぼくはきちんと戦いきったらしい。それで満足して、ぼくはあまり考えずに口を開いた。
「その方が楽だったでしょう」
「楽じゃないよ!」
突然灰原が大声を上げた。そんな反応は予想していなかったので、ぼくは困惑して、「ぼくの体、治るんだよ」と答えた。
すると灰原はぼくのことを目を丸くして見つめたかと思うと、しばらくの間睨むようにぼくを見ていた。
「どうしてナマエは……いつもそうなんだよ……」
灰原は少し経ってから、そう言って悔しげに顔を歪め、俯いた。七海もぼくも驚いていた。灰原がそんな言い方をするのは初めてだったから。
その後、補助監督と呪術師が戻ってきた。
「大所帯だから、乗る車を分けよう」
呪術師がそう言うと、灰原がぼくを一人で乗せるように提案した。怪我人だからと。
有無を言わせないような灰原の様子に、呪術師が「喧嘩?」と不思議そうに言った。誰もそれを否定しなかったので、呪術師は肩をすくめた。怪我は治っているんだとはとても言えなかった。
なにかまずいことが起こっているのではないかと分かったのは高専に戻ってからのことだった。
呪術師にお礼を言って車を降りると、先導していた補助監督の車からもう灰原は降りてしまったようで、七海だけが残っていた。
「灰原は?」
「……先に寮に戻りました」
七海はいつになく苦々しい面持ちで、何度も溜息をついている。この辺りでぼくは、なにか大変な問題が勃発しているのだと気づいた。
それこそ一級呪霊の出現とはまた違った、良くないことが。
「まずいぞ」
ぼくをひとまず家入先輩の元へ連れて行きながらも、七海は苦々しく呟いていた。
「それはまずいな」
家入先輩はそう言った。ぼくの様子を診てではない。ここまでの一連の出来事を話して、そう言った。
いまいちぴんと来てないぼくに対し二人は顔を見合わせている。
「ねえ、何がまずいの?」
ぼくが尋ねると、家入先輩は煙草に火を点けながら、「つまり、ナマエが灰原を怒らせたってこと」と言った。
「怒らせた?」
「うん。麻酔が切れるのとおんなじで、痛みを鈍くさせてたツケが回ってきてんだな」
「……灰原を?」
「まあナマエもそう。……さっさと仲直りした方が良いんじゃない?」
「イイヤツを怒らせると怖いぞ」と家入先輩が笑った。ぼくはそれどころではなかった。
あの灰原を怒らせてしまった。
それがとてもまずいことだというのは理解できていた。だってそれは──分からないが、明確な脅威として認識できる。
寮ではなく教室に戻りながらぼくは「まずいね」と付き添ってくれる七海に話しかけていた。「とても」七海はしきりに溜息をついていた。
灰原がぼくに怒ったのは初めてだ。七海がぼくに怒っているのなら、灰原に聞いて理由を見つけることができるし、ぼくも七海に弁明とか、謝罪する余地がある。
でも灰原が怒ってしまったのなら、ぼくはどうすればいいのか分からない。うろうろと教室を歩き回って、窓際で考え込んでいる様子の七海に問いかける。
「ねえ七海、なぜ灰原はぼくに怒っているの」
七海がぼくを見て、「落ち込んでいるんですか?」と聞いた。少し驚いているようだった。
「なぜ?」
「……尻尾と耳が下がってる」
ぼくはいつも無意識に置いていたそれを意識して、確かにそうだと気づいた。七海にまじまじと見られるとなんだか居心地が悪くて、ますます尻尾が丸まってしまった。
「理由を灰原に聞いちゃダメだってことは、わかる……どうしたらいいのかな」
「なんでもかんでも自分で考えずに聞くのはやめろ。ナマエ、どうしたいのか、自分で考えないと」
言いながらも、七海は教室から立ち去らなかった。
「七海だったら──普通だったら、どうするの」
ぼくが尋ねると、七海は何か言いかけたが、頭を振った。「……私は少し怒ってる。だから、今は答えられない」そう、とぼくは頷いた。「けど」七海は言葉を続ける。
「私ならそういう時は、別の人間に相談する」
「……ねえ七海、答えられないのって」
ぼくは考えていた。答えられない理由を聞こうと思って、やめた。七海はさっき、自分で考えないといけないと言った。
「ぼくが悪いことをしたから?」
七海が何度目かもわからない溜息をついた。
「そうだけど、違う。怒ったまま物事を教えたところで、余計な言葉が出るだけだから」
「そっか……」
ぼくは七海にお礼を言って、教室を出た。相談にしても、誰にすればいいだろう? ──そんなまとまらない考えに、自分でもうんざりしていた。
だからこのまま歩いて、最初に会った人に相談する。場当たり的だけど、ぼく以上に世間知らずなヒトはきっとこの世には存在しないんじゃないかって思えた。
そうして、歩いた先にいたのはよく知る先輩の一人だった。
自販機前でその人は座り込んでいて、ぼくに気づくと立ち上がってズボンの砂を払った。
「ああ、ナマエ。お疲れ様。珍しいね、一人なんて」
「……夏油先輩」
「どうしたの?」
ぼくの様子を不審と見たのか、夏油先輩は首を傾げた。
「相談、させてください」
夏油先輩が目を瞬かせる。断られたら──そんな算段をしていると、先輩は「ちょっと待って。少し考えるから」と言った。
そうして先輩は顎に手を当てて考え込んだあと──、「いいよ」と朗らかに笑ったのだった。▲|BACK|▼