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 五条先輩がサングラスを外してぼくを見る。
「んー、ギリ二分の一寄りの、大体六割」
「六割?」
「とにかく割合が増えてる」
 体内の水分量の話ではない。ぼくの体の、呪力で構成されている部分の話だ。
「常に放出する分をもう少し増やしたほうがいいんじゃねーの」
「擬態するにしてもどこをすればいいのか」
「足とか? ズボンで隠れるだろ」
「足……」
  ひとまず擬態させてみると、自重に耐えきれずに膝から崩れ落ちた。関節の構造から、無理な方向に伸ばされたズボンがおかしな形を取っている。五条先輩は大笑いして、ぼくは溜息をついた。
 ぼくは実は、術式を持っていない。──この頭の上の獣の耳も、尻尾も、天与呪縛によるものだ。
 その恩恵にあやかり、呪力はそれなりに持っている。けれど満ち過ぎれば、取り込まれる・・・・・・ ・・・・・・ためにこうして定期的に呪力を放出させなければならない。それが目に見える形になっているのが、この耳と尻尾だった。だから、一般的な人間からはこれは見えていない。
 ぼくが困っているのは、年々、この手段で放出できる呪力量よりも供給される呪力量が増えていることだった。そもそも、高専に入学する前までならば、ぼくは人間の姿のままでいれたのだ。

「なにをしてるんだ?」
 夜蛾先生がぼくたちのいた教室に入ってきて、転がるぼくと大笑いしている五条先輩を見比べた。「いじめられたのか?」夜蛾先生が拳を握ってぼくに問いかける。首を横に振った。
「センセー、こいつそろそろミミとシッポだけじゃ限界だってさ」
 夜蛾先生の眉間がぴくりと動く。ぼくは足を戻して立ち上がった。
「割合が増えてるみたいで、体の六割が呪力の構成になってます」
「肉体部分が残り四割か」
「五割を越えた時点でキツかったけど、これ以上増えるとなるとな。自意識はともかくとして、生物学的に人間とは言えねー……面倒なことになる前に、行くとこまで行って傑に取り込んでもらうとか?」
 ゴチン、と夜蛾先生が五条先輩に拳を落とした。デリカシーの欠如が原因らしい。とはいえ五条先輩の提案は現実的ではある──夏油先輩が同意すれば、の話だけど。
「今の所、ぼくは獣になってしまったら、そもそも存在することを望まないです。祓ってください」
「……」五条先輩がぼくを見てつまらなさそうに鼻を鳴らした。
「ナマエ、意識は保てているか? 自ら考え、行動することができるか?」
 夜蛾先生がぼくに尋ねる。ぼくは頷いた。
「ならば、まだオマエは人間だ」
 自分の教室に戻りなさい、と夜蛾先生が言った。
 教室を出て行ってすぐ、ぼくは自分の耳や尻尾を、消した。呪力の放出はいとも容易く行える。けれど、その逆は難しい。なぜなら──
──、
──意識を落とされそうになってすぐに戻す。
 教室に戻っても七海と灰原はいなかった。任務で出掛けているのだと担任から聞かされた。
「……また一緒の任務があればいいのに」
 そう呟くと、「遠足じゃないんだから」と担任に呆れた顔をされた。
「遠足には行ったことがないんです。どんなものですか」
 言うと、担任はふうんと頷いて、「遠出して遊ぶものだよ」と答えた。
「……まあ遠足を一度も経験してないってのも、可哀想か。今度遠出の任務があったときは、お前たちに割り振るよう上に頼んでみるよ」
「いいんですか」
「ふ、露骨だな」
 担任の視線を見るに、またぼくの尻尾が見え見えに揺れているのだろう。さっと隠して、お礼を言った。

「そのためにも今日は体術。相手をするから、校庭に行くぞ」
 ぼくが頷くと、担任はヨシヨシと言って笑った。ぼくは──入学当初なら到底考えられなかったような気持ちだけど、三人で任務を受けられるかもしれないことを楽しみに思っていた。
 ぼくの天与呪縛のこと、これからのこと。──また、灰原たちに話してみよう。そうしたら、ぼくが獣でもいい理由が、見つかるかもしれない。 
 そう思うと「祓われてもいい」なんて言った自分の言葉は、きっと建前だったんだな、なんてことに気づいた。



 担任と話をしたのが二年に上がった初夏の頃。そして夏になると、思ったよりも早く三人で遠出をする機会はやって来た。
「二級……」
 やけに笑顔の担任から任務内容を告げられたとき、やっぱりぼくの尻尾は我慢できなかった。今こうして廊下を歩いているだけでも自分の顔が緩んでいくのが分かる。
「気は抜かんでいいが、青春は楽しめ! 若人!」
 担任はそんなことを言ってぼくの背を叩き、教室へと送り出した。まだ灰原と七海には任務内容を伝えていないからと、ぼくが二人への伝達役になったのだ。

 教室の扉を開くと二人はもうやって来ていた。
「任務だよ。三人で!」
 なるべく冷静に伝えようと思っていたけれど、入ってきた時点で二人はぼくの興奮を察していたようだった。
「ほんとに!?」
「また高い等級ですか?」
 顔を輝かせる灰原と任務内容に警戒する七海。ぼくは二人の前に椅子を置いて、担任からもらった任務内容の紙を二人の前に掲げた。
「二級だよ! でも泊まり込みなんだって! もし早く討伐できたら、ゆっくり帰ってきていいって言われた」
「ここなら日帰りで帰れるのでは……」紙を読み込んでいた七海が言う。
「確かに! なにかあるのかな」
「現地で追加任務とかでしょうかね」
 二人が話している中、ぼくは任務が終わったあとのことをずっと考えていた。何かを食べに行くのもいいし、近くに観光スポットがあればそこに行くのもいいかもしれない。
 灰原がそんなぼくの様子を見て笑った。
「ナマエご機嫌だね! そんなに楽しみなの?」
「うん。灰原と七海がいると楽しい。任務が終わったら遊ぼうよ」
「いいよ!」
「任務終わりにですか?」
 あまり気乗りしない様子で七海が尋ねてくる。
「七海は帰りたいの?」
 七海は困った顔をしたあと、溜息をついた。「仕方ないな」その返事にぼくは笑顔になった。もちろん七海が尋ねればそう答えるのは分かっていたけど、その返事が聞きたくて聞いているところもある。
「遠足だね」
 言うと、二人は顔を見合わせた。
「……しおり作る?」
「しおりって?」
「えーっと、旅の予定表みたいなものかな」
教えてあげるよ、と言って灰原がノートのページを破り取る。七海が覗き込んできて、ぼくたちは三人で小さな机を囲んだ。


 “旅のしおり”は思ったよりも時間を掛けて完成した。途中で本来はないらしいおみやげのリストが追加されたり、早々に作業から離脱していた七海に頼んで表紙に絵を描いてもらったり(七海は動物のかわいい絵を描いた。)──遠足がこんなに面白いならまたやりたいと思った。
 それを伝えると、七海は「まだ始まってもいないですよ」と苦笑した。ああ、確かにそうだなと思える。
じゃんけんに負けてしおりをコピーしに行った帰りに、夏油先輩に遭遇した。

「こんにちは」
「こんにちは」

 特級呪術師になった夏油先輩は、以前よりも高専にいる機会が少なくなった。
「一瞬呪霊かと思ったよ。祓わなくてよかった」
「ああ……五条先輩にも言われました」
「悟にね。前よりも進んでる?」
「六割五分、呪力だそうです」
「水分と同じくらいか」
 ぼくと夏油先輩の関係は、希薄なようでいて実ははっきりとしている。
 ぼくは入学の段階で、夏油先輩に打診をしていた。もしぼくが獣になってしまったら、取り込んでくれないかと頼んだ。
「夏油先輩、ぼくが獣になったときの話なんですけど」
「うん? どうかしたかな」
「やっぱり、ぼく、足掻こうと思ってるんです」
 夏油先輩がぼくを見ていた。少しの沈黙があって、夏油先輩はぼくの傍までやって来た。
「なぜ?」
「わからない、でも、そうしたいんです。人間ならそうしなきゃいけないって、思う……灰原と七海が、ぼくを人間にしてくれたから」
 夏油先輩が目を丸くした。
「……ナマエはヘンな子だな」
君はずっと人間だったのに、と夏油先輩が言った。
「ぼくが?」
「ああ。人間であることに胡座をかいているヒトより、よっぽどね」
 夏油先輩が徐ろに手を伸ばして、ぼくの頭を優しく撫でた。いつもならゾワゾワとする感覚のそれが、なんだか今日は素直に受け入れられる。
不思議なことに、ぼくは今こうしてされるがままになっているのが、夏油先輩にとって良いことなのかもしれないと思った。
 しばらくぼくの頭を撫でて、夏油先輩が言った。
「……実のところ……君を食べるのは、少し楽しみにしていたよ」
「えっ。なぜですか?」
「なぜだろうね。ナマエは甘そうだったからかな」

 夏油先輩の笑った顔はいつもなにか含みを持っているように見えていた。けれど今の夏油先輩は、単純に機会を逃して惜しいと思っているような表情に見える。

「ぼくもきっと酷い味ですよ」
「そうかな」
「はい。だから、夏油先輩にそんなことをさせなくて──」

 ぼくはそこで言葉を切った。夏油先輩がひどく困った表情で、ぼくを見下ろしていたからだった。
「夏油先輩」
 夏油先輩ははっとした様子で笑顔を取り繕った。
「大丈夫ですか?」
「ああ……」
「……」
 ぼくはさっき、ぼくを人間にしたのは灰原と七海だって言った。けれど、ぼくの周りにいた人みんなが、そうしてくれたんだと思う。──夏油先輩も、その一人だ。
「ぼくを人間だって言ってくれて、ありがとう」
 短く伝えると、夏油先輩は困った顔のままで「どういたしまして」と言った。
「今度七海と灰原と任務に行くんです。お土産、なにがいいですか」
「あー……」夏油先輩がしばらく考える素振りを見せたあと、首を横に振る。「ううん、いらない。無事に帰っておいで」
「いいんですか」
「いいよ。それでまた、話を聞かせてくれ」
 夏油先輩はぼくの片耳を一摘みして、またいつものように笑って見せた。「はい」ぼくは先輩が触りやすいように俯いた。
「……少し触り心地が良くなった気がする」
 夏油先輩はそれから長い間、ぼくのことをずっと撫で続けていた。


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