公安の特異課が合併されていなかった頃、ナマエは特異四課のチームに入って仕事をしていた。
ある時の仕事中にその課のデビルハンター全員が同時に殉職したので、ナマエは思わぬ休日を手に入れた。だから彼は、近隣のデパートの屋上遊園地へ遊びに行った。
そこで、彼は姫野というデビルハンターと居合わせたのである。
ナマエはその時、ちょうどぶつかってきた子供に泣かれて困っていた。ナマエの顔を知っていたらしい彼女はそれに一頻り笑うと、泣いている子に些細なお菓子を買うためのお金をやって、泣き止ませた。
「四課にいた魔人くんだよね」
姫野はナマエにそう話しかけた。
「こんなとこで一人? 友達いないの?」
彼女はナマエの返す言葉の三倍ほどよく喋った。ナマエもナマエで、人とまともに話すことが少なかったからか、話している楽しさで聞かれるままいくつかのことを応えた。彼女は聞き上手だったし、話し上手だった。
「──それで四課は君以外いなくなっちゃったんだ」
ヒーローショーの最後列の席に、二人は座っていた。前の二列の席を含めて、眺めの悪いそこに子供は座っていない。二人もヒーローショーは見ていなかったが、代わりにナマエが身の上話を姫野に聞かせていた。
「あそこで変形してくるなんて誰も思わなかったんです」
「どう考えても悪あがきだね」
「そう。だから先輩の死体は驚いた顔のままで……死ぬ直前の表情が残るのは嫌だなって──」
その時、前列に座っていた人々が立ち上がったので、二人はヒーローショーが終わったことに気づいた。
別の所へ遊びに行こうと親子連れが通路を抜けていくのを、ナマエはじっと聞いていた。姫野も口を閉じて、役者のいなくなった舞台へ目を向けた。
人が殆ど掃けてしまってからも、二人の間に会話は戻らなかった。隣でぼんやりと組んだ足を揺らしていた姫野が、ナマエの肩をちょんと突いた。
ナマエが顔を向けると、彼女は満面の笑みを浮かべていた。
「観覧車乗ろうよ!」
「えー……」
「楽しいよー。眺めもいいし、気分も晴れるよ! ねっ」
返事を聞く前に、姫野はナマエの手を取って立ち上がらせる。そうして、彼女はそのまま歩き出した。ナマエは乗り気ではなかった。けれど、不思議と足を止めることはしなかった。
向かった観覧車は築何年か経っているのか、見た目にも老朽していて親子連れも少ない。二人はゴンドラに乗り込んで、それぞれ対面になるよう座った。
「おお、錆だ」
姫野がぼろついたゴンドラ内の窓枠を触って呟いた。彼女が赤錆の付いた右手をナマエの左腕に擦り付ける。「ちょっと!」ナマエは身を引いた。彼女は悪戯に笑った。
「血は浴びるけど、錆は嫌なんだね」
「仕事だったらいいけど……」
ナマエは軽く左腕をはたいて、姫野を見た。姫野の右手にはまだ錆が付いていて、彼女は指同士を擦り合わせている。見かねてナマエは声をかけた。
「ウェットティッシュありますよ」
「ほんと? 頂戴」
指の一本一本の汚れを、姫野が丹念にぬぐい取る。ゴンドラ内に、微かにアルコールの臭いが漂う。二人はしばらく窓の外を眺めた。高層建てのビルの隙間から切れ切れに細かな建物が並ぶ街が見えた。
「魔人って話通じないヤツばっかでよく分かんなかったけど、ナマエくんみたいなのもいるんだね」
姫野が窓の外を眺めたまま言う。ナマエは彼女の横顔に目を向けて、それから俯いた。
「いえ……珍しいですよ。僕を知ってる悪魔からは随分変わったって聞きました」
その言葉に姫野は意外そうに目を丸くすると、視線をナマエに戻す。
「じゃあキミを変えたのはどんな人なの。キミの……その体の持ち主はさ」
「さあ……」
「……ま、そりゃー分かるわけ無いか……」
「……仲間は好きですよ、多分」
「分かるの?」
ナマエは沈黙した。姫野は肩をすくめた。ゴンドラは頂上から、下へと近づいていっていた。
「……あ」
不意にナマエが声を上げた。その時、彼は観覧車の搭乗口側の景色を見ていた。
「どうしたの?」姫野が尋ねる。
「子供が……着ぐるみに連れられてる」
「迷子とか?」
「さっきの舞台の裏です」
「……」彼女の眼が細められた。
「降りたら走ります。なんか、嫌な感じがする」
ゴンドラが下に着くと同時に、ナマエは先程のヒーローショーの場所まで走り出した。姫野は黙ってその後を着いていく。
「悪魔だったらどうするの?」
「殺します」
「同族なんでしょ」
「デビルハンターですから」
姫野が足を速めて隣に並んだ。
二人は間もなくして舞台裏へと辿り着いた。肩を上下させる姫野の横で、ナマエはじっと先の光景を見ていた。蹲る着ぐるみの体の向こうに、子供の足が揺れるのを見ていた。それにナマエが踏み出しかけたのを、息を整え終えた姫野が片手で制す。
「私が」
彼女が言うのと同時に、きぐるみの頭部がひしゃげた。「ヒャ」引き攣った悲鳴と共に、それは子供を取り落とした。きぐるみの頭部がぐるりと回転して二人へと顔を向ける。悪魔にしては、凶悪さに欠けている。
「かわいい顔してるな……」
姫野が呟くと同時、着ぐるみが宙へと持ち上がった。藻掻くそれの影が離れていって、取り落とされた子供の姿が露わになる。ああ、と姫野が小さく落胆の息をついた。
子供は腹を割かれていた。臓物が出ている。ぴくぴくとまだ生きていた。だがおおよそ、致命傷といえた。
「……ナマエくんにぶつかった子じゃん」
ナマエは姫野の言葉に目を瞬かせる。瞬間、着ぐるみがべちゃりと地面に落ちた。「やばっ──」凄まじい速さでそれが這った。ナマエは姫野の襟首を引っ掴むと、たたらを踏んだ彼女を後ろから抱き、すぐにその場から飛び退いた。着ぐるみがその直後、姫野のいた辺りの地面を削った。
「うわ、」
「抑えて」
ナマエが彼女の体を抱いたとき、一瞬彼女の体は強張った。ナマエは何者かに首をわし掴まれる強烈な感覚に襲われながら、(多分それは彼女の契約した悪魔だった。)彼女に着ぐるみを止めるよう言った。
ナマエの首に掛かっていた感覚が離れ、二人へと向かいかけた着ぐるみが地面に杭打ちされたようにへばりつく。何事か叫んだ。何か固有名詞の悪魔だと叫んだ。
「なんかのキャラかな。知ってます?」
「いやあ、全然……ていうかあいつ固すぎ、潰せないや」
ナマエは抱き抱えていた姫野から腕を離した。彼女のわずかに浮いていた踵が地面に着く。姫野がナマエを見た。
「おれさまはなあ! この国の高度経済成長期に産まれてガキ共のヒーローとしてなあ──」
「姫野さん、そのまま押さえていてください」
「え、うん」
ナマエは着ぐるみへと駆けていった。「どうするの!」姫野が大声で尋ねる。ナマエはそれに答えず、気ぐるみの前へと立った。彼の手がその一部に触る。
何をしているのかと姫野が目を細めると──ナマエの触った先から悪魔の体が透けて、「何する! おい、何しやが」──すっかり消えてしまった。おおよそ一分も掛からなかっただろう。
ナマエはもう立ち上がっていた。姫野は自分が何故か 幽霊の悪魔を出していることに気づいた。
そして、ナマエは彼女の視線の先にいる一人の魔人だった。
「ナマエくん──」姫野がやって来る。
「はい」
「何した?」
「何も」嘘だった。
二人の間に緊張が走った。姫野はナマエに心を許していなかったし、辺りは遊園地とは思えないほど静まり返っている。ナマエを射抜いていた彼女の視線が、徐にその奥へと移った。彼女の目が見開かれる。
「アイスキャンディ」
彼女はそう呟いた。
彼女の目が捉えたのは子供の死体で、次に、その近くに落ちていた、溶けかけの折れたアイスキャンディを見たのだ。
ナマエは彼女を一瞥し、子供の死体へと近づいていった。何も彼を止めなかった。二時間前は泣いていた子供が、今は肉のひとかたまりになっている。むっとするような臭いが漂う。ナマエはその肉の前へしゃがみ込んだ。
そして、彼が死体に手で触れると、少しずつその肉が半透明になっていった。数秒もすればそれは一層透明になった。肉も血も、跡形もなく消えていく。
ナマエの背後から姫野が近づいてきた。彼女はまだナマエを警戒しているようだった。
「それって君の力?」
「そうですよ」
「消すってこと?」
「……。説明はしたくないや……どうせ忘れるしな……」
「……もしかしてさ」
死体は完全に消えた。アイスは残った。姫野はそれきり黙った。
「戻ります?」
ナマエが問うと、彼女は眉を寄せて頷いた。
それからナマエは彼女と日当たりのいいベンチに座って、メリーゴーランドに乗る人々を眺めていた。存外、大人も楽しそうな顔をして乗っているのだとナマエは気づいた。
穏やかな時間だった。ナマエは自分が魔人であることをふと忘れた。
「ここにいると、恐怖なんて嘘みたいですね」
ナマエはそう言った。
姫野はそれに答えなかった。
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