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「ナマエさん」
「コベニさん?」
「あの、暴力さんがこれをナマエさんにって……」

 本部の中庭にいたナマエに、コベニがコンビニ袋に入った鍋の素を渡しにやって来た。「暴力さんは?」「輸血で病院に……」ああ、とナマエは呟き、取り出したパックをしげしげ眺めたあと、袋に戻した。
すると不意に、それを見ていたコベニのお腹が鳴る。
ナマエは初め、なにかの鳴き声かと辺りを見渡した。それから、目の前のコベニが小刻みに震えているのに気づいた。みるみるうちに赤面して涙さえ目に浮かべる彼女に、ナマエもその音の主が彼女の腹だと理解して面食らったように困惑の表情を浮かべた。

「う、あ、い、色々あって、ご飯食べそびれちゃってぇ……それで……」
「あ……あ、そうだ、このあと暇?」
「へっ」
「届けてくれたお礼に何かおごるよ」

 ナマエはすぐさまマキマに連絡を取った。コベニがいたので、届けの必要もなく外出の許可がおりた。
ナマエは彼女を連れて喫茶店に入った。「好きなもの頼んでいいよ」コベニが遠慮した様子を見せたので、ナマエは自分も少し量の多い軽食を頼んだ。
したがって、それは彼女の食事にもなった。

「ナマエさんと暴力さんは仲がいいんですか」
 食事を摂りながらコベニはそう尋ねた。
「うん、友達。一応は僕が先輩だけど、魔人だからね。あんまり関係ない感じかな」
「そっか……あの、今日の届け物……お鍋、一緒に食べるんですか?」
「そうだよ。この前鍋パーティしたいって2人で話したんだ。暴力さんも僕も、色々あっていつもは約束しても全然だめなんだけど……」
言いながら、ナマエはなんだか遠い目をした。彼の手の中で、コーヒーシュガーの袋がくしゃくしゃと弄ばれている。コベニはそれに気付いて食事の手を止めた。すると彼が急にコベニと目を合わせたので、彼女はびくりと肩を揺らした。
「今日はうまくいきそう。ありがとう、コベニさん」
「あっ……」
 コベニは眉を下げて、小さくなって畏まった。
ナマエは笑った。もっと食べていいよ、と言って彼はメニューを開くと、デザートの欄をコベニに見せた。彼女は口いっぱいに入っていた食事を急いで飲み込んでから、ナマエの表情を窺った。それから彼女は「ナマエさんって……」と小さく口を開いた。

「うん」
「ナマエさん、なんだか暴力さんと似てますよね……魔人なのに恐くなくて、優しくて……」
「似てる?」
「あっ、あの、駄目っ、でしたか?」
「ううん……」

ナマエは黙ってしまった。
なにかまずかったかな、とコベニは冷や汗をかく。無表情の彼の握ったスプーンがカチカチとコーヒーカップの中を攪拌する音が、妙に大きく響くようだった。
「──す、すみません! 生意気なこと言って! ごめんなさい!」
耐えきれず、コベニは卓上に頭を擦り付けた。頭を打った拍子に料理が飛び散って、少し彼女にもかかった。ぼうっとしていたナマエが我に返って目を剥いた。
「わッ!? えっ、えっ、謝らないで!」
コベニに頭を上げさせると、ナマエは慌てて彼女の顔を拭った。
「似てるなんて言ってごめんなさいぃ……」
その言葉に、ナマエはさっきのことかと思い当たった。
「違うよ……怒ってないよ。それに、さっきは嬉しかったんだ……初めて言われたから、どう反応すればいいかわからなくて」
コベニはちらとナマエの様子を窺った。彼女の恐縮しきった様子に、悪いことをしてしまったとナマエは思った。

 コベニの様子が落ち着くと、アイスクリーム食べる? とナマエはメニューを指した。コベニは控えめにはいと答えた。二人の卓上には軽食がまだある程度残っている。
ナマエはアイスクリームが運ばれて、コベニが少し苦しそうにそれを食べるのを見て──ようやく、彼女が自分を気遣ってくれたことに気づいた。


 夜の更けた頃、暴力の魔人がナマエの部屋へとやってきた。ナマエが彼を出迎えると、彼の片手にはコンビニの袋があり、中からは菓子やら惣菜やらが詰まっていた。ナマエが首を傾げた。

「貰い物?」
「自腹自腹! やるなら闇鍋したいなって思ってさ〜」
「えー」

慣れた様子で家に上がった暴力の魔人は、キッチンのシンクに置かれていた鍋の素にヨシヨシと頷く。「コベニちゃん様々だね」とナマエに言った。するとナマエは困ったような顔になって、「コベニさんに悪い事しちゃったんだ」と暴力の魔人に言う。
「悪い事って?」
暴力の魔人が手を止めてナマエを見る。ナマエは喫茶店での出来事をかいつまんで彼に話した。暴力の魔人は最初神妙な様子で聞いていたが、段々と声を上げて笑いだした。

「笑わないでくれよ……」
「いや、笑うって。まー起こっちゃったことは仕方ないじゃん! ドンマイ!」
暴力の魔人がナマエの背中をばしばしと叩く。呻きながらも、ナマエはまだ未練のある様子で眉を下げていた。
「なにより後輩の子に気遣わせちゃったのがほんと、申し訳なくてさ……」
「ナマエくんよりも酷い態度の人っているけどな。デビルハンターでも魔人でもさ」

 そうかな、とナマエが言った。そうそう、と宥めて、暴力の魔人は廊下の奥の部屋へ袋を置きにいった。ナマエが気を取り直して土鍋を出していた時、彼は戻ってきて「胡麻ダレある?」と尋ねた。
「そこの棚」
 ナマエが指さしたシンクの下の引き戸を暴力の魔人が開ける。
「あ、お好み焼き粉だ! え、粉物多くない?」
「ん? ああ……いつかやろうと思ってたんだよ」
「そうなんだ。……これはメープルシロップだし………胡麻ダレ埋もれてるなあ……」
中身を発掘しながら、「こんなにあるならお好み焼きパーティでもやりゃよかったな〜」と暴力の魔人が言った。その声にナマエは苦笑した。
「じゃあ、いつかやろうよ」
「いいね!」
暴力の魔人はナマエの手に、チョコスプレーの袋を受け渡した。ナマエはそれを見て、鍋には入れないから戻すよう彼に言った。

 果たして、闇鍋は決行された。部屋の照明を消し、買った物を知っている暴力の魔人の代わりにナマエが具材を入れていった。袋を開けたりラップを破ったりとしたが、肝心の具材には触れないようにしたので固形か液体かの違いも分からない。とろとろとした鍋の中身はよく見えず、だが明らかに人工的な形状のシルエットが見え隠れする。
「暴力さん……」
「イヤイヤ、闇鍋よこれ。これで正解なんだって」
「全部食べ物なんだよね?」
「溶けなきゃ大丈夫」
「何が?」
 暗がりの中でも暴力の魔人はよく見えた。彼のマスクが火で反射するためだ。彼にナマエがお玉を受け渡すと、ご機嫌に鍋を掻き回し始めたので黒魔術のような様相になった。奇妙な臭気が部屋に漂い始めた。
鍋が煮えた。二人は早速それを椀に取って食べ始めた。

「意外といける」
「いやまずいよ」
「ホント? 交換しようか」
ナマエの椀を取った暴力の魔人は、中身を掬って口に運ぶと黙って手で押さえた。ナマエは反対に、「おお、いけるいける」と驚いた様子で言った。
「ちょ、ナマエくん俺のやつ返して」
「えー」
「これほんとまずいよ! ほんと……まずい」

 二杯目はどちらもしばらく黙っていた。暴力の魔人は何度か咽せていた。
「闇の悪魔はなんで強いと思う?」
「僕たちのおかげかな」
ここで汁は飲まなくてもいいというルールが生まれた。あまりにも酷い味だったからだ。ナマエがもうよそうと暴力の魔人に提案したが、彼は歯切れ悪そうに「あと一杯だけ……」と言った。

「なんでだよ」
「なんでも」

 三杯目が取られた。
汁を飲まなくてよくなり、多少楽になった。とはいえあまり良い鍋でないことは変わらない。
なにを食べてもほぼ同じだろうが、探るように椀の中を漁る暴力の魔人にナマエは首を傾げる。不思議に思いながらも彼は何らかの固体を自身の椀から引き上げて口に含んでいった。
何口目かのとき、滑らかな甘さが通っていって、何かが舌を引っ掻いた。
明らかな異物感に、骨でもあったのかとナマエは口に手を入れて、それを取り出す。暗がりで見えないそれを、何度か鍋の火に近づけてかざして見た。幼児のおしゃぶりにも似た滑らかな形状のそれ──「ゆびわ」とナマエは呟いた。すると暴力の魔人が椀を漁っていた箸を止めて、

「それアタリだよ! オメデト!」
と言った。
ナマエは固まった。
但し、暴力の魔人はそれに気づかなかった。

「良かった良かった! や、こういうのが醍醐味っていうか、俺に当たったら黙ってようと思ったんだけど」
「……」
「やっぱそれだとつまんないしね。そっちに当たってよかったよ〜。ナマエくんが驚く顔も見たかったしさ!」
「……」
「四杯目は流石に食べてくれなかっただろうし、ラッキー。でも流石に飴部分は溶けちゃったかな……どうなってる?」
「……」
「ナマエくん? どした?」

 一向に返事のないナマエを、暴力の魔人が不思議そうに見た。
ナマエもまた、暴力の魔人を見ていた。彼自身、どうしてこうなったのか分かっていなかった。何か言おうとして、口がぱくぱくと動く。けれども音にはなっていない。代わりに、彼の背筋に冷たいものが走っていった。
想定していたのと全く違う反応を見せる友人に呆気にとられて、それでも暴力の魔人は、大丈夫か、と彼に尋ねた。ナマエは首を横に振った。悪い考えを打ち切るように、弱々しい動作だった。

「やめてくれよ」そんな言葉が、彼から出た。
「へ、もしかして怒っ──」
「こんなこと無駄なのに」

 暴力の魔人の言葉を遮って言ってしまってから、ナマエはみるみる顔を青ざめさせて、椀の中に指輪を落とした。彼はそのまま、両手で自身の顔を覆った。
「……人間に戻りたい……」
暴力の魔人は驚いたようにマスクの中の目を瞬かせて、ゆっくりと口を開く。
「俺ら、人間じゃないけど……」
「人間だったろ……」
「え、いや……まあ、その、そうとも言えるけど。俺はそんなに覚えてないんだって。知ってるだろ?」
「僕は前の暴力さんを知ってる」
「前の俺って……それ悪魔の俺のこと? この体のこと?」
「どっちも」
 暴力の魔人は口を噤んだ。ナマエは言葉を続けない。二人は友人なのだが、暴力の魔人は初めてナマエのこんな様子を見たので驚いていた。それで、少しまずいような感じもした。せめて会話の糸口を探そうと暴力の魔人は先程までの会話を思い返す。
“人間に戻りたい” とナマエは言った。魔人が人間に戻りたいとは奇妙なことだ。魔人は人間の死体からしか生まれない。

「えっと……じゃあさ! ナマエくんは人間になったらどうすんの?」
「……葬式、ちゃんと出たい」
「葬式? 誰の?」
「みんなの」

 二人の間に、再び沈黙が訪れた。鍋の湯気が部屋を覆っていた。
暴力の魔人はみんなって誰だと自分の記憶を一通りさらってみたが、過去の死人が多すぎて分からない。友達ではあるけれどナマエの他の友人関係についてはよく知らないので彼は困ってしまった。その間にも空気はどんどん重苦しくなっていって、何か聞き出そうと暗がりのナマエを見たとき、暴力の魔人はギョッとした。
彼の顔を覆う手指の隙間から、鍋の火に反射し、きらめいて落ちていくものが見えたからだ。

「出たい……出たいよう……」
「え、ガチ泣き!?」

 がばりと暴力の魔人が立ち上がって、どこかへと歩いていった。パチ、と軽い音のすぐ後、暗かった部屋が明るくなる。照明のスイッチに手をかけた暴力の魔人が、「マジじゃん!」と声を上げた。
「え、え、うわーっ泣かないで〜……ナマエくん、ホントどうしちゃったんだよ?」
彼はすぐさまナマエの側に寄って、おろおろとした様子で慰めた。
「まだ酒入れてないよな。なにか嫌なことあった? コベニちゃんとのこと? 俺のサプライズのせい? 誰かに苛められた?」
 ナマエはどの理由にも首を横に振った。そのまま机に突っ伏して、引き攣った嗚咽が二度三度聞こえたかと思うと、彼はとうとう大声を上げて泣き始めてしまった。暴力の魔人はますます驚いた。どうにか宥めようと彼はナマエの背中をさする。効果はなかった。暴力の魔人は困り果ててしまった。
「こんなつもりじゃなかったんだけどな……ナマエくん、泣かないで……」
その間にもナマエは、何かの人名やら固有名詞やら言葉やらを、絶えず吐き続けている。
 幸いにも、暴力の魔人はそれなりに忍耐があった。ナマエを慰めることを投げ出さずに、きっと疲れてるんだな、と暴力の魔人は思った。魔人って人間みたいにノイローゼになったりするのかな? とも、彼は考えていた。
放置された鍋が少しずつ煮詰まり始めた。二人の魔人は今は他のことに精一杯で、気づく余裕もない。

「困ったなあ……」

 しかしいよいよ煙が上がれば、ナマエは泣き止んで、それを消すために起き上がるだろう。


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