おまえはほんとにバカな子ね


 ミョウジナマエ、で、おれが呼ぶのは下の名前。なのでナマエちゃん。昔からの友達だ。
 ナマエちゃんはちょっと頭が弱い子なので、「それって、なんのこと?」とよく言う。無責任やなあって言うと、「空、綺麗だなあ」とぼんやりしたふりをする。酷い友達だ。
 おれがたまにライブ前に会いにいくと、大抵ナマエちゃんは教室にいなくて、おれはあんまり話したこともない普通科の人と話さなきゃいけないので、気が重くなる。ナマエちゃんは色んなとこにいて、屋上、庭園、裏庭──、昼休みまでに見つけられるかも分からない、そういうところにぽつんと立っている。
嫌がらせやろって言うと、「なんで?」ときょとんとしている。ほんとうに酷い。だって、毎回なんやでって言うと、「へー、みかって強運なんだなあ」とよく分からないことを言った。
 または、おれのいるアイドル科の方に許可証までもらってわざわざ出向き、噴水前でびしょ濡れになっていた時はさすがに少し腹が立った。深海先輩が「いいこにしていましたよ」ってぽやぽや言うのを聞いて、そりゃナマエちゃんはいい子やけど、それでも話は別なんや! って怒った。ナマエちゃんは「なんで知ってんの」と悪びれもせず言って、シャツの裾を絞っていた。
 それでおれはようやくライブの話ができる。濡れた手をハンカチで拭かせてチケットを渡す。
ナマエちゃんがにこにこしてお礼を言ったら、おれの仕事は終わり。──とても、疲れる。

「みか、ライブ、応援してんね」

 ただ、そういう苦労をしてまで会えたナマエちゃんがそう言っておれに笑いかけると、不安を全部預けたような気持ちになる。ナマエちゃんはぼんやりしているけれど、そういうところは、本当に分かってるみたいだった。



 俺は人よりちょっとバカらしい。幼なじみのみかがそういったことを濁すと、みかの先輩が「どこからどう見ても歯車が噛み合っていない欠陥品なのだよ」と言って、みかが「お師さーん!」と慌てていた。

「ミョウジくん、Valkyrieの影片くんと友達なんだね」

 クラスの女の子に言われて、「ヴァルキュリィ?」と聞き返すと変な顔をされた。「いつもうちのクラスにくるでしょ」「そうかな」「……えっと、どういう関係?」「なにが?」「影片くんと」「みかは友達」ここまで話して、女の子は困ったように笑った。「なんかごめんね」なんで? ともう一回聞き返す。女の子は首を横に振って行ってしまった。
 そういえばみかってアイドル科にいるんだっけ。そう思って、教室を出た。
「もうすぐ授業始まんぞー」
「あー、言っても無駄だよ。あいつ、自由人だから」
 アイドル科は──許可証がないと入れないや。みかは元気かなあ。

 庭が広いと、俺はすぐそわそわする。花があって、テーブルがある。広いグラウンドに、たくさん人がいる。アイドル科はいつも何をしているんだろう、って感じだ。アイドルって歌うものだと思っていたけど、今のところそんな人は見なかった。
「おや、みかけないひとですねー」
 庭にあった、噴水の中に、人がいた。俺がそれを見ていると、その人が俺を見てそう言った。後ろを振り向く。
「ふふふ、あなた、どこのひとですか?」
「俺?」
「はい。ふつうか、のひとですか、それとも、ふぁん、のひと?」
「たぶん、“ふつうか”」
「そうですか。あなたはどうしてここにきたんですか?」
「みかが、アイドル科にいるから。会いにきたんだ」
 そうなんですね、とその人は笑って、噴水に浸かっていた。

「君は泳いでるの?」
「はい。でもこれはどちらかというなら“みずあび”ですね。ぷかぷか、きもちいいですよ。あなたも“みずあび”、やりますか?」
「俺が?」

 うーん、と少し考えて俺は足を水に浸けた。ばちゃばちゃと水を跳ねさせると、「なんだか、まぐろみたいですね」と人がいう。「なにが?」聞き返すと、「あなたです。いま、あしをばたばたさせているでしょう? まぐろも、そんなふうにおよぎます。だからですよ」俺はマグロみたいなのか。そう考えながら、腰までじゃぼんと水に浸かった。人は、「ふたりであそぶと、たのしいですね?」と尋ねてきたので、うんと頷いた。遊びっていうのは、大抵楽しくて面白いものだ。

「あーっ、なんでナマエちゃん、そんなことしとんの!?」

 噴水でしばらくばちゃばちゃとやっていると、後ろで大声が聞こえた。振り向くとみかが走ってきている。
「教室にもいなかった! 屋上も! ナマエちゃん、アイドル科におったんや!」
「なんで知ってんの」
「今知ったわアホー! ああもう、こんなべちゃべちゃで……」
「みか、どこも濡れてないけど」
「そうやな! あんな、濡れてんのはナマエちゃんやで!」
 みかが俺の両脇に手を差し込んでざばーっと引き上げたので、こちらを見上げる人が不思議そうに首を傾げた。
「ナマエちゃんおかしいわあ……なんでこっち来たん?」
「みかはアイドルだろ。アイドル科にいるかなと思って」
「え、おれに会いにきたん?」
「うん」みかはちょっと嬉しそうだったけど、また怒ったような顔に戻った。
「……でも噴水で遊んどったんやな?」
「うん。楽しかったな」
「なんで! なんでおれに会いにこんの!?」
「見つけられなかった、ごめん」
「人に聞いたらええやん。おれはいつもそうしとるで? ナマエちゃん、ずるいなあ」
 みかは機嫌が悪そうで、俺のせいかなあと思う。でも怒ってる理由までは、分からない。

「あのう」
「え、なんや……えっと、深海先輩?」
「はい。あなたが、“みか”ですか?」
「そうやけど……」
「そのこは、きみにあいにきたっていっていました。いいこに、していましたよ。ぼくが、ひきとめてしまったんです、だから、そんなにおこらないであげてください」
「……そうなん? ナマエちゃん?」
「うん」
 みかは変な顔で、「なら、そう言ったらよかったんやで」と言った。「みかに会いにきたって、言ったよ」みかはうーん、と唸った。

「もうええよ。おれもちょっとキツいこと言ったわ。堪忍な」
「うん」
「えっと、そんでな、ナマエちゃん。おれな、来週ライブあんねん。チケット渡すから、来てくれると嬉しいなあ思って」
 みかが制服のポケットからチケットを取り出す。差し出されたので、受け取ろうとすると、「待って!」と言われてハンカチを握らされた。「チケット濡れると困るから、ナマエちゃん手ェ拭いてえ」分かった、と言って手を拭いた。
「よし。じゃあ、チケット渡しとくな」
「うん、ありがと」
「おれ、ちょっと緊張してんねん……ナマエちゃん、よかったら応援してくれると嬉しいなあ」
「うん」
「あ! でも叫ぶのはあかんで! 前のライブの時、お師さんカンカンやったもん。出禁になってしまうわ」
「叫ぶのは、ダメ。応援は?」
「応援は大声を出さずにするんや」
 ふうん、分かった。俺が言うとみかはにこにこと笑った。よかったですねー、と噴水の人が言っている。

「みか、ライブ、応援してんね」

 俺がそう言うと、みかは「嬉しいなあ」と、喜んでくれたみたいだった。よかった。
俺はバカだから、よくそのせいで(でも、その理由までは教えてもらえないことが多い。)怒られる。でもみかはすぐにこにこするので、あんまり恐くない。


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