宙ぶらりん


 主が甘くて困る。──というようなことを岩融が今剣にこぼした時、今剣は大福を頬張りながら、「でも、それはとってもすてきなことじゃありませんか!」と声を上げた。岩融はうむ、と頷いた後に、ただなあ、と頭を掻く。
「あれは……なんというか、恐ろしいな。俺が言うのもなんだが、主はその、──母のようだ」
 今剣が頬についた粉を払いながら目を丸くする。「はあ」今剣という刀は主がどんな人であろうと、子供のように甘えられる刀であったので、岩融の言う意味がよく分からなかった。強いて言うなら、やはり岩融は刀だ。彼に兄弟刀という名目での繋がりはあれど、肉親はいない。また彼は僧侶のような見目であったから、母という言葉に少しの違和感を覚えた。
「よいではないですか! せっかくひとのようなすがたになったのですから、いわとおしもこころゆくまであるじさまにあまえればよいのです」
「うん? いや、俺も刀としてそのままであれば、そうしたろうが……」
「と、いうと?」今剣が怪訝な目を向ける。
「俺は主を心から好いている。今更、幼子のように甘えるのはとてもできん」
 照れくさそうに岩融が笑みを浮かべると、今剣は驚いた顔で「へえ! いわとおしがですか! それはそれは……」と声を上げた。それから彼はすぐに笑みを浮かべて言う。「しかしですね、だからこそあまえるべきだと、ぼくはおもいますけど」
 なぜだ、と岩融が問う。今剣がえへん、と仰々しく咳払いをしてから口を開いた。

「ぼくは、このまえてれびでみましたからね! にんげんは、ぼせいがくすぐられるにんげんをすきになるといいます。つまり、げんせのにんげんというのはあまえてもらうのが、すきなんです!」

 今剣は胸を張ってそう答えた。あまりにも堂々とした同胞の姿に、今剣よ、と岩融が眉間を押さえる。しかし今剣は気に留めることなく、にこにこと笑って二つ目の大福に手を伸ばした。



 ナマエは筋肉痛の残る足を引きずりながら、そろそろと寝床に向かう。最近、近侍の様子がおかしい。足の痛みもそこに理由があった。近侍というのは、岩融のことだ。
随分経ってからようやく彼に対する敬意を持ち直し、なるべくべたべたとしないよう接してきた(岩融も、それには喜んでいるように見えた)。が、ここ一週間ほど岩融の方から、ナマエに甘えるような素振りを見せる。おおよそ勘違いでなければ、ついさきほどまで岩融はナマエの膝に頭を乗せて、満足そうに笑みを浮かべていた。

 鍛刀をして顕現した当初はその大きな体躯と、舐めるようなしっとりとした目線になるほど、これが薙刀なのだなとナマエはぼんやり思った。しかしその第一印象に反し、岩融という刀はあまりにも人として未熟で──そして、無邪気な、いうならば自我のまだ目覚めない子供を見ているような、そんな気分にさせられる刀だった。

 初めて岩融を合戦場に出した日、彼は中傷を負って帰還した。彼と共に出陣した石切丸によれば、始終、岩融は薙刀を握る手つきがおぼつかなかったそうだ。
箒で掃くような軽やかな腕裁きにその刃を受ける敵は多いものの、殆どが皮一枚といった様子でひどく苦戦したという。ナマエはその報告を聞いて、岩融はたくさんの敵を傷つけられるが、慣れないうちはそれが定まらないものなのだと悟った。
「でも、練度を上げればじきに一薙ぎで多くの敵を狩るようになるだろうね」そう言った石切丸は、それからふと思い出したように言葉を続けた。「彼は、自分より強い敵がまだ多くいるのだといたく驚いて、それに悦びを感じていたようだから」
 ナマエはその時、そうかと苦笑した。元の形は言うに及ばず、だが、人の身になればそれを持つに相応しい姿になるのだ。なにも子供なのは短刀だけではない。そして彼らもその姿に関係なく強い心を持つように、岩融が大男であれど、それが中身と釣り合うような動きを見せるとは限らない。そういえば、彼はまだ顕現して一週間も経っていない。
 当たり前だな、とナマエは思った。その後岩融の手入れをしてやって、ぼんやりと考え事をしていた。
「主は小さいが……俺の世話をする。いやはや人の世はまだまだ分からんものだな」
 岩融がそう感慨深げに呟いた時、彼はあることに気づいた──つまり、一種の庇護欲が芽生えたということだ。
 握った岩融の手は柔らかく、ナマエのそれのほうが、皮膚も硬く強ばっていた。


「なあ、岩融……お前、最近おかしくないか?」

 ナマエがそう尋ねた時、岩融はぼんやりと部屋の外を見ていた。「おかしいだと?」岩融が視線をちらと寄越す。ナマエは戦況を書き留めていた手を止め、彼へと向き直った。「なんというか、子供っぽい」岩融が小首を傾げて笑った。「確かにそうだな!」彼はそう答え、「あいにく人の心は未だ分からんのだ、だが、主が嫌というならやめよう!」それから少し寂しげに微笑んだ。
「いやいや、そうじゃない! ただ、お前らしくなかったからな」
「ここ最近の俺は、ずいぶんそれらしくなったと思うぞ」
「あ、そうなの」
「そうだ。最近は調子が良い。敵も随分と狩れるようになっただろう」
「確かに」
 ナマエは立ち上がり、岩融の傍まで寄っていった。彼の隣に腰を下ろし、大きく伸びをする。
「いつもありがとう」
「? なぜ礼を言うのだ」
「……いや、岩融と話してて思った。初めて会った時もそうだったが、頼もしいよ」
 ナマエはいたずらっぽく笑い、意を決したように口を開いた。「俺はずっと失礼なことばっかり考えてたからな!」
「失礼とは、どういうことだ?」
「悪かったよ。なんとなく、岩融は子供みたいな印象だったんだ、ずっとね」
「何ッ」
 ばつが悪そうに目を伏せたナマエに、岩融がその両肩を強く掴む。いてて、と呻かれてあいすまんと力を緩めたが、それでも彼は自身の主に対して顔をめいっぱい近づけた。

「道理で……! 主、言っておくが、俺は主に対して母のような情を抱きたくない!」
「えっ」
「そう、もっと俺は、人らしくありたいのだ!」
「なに、なに、どういうこと?」

 目を白黒とさせる自身の主に分からせまいと、岩融はきっぱりと告げる。「その甘さは子としてではなく、男として受けさせてもらおうか!」
男として。ナマエは頭の中でそれを反芻し、遠からず、岩融の言いたいことを察した。しかし彼はそれでも人の身として岩融が未熟だったことを引き合いに出し、素直には受け取らない。
 少し困ったように笑みを浮かべながら、なんとなしに、岩融の背を撫でた。

「お前の気持ちは十分に分かったよ」
「主……!」
「つまり、そうだな……大人らしく扱えと! そういうことだな!」
「んん?」
「確かに俺もダメだった。お前の気持ちを分かってやれなくてごめん、忘れないようにしよう」
「何ッ……あ、主! そうでなくてだな!」
「大丈夫だ!」

 何がだ! そう言いたい気持ちを抑え、岩融は今は見ない同胞の顔を思い浮かべた。


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