冷静沈着の反対は
あの日の出来事が忘れられない。一週間前のあの日。修学旅行の最終日。私はクラスの学級委員長である練白龍くんに告白をされた。同じ中学校というわけでもない、今まであまり話をしたこともない、部活も違う、もちろん委員会も違う、もう何がどうなってそうなったのか私にはいまいち、というか全然全く意味が分からない。私は昔から色恋沙汰に疎いのである。そして、なんとも驚くべきことに、あの広場は学年の集合場所からほんのちょっとしか離れていなかったようで、目撃者がめっちゃいた。帰りの新幹線の中では「二人で何やってたの?」と会話の内容までは聞かれていなかったことに安堵するも、帰宅して翌日の朝、メールを開いたら「付き合ってるの?」「手繋いでたよね!?」と事の真偽を問う質問が数件届いていたり、皆はそんなに他人の恋愛事情が気になるものなのか、と別段特に気にしていなかった私は砂糖をぶちまけた珈琲のようにぬるく甘かった。その後、何食わぬ顔で登校すれば、顔も名前も知らない割と可愛い後輩の女の子に「白龍先輩と付き合ってるって本当ですか?」と人生で初めて (しかも同性に) 下駄箱で待ち伏せされた。これにはもう本当に心臓が飛び出るかと思った。代わりに肺を出した。それくらい驚いて、私はようやく事の重大さに気付かされた。

そういえば、白龍くんってものすごくモテるんだっけ。モテモテなんだっけ。なにしろ次期生徒会長の最有力候補なのだから校内で知名度が高いのも頷けるけれども、いくらなんでもそれだけでこんな風に今をときめく芸能人みたいな存在になるだろうか?……というのは世間知らずである私のとんだ思い違いで。彼は、練白龍くんは凄い人なのである。これではあまり凄さが伝わらないが、つまりどのくらい凄いのかというと、彼は入学時そこら辺にいた暇そうな男子をかき集め槍道部を新たに設立し、そしてたったの一年足らずで全国クラスの大会に出場するまでに成長させてしまった。……根っからの武道の達人なのである。そういえばあの時握った手は大きくてしっかりしていて、男の子らしかった。そうそう、ちなみに程度は知らないが勉強も出来るらしい。定期試験のクラス平均はきっと彼のせいで上げられているのだろう。話が逸れた。とにかく、そんな漫画みたいな武勇伝を持つ練白龍くんと、その他数名の“たまたま声をかけられて無経験のまま全国クラスの大会へ出場を果たした”槍道部部員は、これまた少女漫画のように女の子たちに人気だった。
私のような人間はやっぱり異性との戯れは得意ではないから、今までもこれからも彼らのようなthe男子高校生と知り合うことはないと思っていたけれど(そもそも一年生のときクラスに槍道部がいなかったため私は彼らの存在を知らなかった)、二年生に進級して、たまたま彼と同じクラスになり、たまたま修学旅行の行動班が同じになり、そして今に至る。いや、分からない。白龍くんは果たして一体全体、何の取り柄もない私のどこに目をつけたのだ。

「あ、あの」

私はあの時返事をしなかった。ではなくて、動転しすぎて返事ができなかった。白龍くんは金魚のように口をぱくぱくぱくぱく開閉させる私を見て何を思ったのか瞳を一周ぐるりと回転させたあと、特に気にしない様子で「返事はいつでも結構です」なんて言ったものだから、その時の私はああじゃあもう白龍くんと話すの緊張してしまうからいっそのこと返事しなくていいかな、墓まで持っていってもいいかな、なんて悪びれもせずに思ってしまったくらいだ。しかし寝て起きてを数回繰り返して、ふと気がついた。こうやって棚上げにして彼の告白を無かったことにしてしまうのは、流石に人としてマズイのでは、と。自分は自分が思っているより罪悪感に勝てない人間だったらしい。ということで返事をすることにした。できれば真正面から顔を合わせるのは避けたかったが、しかし私は顔を合わせない方法で白龍くんに連絡する術を持ち合わせていなかった。なので、仕方なく人生で一番の勇気を振り絞って、放課後のホームルームが終わった後に、白龍くんが取り巻きに巻かれてしまう前に彼の席へと直行した。

「分かりました」

白龍くんは言葉通り、私の表情だけを見て察したようだった。既にクラスのあちらこちらから注目されていることを思案してか、たったそれだけを口にして、先程配られたプリントの端にたった一言“中庭へ”と走り書きした。字がとても綺麗だった。じゃなくて、思わぬところにまで気遣ってくれる彼は実は優しい性格をしているのだろう。もともと私は注目されるのも苦手なのに、「中庭へ来てください」なんて大きな声で言われたらもうたまったもんじゃない。私ならその時点で逃げ出している。逆に言えば彼は既にそのくらい私のことを分析しているということ?怖。まあなんでもいいや。私は白龍くんの指示を頭の中で復唱し、小さく頷くと早々にその場を離れた。



景色は割と綺麗なのに階段の昇り降りがダルいせいで意外と人の来ない可哀想な中庭の古ぼけたベンチに腰を下ろした私。二人きりになるのにはなんとも都合のいい静けさであるが、全く同じ理由で都合が悪い静けさとも言える。まあ今更そういうことも言っていられないだろう。さて、読書をしながら白龍くんを待とうかと一頁目を開いたら、一行目を読み終わらないうちに彼は現れた。早。慌てて立ち上がって足音が聞こえた方を振り返ると、白龍くんは制服ではなく全身紺色の道着に身を包んでいた。ああ、まさにこれこそが彼の別の顔であり、本質であるのだろうか。普段見る白龍くんとはどこか雰囲気が違っていて、少しだけ反応が遅れてしまった。そういえば部活はどうしたのだろうか?と世間話程度に聞いてみると、「指示だけ出して抜けてきました。お気になさらず」と簡潔に答えた。そうか、部の創立者なのだから白龍くんは部長なのか、と一人納得。しかしそれならば、なおさら時間をかけるわけにはいかない。私は早速本題を切り出した。

「白龍くんみたいな人は回りくどいときっと面倒だろうから、結論から先に言うね」
「はい、分かりました」

私は今まで告白をしたこともされたこともなかった。人前に出るのが苦手、そして人に注目されるのが苦手なのは、単に私が恥ずかしがり屋だからという理由なのだけれど、だからこそこんなシチュエーションなんて想像もしなかったし、しかもまさか相手がモテ男くんだなんて、なるほど人生とは未知数であるとしみじみ思い知らされた。けれど、私は今堂々としていた。どういうわけか、俯くこともせず目を逸らしもせず白龍くんの眼鏡越しのオッドアイを見ることができていた。それが何故なのかはさておいて、私はこういうときは意外とはっきり物申すことができるんだな、と感動するくらい、すっきりした気持ちでいた。

「気持ちは嬉しいんだけど、私はそれに答えられない。きっと応えられないと思う」

私は、今の正直な気持ちを告白した。

「白龍くんがどういう心境をもって、どういう思惑をもって、私に告白してくれたのかは私には分からないけれど……それに対して私はどう反応してどう対応すればいいのか、その術を持っていないから、答えられないよ」

少しの静寂。

「回りくどい言い方ですね」

うるさいよ。

「それは単純に、断る、ということですか」
「どちらかといえばそうなる、と思う」
「……。そうですか」

理由はない。断る理由はなかった。が、同時に受け入れる理由もなかった。否、私は彼ほどの人格者からの告白を受け入れられる理由などは持ち合わせていなかった。あれからしばらく考えて、これ以上ないくらい色々考えて、そして悩んで出した答えがこれである。私に何も無くてごめんなさい。何も無い私でごめんなさい。白龍くんは、少しの間を置いて頷いた。

「分かりました。諦めます」
「……?」

諦めます?一瞬だけ何のことを言っているのか分からず首を傾げてしまった。もしかしなくても私のことだろうか、と自意識過剰にもそう思い当たり、いや私のどこに諦める要素があるというのだろうか、逆に聞きたい。そもそも私には人に求められる要素なんてないのだから。

「“何の努力もせずに”、赤琉さんのことを諦めるのは、諦めます」
「……ん?」
「分かりませんか? 俺は認めないと言ったんですよ。認めません。何も知らぬまま俺を拒絶するのは、断固として認めません」

白龍くんは先程から少しも表情を変えずに言った。思わぬ返事に、つい呆気に取られる。まさかこう切り返してくるとは、さ、流石、武道家を連想させる、よく鍛えられた強靭な精神力である。この場合、悪く言えば諦めが悪いということなのだけれど。白龍くんは私に一歩近づいてきた。私はそれに反射的に一歩後ずさる。それから次に、まばたきをする間もなく「いいですか?」と凄まれる。怖、い。

「俺はあなたを諦めません。あなたが俺を、そして己を、しっかりと認めてくださるまで決してあなたを諦めません」
「は、はあ、……」
「嫌ならば本気で抵抗してください。本当に嫌だと思うのならば、全力で拒絶してください」

でなければ、あなたに俺を受け入れる隙があるのだと見なします。白龍くんは続けてそんなことを言っているみたいだけど、最後の方は頭が混乱しすぎてちょっと何を言っているのか理解できなかった。いつの間にかやわりと握られていた手を振り払うこともできず、ただ白龍くんを見つめていることしかできない。一体今の数分間で何回瞬きをしただろうか?そろそろ今の展開に追いつけなくなってきた。

「単刀直入にあなたが欲しいと言うのでは言葉足らずですし、なんだか俺が変態みたいなので言い方を変えましょう」
「あ、うん、」
「俺は今、あなたの返事を素直に受け入れられるほど冷静ではありません。ただし、あなたに対する熱は決して冷めることはないでしょう。あなたは何もしなくていい。俺はこれからあなたを振り向かせるために、最大限の努力をします。あなたは俺を見ているだけでいい。まあ、強いて言うならば、覚悟はしておいた方が身のためですよ」
「……」

白龍くんって、こんなに積極的な人だったっけかな。と思った。確かにクラスの話し合いや揉め事は先導してまとめていたけれど、こんな風に言葉を捲し立てて攻め立てるような白龍くんは今まで見たことがなかった。冷静沈着。周囲を顧みず。ただ真摯に物事に打ち込む。そんな印象とはまるで正反対で。まさに情熱的。その瞳に宿す確固たる信念が、今の白龍くんを動かしている。その原動力が私だということはちょっと今は考えてはいけないけれど、私は、この白龍くんの見たこともない側面に、密かに、だんだんと、興味が湧いて出た。


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