よし作ろう
「あ、赤琉おねえさーん!」

移動教室の合間、授業で使う教材を腕に抱えて廊下を歩いていると、大きな声で自分の名前を呼ばれたことに内心ビビりながら振り返った。青空のように透き通った青髪を揺らしながらやって来た彼は、全速力とは言わないまでも一生懸命走ってきた様子で、少し息切れしながら私の真横をびゅーんと通り過ぎっていった。かと思ったら、すぐに後退して、ぴったりと隣に並んだ。

「赤琉お姉さん!今日、一緒に帰ろうよ!」
「……」
「あれ?聞こえてるかい?おねーさーん」

彼は……中等部の生徒じゃなかったかな。子供らしく人懐っこい性格のくせして私より背が高いから年齢詐称くんとひそかにあだ名を付けている彼は、確かに中等部三年生に所属する生徒で間違いないはず。実は中高一貫であるこの学校に、私は高校から編入してきたから仕組みはよく分かっていないけれど、中等部の生徒が高等部の校舎に入ってきていいんだったっけ?そのことに対して疑問に思っていた私が黙りこくったのを、彼は気にせず負けじと声をかけてきた。

「噂がね、僕の教室まで広まっててさ。なんでも高等部の白龍くんっていうかっこよくて有名な人に好きな子がいるって……クラスの女の子たちが毎日騒いでいるのさ!」
「……」
「たしかに白龍くんはかっこよくてお料理も得意で部活でも活躍しててモテモテだけれど、それがまさか君のことだって分かったら僕いても立ってもいられなくって……」
「……」
「だって赤琉お姉さんと付き合うのは僕だもんね!いつ言おうか迷ってたけど、僕ね、お姉さんのこと好きなんだ。今日の帰りにでも返事聞かせてね。校門で待ってるから」

まるで周囲の人が目に入っていないかのようにそんなことを大声でまくし立てるから、つい立ち止まった。あの、今なんて言いましたか?ていうか今何か言いましたか?と真顔で聞きたくなるほど、何が起こったのか理解できない。これ以上なく混乱している。混沌と入り乱れている。最近はなんだかこんなことがよく起こるなあ、そういうお年頃なのかなあ、なんて少しずれた方向に思考を持っていこうとするも、私の瞳を真っ直ぐ見つめてくる彼はどこかキラキラしていて、なんとなく目が離せなかった (驚愕して目が離せなかった) 。彼はよく見ても見なくても私が苦手とするthe男子中学生の部類だった。……そんなことは分かりきっていることだけど。

「そういうことで、僕もう戻らなきゃ!」
「……あの、」
「ばいばーい!また放課後ね!」

あっという間に消えてしまった。嵐というか、ドッグランを駆け抜けるわんちゃんのようだった。髪、いつにも増して綺麗だったなあとか、目がぱっちりおめめで可愛かったなあとか、思ったり思わなかったり、たった今マシンガンのように言われた不可思議な言葉の数々に首を傾げながらも目的地に足を向けると、その時さらなる深刻な事態に気付いてしまった。

「……」
「は、白龍くん。おはよ……」

と、朝でもないのについおはようと声をかけてしまうくらいの動揺。一体いつから、なんて聞かなくても、始めから聞いていたのだろうどうせ。何しろあんなに大きな声だったのだから、むしろ聞こえていなかった方が耳大丈夫ですかということになる。いや、今はそれよりも。廊下の中央で、しっかりと見届けましたと言わんばかりの白龍くんが、朝でもないのに「おはようございます」なんて軽く頭を下げながらニコリと笑っている。笑っている。微笑んでいる。(白龍くんは滅多に笑わない。過去に私が見たことがあるのはクラスの話し合いとかで明らかにサボっていた男子生徒を注意するときなど割とよろしくない状況がほとんどである(先日お弁当を分けてもらったときは普通に純粋な笑顔に見えた(彼のあんな純粋な笑顔を見たのはあの一度きりである)))
白龍くんのそんな反応に戸惑っていると、白龍くんは案外気にしない様子で、気にさせない様子で歩き出した。

「本令、鳴ってしまいますよ。早く調理室へ行きましょう」
「あ、うん……そうだね」

なんだかとてもやばそうな雰囲気なのだが、何がやばいのか説明出来ないくらい、白龍くんはやばかった。



調理実習とか、むしろ学校の授業で一番楽しみな一大イベントだと思う。料理をするのは得意ではないが、美味しいものを食べるのは得意なのだ。座席表で示された班で別れてテーブルに座り、今日作る『ドライカレー』の説明を受ける。ドライカレーなんて私、めちゃくちゃ大好き。カレーも大好きだし、カレーパンも大好きカレーうどんももちろん大好きドライカレーとかナイスセンスかよ先生最高。マジ万時。年に数度とない調理実習で、既にテンションが迷子だ。決してさっきのあれが原因ではない。

「同じ班ですね」
「ひっ」

突然背後から話しかけられた。

「ああ、すみません、驚かせるつもりはありませんでした。……その顔、かわいいですね」
「……かっ」
「なんですか?」
「なんでもありません」

どうやら各班には出席番号がランダムに配属されていて、偶然にも私と白龍くんは同じ班になっていたようだ。さっき座席表を見たときはそんなことなかったような気がするのだが、まあ細かいことは気にしない方がいい。今日は家庭科の温厚なT先生から、男女三人ずつの計六人班で『オリジナルのドライカレー』を作れとのお達しが出た。「ジャワカレーならぬアワーカレー(our curry)」と楽しそうに言っていた。よし作ろう。

「って言っても、カレーならまだしも、ドライカレーなんてここ百年くらい作ったことないんだけれど」

なんて、まさかあまり話したことがない子たちにツッコミを期待するわけにもいかず、ひたすら端の方で自らの存在を抹消していたのに、白龍くんはそれでもいち早く私に気がついた。

「赤琉さん?」
「えっ?、あ、いや……お、お気になさらず」

私は決してコミュ障ではない。

「ドライカレーなんて私、作れないし……」
「心配ありませんよ。俺がいますから」

さっそく使い物にならない私と自信満々の白龍くん。ああそっか、白龍くんの玉子焼きは神への奉納品なのだった。それに同じ班になった二人の文芸部女子が「去年の文化祭、白龍君のクラスはチャーハンと餃子売ってたよね!」「食べたよー!美味しかった!」「あれって全部一から作ったんだよね!」「ねー!すごいよ!すごいよね!」とエクスクラメーションマークを乱用して褒め立てているので、これはおそらく私みたいな世間知らず以外なら誰でも知っていることなのだろう。百人力百人力。うん?ていうか、チャーハンと餃子って冷凍食品じゃないの???私はもう戦線から離脱した方が良さそうだ。右手を挙げる。

「……私、本当に皿洗いしかできないので前半は見学します。サボりとかじゃなくてこれは単なる事実ですのでご容赦を」
「では赤琉さんは野菜を切ってくれますか?大きさはおまかせで」

白龍くん、今の話を聞いていましたか?混乱混乱大混乱。しかし白龍くんは私が反論する前に他の人に指示を出したり机を拭いたり食器を出したり(むしろ私にもできるような)簡単な作業に取り掛かってしまったので、泣く泣く取り残されてしまった。白龍くんってそういうところあるよね。しかし目の前で並べられたニンジンくんやタマネギくんや包丁くんが悲痛な眼差しを向けて私を見つめてくるので、仕方なく言われた通りに野菜を切ってみることにしよう。ええい、どうなっても知らないぞ。

「えっと……」

猫の手ってすごく可愛いと思う。ふわふわしててふにふにしてて、そんななのに実は中には鋭い爪を隠し持っているところとか、小さいし柔らかいし「ネコパーンチ!」なんて全然パンチじゃないし、むしろパンチしてくださいって感じ。

「赤琉さんは猫派ですか?」
「ひっ」
「ねこパンチ」

各方から悲鳴が上がった。やめた方がいい、白龍くんみたいな人がそんな可愛らしい言葉を口にするのは全女子が泣くからやめた方がいい。他にやることが無くなったらしい白龍くんに答える。

「い、一応私は猫派……でも、わんちゃんも好きだよ」
「俺は赤琉さんが好きです」

各方から悲鳴が上がった。しかし白龍くんは周囲の目などは気にせず「お手伝いします」と言いもう一つの包丁を取り出した。そしてニンジンくんやタマネギくんを包丁くんでとんとんとんとん目にもとまらぬ速さで刻んでいく。これぞ料理人、これきっと将来はコックさんだな、いつか店出したら食べに行ってやろうかな。いやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいや待って。お待ちください皆さまお待ちくださいただ今電車が通過致します黄色の線より下がってお待ちください。

「はっ、は……!?」
「赤琉さん、人を殺すおつもりですか。包丁を逆手に持つと危ないですよ」
「ああっごめんなさい!」

無意識のうちに包丁を固く握りしめていたようだった。それでも未だクラス中からの視線が散ることはなく、でもでも白龍くんはそれを全く気にしていなくて、けれども私はそれを充分に気にしていまして、まるで真っ赤に仕上がったゆでダコのような気分だった。白龍くんがゆでダコ職人のように思えた。ざわつく調理室内で温厚なT先生のみ状況が分かっておらず、ニコニコしながら「楽しそうにやってるなー」と呟いている。くそ。ていうか『好きだ』なんて、白龍くんとは今まで公衆の前では告白はおろか会話さえ無かったのに。これは一体全体どういう心境の変化だろうか。なんて、考えなくとも原因は先程のあれであろうが。

「ほら、時間は限られていますから。さっさと作ってしまいましょう」
「…………」首肯。
「包丁逆手です」
「…………」赤面。
「可愛い、ですね」

私は白龍くんを止める術を知らない。

「ご、ごめんなさい……お手洗い」

私は逃げた。


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