よし食そう
およそ一ヶ月と三週間前の会話。幼馴染でクラスメイトの、剣道部のKちゃんとの話。

「ねえ赤琉。あそこに彼、いるじゃない?」

そう言って彼女が指を差す先には、一般的に彼と呼べる人はいなかった。

「彼?私には女の子しか見えないよ」
「女の子の内側にいる彼だよ。練白龍サマのこと、名前と素性くらいは聞いたことあるんじゃないの?」
「ああ、なんとかで有名の……」
「あんたやっぱり同業者の割に世間に疎いんだね。いや、同業者に限らず疎いのか」
「同業者って、私まだまだ学生途上なんだけれど……。それに私はそういうことに疎いんじゃなく興味がないの。Kちゃんじゃあるまいし」
「槍道だよ」

圧倒的なまでに無視された。

「暇人寄せ集めのお楽しみの会だって思われていた槍道部で、“いつの間にか”全国大会に出ていたっての超は有名な話だよね。もちろん一からかき集めた“暇人”あってこその成果ではあるけれど、それも彼、練白龍がいなければ成し得なかった夢のような大活躍!これぞ正に青春だよ!」

彼女は拳を握りしめて語り始めた。最近寝不足なので右から左へ上へ下へ受け流す。

「槍道って、あんた聞いたことあるか?ないよね?聞いたことないよね?でもでも、武道に通じる人はなんとなくなら知ってるっぽいよ。そう、例えば剣道よりも確固たる地位はないけれど、それでも一応二酸化炭素みたく矮小に確実に存在するスポーツ。そんな絶滅危惧が窺える槍道で、“指導者”として部を全国に導いたんだよ?凄いと思わない?」
「ああ、槍道ね……ふーん」
「あんた無関心過ぎるって!練は私たちと同い年なんだよ?バリバリの高校二年生だよ?しかもイケメン!興味あるでしょ?興味ないの?私、一度彼と闘ってみたいよ!」

剣道部副部長のKちゃんが興奮している。それよりも槍(槍?ガチ?)と竹刀でどうやって闘うつもりなのだろうか。

「あー、じゃなくて赤琉。今回はそんな話をしに来たんじゃないの」
「そんな話じゃなくてどんな話?どうするでもなく私眠いんだけど……」
「こんな噂知ってる?ホントふざけんなって感じのそんな噂、知ってる?」
「えー、知ってる知ってる」
「『槍道全国が剣道全国落第を好いている』ってさ」

眠気が吹き飛んだ。

「……しら、ない……なにそれ!?」
「女剣の間で春休み中に広まったらしいの。私はその時田舎に帰ってたから詳しくは知らないけれど、あのイケメン練白龍君が絡んでるだなんて、今に全国に広まるんじゃないかな?」

練白龍さんはどこの芸能人だよ。そこはせめて全校じゃないのか。

「槍道の方はまあ言わずもがな練のことでしょうよ?でも剣道で全国に行くか行かないかの実力を持つ女子なんて、私はこの学校では赤琉しか知らないよ」
「だからってそんな……そんなの」
「大親友を名乗ってる私としては、赤琉が落第だなんて舐めた呼び名で呼ばれていることに最上級の怒りを感じ得ないけれど」
「うんうん、非道だよ……」
「そこはひとまず置いておいて、私が気にしているのは『槍道全国』、つまり練白龍があんたのことを好きかもしれないって話」
「え?」
「嗚呼、赤琉にもついに青春が!そうだものねそうだものね、こんなにも可愛い子が華の高校生になってからだってモテないわけがないものね」
「……待って待って、そっちじゃない。そっちはどうでもいいよ。私みたいな人間を好き好む人なんているわけないんだから。そんなの有り得るわけないんだから」
「ええー?充分有り得るよ。いけいけアリエールだよ。だって赤琉は私の赤琉だもん?」

意味わからない。

「『剣道全国落第』?私ってそんな残念で可哀想な呼び方されてるの?っていうか落第って意味違くない?」
「それなね。似てるけど」
「うーん、なんか嫌だなこういうの。春休みに広まったってことは、元凶はこの学年にいるってことだよね?」
「そうだね。女剣に現三年生はいないからね。くそう、私がおばあちゃんちに行ってる間に邪悪なことをしやがって」
「あの、犯人探しとかやめてね?別に噂自体はどうでもいいの。噂って言ってもただの噂なんだから」
「赤琉がそう言うなら……」
「でも、私、剣道やってたなんて誰一人として打ち明けてないのに、地元からも結構離れてるはずなのに、同中出身もKちゃんしかいないのに、どこから私の大会記録が漏れたのかな?」
「まあまあまあ、あんたの実力って結構なもんよ?きっと知ってる人もいるだろうね」
「そりゃあ……そうだけれど」

なんだかスッキリしない。釈然としない気分だった。



時系列を戻し、現在。回想に逃れ少しだけ冷静になった頭を元気づけるように、頬をぱちんと叩いて調理室の扉を開けた。中の雰囲気は思っていたほど特に何かが変わっている様子はないが、それにしてもクラスの中に入るだけで緊張してしまう私は、もう随分に影響されている。重たい足で自分の班のテーブルに向かう。

「赤琉さん。……おかえりなさい」
「あっはい、ただいまです」

白龍くんは戻ってきた私を一瞥し、顔色を伺うようにしながらも、すぐに目線を調理台に戻した。ああよかった。余計な干渉をしない、いつもの白龍くんに戻ってくれたようだった。さっきみたいな発言は……もう勘弁して欲しい。あのときは心臓が内側から破壊されていく気分だった。何故かとても熱かった。
頼まれた野菜は……結局白龍くんが取り掛かってくれているし、私は一体何をすればいいのだろう?残りの班員に目配せすると、目が合った文芸部女子の一人がにんまりと笑って「白龍君が切り終わったやつ、持ってきて!」とやけに明るい口調でフライパンを指し示した。なんだかなんだか、とても何かを企んでいるような目をしている。彼女の言葉に不審に思いながら頷いて、白龍くんに顔を向ける。腕をまくる白龍くんの腕は運動部らしく筋が浮き出ていてとてもたくましかった。

「白龍くん、えっと……」
「これお願いします」
「は、はいっ」

差し出されたまな板の上には、既に刻まれたにんじんくんや玉ねぎくんが大量に乗せられていた。ほああ、あの量をこんな短時間でしかも美しく切り刻めるものなのか。白龍くんはどうやら包丁の扱いに手慣れているようだ(怖い意味ではない)。頼まれた仕事は、これを文芸部女子のところまで安全に確実に、早急に運ぶこと(怖い仕事ではない)。そして両手でまな板の端をしっかり掴み、白龍くんから受け取ろうとした時。

シャッターを切る音が聞こえた。

「?」
「赤琉さん?」
「あ、いや、なんでも……」

どうやら白龍くんには聞こえていなかったようだ。授業中にシャッターの音とはこれいかに?さらに不審に思いながら、まな板を文芸部女子のところへ届ける。

「ありがとう!色んな意味で!」
「???」

ますます意味が分からない。首を傾げる暇もない。彼女はまな板の具材を油の敷かれたフライパンの中へ放り込み、カチンとコンロに火をつけた。すると私を手招きしているのが見えた。

「ね、赤琉ちゃん!お話していい?」
「え?うん、いいよ……?」
「白龍君のことなんだけれど」

途端に彼女の声色が変わる。表情は先程と同様笑ったままだった。ああ、これなんか、やばいやつじゃない?少女漫画はあまり読まないけれど、少女漫画でよくある展開だ。取り柄のないという設定の主人公(しかし可愛い(私は可愛くないけど))が一切関わりの無かったイケメン男子に意味が分からないくらい好かれまくって、周りの女の子から反感を買うところとか、まるで少女漫画みたいだ。そしてお決まりの台詞「○○ちゃんなら応援してくれるよね?」なんて可愛こぶって、主人公を貶めようとする展開だ。私、別に主人公を名乗るような人種じゃないんだけれど……。

「私、応援してるの」
「え?……してるの?」
「え、伝わらない?白龍君と赤琉ちゃんのこと応援してるの」
「???」
「え?分かるかな?私が言ってること分かる?分からない?」
「分か……?」
「え?嘘でしょ!無自覚!まさかの無自覚!無自覚って怖いなあ!そんなところも可愛いけれど!」

あはは!と女の子らしい柔らかい笑い声を立てる彼女。たしか、Bちゃんだ。文化部に所属している人の名前はうろ覚えだけれど、もう一人の子がそう呼んでいた。

「GJ!さっきはいい仕事をしたよ!主に白龍君からだけれど、もう左右は確定している感じだね!」
「さ、さゆう……?」
「最高!極上カップリング!」
「……」

さっきから本当に何がなんだか分からなさ過ぎる。まず彼女がこんなに喋っているところを見たことがなかったし、そもそも何を言っているのか分からない。するとBちゃんは声を潜めるようにして、私だけに聞こえるように「入学式のときからね」と呟いた。

「入学式で赤琉ちゃんを一目見た時、心にびびーんって響いたの。なんて天使みたいに女神みたいに可愛い微笑み可愛いオーラ!女の私が恋に落ちそうになったよ!代わりに道の脇の排水溝に落ちたよ!」
「は、はあ……」
「でね?この学校にはあと一人とんでも男子がいたんだよ!私イケメンには目がないけれど、彼、練白龍君を見たとき、私は刹那的に思ったの!『彼は赤琉ちゃんと愛遂げる為に生きている』って!お似合いだもの!今年二人と同じクラスになって、嬉しすぎて死にたくなっちゃった!」

よく分からないが、私はこの人を殺していたのかもしれない。

「えっと、つまり……」
「そうそう、つまりだね。今までは密かにバレないように追っかけてたんだけれど、ほら、打ち明けちゃったし公式的な許可が欲しいの」
「許可……?何の……?」
「私が赤琉ちゃんと白龍君の未来の架け橋になるの!」
「……………………、…………………、……………ぐ、具体的には……?」
「盗撮。裏工作。執筆」

全て理解できない。

「と、盗撮?写真撮るの?裏工作?ってなんだっけ?執筆?な、何を?」
「おろおろしちゃって!可愛い!」

横から抱きしめられた。私より背の高い彼女からの抱擁はとても温かかった。違くて。思いのほか力強い抱擁に動けずにいる間、全ての野菜を切り終わった白龍くんが私たちの様子に気づいて「……?」怪訝そうな顔をした。あ、絶対に変なヤツらだと思われた。

「コンロのそばで危ないですよ。よければ俺が代わりましょうか?」
「どうぞどうぞ、お代わり下さい!赤琉ちゃんも返すね!」
「?ありがとうございます」

白龍くんはBちゃんとバトンタッチして私の隣に立った。
ありがとうございます?


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