よし帰ろう
「赤琉さん」
「?」
「土下座させてください」
「……え?」

しばらくして、やっと完成したドライカレーを美味しく頂いたあと。(あれは玉子焼きと負けず劣らず言葉では表現しきれない美味すぎる代物だった。)温泉に浸かっている時のような恍惚とした気持ちで、洗った皿を棚に戻している最中に、白龍くんがさりげなく隣にやって来てこう告げた。

「先程は取り乱してしまって申し訳ありませんでした。誠意をもって善意をもって謝ります。後程、土下座させてください」無表情。
「……」

白龍くんって……いや、うん。

「……取り乱したっていうのは」
「さっき、クラスメイトが見ている中であのようなことを言ってしまったこと。赤琉さんがそういうのが苦手なことは分かっていたのに」
「……」
「無神経にも程がありました。申し訳ありませんでした」
「えっと、まあ、べつに……
「……安物買いの銭失いという言葉をご存じですか?まさにそれですよ、俺はとんだ失態を犯してしまいました」

私は知らなかった。というかよく聞き取れなかったのでスルーした。

「まあ、とにかく俺は#名前#さんに嫌われたくないんです。あまりメンタルの方は強くないんですよ」
「……」そうなの?
「ではまたあとで。あ、そうだ。慌てる赤琉さんも、いつになく最高です」

白龍くんは言い逃げした。



放課後。いつも通り帰る支度をして教室を出ようとしたら、当たり前のように白龍くんに待ち伏せをされた。そういえば調理室で、後で謝らせてくれとか言ってたなあと、ぼんやり思い出しながら、気付かないふりをしてその横を通り過ぎようとすると、白龍くんはやっぱり見逃すはずがなく、当然のように「行きましょう」と声をかけられた。どこへ?

「さあ。手を」
「……」

まるでデートで彼女をエスコートする時のような紳士的な素振りで手を差し出されたので、いや、あの……うん、レベル高いかな。両手を顔の前に広げて全力で拒否しておいた。白龍くんは黙って手を引っ込めてくれた。無表情を微塵も崩さないところはいつものことだけれど、なんとなく残念がっているように見えたのは気のせいだろうか。

「……どこに行くの?場所によってはこのままついて行くけれど」
「俺の家に__」
「ぇ」
「と、言いたいところですが。今日は部活がありまして」
「そっかあ……」

笑えない冗談はやめてくれ。

「それに赤琉さんに嫌われたくはありませんので、大人しく考え直して武道場というのはどうでしょう?」

彼の所属する槍道部は、普段剣道部と武道場を併用している。去年出来たばかりとはいえ、嘘みたいな功績を上げた槍道部に練習場所が与えられないはずがなく。まあ、部の練習場所だからという点に関しては妥当な判断である。

「でも、武道場って……部活やってるなら、人がいっぱい……」
「赤琉さんは二人きりの方がいいですか?俺も同じです」
「今、なにか?」
「冗談です。すみません、少し、思考判断能力が鈍ってしまったようで」

私は決めた。白龍くんの前では強くあろうと思う。

「心配いりません。今日の剣道部の練習は男子の方なので、あなたが苦手とする『女子からの好奇な視線は』ありませんよ」

さっそく挫けそうだった。

「あの……白龍くん、聞いてもいい?」
「なんでもどうぞ」
「白龍くん、自分で自分が女の子からどれくらい好かれてると思ってる……の、かなって」
「俺ですか?まあ、多いですよね」

ですよね。

「ですが、今まで告白されたことはないんですよ。たったの一度も」
「へ?それ本当?意外、というより、信じられないな……」
「俺は赤琉さん以外からの告白を告白と受け取らないので」

とんでもない発言だった。今まで白龍くんに告白してきたであろう女の子たちがあまりにも不憫すぎる。そして白龍くんはあまりにも強情すぎる。しかし、まあ強い人は結構好きだ。

「それより、部活はいいの?」
「もちろん行きます。さあ赤琉さん、手を」
「……」

私が手を取らないとテコでも動かないぞという雰囲気だった。しかし私もその手を引っ込めてくれないと意地でも付いていってやらないぞという気持ちである。そうやって白龍くんとの間でちょっとした思想バトルのようなことを数秒間繰り広げていたら、あのとき調理室で聞こえたのと同じ、シャッター音が聞こえた。

「あらあら、こんなところで見つめあって。さっきから結構注目浴びているけれど、お二人はそういうの駄目じゃなかったっけ?」

Bちゃん……。あなた、写真部じゃなくて文芸部ではなかったっけ……?ていうか今、何をお撮りになったの……?

「俺は構いませんが、赤琉さんは苦手なようです。元々目立つような性格でもありませんし」
「出た!彼女のことならなんでも知ってるってやつ?そういうのイイよ!ドンと来いだよ!」
「え?ああ、はい。どうも」
「……」

Bちゃんはともかく、白龍くんは、先程の発言からして女子高校生という厄介者ですら掌握しているような才覚さえ持ち合わせていると思ったのだが……こう見えて意外と甘々なのだろうか。私は女子高校生を捨てたつもりはないけれど、現役女子高校生である私でも、彼女たちの実態は計り知れない。ここで言う『彼女たち』は『白龍くんのことが好きな女の子たち』のことで、つまり私は少女漫画には欠かせない『嫉妬』から来る『理不尽な嫌がらせ』について解釈しているのだが……。彼女たちは何をしでかすか分からない。実態が分からないのだ。たとえば『好きな人には別に好きな人がいて、その二人が仲良くしているところを目撃してしまったら』?自分自身、本気で誰かを好きになったことがないから、本当に知りようがない。

「あ、あのね、確かに私はいらない注目を浴びるのは嫌だけど、これは私がどう思うとかそういう問題じゃなくて……『彼女たち』がどう思うかなんだよね」

すると、Bちゃんは「えっ」と素っ頓狂な声を上げて私の方を見た。

「あれ?赤琉ちゃん、もしかしてなんだけど、全国の女子から人気者の白龍くんにこうして声をかけられることで、『嫉妬』とか『虐め』とか『嫌がらせ』とか『嫌われる』とかそういうこと考えちゃってる?」
「え?ま、まあ……」全国は言い過ぎだろ。
「もー、馬鹿馬鹿、ここは牧場でも京都でもないんだよ?そんなこと、この私がなにも考えてないわけないでしょう?」

馬鹿に対する今の例えは初めて聞いたので一瞬何言ってんだか分からなかった。

「な、なんのこと?」
「ていうか、もう既に手配済みよ!私は人間を手玉に取るのが得意なの。どんな人間にも私のスキルは執行可能!この学校には最早あなたたちの敵なんかいないわ!……まあ、女の子に限るけれど」

全編を通して何言ってんだか分からなかった。思わず白白しい目を向けてしまったが、Bちゃんは待ってました!と言わんばかりに詳しい説明を始めてしまい、本人はとても楽しそうだったけれど、正直どうでも良さそうな内容だったので、返事は「へえ」と相槌を打つだけに留めておいた。ていうか話がぜんぜん頭に入ってこなかった。

「あの、すみません。いいかげん部活が始まるので、そろそろ赤琉さんを頂いてしまってもよろしいですか?」

白龍くんが挙手をした。

「もちろんどうぞ!ていうか赤琉ちゃんはみんなの赤琉ちゃんなんだからいちいち許可はいらないよ!ていうか白龍君の赤琉ちゃんなんだから最後まで頂いちゃってくださいな!」
「その言い方は……語弊があります。俺はまだ健全な男子高校生です」
「その発言が既に健全じゃあないよね!内心下心とかありまくりのクセにっ!」

Bちゃんは白龍くんに向かって某ゲッツのポーズをしてから、「グッバイ・エクスタシー!」となにやら不穏な捨て台詞を吐いて去っていった。エクスタシー?それって、どんな意味だっけ……やめよう。これはきっと知らない方がいい。ていうかBちゃん、一体何しに来たんだろう?

「あ、えっと……行く?」
「ええ赤琉さん、参りましょうか」
「……?」

彼は言葉遣いが丁寧だけど、別にわざわざ言い換えなくてもいいのに、へんなの。


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