寝音曲


 人を救った数より殺した数の方が多くなった頃。

「静六くん、そこ邪魔だからどいてくれる?ありがとう〜さようなら〜」
「ゔっ」
「あ、ごめんね。勘違いさせちゃったかもしれないけど、静六くんが“邪魔者”だって言いたいわけじゃあねえんだ、俺は。ただ、そこにいられるのが“邪魔”ってだけで」
「ちょっ、蹴るな……吐く……っ」
「四郎くんの隣を譲ってくれさえすれば、いくら酔い潰れていようと、酔い潰れてくたばっていようと、俺は全然構わないよ。四郎くん以外は空気も同然だからね。部屋の隅っこで好きなだけ潰れているがいいさ」
「……うげえー」
「ア゛ッ!四郎くんの前で吐くなー!!!!!このクソ呑んだくれが!くたばれ!」
 六月。
 命より大事な瓢箪を抱き枕のように抱きしめながらうたた寝していたところを、三番目の兄弟に蹴り起こされた。それはもう背中を鈍器で殴られたかのような衝撃で、胃の中がぐっちゃぐちゃになり、呼吸もままならない中、吐瀉物が気道を塞いで生命活動が停止した。
 せっかく気持ちよく寝ているところだったのに、あとから部屋に入ってきた四郎のが優先だなんてどうかしてるぜ、と三途の川を渡りながら文句を垂れる。にしても、いくら俺が酒酔いだからとはいえ、ただの数度の足蹴で肉体を死に至らしめるとは、あいつは畳の上で鉄でも履いてんのかと思ったら、三喜人は裸足だった。単純に、俺の体がそれしきのことでおっ死ぬほど酒に蝕まれていただけだった。
 今日は朝からやけに呑まされる日だった。いつもはもっと嗜む程度で、こんなぐでんぐでんの泥土路のような酔いなど久しく覚えがない。それに、なんとなく……目を合わせる全員から絶妙な距離を感じるような、気がする。気がするだけだ。これもきっと泥酔しているせい。まあ三喜人はいつも通り、俺なんかより四郎にお熱のようだが。
「もういいよ!あっち行こうよ四郎くん!」
「ええ〜めんどくさい。そんなに言うなら三喜人がどっかいけば?」
「どう考えても静六くんが一番の邪魔者だろ!贅沢に座布団三個も占領しやがって!今すぐ四郎くんに譲れ!この!この!」
「いてぇ、いてぇな!わかったから蹴るのをやめろ!」
 まったく、邪魔者扱いするのかしないのかどっちなんだい。隣にいるのがそんなにも罪なのか。四郎信者にこれ以上暴力を振るわれてはたまらないので、倦怠感のある体と白装束を引きずりながら四つん這いで部屋を出ようとしたところ、今俺が開けようとしていたはずの目の前の襖が、ピシャン!と音を立てて勢いよく開かれた。それとほぼ同時に視界を掠めていく女の裸足。その爪先が、狙い撃ちしたかのようにまなこに的中した。
「め、目がぁッ!」
「あ。悪ぃ静六。何してんだ?んなとこで。犬かと思って蹴飛ばしちまった。でもオレの視界に入らなかったオマエが悪い。なァ?反省文なら逐一受け付けてやんぜ?だらしねぇ醜態晒しやがって、呑兵衛くんよォ。今朝は良い呑みっぷりだったなァ!……おい?」
「……」
「死んだか?」
 右目から紅白色の涙を流しながら声にならない声を上げてもがく俺を見下ろすのは、五番目の兄弟。八人の中でも特に血気盛んな二人からの猛攻撃のお陰で、俺の体はボロボロだ。ていうか当たりが強くないか?もう本当に死にたくなってきた。
「はは。今日の静六、厄日だな!かわいそ〜」
「お二人さんの足が攻撃的なだけだ……」
「記念に俺も蹴っといてあげる」
「バッ、四郎ッ!追い討ちかけんじゃあねェ!イデッ」
 こいつはとんだ薄情者のくせして、何故か兄弟人気の高い四番目。加減してくれたのか前の二人に比べて殺傷能力はなかったが、冷えきった俺の心を抉るには充分だった。おかしい。普段はもっと仲良くやっているはずなんだが。七緒や兄上たちとは違い、ここには四郎を止める者はなし。バカ笑いが聞こえてくるだけ。危うくここにいる全員のことが嫌いになりそうだ。そうだ、さっさと逃げよう。畳の上を這いながら今度こそ廊下に手を伸ばす俺。
 しかし、それはまたも阻まれてしまった。五万里の両手が、ガシッと俺の両足首を掴んだのだ。
「オイ静六!どこ行くんだよ!これから宴会だぜ」
「はぁ……?宴会ぃ……?生憎俺は瀕死状態でねェ……おまえらのせいで……。部屋で休ませて頂くぜ……」
「んなこと知るかい!主役がいねぇでどうすんだ。せっかくオレがご馳走を振舞ってやるって言ってんのによォ」
「なんだって……?」
 主役?ご馳走?何を言っているのかよく分からねえが……ずりずりと畳の上を引きずられて部屋に戻される途中、五万里が運んできたらしいやけに大きな風呂敷包みが、視界の端にチラリと見えた。見間違うわけもない、ここらで一番の高級料理店の紋が入ったその風呂敷。ほ、本気の宴らしい。それを見るなり、四郎がキラキラと顔を輝かせながらさっそくご開帳した。
「すっげえ!これ全部食っていいのか!」
「残念ながら四郎、オマエのじゃねえよ。なんてったって今日は静六の誕生日だからな!だからありったけの酒を呑ませて準備を悟らせないようにしていたってわけさ」
「へぇそういう思惑があったわけ。五万里姉もよくやるねえ。俺何も知らずにゴミ扱いしちまったよ。ごめんねぇ静六くん!謝るから俺にも分けてくれよ。いいだろ?いいだろ?」
「ほら静六!床にキスしてねぇでさっさと直れ!まさかそんな態度で兄上を出迎える気じゃねえだろうな?オマエのために兄弟全員が集結してくれてんだ。有難いと思いな!」
 五万里は俺の胸倉を掴んで無理やり起き上がらせると、他の兄弟たちを呼びに出て行ってしまった。至近距離でどデカい声を出されたものだから、頭がガンガンと波打ってつい顔を顰める。頭を押さえるついでに、片手で額を覆う。気分の悪いフリをして、いや本当に気分は悪いのだが、ついついにやける口元をもう片方の袂で覆う。
 そうか、今日は。二十何年か前に俺が産声を上げた日だった。朝までは覚えていたような気がするが、酒のせいで全部吹っ飛んでしまっていた。これも全部兄弟たちの仕業か。なんてことだ、まさかこの歳になってサプライズをかまされるとは思わず……。思わず目頭が熱くなった。酒のせいで色んなところの神経が狂っちまっているんだ。おいそれと泣き出しそうになった。
 その後、俺は嗚咽と吐き気を取り違えて盛大に吐いた。おかげで美味いご馳走をたらふく胃に収めることができた。これも全て計画通りか?さすが、俺の兄弟たちだ。


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