04


翌朝、寺子屋に向かったら昨日のあの子が右手にぐるぐる巻きの包帯を巻いていた。こなたと同じ、いやそれ以上に広い箇所に巻かれた包帯を見て、やっぱり夢幻ではなかったと改めて思う。その子はこなたを見つけた途端、ありとあらゆる罵詈雑言を浴びせてきた。化け物、鬼、もう来るな。それまであやふやで軽い暴言だったはずが、今日は明確にこなたを敵対視するような言葉の数々。触ったら昨日みたいになると思ったのか、その辺にあった物をひたすら投げつけられた。体に当たって床に落ちた物の一部が焦げていることを誰かが指摘して、また大きな騒ぎになった。追い出された。もうここには来ない方がいいと悟った。
こなた、どうしちゃったんだろう。こなたに触れたものは、人でも物でも焦げてしまう。でも常にじゃない。お着物は普通に着られるし、道端の木も普通に触れる。……本当に普通?違かった、元から普通ではないのだった。こなたは物に触れると『変』な感じがするのだ。
「……」
ふと、思う。あのお社が燃えた時も、あの子の手が焦げた時も、そうだ、桶の水が凍った時もだ。全部全部、こなたが普段物を触る時に感じていた『変』な感覚と似た感覚があったような気がした。まるで普段の感覚の延長線上にあるような……普段の感覚が特別強くなるような。そんな気がするだけだから、考えてもよく分からない。
こんな早い時間にお家に帰ると、きっと不思議に思われてしまうから、寄り道をしてから帰ろう。こなたは人のいるところは苦手だから、誰もいない森に入るのが好きなのだ。お兄には危ないからだめって言われてるけど、今までも気づかれてないみたいだし、秘密にしておけば大丈夫。この鬼みたいな力のことも、同じように秘密にしておけば、大丈夫。大丈夫なの。

こなたは地面に転がる炭屑を手でかき集めながら、ぼたぼたとめどなく落下する涙を眺めた。
「こなた、……」
ついさっきの出来事だ。野うさぎがいたから、晩御飯にしようと追いかけた。息をきらしながら数分間追いかけっこをして、ようやく捕まえたと思ったら、それは両手の中で醜い悲鳴を上げながらもがき、瞬く間に焦げた。三秒も数えないうちに焦げ死んだ。右手の痛みも忘れて驚いて固まっていたら、肌に触れているところからみるみるうちに真っ黒な炭になって、ぼろぼろに崩れ落ちてしまった。
「……うさぎ、さん……?」
視線だけ地面に動かすと、足元に真っ黒な炭屑が散乱しているだけ。うさぎが、焦げた。火傷を通り越して、焦げた。そして死んだ。昨日の出来事とは違い、いきものを殺すという事実に至ってしまったことがこなたには衝撃以外のなにものでもなくてて、しばらく石のように固まった。そこに飛んできた、ひらひらと頭上を舞う蝶々。空中に浮かんだままのこなたの人差し指に……止まった。それは一瞬にして炭になった。うさぎと同じように地面に落ちた。立て続けに二度、いきものをころした。
「……」
こなたは本当に鬼になってしまったのかもしれない。殺そうとなんて微塵も思ってない。ただ捕まえようとして……。あ、違う、とすぐに気づいた。こなた、あのうさぎのことは晩御飯にするつもりだったのだ。捕まえたら、縄で首を絞めて、殺して、持って帰ろうとしていた。その意志が、反映されたとでも言うの?だからそれでどうして焦げるの?意味が分からない。鬼でないとこんな所業、できるはずがない。もしかして……鬼退治されてしまうかも。あの子がどこかの武士にこなたのことを伝えたら、きっと殺されてしまうかもしれない。そんなのは嫌だ。でもどうやって回避できようか。こなたはお兄がいなきゃ何も出来ないのに。お兄に気づかれないように、武士からも逃げるなんて、こなた、……。将来が絶望的に思えた。

昨日と同じようにお兄に晩御飯を食べさせてもらっていた時。お兄は、あくまで優しい口調で口を開いた。
「さっき、寺子屋の子のご両親が挨拶に来た」
「……」
あの子のことだ。
「火傷をさせたんだって?」
「……」
「お怒りの様子だったからその場ではきっちり謝っておいたけど……赤琉。昨日の火傷云々の話は……そういうことだったのかい?まあ、あの人らの話は要領を得なくて……まだよく分かってねぇんだけど」
「……」
あの子のことだから、きっとこなたに非があるように家族に告げ口したに違いない。こなたは何もしていない。あの子が勝手にこなたのことを連れ出して、こなたの腕を掴んだだけ。でもこなたはもう、こなたの体の中に鬼のような悪い何かが巣食うていることははっきりと分かってしまっていた。こなたのようなばけものが、存在しているのが悪い。きっと誰もが……そう思う。お兄も、きっと。こなたのことを鬼だと言うに違いない。
「ごめんなさい」
こなたは、一言だけ告げた。
「おまえさんは、誰かに手を出すような子じゃあないって俺には分かってる。だから、何があったのかお兄に話してくれないかい」
「……」
「赤琉?」
お兄に本当のことを話したら、こなたはお兄と一緒にいられなくなるかもしれない。そうなるくらいなら、こなたが悪者扱いされるほうがマシだ。鬼扱いされるよりも、断然。
「……ごめんなさい」
「謝るだけじゃ、何も分からねぇよ」
「……」
でも、適当なことを言ってあの子と話が食い違ったら変に思われる。今のこなたはやけに頭が冴えていた。いきものを無意味にふたつも殺してしまったからかもしれない。お兄はひとのいのちを救っているのに、こなたは真逆だ。
「今日来たお二人さん、娘さんはもう別の医者に診てもらってるから大事ないって言ってた。俺に診てもらうなんてとんでもねぇってよ。それに謝罪も何もいらねえってさ。二度と目の前に現れんなとも言ってたっけか。赤琉、一体何をしたんだい?いや、俺には赤琉が悪さしたなんてまったくもって思えないんだがねェ」
「……」
「よし、今日は早く寝ようか。その気になったらいつか聞かせてくれよな」
お兄はこなたの頭にぽんぽんと手を置いた。やっぱりお兄はこなたに普通に触れるらしい。たとえば、お兄のことをあの野うさぎみたいに晩御飯の材料にしようと思いながら両手で捕まえたら、どうなるんだろう。そんなことしないけど。こなたはもう、この焦げる力がいつ出てくるのか気が気でなくて、いくら大好きなお兄に抱きしめられながら目を閉じても、まったく眠れなくなった。

「赤琉?休んでもいいんだぜ。おまえさんも火傷してるんだし、無理に行かなくても……」
もちろん寺子屋に行くわけじゃないけど、お兄の前ではいつも通りでいる方が気が楽だと思っただけ。医者でもあって観察力の固まりでもあるお兄を欺くには、まずは自分が自分のことを知らなければならない。こなたはその日から森に出かけては野うさぎと追いかけっこをするようになった(捕まえてもすぐに逃がした)。
しかし……殺そうと思って捕まえても、別のことを思って捕まえても、どのうさぎも百発百中で焦げた。それは予想に反した結果だった。てっきり自分自身の意思が関係しているものだと思ったのにな。うさぎに限らず、虫も、魚も、触れた途端に全部焦げた。木や植物は何事もなく触れるから、もしかしたら生きものなら全て無条件に焦げてしまうのかもしれない……お兄以外。そういえばこなたはあの子の一件以来、お兄の以外の人間に触っていない。もしかしたら他の人も触れると焦げてしまうのかな。それにあのお社の時みたいに、生きものじゃない時も燃えることがあるのだから、いつ何が起こるか分からないのが、本当に怖い。怖いな。怖い。自分が怖い。

「赤琉、おつかい頼まれてくれるかい?」
「……」
「はは!んだその顔。嫌なら良いんだぜ。でも右手はもう治ってきたろ?なに、俺のお得意様だから怖い人じゃねぇよ」
お兄の思う怖いと、こなたの思う怖いは決定的にすれ違っていた。あれから数日が過ぎ、焦げる力について少し分かってきたような、よく分からないような……不確定の部分が多すぎて日に日に不安は増していくばかりで、人の多いところに行くのは本当は心配でたまらなかったけど、お兄の頼まれごとは全部こなしてきたこなただ。お兄の役に立ちたい。だからこなたはこくりと頷いた。
賑わう町内。なるべく人にぶつからないように慎重に慎重に歩き、時間をかけてようやくお店に到着した。お店の前にはとても背の高い男の人がいて、なにやら店主の人と話し込んでいるようだった。小さなこなたには気づく様子もない。早く用事を終わらせて帰りたいのに、これでは待ちぼうけだ。お兄に持たされた風呂敷の結び目を両手で握って立ち尽くすこなた。そのとき、突然後ろからどんと背中を押されて、地面に倒れ込んでしまった。
まだ日が出ているのに、酒樽を丸ごと飲み込んだのかと思うほどフラフラした足取りの酔っ払いの通行人の人が、こなたに体当たりしたみたいだった。その人はすぐそこの曲がり角を曲がって消えてしまった。
「あなた、大丈夫?」
地面にちらばった荷物を拾い集めていると、通りすがった女の人が、こなたに向かって手を差し出してくれた。一瞬手を出しかけて、すぐに引っ込めた。この人が焦げちゃうかもしれないから。そしたら、女の人の隣にいた男の人がこなたの右目をぶん殴った。こなたはそのまま後ろに倒れて地面に頭をぶつけた。何が起きたのか分からなかった。
「お京がせっかく情けをかけてくれとんのに、無視するとは何事じゃボケぇ!!」
「ちょ、何してんのよ!子供相手に……!」
「んん?今一瞬、熱……?って、そんなことよりなに這いつくばってんだよ!はよ立てや!」
最近は……よく分からないことがたくさん起こるなあ。右目を押さえながら呻き声をあげるこなた。立て続けに手首を握られ、無理やり立ち上がらせられる。あ、と思う。それと同時に異変が。今度は男の人が悲鳴をあげる番だった。
「ぎゃあ!」
やっぱり、焦げた。男の人はすぐに手を離し、わなわなと震えながら自分の手のひらにふうふうと息を吹きかけている。やっぱり焦げた。こなたに触ったから。火傷した手とこなたとを見比べて、恐怖するかのように顔を歪める二人。何が起きたんだ、火でも仕込んでやがったのかと、こなたのことを鬼でも見るかのように睨みつける二人。あの子の時もこんな顔をされたっけ。騒ぎを聞きつけて、周囲の視線が少しずつこちらに集まってくる。これまでこんなに大勢の大人に囲まれたことなんてなかったから、こなたはそのまま動けなくなってしまった。どうしようこなた、謝った方がいいよね、でも、声が出なくて、声が出ない。殴られた右目を押さえながら、座り込んだまま後ずさる。こなた、おつかいに来ただけなのに、なんでこうなるんだろう。早く帰らないと心配かけちゃう。そう思って風呂敷を抱え直したその時、聞き覚えのある声が聞こえた。
「せ、赤琉……!大丈夫か……!?」
そこにはお兄がいた。

考える前に逃げ出していた。最悪なことが起きた。一番危惧していた事態だ。あの困惑の混じった表情、確実に見られた。お兄に見られた。忘れ物か何かを届けに来てくれたのかな。それともやっぱり心配で着いて来てくれていたのかも。分からない。分からないけど、お兄がいつの間にかそこにいた。
「ま、待て赤琉……ッ!クソッ、邪魔だ!どいてくれ!」
当たり前のように、お兄はこなたを追いかけてきた。こなたは運動が得意じゃないから、うさぎを一羽捕まえるだけでも精一杯なのに、こんなに全力で走ったらすぐに事切れて追いつかれるに決まってる。でも今のこなたには逃げることしかできなくて、こなたの名前を呼ぶお兄の声を聞きながら、たくさん走った。たくさん。足と喉がちぎれるくらい。
お兄はどうして追いかけてくるんだろう。こなたが悪さしたから、叱るために?こなたは生きものを傷つけてきた。きっとこれからもそうする。お兄とは正反対のこなた。もうきっと一緒にはいられない。そんなの、悲しい。お兄と一緒にいられないなら、生きている意味なんてないもん。このまま肉体ごと炭みたいに粉々になって、消えてしまいたい。そう強く思った。

あまり体が強くないから、少し全力を出しただけですぐに限界がきて、思いっきり倒れ込んでしまった。ああ、追いつかれる。諦めて、四つん這いになりながら一生懸命その場で息をすることに集中する。でも、お兄は一向にやってこない。おかしいと思って振り返ったら、背後には誰もいなかった。
「……おにい、」
お兄の足でこなたに追いつけないはずがないのに。ましてや見失うなんて。有り得ない。それこそこなたを追いかけるのを途中でやめない限り……。……。ああ、そういうことなのかな。もしかして、わざと見逃したの。追いかけるのを、やめちゃったの……?お兄も、こなたのことを気持ち悪いと思ったのかも。男の人の手を焦がしたこなたのこと。お兄も、こなたのことを見捨ててしまったのかも。絶望の渦に飲み込まれる。溢れ出る涙と荒い息が相まって、過呼吸を起こすのは必然だった。
「うぇ、え……、ひぐっ、」
涙が止まらなかった。息が出来なくなるほど泣いた。その場で日が沈むまで泣いた。吐くほど泣いた。いつの間にか森の奥深くまでやって来ていたらしく、山道とはいえ周囲には人の気配すらなかった。だから人目も気にせずいっぱい泣いた。体の痛みすら感じなくなるほどに、心臓のあたりが痛かった。

すっかり夜も老けた頃。月明かりを頼りに歩くのも限界だと思って、『たいまつが欲しい』と思いながらその辺の手頃な枝を拾うと、頭の中で想像していた通りに先端に火がついた。もうあんまり驚かなかった。そういうものだ、と思うようになった。町からだいぶ離れたところまで来た。昼と夜とではかなり印象が違うけど、あの日、あの子に連れられた神社の近くまで来ていたらしい。この森の開けたところと言えばそこしか思いつかなかったから、こなたは記憶を頼りに足を動かした。もう体力は限界で、それなのに気にせず歩き続けるから、精神的にも参っていたし、生きてる心地がしなかった。
「……」
あの時こなたが燃やした、まっ黒焦げの社に火を近づける。あの時のままということは、役人の人には見つかっていないみたい。それもそうだ。ここは怖い狼が出るから大人でも滅多に入らない場所。家の近くの森とは違い、行方不明になった子も少なくないんだとか。こなたもここなら楽になれると思った。しにかたなんて分からないけど、狼に食べられたらきっと生きてはいられないでしょ?痛いのかな。痛いのは嫌だな。右手の火傷は相当辛かった。でも、こなたが焦がしたあの子も、あの人も、なんの罪もない森の子たちも、痛かったはずだ。同じように。ごめんなさい。直接謝れなかったから、心の中で謝った。
ついたままだと危ないから、こなたはたいまつの火を消して、お社の後ろ側にある大きな木の根元にしゃがみ込んだ。寒くなったらまた火をつければいいや。それにしても、おなかすいたなあ。……今朝、最後に食べたお兄のごはん、とても美味しかった。





お兄にも知らないことがあるんだなあ。でもこなたにとってはお兄が世界の全てで、お兄以外の世界のことなんてあんまり興味ないから、なんでもよかった。


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