英雄の思し召し
《君の我儘が、グリーゼにとってどれほどの損失になるか想像できない君ではないだろう》

 そっくりそのまま、その言葉を返したかった。

《あはは、そんな顔をするなよ。なにも永遠のお別れってわけじゃないンだからさ》
 ラキオは笑った。笑えない私の顔を見るなり、心底愉しそうに声をあげて笑った。
 そのいつも見慣れた、人を嘲るようなシニカルな笑顔は無邪気な子供のようでとっても可愛いんだけど、この時ばかりはさすがに心を無にして彼を見上げた。
 いったい何を考えているの?
 この人が、今、その頭の中で何を考えているのか、私には全然分からない。概念伝達用の装置、イカれた?いや、まあ、本当のところはラキオの脳内を理解したくないだけ、なんだけど。
《前提として、これは相談ではなく報告だ。僕が一人で国を出ることは決定事項。既に学校には申請を出しているし、役所でも然るべき手続きを進めている》
 …………。
《なあに、短期間の旅行のようなものだ。満足したらすぐに帰ってくるつもりさ。だから、ほんの少しの間だけ会えなくなるけど……いくら僕がいなきゃ生きられないからって、君はもう、こんなことで狼狽えるような子供じみた精神性は持ち合わせていないよね?》
 …………。
 ……。
 ラキオが珍しく的はずれなことを考えている――のではなく、見透かされている。今のは、ラキオの性格が終わっているから、わざとそういう言葉の羅列で煽られたというだけの話で、ラキオは本当は私の胸中なんて全部お見通しなのだ。

 そうだよ、私はこれしきのことで狼狽えるような、子供じみた精神性を未だに持ち合わせている。でも、ひとつ良いかな。こんなの私じゃなくても困惑する……と思う。
 この広い宇宙で、同じ国に、同じ血を持って生まれ、偶然出会ったあの時から、言葉通り四六時中、ずっとずっと一緒に過ごしてきた人に、いきなり別れを告げられたら。
 認めたくないと思う。
 引き止めたいと思う。
 でも……ラキオはそれを承知の上で、密やかに海外への渡航計画を立てていた。

 たった一人の、渡航計画を。


英雄の思し召し


 グリーゼの人間は大抵、どこかしらで国外に関心を持つ。己の知見を広めるため。自身の研究の幅を広げるため。
 外の世界を知ることは、少なからず刺激となる。そういう私は未だに国を出たことがないけれど……このグリーゼで順調に生き長らえ、成果を残し、高等部まで進んだラキオはある程度の自由が認められている立場にある。
 ていうか、言うまでもなくラキオはこの国きっての自由人だから、出ようと思えばいつでも国外に出られたはずだ。本当は年齢制限やらなんやら色んな規定があるけれど、ラキオほどの成績ならば融通もきく。

 彼にはこんな、いかにも多様性の欠けたグリーゼに留まる理由なんてない。いつか近いうちに国の外へ羽ばたく日が来るんじゃないかとは思っていた。だから、それについては驚かない。そうじゃなくて、気になったのはもっと別のこと。

 短期間の旅行?
 そんなはずがない、と私は思った。

 ラキオの目的は知っている。彼が国を出て何をしようとしているのかは、昔から一緒にいるから当然分かる。それについては応援したいと思ってる。
 でも、純粋な疑問なんだけど、それは短期間で終わることなの?私にはそうは思えない。
《さてね。この遺伝子大国にいるんじゃあ、現在外界で行われている汎化処置の情報なんて一寸たりとも入ってこないけど、まあ一般的な手術と並べて考えたら、長期にはならないだろうと思うよ》
 そう、それ。汎化処置。ラキオはそれを受けに行くのだろう。グリーゼの、特に白質市民の間では、遺伝子を遺さない汎性などは排他的な風潮があるから、この国では手術を受けることができない。
 でも、だからって、なにそれ、“思う”だなんて、無計画にもほどがある。そんな漠然とした理解で国外に出ようとするなんて、ラキオらしくもない。そんなことは重要じゃないみたいに……。
《そりゃそうさ、セキル。僕は別に汎化処置を受けるためだけに旅行に行くンじゃない。そっちはついでのつもり。急ぐものでもないしね。僕はただ単に息抜きがしたいだけさ》
 息抜き?
《ああ。最近特に懸念しているンだ。こんな国にこのまま居続けたら、そろそろ頭が馬鹿になってしまいそうだ、ってね。君もそうは思わないかい?》

 私は息を飲んだ。優雅に椅子に腰掛けて、自分の肩下まで伸びた髪をいじって手遊びなんかしちゃってるラキオをじっと見つめた。
 なんてことを考えるのだろう。本当に言葉を選ばないんだから、ラキオは。今のはどう考えてもグリーゼという国家を愚弄する言葉。
 “大人”たちの前でこんな思考を顕にしたら、即刻打首になるかもしれないのに。この国で[[rb:馬鹿になったらどうなるか > 、、、、、、、、、、、、]]、承知の上で皮肉にまみれた冗談を言うんだから、怖いなあ。
 達観したラキオだからこそ出てくる言葉なのかな。少なくとも、ラキオと出会う前の私は間違ってもこんなことは考えなかっただろう。

 ラキオはこのグリーゼという国に適応できたからこそ今ここに存在しているというのに、その反面グリーゼの民らしからぬ、己の美学を突き通す人。
 良い意味でも悪い意味でも、この世界に対して反抗的なのだ。私は出会った時からそんな彼のことが好きだった。あ、今も好き。


 少し話を変えるけど……外国風に言うなら、私とラキオは血が繋がった兄妹である。そして実は、同じ遺伝子から生まれた人間は他にも数えられるだけ存在する。ああ、正しくは、存在した。
 私たちは血が繋がっているというだけで、特別な関係ではない。グリーゼで血縁関係が認知されるのは出生時までであり、生まれた後は完全なる別個体として、個々の能力が最重要視される。

 だから、たとえ親が優秀な遺伝子だったとしても、子が欠陥品だと判断されれば容赦なく下級市民に降格する。そしてそれは、兄弟関係においても同様。そういう法律の下にこの国は成り立っている。
 私が知る限りでは、私とラキオ以外の血縁者は既に、ほとんど全員星になったらしい。だからどうってわけじゃないんだけど、人扱いされない人の存在を知った時のラキオの顔……私は今でも思い出せる。
 ラキオはグリーゼの民らしく自らが知性至上主義者でありながら、この国の現状を良しと思っていない節がある。下級市民のことを見下しているふうなことを言いながら、どこか気にかけているような、
《何を考えているンだい?》
 …………。なんでもない。

 ベッドに座りっぱなしで考え込んだ私に、ラキオはわざとらしく首を傾げながら、のこのこ隣までやってきた。
 私が考えていることは全部分かるくせに、そうやって構ってくるのは思考の邪魔をしたいだけなのだろう。気にせずに頭を動かす。

 ずっと前から気がついていた。ラキオは何かをしようとしている。この国のことで何か、問題提起をしようとしている。けれども、答えのない問題に答えられない己に嫌気が差している、のだと思う。彼の頭の中は定期的にモザイクがかかる。
 答えを見つけようとしているのだろうか。あえて今、グリーゼから離れることで、この国に対する客観的な視点が欲しいのかも。ああそっか、ようやく分かった気がする。ラキオの本当の目的。
 いわゆる自分探しの旅、みたいなものなのかな。明確な目的なんて無い。ただ気分を入れ替え、思考を整理するための。
 うーん、ますます短期間で帰ってくる気がしない、この人。


 で、ラキオ。
 その短期間の旅行とやらに、あなたはどうして一人で行こうとしているの?どうしてその計画に私がいないのかな。それが分からない。
 酷いじゃん。ずっと一緒だと思ってたのに。まさか私の意見も聞かずに置いていくだなんて。そんなのいきなり知らされても、困る。そんなの、認めたくない。たとえ短期間だとしても、置いていかれたくない。私がどれだけラキオのことを特別に思っているのか、分かっているくせに。
 一度きりのお別れだって受け入れ難い。
 今日初めてラキオの思惑を感じ取った時、当たり前のように自分を連れて行ってくれるものだと思った。だって私たちはどんな時でも一緒だったもの。いつも、いつでも、学校にいる時も、寮にいる時も、寝る時も、街へ出る時も……今もこうして一緒にいるんだから。
 でもラキオは私とお別れしたいんだって。ラキオが私のことならなんでも分かるように、ラキオが考えていることは、いつも、いつでも、手に取るように分かる。ラキオは自らの頭の中を、私には全てさらけ出してくれる人だ。
 でも、やっぱり分からない。分かりたくない。どうして私を置いて一人で行こうとしているの。もしかして、私のことなんか、どうでも良くなった?私のことなんか、どうでも――

《僕はどうでも良くなった相手とこんなふうに触れ合ったりはしない》

 …………。
《セキル、こっちを向いて》
 ラキオの手が私の頬を撫でた。
 考えすぎて頭が火照ってきた感じがしていたけれど、そのひんやりとした手の感覚に思考が中断した。
《まあ、君なら当然着いて行きたがるンじゃないかって思っていたよ。こんなにも寂しがり屋の人間を、僕は他には知らない》
 …………。
《ほうら、君は隠し事が苦手だろ?今どんな気持ちで僕の中を覗いているのか、手に取るように分かる》
 …………。
 分かったうえで、私を置いていくの。
《そうさ。セキルがどれほど僕に思い入れがあって、僕のことが特別で、僕と一緒にいたいと思っているのか、分かったうえで、だ。僕は君をこの国に置いて別れを告げる》
 そんなの、嫌だ。
《僕は寛大だからね、これまでに星の数ほど君の我儘を聞いてきたけど、今回ばかりは譲れない》
 …………。
 ラキオはこちらに寄りかかるようにして、横から私を抱擁した。その白い素肌のもちもちの頬を私の頬に押しつけ、甘えるように頬ずりをしている。
 あ、これは。自分の望みが全部通ると思い込んでいる可愛い小動物……に擬態するラキオだ。己の可愛げを自覚しているところがとっても可愛いんだけれど、今だけはさすがに心を無にしてラキオの手を払い除けた。
《セキル》
 が、離れるどころか負けじと密着してくる。そんな彼と至近距離で目があった途端、思わず怯んでしまった。
 ああ――本気のようだ。
 ラキオの瞳の奥に、そう書いてある。
 でも、でも……、私は納得できない。どこへ行くにもラキオと一緒じゃなきゃ。
《いいや。君は連れて行かない》
 嫌。連れて行って。
《分かるだろう。僕がそう判断した理由くらい》
 全然分からない。私にはちっとも。私もラキオと一緒に行きたい。
《駄々をこねても無駄だよ。この分からず屋》
 分かってくれないのはどっち?
《言うまでもなく君の方だ。こんな分かりきったこと、わざわざ説明したくないンだけど?》
 言ってくれなきゃわかんない。ラキオのばか。ばかばかばかばかばか
《ああ、ムカついてきた。セキル、一旦それを外すンだ。没収してやる》

 その時、ラキオの腕がぬっと耳元に伸びてきて、私のイヤーカフに手をかけた。嫌。取らないで。これがないとラキオの心が見えないもの。そう思って抵抗したけど、ベッドの上で馬乗りになってまで襲いかかってくるから、この取っ組み合いはラキオの圧勝だった。
 私はあえなく撃沈した。諦めてベッドに倒れ込んだ次の瞬間、私の鼓膜が聞き慣れない声を拾った。

「さあて。一度しか言わないからよく聞くことだね」

 …………。
 ラキオってこんな声だったっけ。
 そう首を傾げている間に、怒涛の説明会が幕を開ける。

「あのねぇ。いくら君が鈍臭いといっても、君の頭脳が、我が国の誇る擬知体を凌駕する程に卓越していることには僕も一目置いている。君のそれは人智を超えているンだ。国が総力をあげて保護するレベルでね。全く、忌々しい」
 …………。
 突然何を言い出すのかと思ったら。
 私に跨ったままのラキオの指が、私の頭をトントンとつついている。それも結構強めの力で。
「いいかい?この頭脳がある限り、君はこの国では一切の危険に晒されることはないと言い切れる」
 ……危険に。
「なんでって、君の肉体は常に健康的で、傷一つなく、清潔感が保たれ、いつ何時も、この脳味噌が最高のコンディションで稼働する状態でなければならない。――この、グリーゼ船団国家という場所でね。ああ、ここテストに出るかもね」
 ……なんのテストだろう。
「もはやそういう法律があるンだ。お上が自分ら好みに勝手に創り出したデタラメなものとはいえ、あの人らは君の首から上を護るためならなんでもするだろう」
 ……なんでも。
「たとえば、公共の場で僕が君にデコピンでもしようものなら、次の瞬間には僕の指が飛んでいる。分かってる?そのレベルなンだ」

 音声伝達が嫌いなわりにはやけに饒舌な彼の声にそう言い聞かせられながら――デコピンされた。結構痛かった。もう、何するの。ラキオのばーか。ばーかばーかばーかばーか……(今のラキオは私の思考が読めないから、言いたい放題だ)(そしてラキオも考えてること全部声に出す勢いで、めちゃくちゃ喋りまくっている)

「そんな君を、特別な理由もなく危険の蔓延る国外へ連れ出すなどもってのほか」
「試しにセキルの分の渡航申請を出してみようか?いいや、試すまでもない、即座に跳ね除けられるに決まっている」
「ここまで言わせておいて、分からないとは言わせないよ。結論、君はグリーゼ以外では生きられない」

「君にとって、ここが一番安全な場所なのさ」

 …………。
 ラキオが必死になってペラペラと喋りまくっている間に、取り返しておいたイヤーカフを再び耳に装着した。落ち着く。


 要は、ラキオは私を安全な場所に置いていきたいらしい。その心遣いは嬉しいけど……いや、正直全然嬉しくない。
 あのね、ラキオの方こそ分かってない。私がいたいのは安全なところじゃなくて、ラキオの隣なの。ラキオと一緒にいられたらそれでいいの。どれほど危険な場所でも、ラキオの隣が私の居場所。
 ラキオと一緒にいられるなら、グリーゼのことなんてどうでもいい。
「ああ、そう。僕には理解できないな。国の中でも随一ってレベルで丁重に扱われているはずなのに、優先すべきが[[rb:それ > 、、]]だなんて」
 …………。なんか文句あるの。
「まったく、君の思考回路はどうにもグリーゼの人間らしくない。こんなものが本当に保護されるべき対象なのかな?」
 …………。ラキオに言われたくない。
「ま、そういうところが気に入っているンだけどね」
 ラキオはそこまで一気に言い切ると、急に満足したように微笑んだ。馬鹿にするような感じじゃなくて、穏やかな笑顔で。どういう情緒をしているんだろう、この人。

《ふーん?そんなに僕と行きたいンだ》
 行きたい。
《外に出れば何が起こるか分からないよ?国外の情勢がどう、とかいう話じゃあなく……行方不明になった君を血眼で探すであろうストーカーみたいな輩が、この国には五万といるからね》
 そんなことはどうでもいいの。
《僕は君のために苦労したくないンだけどな。正規のルートで、正式な許可を得て、少しの間国を出るだけなのに。そこに君を連れて行くという選択をとっただけで、どう頑張っても至極面倒なことになる》
 迷惑なんてかけないもん。
《全く……聞き分けの悪い子。君は僕に、大切に大切に育てられたお国の箱入り娘を拐かす蛮族にでもなれって?》
 …………。
 なってくれないの?


《それとも、僕を捕らわれの娘を助け出す英雄にしたいのなら、話は別だけど》


 瞬きをした。

 飛び起きた。
 飛び起きた反動のままに、ラキオを押し倒した。
《わぁ。いきなり何をするンだい。驚いたじゃないか》
 ねえ、今の、どういう意味?捕らわれの娘を……って、私のこと?私を一緒に連れて行ってくれるの?ねえ、ラキオ?
《はあ、あはは。急に顔色が変わったね。あまりにも想像通りの反応で、感動を禁じ得ないよ》
 答えて、ラキオ。
 押し倒されても一切余裕の表情を崩さないラキオに無言の圧力をかけた。私を見上げてニヤリと笑う、その可愛くて憎たらしい彼の瞳をじっと見つめる。
《あぁそうさ。君の思う通りだよ。……あぁ傑作だ。セキルのその顔を見るためだけに手の込んだ嘘をついてみたけど、思った以上に騙されてくれるから――》
 私を置いていくのは、嘘ってこと?

 さっきとは形勢逆転、馬乗りの体勢でラキオの胸ぐらを掴む。この着古したシャツが破けそうなくらい、力強く。ねえ、今の、嘘、って、つまり、そういうことだよね?ラキオが私を置いていくなんて、やっぱり嘘ってこと、だよね?ね?
 全然笑えないけど、自分でも笑ってしまうくらい必死の形相で問いかける私。そうしたら、笑えない私の代わりにラキオが盛大に笑い出した。
「あはははっ!」
 ついに限界を迎えたみたいに、笑い出した。部屋中に響き渡る大きな大きな笑い声が、私の鼓膜をまたもや突き破った。思わずびくっと肩が震える。
《あははっ、僕は、最初から、そのつもりだったけど?君が本気にするから、打ち明けどころをなくしてしまったのさ!》
 は?最初から、そのつもりだった?
《はーっ、あはっ、おかしい!君は本当に僕を笑わせるのが得意だよねぇ……なに、ちょっとした余興じゃないか。フフ、余興があって悪いのかい?》
 は?余興?

 ラキオが何を考え出したのか分からない。もう分からない、私。
 それにしても、よくもまあそんなに笑えるなぁというくらい激しく笑われている。あははははっ、あはは……って。隣の部屋まで聞こえてしまうんじゃないかってくらい。防音だから聞こえないはずだけど。
 私に組み敷かれながら、寝転がったまま笑いに笑うラキオを呆然と見下ろす。途中、笑いすぎて気管支がバグったのか「ゲホゲホッ」と無様に咳き込んだりしていたけど、私は特に反応することなくただただ彼を見下ろしていた。


 ラキオ、全部嘘だったの。
 ここまで頭の中で繰り広げてた思考、全部全部嘘だったの。
《君みたいな鈍臭い相手にバレないよう、思考を一時的に置き換えるくらいわけないさ》
 は?そんな器用なこと、できるの?
《実際騙されていたじゃないか。今までのことは……そう、ちょっぴり演じただけ。どう?僕って意外と人を欺くのが得意なのかも》
 …………。
 ……。
 得意げな顔で馬鹿なこと言わないでよ。

 私は感情の赴くままにラキオをぽかぽか殴った。何度も何度も。
 今の精神状態じゃ、どんなに考えてもラキオを成敗する方法などこんなことしか思いつかず、こんなことしか実行できなかった。《やめて、やめてくれ》なんて、未だに薄ら笑いながら私の攻撃を受け止めるラキオ。ふざけるな。
 でも、次第に殴る気力すらなくなって、項垂れた。肩を落とした。気が抜けたようにため息をついた。
 それに、泣いちゃった。

 ふん。べつに嘘をつかれたことに怒ってるんじゃない。だってラキオは人を馬鹿にするのが生き甲斐のゴミクズみたいな人間だもん。そんなことは分かってる。だからそんなことはべつにいいの。
 でも、違うの。たとえそれが嘘でも、ラキオに突き放されたと本気で思ってしまったことが、私は悲しかった。本当に置いていかれると思ってしまったのだ。それは私の機動を制御する大事な大事なコアの部分が、切り離されたかのような苦痛だった。
 私にとって、ラキオという存在がこんなにも大きなものだったなんて、…………改めて思い知らされた。

 ラキオのばか。
《あぁ、セキル……よしよし、泣くンじゃないよ。もっといじめたくなるじゃないか》
 ラキオのことはいつか殺そう。
 ラキオのシャツを力なく握りしめながらそう決意した。
《ふふ、馬鹿だなぁ。考えるまでもない。君をこんな、息苦しい窮屈な場所にたった一人で置いていくわけがないだろう。だって――》

《セキルは僕がいないと死んでしまうからね》

 ラキオは呼吸が下手になった私を見てようやく人の心を思い出したのか、よいしょと起き上がった。そして、壊れたサイボーグのように挙動がおかしくなった私の体を大切に抱きしめた。大切に大切に。
《おやおや、君が過呼吸になるところは久しく見ていなかったのに。そンなに不安だったのかい?可愛いね、君。セキルは生命活動が下手な割には愛情表現が分かり易くて助かるよ。あぁ、やっぱり僕がそばにいてやらないとね》
 ラキオは私の背中をさすりながら、子供をあやすように、赤子に呼びかけるように、優しげな心持ちで《よしよし、いい子だね》と宣っている。
 だめ。騙されてはいけない。これは悪魔が天使のフリをしているだけ。天使の皮を被った悪魔はそれはそれは狡猾で、急に人が変わったように優しくなる性質がある。
《セキル、落ち着くンだ。君が心乱されているところを観るのは愉しいけど、身体まで壊しちゃいけない》
 うーん、どうやって殺そうかな。やっぱり屈辱的なやつがいい。
《……御免よ。一応、謝っておく。気が向いたら赦しておくれ。どう?赦す気になった?》
 あーあ、これ絶対謝っとけばいいと思ってるやつだ。ゆるす、ゆるさない、とかじゃないのに。心の中でふつふつと怒りが湧き上がる中、ラキオは大胆にも私の顔面を自身の胸にぐりぐりと押しつけた。
《あぁもう。好きなだけ泣けば?君は僕の前では自由なンだから。僕の命だって、いつでもくれてやるさ》
 そういうわりには、収まらない嗚咽を止めるために応急処置として急にタオルを口に突っ込んでくるから死ぬかと思った。ラキオのばか。


《これで判ったろう。[[rb:君が > 、、]]、どれだけ僕を必要としているかってことがさ》
 …………。
 ラキオはなんか上手く事態をまとめたみたいな感じでドヤ顔をしているけど、結局、なんの茶番だったの? これ。
 私はしばらく経ってもぐすんぐすん言いながら、ベッドの端っこで膝を抱えてラキオを睨みつけていた。
《ねえ、ラキオ》
《なンだい。泣いたからかな? 今の君はやけに思考がまとまっているようだけど》
《……だいすき》
 ずっといっしょがいい。
《ふ〜ん。そんなの、わざわざ伝えてくれなくても知ってるよ。そんなことは自明の理じゃないか》
《ラキオは》
《あン?勝手に覗けば?》
 …………。
 さっき騙されたばかりなのに、ラキオのことなんか信用できないという顔をした。
《こんなくだらないことまで嘘をついたりはしないさ。ほら、僕の頭の中には何が書いてある?》

 その自信に満ちた瞳が私を射抜いた瞬間、こちらから読み取ろうとするまでもなく、温かなドデカイ感情が私の中になだれ込んできた。


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