03


「どーしたの、眉間にしわ寄せちゃって。話聞こっか?」

まるで下町のナンパ男みたいな薄っぺらな言葉を並べて、にこやかな笑顔を見せる。相変わらず前触れもなくぬるっと登場する男だ。少し先の廊下から、これから私が“どうにかする筈だった”男の死体を背に、ゆっくりとこちらに近づいてくる。

「こうも悪い天気が続いちゃねえ。ま、雨上がりって僕結構好きなんだけど。君は?」

……心配しているつもりらしい。残念だが、あなたに言うようなことは何も無い。ただ、ニアが家で大人しくお留守番できているかどうかを考えていただけだ。
体勢を整えながらハンドガンを引き、狙いを定める。もう取引関係を持ってから数ヶ月は経つ身だ、撃つ撃たないは別にして……こうでもしておかないと気が済まないのは、単に私が過剰過ぎるだけか?銃口を向けられていても相手は既に武器を全てスーツの中にしまい込んで、完全無防備で目の前に突っ立っている。
今、躊躇なくトリガーを引いても当たらない気がするのは、流石の貫禄といったところか。こうしていても腕が疲れるだけなので、こちらもすぐに銃を下ろした。

「条件は?」

廊下に倒れている男の、受け渡しの条件。

「せっかちだねえ、もっと世間話挟んでからで良いでしょうに。もっと段階踏んでさあ」
「こう話をする時間が無駄です」
「無駄を全部省いてちゃつまんないじゃん。それに、僕が協力してあげたから、今この余裕があるんだし?」

協力を頼んだ覚えはない。いつもそうだ。いつもそうだからこそ、これ以上口を開いても意味は無い。糸目の横を通り過ぎて、床に倒れる男の元へ歩み寄った。右脚側部の古傷が分かるような状態であれば死体でも可。当然依頼条件に合致している。このまま運んでしまえさえすれば今日の仕事は終いだ。
一応盗聴器や発信機の類がないかを手探りで確認していると、後ろから「心配しなくとも余計なものは全部とっぱらってるよ」と声が聞こえた。まあそうだろうな。あなたの仕事ぶりは今日に至るまでに既に理解している。

「んでさ、条件ってやつだけど」

せっせと運搬の準備を進める私を置いて、さも当然のように運転席に乗り込む男。何をやっているんだ、この人は。窓の外から見下すように視線を送ると、彼は親指で助手席を指差した。既に条件とやらは始まっているらしい。
仕方なく指示通りに助手席に座る。なるべく顔を合わせないように。ミラーにも目を向けず。というかほとんど目を閉じて彼の言葉を待っていると、ふいに近くに気配を感じ、気づいた時には顔と顔が超至近距離まで近づいていた。

「今度、君んち行くからごはん用意しといてくんない?僕映画とか見たいなー」

思わず息を止めた。そして反射的に頭突きをした。だべってないで早く車を出して貰えないだろうか。額を押さえ唸り声をあげる彼に無言で目配せすると、彼もまた何も言わず乾いた笑い声を出した。

「君ってさ、ホラーとかいける口?ホラーっていうかスプラッタ系?ま、現実と比べたらどの映画もファンタジーみたいなもんだけど。そもそも君の家ってテレビあるっけ?」
「……」

無視。どこで出くわすにも嫌なのは嫌だが、家となるともっと嫌。この間、家の前で待ち伏せされた時はほとんど無抵抗の間に扉を開かれ、その時たまたまニアは会社にいたから事なきを得たけれど。そんな幸運も何度も続くはずがない。
この男の口ぶりからするに、いつ家に現れてもおかしくない。ニアをずっと会社に預ける訳にもいかないし、とはいえあの子が実家で大人しくできるはずもないし……色々と面倒事が多くてやってられない。

「それにしても君と二人っきりってだけで緊張しちゃうなあ、いやあ困った困った」
「……」

ふと……考える。
この男。電番も、家の場所も、変えた瞬間から当たり前のように特定してきているのに、妹の存在にだけは未だに気づかれていないようだった。何故?もちろん私だってその努力は怠っていないし、気づかれないに越したことはないのだが。それにしても、何故?

あの元気いっぱいな妹が、常日頃から隠れんぼしているわけでもあるまいし。

男の話をほとんど聞き流しながら、外の夜景を無理やりにでも視界に入れて気を逸らす。と、電話が入った。社長からだ。とっくに日付は回ろうとしているのに、仕事熱心な……。隣に部外者の男がいるのは気になるが、それまで止まる様子のなかった話をわざわざ中断して「どうぞ」と合図を送るものだから、まあ後でかけ直すのも手間だし素直に電話をとる。
念の為イヤホンを指して、音量は極力小さく設定して、……。

「ニアちゃん、会社にねこのぬいぐるみ忘れたろ?これ無いと寝れないだろうから届けようとしたんだけど……今一緒にいるんだっけ?」

インターホンに誰も出ないんだ。


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