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雲ひとつない大空の下、大海原のど真ん中。太陽の日差しが暑苦しいのに、潮薫る海風が気持ちいいったらない。此方は島国の育ちであるから、幼い頃はよく手漕ぎ船に乗って七海や難升米と共に海に出たものだ。氷川家の仕事として国内警備の任についてからは、そんな機会も無くなってしまったが。
鬼倭海域と違い、シンドリア海域には凶暴な南海生物が多数生息しているというのは既に聞いた話ではあるが、毎度毎度、突然極まる彼らの御登場にはさすがの此方でも度肝を抜かされてしまう。こんなの鬼倭国の小船なら一発で壊滅である。
しかし、さすがはシンドリアの商船、質のいい木材をふんだんに使っているからかそのような心配はなさそうだ。此度シンドバッド王さまから仰せつかった任務のことなど忘れて、思わず目を色々に動かしては観察を始めてしまう。南海生物ではなく、船の観察を。
だって、どの設備にどんな木が使われているのか気になるんだもの。すれ違う武官の方々から感じる視線は気にせず、此方はひとり飽きるまで壁や天井を見つめた。普通に変人と思われているかもしれない。


「おねえさんは、赤琉さん……だっけ?シンドバッドおじさんの部屋で初めて会った時は、あんまりお話できなかったよね」
「はいな、アラジンさま。あなたがたのことはシンドバッド王さまより色々と伺っております。短い間になりますが、どうぞよろしく」

まさか、此方が先日侵入した部屋の使用者と正式にかかわり合いを持つことになろうとは、その時は考えもしなかったな。
……と思いながら、さも初対面であるかのように装い繕って、差し出された小さな右手を優しく握り挨拶を交わす。此方の諜報活動は基本的にただ聞き耳を立てるだけのスタイルでまかり通っているため、此方が一方的に顔を知る以外にこうして面と向かって話をするのは、あまり例がないのだ。
その少ない機会に伝説の『マギ』と面識を持とうとは、それはそれは光栄なことである。名をアラジンという小さな少年は、年相応の笑顔で此方の名前を繰り返した。

「赤琉おねえさんは、どこから来たんだい?」
「此方の生まれ故郷、ですか?」
「うん。見た感じシンドリアの人じゃなさそうなのに、迷宮『ザガン』に“行き慣れてる”っていうのを聞いて不思議に思ったのさ」

シンドバッド王さまが先日王室で此方らに話したことを思い出しているのだろう。アラジンさまは甲板の隅に並んだ椅子に座り、まだ床に届かない足をぶらぶらと揺らしながらそんなことを尋ねた。
手招きをされたので、恐れながら此方もその隣に腰を下ろして諸々の説明を始める。少年から感じる視線がやや顔の下に向かっているのは気のせいであろうか。

「此方はただの留学生ですよ。植物に少し興味があるだけの……。シンドリアの南海列島には珍しい植物が多く生息しているので、これまでに何度か行き来させて頂いていたのです」

此方が既に眷族器の保持者であるということはご存知の通り、此方はべつにこれ以上の迷宮攻略を目指しているわけではない。そもそも眷族器と金属器は同時に持てないものである。
では何かというと……シンドバッド王さまから有難くも南海列島の調査・探索の許可を得ていた此方は、この一ヶ月に何度か行きした甲斐あって、迷宮『ザガン』への船旅にはもうすっかり慣れてしまった……というだけの話。
本島よりも奇怪な植物が多く、まだまだ観察し足りないと奮起していたそんな折、シンドリアのとある食客たちを迷宮『ザガン』へ御案内する命をシンドバッド王さまより仰せつかったのだ。そう、アラジンさま御一行のことである。おそらくは、歳が近いというだけの理由で任されたのだと思っているが。

「そうなんだね!じゃあ、白龍おにいさんとは一体どういう関係なんだい?」
「……え?」

この子は淡々と衝撃的な発言をするなあ。なんだか少し目眩がした。さも友人の名を呼ぶように煌帝国の皇子を「おにいさん」と称するのだから、なかなか肝の座った物言いである。
なんて思いきや、アラジンさまは先日もシンドバッド王さまのことをおじさん呼ばわりしていたし、同じ船に乗っているバルバッド王子と友人以上の関係を築いているようだし、彼からすれば王族を敬う文化の方にこそ違和感を覚えているのかもしれない。
まあ、異文化を持つ他人の習慣にはお互い干渉しすぎないのが身のためだ。その点については特に反応せず、聞き返すべきところを聞き返した。

「どういうって、何のことです?」
「何って、出発する前に二人が何やら話しているのを見たよ」
「……ああ、あれはただ、わざわざあちら様から簡単にご挨拶頂いただけですよ。ほら、あの方は身分によらずとも、もともと礼儀正しい方でいらっしゃるみたいですし……」
「服装が似ているから、ぼくはてっきりおねえさんも煌帝国の人なんじゃないかって思ったんだけど……でも、この国に来るのは赤琉おねえさんの方が早かったんだよね?どういうことだい?」

鬼倭国のご近所さまである煌帝国の人間がシンドリアにいる限り、その話題はいつか来ると思っていたから特別驚かなかった。そりゃあ西の方々は極東の地域の服装の違いなど差して区別できなかろう。しかもシンドバッド王さまの計らいにより、此方の素性は一部の人間しか知らされぬ事実。
たとえ鬼倭王国のシンボルマークである鬼の飾りを身に付けていても、ここでは見慣れない者がほとんどだ。煌に比べてしまえばかなりマイナーな我が国のことなど、知らずとも恥ずべきことではない。

「此方は煌帝国の者ではございませんよ」
「そうなのかい?」
「しかし、かなり近い国同士ですので、雰囲気が似通うのは当然のことです」
「でも、煌帝国は周りの国をどんどん自分のものにしているんだったよね?おねえさんの国は無事なのかい?」
「心配はご無用です。煌よりさらに東の小さな島国のことなど、彼らにとっては蚊帳の外。今更関心など向きませぬ」

ふうん……と、何度か相槌を打つ少年。誤魔化してはいるが、此方はひとつも嘘を言ってはいない。ただ、外交的な目的以外で国名を言うのはお国柄ご法度であるから、たとえ聞かれても此方ははぐらかすだけである。

「おねえさんのことはね、最初に見た時から気になっていたんだ」
「そうなのですか?」
「うん。おねえさんのルフがね……というか、おねえさんの眷族器のルフが、とっても懐かしい色をしているから」
「……色?」
「今度、そのこともお話できたらいいなぁ。おねえさん、改めてよろしくね!」

世間話もそこそこに、アラジンさまはお仲間のアリババさまと一緒に、八人将のピスティさまに誘われ海へ泳ぎに向かわれた。正直、海の生き物と泳ぐのは楽しそうではあるが、此方には残念ながらそのような元気はないのでひらひらと片手を振って彼らを見送った。
もともと植物の観察をするのでもない限りは屋内で過ごすのが好きなのだ。案内係としてある程度は我慢してみたけれど、この日差しの強さにじんわりと耐えられなくなって来た。同じく彼らのお仲間であるモルジアナさまは平気そうな顔をしているが、割と限界な此方はここら辺で自室に舞い戻らせていただく。

「……喉が渇いた」

部屋に戻る前に、水分補給をしようと船内のお台所に顔を出したのは、正しかったのかはたまた間違いであったのか。此方にはいまいち判断しかねるが、それはともかくこんなところでかの皇子とご対面するのは全くの予想外のことである。
今思えば、運命の境目は既に通り過ぎてしまっていたのだろう。この時、お台所に寄ろうが直接部屋に戻ろうが、その後の未来にあまり変化は訪れなかったことと思う。
あの時、“あの会話”を聞いてしまった時点で、此方は……。


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