「皆々さま。急ですが、此方もここらでお別れとさせて頂きます。今まで大変世話になりました。ありがとうございました」
「は?」
シンドバッド王さまのご厚意によりシンドリアへ海賊の子らの引渡しを終えたあと。事件が一段落ついたとはいえ、未だに険悪な空気が漂う中で此方は腰を九十度に曲げて深々と頭を下げた。そんな空気ではないことは承知の上で。
そうしたら間髪入れずにアリババさまが戸惑いの声をあげたので、お辞儀をしたまま苦笑いをしてしまった。表情が見えていなくとも考えていることが丸わかりである。顔をあげるとやはり、彼は焦燥感丸出しで此方を見つめている。
「それって……お前、まさか」
「お察しの通り、此方は白龍皇子の後を追います。ですので皆さまとはここでお別れです」
「……ほ、本気ですか?」
「ええ。モルジアナさま」
此方はにこりと微笑んで、再びなるたけ丁寧にお辞儀をした。お別れのご挨拶だからこそ、丁寧に気持ちよく。
白龍皇子は海賊の頭領であるマドーラを処刑したあと、別れの挨拶もなく此方らを置いてお一人で立ち去った。モルジアナさまやアラジンさまの説得も虚しく戻ってくることはなかった。今も東方に向かって歩みを進めている真っ最中であろう。
幻覚を見せられたとはいえ一時は我々に槍を振りかざし、さらには感情に流され民衆の前で私刑に及んだのだから、気まずい空気になることは避けられなかった。だからこそ、もう一緒には居られぬと判断したらしい。
まあこれほど時間が経っていようが、此方の足であれば追いつくのは容易い。それよりも此方はしっかりと皆さまにご挨拶をしておきたかった。大陸に住む白龍皇子さまはまだ彼らと再会できる機会があるかもしれないけれど、此方だけは、おそらくもう次がないからだ。
「進行方向は同じですし……近い国の者同士、白龍皇子には良くして頂いたので、ここは此方におまかせください」
「おまかせったって、確かにお前らは気が合いそうに見えたけど、モルジアナもアラジンも説得出来なかったのに……!」
「まだ実感などは湧きませぬが、此方は奇しくもあの方の眷族と相成りました。お二人の話を聞く限り連れ戻すことは……出来なさそうですが。それでも、此方だけでもお付き添いしたほうが良いかと思いまして」
本当になぜ此方が眷族になったのかは今も不明のままであるが、眷族とはいつだって主に付き従うべきものだろう。無理やりな理由をこぎ着けて適当なことを口にした。
先の処刑の後に交わされた会話をいつもの如く盗み聞きしたけれど、白龍皇子とアリババさまの間には既に決定的な亀裂が生まれていた。頭領が死ぬことでその場は収まっても、残された子供たちに新たな恨みが生まれては元も子もない……客観的に見て、真っ当なのことを言っていたのはアリババさまの方だった。それに対して白龍皇子の言い分は正しくはあれど少々過激で、なかなか賛同できるものではない。
しかし白龍皇子の目的と執念を知ってしまっているからこそ、此方は誰よりも彼の言動が理解できる。母親を騙る愚かなマドーラの首を落とすに至ったことも、決して不可解などではない。それにこの構図は……白龍皇子がお一人になる。ならば多少理解のある此方だけでも、御味方でいて差し上げるべきなのではないだろうかと思ったのだ。
そんな時に、まだ何か言いたげなお二人を制止するようにアラジンさまは一歩前に出た。
「赤琉おねえさん。白龍おにいさんはもう随分遠くに離れてしまっていると思うんだ。良かったら僕が送るよ」
「あら。せっかくのお誘いですけれど、此方は自分の足で向かいますから大丈夫ですよ。走るのには自信があるのです」
「そうかい?それならいいんだ」
「アラジン!お前は、いいのか?こんな別れ方で……」
「うん。ここでお別れしちゃうのはもちろん残念だけど、僕は赤琉おねえさんならまかせられると思う。なんだかそんな気がするんだ」
アラジンさまはたまに何かを見据えたようにものを言う。そこまで信頼されては困るのだけれど、彼には何が見えているのだろう。まあ、同じマギでもあのジュダルさまよりは正しくものが見えていそうだ。
「それに二人は進行方向が一緒なんだから、結局後を追うことになるだろう?それなら一緒にいた方が安全だし、安心できるよ」
「そ、そうか。そうだよな」
そうそう、もとより此方は白龍皇子と進路がモロ被りしているから同じ船に乗せてもらった身なのである。天山山脈まで一人でたどり着ける自信もないのに、ここでお別れをしたら一緒に来た意味がなくなってしまう。そこまで説明をしたらようやく納得してくれたみたいで、お二人はそれぞれ頷いてくれた。まだぎこちないけれど。
「なあ赤琉。次、また会えるよな……お前にも白龍にも……」
「皇子はともかく……此方はもともと最初で最後の留学のつもりでしたから、それは難しいかもしれませんね」
「そんな!だったらこんな別れ方しなくても、いいではありませんか……」
モルジアナさまに手を握られた。ザガンの島の時と一緒だ。此方を心配している目。温かくて優しい。
「……お前、秘密にしてるみたいだから聞かなかったけど、やっぱり教えてくれないか?お前の国、名前だけでもさ。そしたらこっちから会いに行けんだろ……?」
「私も……このままお別れするのは心苦しいです。せっかくもっとお話できると思ったのに」
「残念ながら、それは叶いません」
「なんでだよ」
「現在、此方の祖国は外国人の入国を厳しく制限しているのです。もちろん国王の許可があるのなら話は別ですが」
「そんなの関係ねえよ!友人に会いに行くのに許可なんか必要ねえだろ」
友人と此方を形容してくれたことに、もっと温かい気持ちになる。此方はモルジアナさまの手を一度ぎゅっと握り返し……そして、離した。
「せめてさ、どの辺にあるかだけでもさ、教えてくれてもいいだろ――」
アリババさまは此方が少し微笑みながら自分の口元に人差し指を立てたのを見て、口を閉じた。心苦しいのはこちらも同じことだ。しかし此方は国の秘密を語ることはない。タケル様のご意志を尊重しているから。
「皆さまにお会い出来て、此方は大変幸せ者でございました。またどこかでお会いしましょうね」
会える可能性なんて無いに等しいけれど、此方も皆と同じ気持ちであることをお伝えしたく、これを別れの言葉とした。この時の此方はまだ少し悲観的で、結局のところ彼らとはまた再会できるのだけれど。
……あんなにも最低最悪の再会を果たすことになろうとは、脳内お花畑の此方は思ってもみなかった。
+
アクティア王国を南岸沿いに東へ伸びる小道を駆け抜けるひとつの影。刑吏隊の隠密機動時はトラブルのあった場所へいち早くたどり着くために、屋根屋根の上を飛び移り、道無き道を素早く移動することが求められる。
幼少期から人に言われるまでもなく刑吏の真似をして“忍者ごっこ”をしていた此方は、氷川家当主らしくそのスキルが存分に培われているらしく、初めて行く土地でも時速云々キロで走り抜けることが可能である。国内にはもっと速い者もいるが……此方が誇れるのは持久力だ。
既に一里先まで進んでいた彼の背中に追いつくくらいであれば、息切れなども感じさせぬ。しかし彼を見つけるのに完全裸眼視力に頼っていたためか、ようやく視界に捉えた頃には全速力で止まりきれず、勢い余ってほんの少し通り過ぎてしまった。おっとっと。
何かが道の脇を横切ったことを気配で感じたらしい白龍皇子は、一度振り返って、すぐに正面に向き直った。そこに立つ此方を目にした途端、なんとも形容しがたい表情で口角をあげる。なんてこったって言いたげだ。
「……あなたはいつ何どきも、突然姿を現しますね。もうとっくに追いつけない距離だと思っていたのに」
此方は『霧隠れ』が得意ですからね。しかも鬼倭の忍としての俊足は国内でも誇れるほど。このくらいの距離を一縷に走り抜けるのはわけないのです。……とは言わずに、まずはぺこりと頭を下げて再会のご挨拶をした。短い別れでございました。
たった一人で歩を進める道中、追いかけてきた仲間が後ろからではなく前からドロンと現れるのは粋な演出であろうが。白龍皇子は口では冷静に言っているけれど、少なからず驚いてくれたようだ。いえーい、と言わんばかりの笑顔を此方がしたからか、彼は追い返す気力もなくなったのか小さくため息をついて再び歩き出した。当然ついて行く此方。
「どうやって先回りをしたのか、俺には不気味で堪りませんよ」
「そんなことより白龍皇子、置いていくなんて酷いじゃありませんか!急に出て行かれるから此方も急いで御三方とお別れする羽目に……」
「いや、まさかあなたが着いてくるとは思いもしませんでしたから」
「進行方向、同じでしょう?」
「そういえばそうでしたね」
なにがそういえばそうでしたね、だ。シンドリアで同行を頼んだ時に白龍皇子が快く了承してくださったから、此方は喜んで同じ船に乗ることを決めたのだ。知らぬフリをしても無駄である。
最初は歩幅も気にせずスタコラサッサと歩こうとする白龍皇子だったが、小柄な体躯の此方が時たま小走りをするのを気にとめたのか、ある瞬間から少し歩く速度を落としてくれた。根は真面目な白龍皇子。しかし此方がここにいることにまだ疑問を感じているらしい。
「本当に着いてくるおつもりですか?」
「え?はいな。そうですけれど」
「俺と共にいると、またさっきのような嫌なものを見ることになるかもしれませんよ」
自嘲するような言い方である。嫌なもの、というのは言うまでもなくさっきマドーラの首を落としたことであろう。此方は間を開けずに返事をした。
「そうですか?それは願ったり叶ったりですね」
「はい?」
めちゃくちゃ首を傾げられた。そんなに驚かなくてもいいのに。
「すみません……今の言葉、もう一度お願いできますか?」
「此方、白龍皇子がマドーラを処刑したのを見てなんだかスッキリしたのです。悪党の生首って見ていて清々しませんか?だから皇子もあれをああしたのですよね?」
「……」
「本音を言えば、此方がやりたかったくらいです。大悪党の成敗は本来あれくらいで丁度良いのですよ。鬼倭は案外生ぬるい刑罰が多くて、(取り締まる側としては)普段から物足りないというか……」
めちゃくちゃ見下ろされた。
「それは……わざと同調するようなことを言って、俺の機嫌を取ろうとしているんですよね?きっと」
「そう見えますか?」
「いえ、あなたがそういうタイプの人間だったとは思いもせず……誰よりも礼儀正しくお淑やかでいるから。野蛮な台詞は似合いませんよ、赤琉殿は」
「え、え、もしかして褒めてくださっているんですか?」
「……ええ、まあ。そうなりますか」
微妙な反応。あ、褒めたつもりではないと?
しかし、意外にも普段通りに受け答えをしてくれる。二人も追い返した彼だから、此方も容赦なく拒絶されるかもな、と思っていたのはなんだったのか。
いやま、拒絶されたところで無理やりついて行こうとしていたから全然こちらのが都合がいいのだけれど……もう少しくらい強気に踏み込んでみても良さそうだ。此方に対してはいきなり首を落とそうなどとは考えないであろう。たぶん。なので、此方はこう返した。
「でも白龍皇子。そういうことを言うのは意中の女性だけにしておいたほうがよろしいかと思いますよ。もちろん此方は、褒めてくださってとっても嬉しいですけれど」
「……」
めちゃくちゃ黙り込む白龍皇子。誰のことを言っているのかすぐにピンと来たようだ。
「ああ、でもそっか。残念でしたね、彼女は皇子の意に添えなかったみたいで……今隣にいるのがあの方ではなく、此方であって申し訳ないという気持ちもあるのですよ」
「……赤琉殿」
「けれど、女性の立場からひとつ言っておきますが、無理やり迫るのは御法度ですよ!いくら想いが強くとも、相手のお心に反して好意を押し付けるのはむしろ逆効果です。ましてや同意のない接吻など……」
「ハ!?」
めちゃくちゃ衝撃的な顔をされた。此方が女でなければ胸ぐらを掴まれてそうな勢いで振り返るものだから、つい仰け反る。
「あ、あなた……もしや見ていたのか!?」
「ばっちし」
「ドヤ顔をするんじゃありませんよ!いったいいつから、どこから盗み見て……!」
「もちろん最初から、真横から」
「はぁ!?」
分かりやすくテンパる白龍皇子。皇族という肩書きに邪魔をされてしまうが、彼本人はまだ年相応なのだな。真っ赤な顔が可愛らしい。そんなこと言ったら殺されそうだけど。
しかし、なんだ。心配して損をした。……あまり顔色を伺うような真似はしたくないが、ここでこんなに感情をむき出しに出来るということは、思っていたより気落ちしてはいなさそう。意中の彼女に対してあれだけ分かりやすくぽやぽやしていた白龍皇子だから、此方なんかよりもよっぽど酷い別れ方をしたことに内心傷ついておられるだろうなと思っていたのだ。だから少し安心した。
しかし、慰めるつもりが少々言い過ぎてしまったか。さすがに腕を掴むのははばかられたのか両手を変な位置に浮かせながら、じりじりと此方に迫りよってくる。からかうために冗談を言ったのだと思われているようだ。
「真横からって、そんなわけないでしょう!馬鹿なこと言わないで頂けます!?」
「生憎、此方は馬鹿ではございませぬ。大真面目でございます」
「……はあ?」
「まあよろしいでしょう。白龍皇子はもはや此方の新しき主さまとも呼べるのですし、ここで改めて自己紹介を致しましょう」
仮にも眷族なので。二人きりになったことだしこれまで此方が見せた不可解な『動き』のネタばらしを、ここでお披露目するとしよう。此方が何を言っているのかまるで分からぬという顔をする白龍皇子に、まあまあとなだめながら周囲に人がいないことを確認する(……上空には彼の監視のためか“黒い気配”を感じるが、それは今に始まったことではないので気にしすぎないほうが良いであろう)。
一瞬なのでお見逃しなきように。そう断りを入れてから、両手を合わせた。
「は?」
シンドバッド王さまのご厚意によりシンドリアへ海賊の子らの引渡しを終えたあと。事件が一段落ついたとはいえ、未だに険悪な空気が漂う中で此方は腰を九十度に曲げて深々と頭を下げた。そんな空気ではないことは承知の上で。
そうしたら間髪入れずにアリババさまが戸惑いの声をあげたので、お辞儀をしたまま苦笑いをしてしまった。表情が見えていなくとも考えていることが丸わかりである。顔をあげるとやはり、彼は焦燥感丸出しで此方を見つめている。
「それって……お前、まさか」
「お察しの通り、此方は白龍皇子の後を追います。ですので皆さまとはここでお別れです」
「……ほ、本気ですか?」
「ええ。モルジアナさま」
此方はにこりと微笑んで、再びなるたけ丁寧にお辞儀をした。お別れのご挨拶だからこそ、丁寧に気持ちよく。
白龍皇子は海賊の頭領であるマドーラを処刑したあと、別れの挨拶もなく此方らを置いてお一人で立ち去った。モルジアナさまやアラジンさまの説得も虚しく戻ってくることはなかった。今も東方に向かって歩みを進めている真っ最中であろう。
幻覚を見せられたとはいえ一時は我々に槍を振りかざし、さらには感情に流され民衆の前で私刑に及んだのだから、気まずい空気になることは避けられなかった。だからこそ、もう一緒には居られぬと判断したらしい。
まあこれほど時間が経っていようが、此方の足であれば追いつくのは容易い。それよりも此方はしっかりと皆さまにご挨拶をしておきたかった。大陸に住む白龍皇子さまはまだ彼らと再会できる機会があるかもしれないけれど、此方だけは、おそらくもう次がないからだ。
「進行方向は同じですし……近い国の者同士、白龍皇子には良くして頂いたので、ここは此方におまかせください」
「おまかせったって、確かにお前らは気が合いそうに見えたけど、モルジアナもアラジンも説得出来なかったのに……!」
「まだ実感などは湧きませぬが、此方は奇しくもあの方の眷族と相成りました。お二人の話を聞く限り連れ戻すことは……出来なさそうですが。それでも、此方だけでもお付き添いしたほうが良いかと思いまして」
本当になぜ此方が眷族になったのかは今も不明のままであるが、眷族とはいつだって主に付き従うべきものだろう。無理やりな理由をこぎ着けて適当なことを口にした。
先の処刑の後に交わされた会話をいつもの如く盗み聞きしたけれど、白龍皇子とアリババさまの間には既に決定的な亀裂が生まれていた。頭領が死ぬことでその場は収まっても、残された子供たちに新たな恨みが生まれては元も子もない……客観的に見て、真っ当なのことを言っていたのはアリババさまの方だった。それに対して白龍皇子の言い分は正しくはあれど少々過激で、なかなか賛同できるものではない。
しかし白龍皇子の目的と執念を知ってしまっているからこそ、此方は誰よりも彼の言動が理解できる。母親を騙る愚かなマドーラの首を落とすに至ったことも、決して不可解などではない。それにこの構図は……白龍皇子がお一人になる。ならば多少理解のある此方だけでも、御味方でいて差し上げるべきなのではないだろうかと思ったのだ。
そんな時に、まだ何か言いたげなお二人を制止するようにアラジンさまは一歩前に出た。
「赤琉おねえさん。白龍おにいさんはもう随分遠くに離れてしまっていると思うんだ。良かったら僕が送るよ」
「あら。せっかくのお誘いですけれど、此方は自分の足で向かいますから大丈夫ですよ。走るのには自信があるのです」
「そうかい?それならいいんだ」
「アラジン!お前は、いいのか?こんな別れ方で……」
「うん。ここでお別れしちゃうのはもちろん残念だけど、僕は赤琉おねえさんならまかせられると思う。なんだかそんな気がするんだ」
アラジンさまはたまに何かを見据えたようにものを言う。そこまで信頼されては困るのだけれど、彼には何が見えているのだろう。まあ、同じマギでもあのジュダルさまよりは正しくものが見えていそうだ。
「それに二人は進行方向が一緒なんだから、結局後を追うことになるだろう?それなら一緒にいた方が安全だし、安心できるよ」
「そ、そうか。そうだよな」
そうそう、もとより此方は白龍皇子と進路がモロ被りしているから同じ船に乗せてもらった身なのである。天山山脈まで一人でたどり着ける自信もないのに、ここでお別れをしたら一緒に来た意味がなくなってしまう。そこまで説明をしたらようやく納得してくれたみたいで、お二人はそれぞれ頷いてくれた。まだぎこちないけれど。
「なあ赤琉。次、また会えるよな……お前にも白龍にも……」
「皇子はともかく……此方はもともと最初で最後の留学のつもりでしたから、それは難しいかもしれませんね」
「そんな!だったらこんな別れ方しなくても、いいではありませんか……」
モルジアナさまに手を握られた。ザガンの島の時と一緒だ。此方を心配している目。温かくて優しい。
「……お前、秘密にしてるみたいだから聞かなかったけど、やっぱり教えてくれないか?お前の国、名前だけでもさ。そしたらこっちから会いに行けんだろ……?」
「私も……このままお別れするのは心苦しいです。せっかくもっとお話できると思ったのに」
「残念ながら、それは叶いません」
「なんでだよ」
「現在、此方の祖国は外国人の入国を厳しく制限しているのです。もちろん国王の許可があるのなら話は別ですが」
「そんなの関係ねえよ!友人に会いに行くのに許可なんか必要ねえだろ」
友人と此方を形容してくれたことに、もっと温かい気持ちになる。此方はモルジアナさまの手を一度ぎゅっと握り返し……そして、離した。
「せめてさ、どの辺にあるかだけでもさ、教えてくれてもいいだろ――」
アリババさまは此方が少し微笑みながら自分の口元に人差し指を立てたのを見て、口を閉じた。心苦しいのはこちらも同じことだ。しかし此方は国の秘密を語ることはない。タケル様のご意志を尊重しているから。
「皆さまにお会い出来て、此方は大変幸せ者でございました。またどこかでお会いしましょうね」
会える可能性なんて無いに等しいけれど、此方も皆と同じ気持ちであることをお伝えしたく、これを別れの言葉とした。この時の此方はまだ少し悲観的で、結局のところ彼らとはまた再会できるのだけれど。
……あんなにも最低最悪の再会を果たすことになろうとは、脳内お花畑の此方は思ってもみなかった。
+
アクティア王国を南岸沿いに東へ伸びる小道を駆け抜けるひとつの影。刑吏隊の隠密機動時はトラブルのあった場所へいち早くたどり着くために、屋根屋根の上を飛び移り、道無き道を素早く移動することが求められる。
幼少期から人に言われるまでもなく刑吏の真似をして“忍者ごっこ”をしていた此方は、氷川家当主らしくそのスキルが存分に培われているらしく、初めて行く土地でも時速云々キロで走り抜けることが可能である。国内にはもっと速い者もいるが……此方が誇れるのは持久力だ。
既に一里先まで進んでいた彼の背中に追いつくくらいであれば、息切れなども感じさせぬ。しかし彼を見つけるのに完全裸眼視力に頼っていたためか、ようやく視界に捉えた頃には全速力で止まりきれず、勢い余ってほんの少し通り過ぎてしまった。おっとっと。
何かが道の脇を横切ったことを気配で感じたらしい白龍皇子は、一度振り返って、すぐに正面に向き直った。そこに立つ此方を目にした途端、なんとも形容しがたい表情で口角をあげる。なんてこったって言いたげだ。
「……あなたはいつ何どきも、突然姿を現しますね。もうとっくに追いつけない距離だと思っていたのに」
此方は『霧隠れ』が得意ですからね。しかも鬼倭の忍としての俊足は国内でも誇れるほど。このくらいの距離を一縷に走り抜けるのはわけないのです。……とは言わずに、まずはぺこりと頭を下げて再会のご挨拶をした。短い別れでございました。
たった一人で歩を進める道中、追いかけてきた仲間が後ろからではなく前からドロンと現れるのは粋な演出であろうが。白龍皇子は口では冷静に言っているけれど、少なからず驚いてくれたようだ。いえーい、と言わんばかりの笑顔を此方がしたからか、彼は追い返す気力もなくなったのか小さくため息をついて再び歩き出した。当然ついて行く此方。
「どうやって先回りをしたのか、俺には不気味で堪りませんよ」
「そんなことより白龍皇子、置いていくなんて酷いじゃありませんか!急に出て行かれるから此方も急いで御三方とお別れする羽目に……」
「いや、まさかあなたが着いてくるとは思いもしませんでしたから」
「進行方向、同じでしょう?」
「そういえばそうでしたね」
なにがそういえばそうでしたね、だ。シンドリアで同行を頼んだ時に白龍皇子が快く了承してくださったから、此方は喜んで同じ船に乗ることを決めたのだ。知らぬフリをしても無駄である。
最初は歩幅も気にせずスタコラサッサと歩こうとする白龍皇子だったが、小柄な体躯の此方が時たま小走りをするのを気にとめたのか、ある瞬間から少し歩く速度を落としてくれた。根は真面目な白龍皇子。しかし此方がここにいることにまだ疑問を感じているらしい。
「本当に着いてくるおつもりですか?」
「え?はいな。そうですけれど」
「俺と共にいると、またさっきのような嫌なものを見ることになるかもしれませんよ」
自嘲するような言い方である。嫌なもの、というのは言うまでもなくさっきマドーラの首を落としたことであろう。此方は間を開けずに返事をした。
「そうですか?それは願ったり叶ったりですね」
「はい?」
めちゃくちゃ首を傾げられた。そんなに驚かなくてもいいのに。
「すみません……今の言葉、もう一度お願いできますか?」
「此方、白龍皇子がマドーラを処刑したのを見てなんだかスッキリしたのです。悪党の生首って見ていて清々しませんか?だから皇子もあれをああしたのですよね?」
「……」
「本音を言えば、此方がやりたかったくらいです。大悪党の成敗は本来あれくらいで丁度良いのですよ。鬼倭は案外生ぬるい刑罰が多くて、(取り締まる側としては)普段から物足りないというか……」
めちゃくちゃ見下ろされた。
「それは……わざと同調するようなことを言って、俺の機嫌を取ろうとしているんですよね?きっと」
「そう見えますか?」
「いえ、あなたがそういうタイプの人間だったとは思いもせず……誰よりも礼儀正しくお淑やかでいるから。野蛮な台詞は似合いませんよ、赤琉殿は」
「え、え、もしかして褒めてくださっているんですか?」
「……ええ、まあ。そうなりますか」
微妙な反応。あ、褒めたつもりではないと?
しかし、意外にも普段通りに受け答えをしてくれる。二人も追い返した彼だから、此方も容赦なく拒絶されるかもな、と思っていたのはなんだったのか。
いやま、拒絶されたところで無理やりついて行こうとしていたから全然こちらのが都合がいいのだけれど……もう少しくらい強気に踏み込んでみても良さそうだ。此方に対してはいきなり首を落とそうなどとは考えないであろう。たぶん。なので、此方はこう返した。
「でも白龍皇子。そういうことを言うのは意中の女性だけにしておいたほうがよろしいかと思いますよ。もちろん此方は、褒めてくださってとっても嬉しいですけれど」
「……」
めちゃくちゃ黙り込む白龍皇子。誰のことを言っているのかすぐにピンと来たようだ。
「ああ、でもそっか。残念でしたね、彼女は皇子の意に添えなかったみたいで……今隣にいるのがあの方ではなく、此方であって申し訳ないという気持ちもあるのですよ」
「……赤琉殿」
「けれど、女性の立場からひとつ言っておきますが、無理やり迫るのは御法度ですよ!いくら想いが強くとも、相手のお心に反して好意を押し付けるのはむしろ逆効果です。ましてや同意のない接吻など……」
「ハ!?」
めちゃくちゃ衝撃的な顔をされた。此方が女でなければ胸ぐらを掴まれてそうな勢いで振り返るものだから、つい仰け反る。
「あ、あなた……もしや見ていたのか!?」
「ばっちし」
「ドヤ顔をするんじゃありませんよ!いったいいつから、どこから盗み見て……!」
「もちろん最初から、真横から」
「はぁ!?」
分かりやすくテンパる白龍皇子。皇族という肩書きに邪魔をされてしまうが、彼本人はまだ年相応なのだな。真っ赤な顔が可愛らしい。そんなこと言ったら殺されそうだけど。
しかし、なんだ。心配して損をした。……あまり顔色を伺うような真似はしたくないが、ここでこんなに感情をむき出しに出来るということは、思っていたより気落ちしてはいなさそう。意中の彼女に対してあれだけ分かりやすくぽやぽやしていた白龍皇子だから、此方なんかよりもよっぽど酷い別れ方をしたことに内心傷ついておられるだろうなと思っていたのだ。だから少し安心した。
しかし、慰めるつもりが少々言い過ぎてしまったか。さすがに腕を掴むのははばかられたのか両手を変な位置に浮かせながら、じりじりと此方に迫りよってくる。からかうために冗談を言ったのだと思われているようだ。
「真横からって、そんなわけないでしょう!馬鹿なこと言わないで頂けます!?」
「生憎、此方は馬鹿ではございませぬ。大真面目でございます」
「……はあ?」
「まあよろしいでしょう。白龍皇子はもはや此方の新しき主さまとも呼べるのですし、ここで改めて自己紹介を致しましょう」
仮にも眷族なので。二人きりになったことだしこれまで此方が見せた不可解な『動き』のネタばらしを、ここでお披露目するとしよう。此方が何を言っているのかまるで分からぬという顔をする白龍皇子に、まあまあとなだめながら周囲に人がいないことを確認する(……上空には彼の監視のためか“黒い気配”を感じるが、それは今に始まったことではないので気にしすぎないほうが良いであろう)。
一瞬なのでお見逃しなきように。そう断りを入れてから、両手を合わせた。