突然消えるよりも音で合図をするほうが分かりやすかろうと思い、此方は白龍皇子に見守られながら両手をぱんっと叩くと同時に『霧隠れ』を発動させた。その乾いた刹那的な音が鳴り終わる頃には、此方の体は雲散霧消し、この場には白龍皇子だけが立ち尽くす。
体が消えても五感は有効なのが『アミー』の最大の長所であると思う。彼が驚いたように周りを見渡す間に特別背後にまわることもせず、全く同じ場所に再び姿を現すと、白龍皇子は幻でも見たかのように何度か瞬きを繰り返した。
「いかがです?驚きました?此方、ずっとここにいたのですよ」
「……鬼倭の忍は一般では有り得ない挙動を可能とするという話を聞いたことがありますが、皆こうなのですか?」
「まさか。確かに鬼倭人は俊敏な動きを得意としますけれど、魔法を使えぬ人間がいくら鍛錬を磨こうとも一瞬で姿を消すことなどはできませぬ。たとえば、ジンの力を借りるでもしない限りはね」
「つまり『アミー』の能力、ですか。それで盗み見を?」
「まさしく!」
「誇らしげに言わないでください!なんだかムカつくので!」
あの時……海賊の受け渡し云々でアリババさまと海軍が取り引きをしている間、一人で行ってしまう白龍皇子を引き止めようとモルジアナさまが追いかけた後ろを、此方もこっそりとついて行ったのでありました。これでもスキャンダル好きの人間ですから!
二人きりを演出しようとしっかり『霧隠れ』で姿を隠して影から見守っていたら、まさかの告白どころか大胆にもキスをするものだから、人知れずキャーキャーと大騒ぎしてしまった此方である。白龍皇子って意外にも手がお早いのね……結果は残念なことになってしまったけれど、良いものを見たという気持ちだ。此方はいつか彼に背中を刺されそうである。
「一体どんな仕組みに?ずっと気になっていたんですよ。あなたは何故か、人前では極力能力を使わずにひた隠しにしているようだから。いえ……能力のみならず、他のことも」
時間が惜しいから、と再度歩き出しながら白龍皇子は問うた。さっきのやりとりで此方の盗み見が発覚したことをまだ納得しきれないようにぷんすか腕を組みながら、「思えば俺はあなたが鬼倭人であること以外何も知らないかもしれない」とも仰った。それはそうだ。此方は友人と形容してくださった彼らにさえ、あまり自分のことを話さないようにしていたから。
でも、仮にも仮にもしつこいであろうが、此方は仮にも白龍皇子の眷族になった身である。少なくともここから天山山脈まで数週間は共に行動するのだし、隠し続けるのも不義というものだ。思い切って打ち明けることにした。此方の誇り高き母上の眷族の能力を。
「隠れ身の術とでも言いましょうか。さっきは別に瞬間移動をしたわけではないのですよ。此方はここに存在したまま、存在を消すことができるのです」
「矛盾していませんか?その言い方は」
「まあそう焦らず。『アミー』の能力はいわゆる状態変化です。眷属器を身に着けた者の肉体を塵と等しく細切れにさせたり、液体に変化させたり。細胞レベルでバラバラにさせることができるのです。そこまですれば人の目には見えませぬ。ルフの見える魔道士であれば話は別ですが……」
お目汚し失礼致します、と断りを入れてから此方は右腕をぴんと前に伸ばした。一気に気体に変えるよりも液体を過程に加えた方がより分かりやすいだろうか。再び能力を発動させると、今度は爪先からだんだん溶けていくように崩れ落ちていく此方の腕。
そのグロテスクな挙動に白龍皇子はギョッとするが、それが地面に落ちる前に塵に変わって見えなくなる様を見て仕組みはなんとなく分かったらしい。口元を押さえる彼に少し得意になりながら、一旦腕を元の形に戻す。
「……液体にするのも気体にするのも、自由自在ということですか?自分の体であれば」
「そうですね。ある程度融通はききます。さっきは全身を気体にしたのですが、たとえば体の中央だけを塵に変えることも可能なので……」
今度は右腕のうち、肘部分だけを気体に変えてみた。たちまち重力に従って落ちてゆく肘下。それをもう片方の手でガシッと受け止める。
こうして単体で持つと自分の腕も案外重いんだよな……なんて素で考えていると、腕の断面から物理的に行き場をなくした血液がだらだらと垂れ落ちる様子にさすがに肝を冷やしたのか、隣から「あの、出てますけど」と震えたような声で突っ込まれた。彼の左手の義手が指をさしているから、ついこんなことを思う。
「今の此方の腕、肘下が離れているのでこうして見ると白龍皇子の義手とお揃いですね」
「え?ああ、はあ、……あの、あなたって実はイカれてますね……?」
「お口が悪いですよ、皇子さま」
素直すぎる感想に頬を膨らませながら、また腕を戻した。なんともなかったみたいにぐーぱーするのを見て、改めて『アミー』の能力を実感したらしい。アミーは形状を変えるのも素早いが、元に戻すのも素早いのだ。
それも予後不良などはほとんどなく、反動もない。魔力の残量にだけ気をつければ半永久的に形を保っていられるのだ。それもこの素晴らしき力魔法がなせる技。
「しかし……驚きました。前に手合わせしていただいた時に、体が千切れたと表現したのはあながち間違いではなかったんですね」
「そうですね」
「しかしなんというか、さっきはかなり痛そうだったのですが、それは……」
「ああ見えて千切れさせる行為自体に痛みはありませぬが、刺激があれば別ですよ、もちろん。塵や液体状になったところを炎で炙られたりなんかしたら、ひとたまりもありません」
それはつまり感覚がいきているということ。此方の体はどんな状態に変えても変わらず五感が働くのだ。だから塵の状態でも周囲の景色は見えるし、匂いも感じるし、声もよく聞こえる。
「此方は盗み聞きが得意なのですよ」
それで白龍皇子の秘密を知っちゃったり。告白の様子を一切バレることなくガン見できちゃったりした。説明を終えると、白龍皇子はどうしようもなく感心したようにじっと前を見つめている。何かを考えているような感じだ。
「なるほどね……思っていたよりもずっと、素晴らしい能力ですね。それは隠したくもなりましょう。しかし、いいんですか?」
「何がです?」
「俺に話してしまっても」
「ええ、構いませんよ」
此方はもう白龍皇子の秘密をたくさん知っているんだし。これでお互いさまでしょう。
+
「生憎、一部屋しか空きがないのじゃよ。部屋は同じでいいかね?」
すっかり夜も更けたので、通りかかった町の宿に泊まることと相成った。ザガンの懸賞金は溢れるほど持ち合わせがあるとはいえ、部屋がひとつしかないのなら仕方があるまい。他の宿は正直行って少々ボロそうなところしか見当たらず、さすがに二人きりだからと渋る皇子のお気持ちも分からなくはないが、これまでも同じ部屋で寝泊まりしてきたのだから、今更だ。我々は案内された部屋でそれぞれ体を伸ばした。
此方は此方が使う寝台の上で体操をしながら、自分で自分の身支度をする白龍皇子の背中に問いかけた。
「ずっと気になっていたのですが、白龍皇子は従者の方をお連れしないのですか?」
「従者?」
「ええ。身の回りのこともほとんどご自分でなさっているのが皇族らしからぬ、と疑問に思っていて……これって偏見でしょうか?」
此方ですら、氷川の使用人に手取り足取り世話をされてきた身だ。白龍皇子は皇子であるからそれとは比べ物にならないほど高貴なご身分であるのに……本来ならばもっと高級な宿屋を選んで、高級な食事を取って、綺麗な女の人に囲まれながら(?)睡眠を取るくらいしてもいいと思うのだ。
白龍皇子は白黒のお衣をそれはそれは美しい所作で体から脱ぎ捨て、丁寧に畳み、今は簡易着をお召しになっている。いつもは冠に隠れたお団子も丸見えで、完全に休息時の状態だ。
まあ此方も同じく篭手をとっぱらって寝る体勢に入っているのだが。こんなお姿を此方がお目にかかって良いのだろうか。あんまりじろじろ見るものでもないけど、どうしても気になってじろじろ見てしまう。襟足とか。素肌とか。
「姉上が一心に世話をしてくださったので、それくらいはね。皇族だからといって何もできぬ人間にはなりたくありませんよ、俺だって」
「そうですね、確かに」
「それに……俺は姉上以外の煌の人間を心の底から信用していないので、そもそも特定の従者は持っていませんし、連れ歩くなどもっての外です」
「へえ」
なるほど、と呟く。
「まあ、煌帝国ほどの大規模な国家であれば、誰が敵かなんて分かりませんものね。だからこそ、皇子はシンドリアで御味方を探していらっしゃったのでしょうし」
納得したように言う此方。寝台の上で足を広げて太ももを伸ばす此方の言葉に、白龍皇子はまざまざと振り返った。
何故か笑っている。此方をじっくり観察するように目を細めている。「今、俺が、シンドリアで味方を探していたと言いました?」と聞き返されたから、うんと頷いた。
「まるで、全て知っている、とでも言うような口ぶりですね」
「はいな。もう隠す必要もございませんよね。実は此方が盗み聞きしていたのは、モルジアナさまの時だけじゃあないんですよ」
「……なんとなく察していましたよ。その後のアラジン殿との話も、同じように盗聴していたんでしょう?戦争を起こすと言ったこと、あなたもしっかり聞いていたんですね」
「ええ。それもありますが」
アラジンさまに煌帝国を真っ二つに割るお話をして、丁重にお断りをされていたところもばっちり目撃していました。でも、それだけじゃなくて。
「皇子がシンドリアにいらした初日に、シンドバッド王さまともお話をされていましたよね。あれ、此方も聞いていました」
めちゃくちゃ目を見開かれた。
「そんなに前から知っていたんですか!?」
「はいな!」
「なんですかその元気いっぱいのお返事は……今、俺、身の毛がよだちました……。あなたって相当やばいですよ……なんか……なんか分かりませんけど……」
めちゃくちゃ引かれてる。驚かれるとは思っていたが、ここまでとは。
「つまり、最初の最初から何も知らぬフリをして今まで俺と接していたということなのですよね……?ザガンへ案内してくださった時も、鍛錬にお付き合いいただいた時も……」
「はいな」
「怖すぎでは?俺は全く気づきませんでした。思えばあなたは有事の時にもあまり表情が崩れませんし、演技がお得意なのですね……」
「そうですか?ありがたきお言葉です」
にこ、と笑ってみる。今の笑顔は別に作り笑いのつもりではなかったけれど、白龍皇子はもう疑心暗鬼になっているのか訝しげな顔をしている。
「白龍皇子が色々な問題を抱えていらっしゃること、此方には最初から分かっていました」
「……どうして今になってそのことを?」
「今だからお話をするのです。此方は、おかげであなたさまが今日マドーラの首をぶった斬った理由をすんなり理解できました」
「それで……それがどうしたんです?」
「あの時、アリババさまは正論を仰っておりましたね。アラジンさまも、モルジアナさまも、白龍皇子ではなく彼に同調しました」
「……」
「それは致し方ないことだと思います。もし此方もあなたさまの事情を知らなければ、同じようにしたかもしれません。白龍皇子は少々過激で、アリババさまは正論過ぎました」
「……」
「でも此方は、事情を知っていました。ですので御三方に別れを告げて、白龍皇子と共に参ろうと思う気にもなりました」
だから、後を追いかけた。
話の途中で、彼は鏡台の前から立ち上がった。もうあとは寝るだけ、みたいな感じの雰囲気を出しながら自身の寝台の此方側のへりに腰掛けると、さっきよりももっと集中して此方を見つめてくる。体を動かしているだけなのにそんなに見ても面白くないと思うのですが……。
「やっぱり、ただ進路が同じだから着いてきたんじゃないんでしょう?あなたは何を考えているんです?」
「もちろんそれが大部分ですけれど……でも、此方、それ以上に白龍皇子がなそうとしていることに少し興味がありまして」
「興味?ただの興味で頭を突っ込んでほしくはありませんね」
「これは、独り言なのですが」
足を前後に開いて上体を倒す此方。
「深い事情を知らぬ此方から見ても、皇子の執念は生半可なものではないと分かりました。今日のマドーラの件で、です」
「……」
「此方はそれに少し、痺れました。お力添えをしてもいいのかと、思いました」
「……」
「此方だけでも、御味方でいて差し上げたいと思いました。白龍皇子は此方によくしてくださいましたから。だから、後を追いました」
白龍皇子に見守られながら、一生懸命体操を続ける此方。それが別に不敬に思われたわけじゃないのだろうけれど、そこまで口にしたところで、彼はまた突然立ち上がって此方の寝台のすれすれのところまでお近づきなさった。体をほぐすのを手伝ってくれるのかと冗談で思ったけど、まあそうではなかった。
体が消えても五感は有効なのが『アミー』の最大の長所であると思う。彼が驚いたように周りを見渡す間に特別背後にまわることもせず、全く同じ場所に再び姿を現すと、白龍皇子は幻でも見たかのように何度か瞬きを繰り返した。
「いかがです?驚きました?此方、ずっとここにいたのですよ」
「……鬼倭の忍は一般では有り得ない挙動を可能とするという話を聞いたことがありますが、皆こうなのですか?」
「まさか。確かに鬼倭人は俊敏な動きを得意としますけれど、魔法を使えぬ人間がいくら鍛錬を磨こうとも一瞬で姿を消すことなどはできませぬ。たとえば、ジンの力を借りるでもしない限りはね」
「つまり『アミー』の能力、ですか。それで盗み見を?」
「まさしく!」
「誇らしげに言わないでください!なんだかムカつくので!」
あの時……海賊の受け渡し云々でアリババさまと海軍が取り引きをしている間、一人で行ってしまう白龍皇子を引き止めようとモルジアナさまが追いかけた後ろを、此方もこっそりとついて行ったのでありました。これでもスキャンダル好きの人間ですから!
二人きりを演出しようとしっかり『霧隠れ』で姿を隠して影から見守っていたら、まさかの告白どころか大胆にもキスをするものだから、人知れずキャーキャーと大騒ぎしてしまった此方である。白龍皇子って意外にも手がお早いのね……結果は残念なことになってしまったけれど、良いものを見たという気持ちだ。此方はいつか彼に背中を刺されそうである。
「一体どんな仕組みに?ずっと気になっていたんですよ。あなたは何故か、人前では極力能力を使わずにひた隠しにしているようだから。いえ……能力のみならず、他のことも」
時間が惜しいから、と再度歩き出しながら白龍皇子は問うた。さっきのやりとりで此方の盗み見が発覚したことをまだ納得しきれないようにぷんすか腕を組みながら、「思えば俺はあなたが鬼倭人であること以外何も知らないかもしれない」とも仰った。それはそうだ。此方は友人と形容してくださった彼らにさえ、あまり自分のことを話さないようにしていたから。
でも、仮にも仮にもしつこいであろうが、此方は仮にも白龍皇子の眷族になった身である。少なくともここから天山山脈まで数週間は共に行動するのだし、隠し続けるのも不義というものだ。思い切って打ち明けることにした。此方の誇り高き母上の眷族の能力を。
「隠れ身の術とでも言いましょうか。さっきは別に瞬間移動をしたわけではないのですよ。此方はここに存在したまま、存在を消すことができるのです」
「矛盾していませんか?その言い方は」
「まあそう焦らず。『アミー』の能力はいわゆる状態変化です。眷属器を身に着けた者の肉体を塵と等しく細切れにさせたり、液体に変化させたり。細胞レベルでバラバラにさせることができるのです。そこまですれば人の目には見えませぬ。ルフの見える魔道士であれば話は別ですが……」
お目汚し失礼致します、と断りを入れてから此方は右腕をぴんと前に伸ばした。一気に気体に変えるよりも液体を過程に加えた方がより分かりやすいだろうか。再び能力を発動させると、今度は爪先からだんだん溶けていくように崩れ落ちていく此方の腕。
そのグロテスクな挙動に白龍皇子はギョッとするが、それが地面に落ちる前に塵に変わって見えなくなる様を見て仕組みはなんとなく分かったらしい。口元を押さえる彼に少し得意になりながら、一旦腕を元の形に戻す。
「……液体にするのも気体にするのも、自由自在ということですか?自分の体であれば」
「そうですね。ある程度融通はききます。さっきは全身を気体にしたのですが、たとえば体の中央だけを塵に変えることも可能なので……」
今度は右腕のうち、肘部分だけを気体に変えてみた。たちまち重力に従って落ちてゆく肘下。それをもう片方の手でガシッと受け止める。
こうして単体で持つと自分の腕も案外重いんだよな……なんて素で考えていると、腕の断面から物理的に行き場をなくした血液がだらだらと垂れ落ちる様子にさすがに肝を冷やしたのか、隣から「あの、出てますけど」と震えたような声で突っ込まれた。彼の左手の義手が指をさしているから、ついこんなことを思う。
「今の此方の腕、肘下が離れているのでこうして見ると白龍皇子の義手とお揃いですね」
「え?ああ、はあ、……あの、あなたって実はイカれてますね……?」
「お口が悪いですよ、皇子さま」
素直すぎる感想に頬を膨らませながら、また腕を戻した。なんともなかったみたいにぐーぱーするのを見て、改めて『アミー』の能力を実感したらしい。アミーは形状を変えるのも素早いが、元に戻すのも素早いのだ。
それも予後不良などはほとんどなく、反動もない。魔力の残量にだけ気をつければ半永久的に形を保っていられるのだ。それもこの素晴らしき力魔法がなせる技。
「しかし……驚きました。前に手合わせしていただいた時に、体が千切れたと表現したのはあながち間違いではなかったんですね」
「そうですね」
「しかしなんというか、さっきはかなり痛そうだったのですが、それは……」
「ああ見えて千切れさせる行為自体に痛みはありませぬが、刺激があれば別ですよ、もちろん。塵や液体状になったところを炎で炙られたりなんかしたら、ひとたまりもありません」
それはつまり感覚がいきているということ。此方の体はどんな状態に変えても変わらず五感が働くのだ。だから塵の状態でも周囲の景色は見えるし、匂いも感じるし、声もよく聞こえる。
「此方は盗み聞きが得意なのですよ」
それで白龍皇子の秘密を知っちゃったり。告白の様子を一切バレることなくガン見できちゃったりした。説明を終えると、白龍皇子はどうしようもなく感心したようにじっと前を見つめている。何かを考えているような感じだ。
「なるほどね……思っていたよりもずっと、素晴らしい能力ですね。それは隠したくもなりましょう。しかし、いいんですか?」
「何がです?」
「俺に話してしまっても」
「ええ、構いませんよ」
此方はもう白龍皇子の秘密をたくさん知っているんだし。これでお互いさまでしょう。
+
「生憎、一部屋しか空きがないのじゃよ。部屋は同じでいいかね?」
すっかり夜も更けたので、通りかかった町の宿に泊まることと相成った。ザガンの懸賞金は溢れるほど持ち合わせがあるとはいえ、部屋がひとつしかないのなら仕方があるまい。他の宿は正直行って少々ボロそうなところしか見当たらず、さすがに二人きりだからと渋る皇子のお気持ちも分からなくはないが、これまでも同じ部屋で寝泊まりしてきたのだから、今更だ。我々は案内された部屋でそれぞれ体を伸ばした。
此方は此方が使う寝台の上で体操をしながら、自分で自分の身支度をする白龍皇子の背中に問いかけた。
「ずっと気になっていたのですが、白龍皇子は従者の方をお連れしないのですか?」
「従者?」
「ええ。身の回りのこともほとんどご自分でなさっているのが皇族らしからぬ、と疑問に思っていて……これって偏見でしょうか?」
此方ですら、氷川の使用人に手取り足取り世話をされてきた身だ。白龍皇子は皇子であるからそれとは比べ物にならないほど高貴なご身分であるのに……本来ならばもっと高級な宿屋を選んで、高級な食事を取って、綺麗な女の人に囲まれながら(?)睡眠を取るくらいしてもいいと思うのだ。
白龍皇子は白黒のお衣をそれはそれは美しい所作で体から脱ぎ捨て、丁寧に畳み、今は簡易着をお召しになっている。いつもは冠に隠れたお団子も丸見えで、完全に休息時の状態だ。
まあ此方も同じく篭手をとっぱらって寝る体勢に入っているのだが。こんなお姿を此方がお目にかかって良いのだろうか。あんまりじろじろ見るものでもないけど、どうしても気になってじろじろ見てしまう。襟足とか。素肌とか。
「姉上が一心に世話をしてくださったので、それくらいはね。皇族だからといって何もできぬ人間にはなりたくありませんよ、俺だって」
「そうですね、確かに」
「それに……俺は姉上以外の煌の人間を心の底から信用していないので、そもそも特定の従者は持っていませんし、連れ歩くなどもっての外です」
「へえ」
なるほど、と呟く。
「まあ、煌帝国ほどの大規模な国家であれば、誰が敵かなんて分かりませんものね。だからこそ、皇子はシンドリアで御味方を探していらっしゃったのでしょうし」
納得したように言う此方。寝台の上で足を広げて太ももを伸ばす此方の言葉に、白龍皇子はまざまざと振り返った。
何故か笑っている。此方をじっくり観察するように目を細めている。「今、俺が、シンドリアで味方を探していたと言いました?」と聞き返されたから、うんと頷いた。
「まるで、全て知っている、とでも言うような口ぶりですね」
「はいな。もう隠す必要もございませんよね。実は此方が盗み聞きしていたのは、モルジアナさまの時だけじゃあないんですよ」
「……なんとなく察していましたよ。その後のアラジン殿との話も、同じように盗聴していたんでしょう?戦争を起こすと言ったこと、あなたもしっかり聞いていたんですね」
「ええ。それもありますが」
アラジンさまに煌帝国を真っ二つに割るお話をして、丁重にお断りをされていたところもばっちり目撃していました。でも、それだけじゃなくて。
「皇子がシンドリアにいらした初日に、シンドバッド王さまともお話をされていましたよね。あれ、此方も聞いていました」
めちゃくちゃ目を見開かれた。
「そんなに前から知っていたんですか!?」
「はいな!」
「なんですかその元気いっぱいのお返事は……今、俺、身の毛がよだちました……。あなたって相当やばいですよ……なんか……なんか分かりませんけど……」
めちゃくちゃ引かれてる。驚かれるとは思っていたが、ここまでとは。
「つまり、最初の最初から何も知らぬフリをして今まで俺と接していたということなのですよね……?ザガンへ案内してくださった時も、鍛錬にお付き合いいただいた時も……」
「はいな」
「怖すぎでは?俺は全く気づきませんでした。思えばあなたは有事の時にもあまり表情が崩れませんし、演技がお得意なのですね……」
「そうですか?ありがたきお言葉です」
にこ、と笑ってみる。今の笑顔は別に作り笑いのつもりではなかったけれど、白龍皇子はもう疑心暗鬼になっているのか訝しげな顔をしている。
「白龍皇子が色々な問題を抱えていらっしゃること、此方には最初から分かっていました」
「……どうして今になってそのことを?」
「今だからお話をするのです。此方は、おかげであなたさまが今日マドーラの首をぶった斬った理由をすんなり理解できました」
「それで……それがどうしたんです?」
「あの時、アリババさまは正論を仰っておりましたね。アラジンさまも、モルジアナさまも、白龍皇子ではなく彼に同調しました」
「……」
「それは致し方ないことだと思います。もし此方もあなたさまの事情を知らなければ、同じようにしたかもしれません。白龍皇子は少々過激で、アリババさまは正論過ぎました」
「……」
「でも此方は、事情を知っていました。ですので御三方に別れを告げて、白龍皇子と共に参ろうと思う気にもなりました」
だから、後を追いかけた。
話の途中で、彼は鏡台の前から立ち上がった。もうあとは寝るだけ、みたいな感じの雰囲気を出しながら自身の寝台の此方側のへりに腰掛けると、さっきよりももっと集中して此方を見つめてくる。体を動かしているだけなのにそんなに見ても面白くないと思うのですが……。
「やっぱり、ただ進路が同じだから着いてきたんじゃないんでしょう?あなたは何を考えているんです?」
「もちろんそれが大部分ですけれど……でも、此方、それ以上に白龍皇子がなそうとしていることに少し興味がありまして」
「興味?ただの興味で頭を突っ込んでほしくはありませんね」
「これは、独り言なのですが」
足を前後に開いて上体を倒す此方。
「深い事情を知らぬ此方から見ても、皇子の執念は生半可なものではないと分かりました。今日のマドーラの件で、です」
「……」
「此方はそれに少し、痺れました。お力添えをしてもいいのかと、思いました」
「……」
「此方だけでも、御味方でいて差し上げたいと思いました。白龍皇子は此方によくしてくださいましたから。だから、後を追いました」
白龍皇子に見守られながら、一生懸命体操を続ける此方。それが別に不敬に思われたわけじゃないのだろうけれど、そこまで口にしたところで、彼はまた突然立ち上がって此方の寝台のすれすれのところまでお近づきなさった。体をほぐすのを手伝ってくれるのかと冗談で思ったけど、まあそうではなかった。