翌日。テントの中で一人密かに朝餉を頂いていた時にひょっこりと顔を出した白龍皇子は、心做しか決意に身を固めたような雰囲気をしており、此方にさっそく指示を出してきた。準備を終えたら俺に同行してください、と。
ああ、此方はついに煌帝国のために働かされるのか……。間違えた、“ただの”白龍さまのために働かされるんだった。まあまあまあ、此方とて大切なご友人のためとあらば力を尽くさぬことも無い。これから無償で無期限に提供いただけるという美味しいご飯を大事に大事に平らげてから、此方は外へ出た。
白瑛将軍が率いる軍隊はそれはもう数が凄まじく、彼らだけでも鬼倭国の侍の数を凌げるほどだった。それは言い過ぎかな?いやしかし、それほど圧巻なことには違いない。
白龍皇子は合流してすぐだからと将軍さまは今回の参加は見送るつもりでいたようだが、彼がおもむろに『ザガン』の力を見せつけると評価が一変した。シンドリアへの留学は彼にとってまさに転機であったことだろう。金属器を得るというのは、巨大な力を手に入れることと同じことだ。
此方も『霧隠れ』で身を隠しながら、基本は白龍皇子のおそばで様子を伺っていた。彼が声が出せる時はそのご指示に従い、それが難しい時は今朝再び仕込まれたネツメグサの種で合図を送られることで意思疎通をした。そして煌帝国軍は数日に渡って移動と偵察を繰り返し、徐々に異民族の拠点に迫っていく。
此方は事前に言われた通りに相手方の領地へ忍び込み、部外者がこのような真似をして申し訳ないと思いながらも徹底的に盗み聞きをして、必要な情報を事細かに煌帝国側に報告して差し上げた。白龍皇子はそれを元に新たな作戦を提案したり、軍の下っ端に指示出ししたりとさっそく活躍しているようである。
「信頼して下さっているのですか?もし此方が持ち帰ったのが嘘の情報だったなら、大変な損失ですね」
あれから毎日のように白龍皇子のテントに顔を出し、話をしながら軽い体操をして身を休める此方。軍人たちの前では一切姿を見せないようにしているので、ここくらいしか一息つける場所が無いのである。ただ居座るだけでは悪いから、たまには白龍皇子の肩を揉んであげたりして。最初は遠慮していた彼も今は拒絶するのを諦めて大人しく肩を差し出している。
「ここにはほとんど煌の人間しかいません。こんなところで煌が不利になるように動けば、あなたの身の安全は保証できませんよ」
「なんと。怖い怖い」
「あなたは賢いお人だ、いつも俺に言われるまでもなく“正しい”行動をして下さる。そういう意味では信頼していると言えます」
「ふふ。よかったです」
「第一、この作戦は鬼倭国にはなんの関係も不利益もないんだから、余計なことをする意味がないでしょうし。誠実にお願いしますね」
「は〜い」
白龍皇子も大概此方のことを理解しているらしい。これでもシンドリアで出会ってからたったの数週間の関係。しかしその短い間に積み上げてきた経験がそれなりに多いのも確か。
それにしても頂けませんね。武器を向こうに置いたまま、無防備の状態で急所のうなじを見せびらかすなど、気を許すにも程がある。もしも此方が皇子さまの命を狙う悪人だったならどうするおつもりなのだ。
「俺の肩を揉んで楽しいですか?」
「楽しいというか、少しでもお礼を返さねばとの一心で。皇子さまったらどこぞのお殿様みたく女子を侍らせて疲れを癒すだなんて、さぞ気分がよいことでしょうね。羨ましいー」
「はい?」
そんな戯言を言いつつ、肩を揉んでいると自然に視界に入る白龍皇子の鍛えられた肉体。左目の周りだけでなく、首から肩にかけても火傷痕が繋がっていることに気がつく。
お顔の火傷が一番目立つから今まで考えもしなかったけれど、もしやお衣の下にはもっと痕が広がっているのかも。痛くはないのかな。マッサージにかこつけて指先でそっと患部に触れようとしたら、その時白龍皇子が振り返ったのでぱっと手を離した。
「そういうことならもう結構です。お礼をすべきは俺の方なんですから」
「そうですか?しかし、此方は無償で無期限の温かいお食事を頂いている身で……」
「そんなことはいい。赤琉殿の働きに比べたら造作もないことです。正直俺はあなたの能力を侮っていました。なるほどこれは、『アミー』を保有する鬼倭国が羨ましいくらいだ」
なにやら褒めてくれているらしい。行き場をなくした両手で自分の頭に生えた角に触れ、にへらと笑う此方。そうであろう、凄いであろう。『アミー』の眷属器は素晴らしいのだ。皇子さまもようやく魅力に気づいたか。
それからまた数日程が経過。異民族への侵攻は順調に進み、煌帝国軍はこの周辺で目的としていた全ての領地を傘下に収めた。ほとんどは白龍皇子の『ザガン』が空気中の微生物に魔力を与えることで擬似的に眷属に仕立てあげた、物の怪たちによる活躍のおかげだ。あれはまさに海賊大聖母の拠点で使っていた技。
あの時は魔法道具によって意識を操られていたはずだが、どのように『ザガン』を使いこなしていたかの手順についてはなんとなく覚えていたそうだ。それもこの数日でどんどん操作感を上達させており、今では空を覆うほどの大群を操っている。で、制圧先の異民族どころか自軍の者たちまでもが畏怖の表情をしてそれらを見上げている。
何も無いところから生物兵器を生み出せるなんて、従者のいない白龍皇子にとっては百人力であろう。けれどもあの物の怪たちを眷属と呼ばれては、本当の眷属である此方の立場がない。なんだかグロテスクでおっかないし、あれを従者と数えるのも違う気もする。
でもまあ、白龍皇子はそんなことを気にするお方ではなかった。自分のために力を振るってくれる全てをなりふり構わずお味方にしてしまわねば、目的を果たせぬからな。穏便派と見られる白瑛姫さまにも意見をし、彼は武力行使で素早く制圧を終わらせた。お見事である。
+
そのお力が段々と認められ、心からの敬意を示そうとする軍人たちも出てきたところだというのに、白龍皇子はいつも徹底的な人払いをしてからお一人で草原を駆けてゆく。夜になると辺りは暗くなり、月明かりだけが頼りだ。聞くまでもなく夜風に当たりに来たのだろう。ここは確かに風が心地よい場所である。
「……」
姉君にすら本心を打ち明けていないお方だ。心は常に一人でいたからか、実際一人でいる方が楽な部分もあるのやもしれぬ。此方はそんな皇子さまにやれやれと笑み、少しの距離を保ったまま密かに後を追いかける。護衛の意味もあるし、今の彼は見守っていないとどこか不安な感じがする。ここ数日の侵攻に際して姉君とは少し意見がすれ違う部分もあったから。
物事は上手くいっている。けれど皇子さまとて姉弟関係が険悪になることは決して望んではいまい。
「赤琉殿」
風に乗って届いた白龍皇子の呼び声。それは独り言のような小さなお声だったが、此方は素早く地に足を着いた。
「はいな。お呼びでしょうか」
「はあ……。はは、あなたはいつも当たり前のように近くにいますね」
白龍皇子は言いながら馬から降りて、やれやれと笑み、背後に現れた此方を振り返った。ここまで来たら周囲に人の目も無くなったので安心して姿を現したまでだ。
もしかしたら此方にまた話があって、こんなところまで馬を走らせているのでは、とも思っていたのだが。その反応を見るにどうやら今回は本当に一人になり来ただけで、その上で念の為試しに呼んでみただけ……だったみたいだ。それはなんだか申し訳ないことをしたな。でも着いてきちゃったのはしょうがないですよね?
「ごきげんよう、皇子さま。風の気持ちいい夜ですね」
白龍皇子は心底不思議そうな顔をして此方を見ている。どうしてここにいるのかって?なんのことは無い、たった一人でどこかに行こうとするあなたさまのことが、少し心配だっただけ。
……先日のアクティア王国での出来事を、少し思い出しただけ。
「あなたって、いつも姿を消した状態でどうやって移動しているんです?」
白龍皇子は馬を引き連れながら、近くの小高い丘まで歩いて向かった。話を振られたということは、此方はここに留まる許しを得られたらしい。よかった。
その後ろをとことこ着いていき、彼が腰を降ろした隣に此方も座った。二人で並んで地べたに座ると、少し前まで野宿をしていたことを思い出す。
「風に身を任せて漂っているというか、文字通り風になっているのです。空気と同じになれば重力にも逆らえますからね」
「動きたい方向に風が吹いていない時もあるでしょう?だいたい家屋の中は無風のはず」
「それらの場合は風に逆らう必要があるので、刹那の間だけ交互に足を戻して地面を蹴って、慣性の動きで動いている感じですかね」
「移動中、足なんて見えませんよ?」
「それだけ短い時間で脚部を変化させながら地面を蹴っているということです」
「なんだか思ったよりも随分と高度なことをしているんですね?」
此方の説明に、白龍皇子は感心するように頷いた。普段通りの優しい応答。敵地に赴いている時や無表情の時はそこそこ近寄り難い雰囲気を放っているのに、話してみるといつもと同じく人当たりのいい彼になる。
「眷属器を手にした当初はそれこそ『消える』ことしかできなくて、消えた上で『動く』なんてもってのほかでしたよ」
いつものように頭の角に触り始めると、彼はそれを見て心做しか微笑んだ。きっと普段から見覚えのある動きを此方がするから面白くなったのだ。癖になっていることはとっくに見抜かれている。
「これを使いこなすのには相当苦労しました。でも幸運なことに、此方には眷属器使いのお手本がいたので、必死に真似をしていたらおかげで今のように上達して……」
「他にも同じ眷属器を持つ人が?」
「はいな。此方の父上です」
「なるほど」
父上は『アミー』の眷属器を用いた技の考案や習得が驚くほど早かった。『霧隠れ』で全身を消すのも、体の一部だけ消して戦闘での回避に応用するのも、周囲の空気を凍らせて簡易的な足場を作るのも、全部父上が先に身につけた技だ。此方はそれを見よう見まねで覚えたに過ぎない。
でもそれを言ったら母上の力の方が圧倒的だったけどなぁ。金属器の主なのだから当然と言えば当然だけど、『アミー』の本体はそれはもうできることの規模が段違いで、凄まじかった。なにしろ金属器を中心とした鬼倭島全体を覆い隠せるほど巨大な空間さえ、一度に霧に変えることが可能だったのだから。
あんなの国崩しにも最適なおっかない能力だ。此方が持っていなくてよかった、とまで思う。
「つまり、赤琉殿の母君が金属器の主で、その夫と娘のあなたが眷属ということですか。なかなか変わったご家族ですね」
「言われてみれば……そうかも」
「ところで、『アミー』の迷宮は鬼倭国内に出現したんですか?」
「いえ?鬼倭島のさらに東の海上ですが」
「へえ……」
変なことが気になるのだな。『アミー』の所在地など、シンドバッド王さまにも聞かれたことがないのに。首を傾げながらも素直にお答えすると、彼は数度ゆっくりと瞬きをしてなにやら考え込んでいる。
えっと、何か変なことでも言ったか?と、不思議に思ったところで。もしかしたら今のは、本当に失言だったかもしれないと気がついた。白龍皇子がどこか確信めいた様子で、まっすぐ目を合わせてきたことに違和感を覚える。
その美しい碧眼が、此方の目をまっすぐ見つめている。
「ずっと前から気になっていたことがあるんですけど、あなたの母君はなぜ迷宮攻略に?」
「単に……力を得るためですよ。誰でもそうなのでは?」
「どうして赤琉殿の母親である必要があったんですか?」
一度瞬きをした。一瞬、質問の意図が分からなかったからだ。
探りを入れられていることは分かっている。此方は未だにろくに自分の話をしていないから、白龍皇子はことある事に様々な質問を投げかけてくるのだ。彼が少し身を乗り出してくるから此方は両手で肩を押し返した。ち、近いです。
「つまり俺が言いたいのは……。迷宮攻略に行くということは、元々それに足る実力を伴っているはずですよね」
「……あ、ああ」
「でなければ死にに行くようなものでしょう。俺も『ザガン』の時は己が未熟であることを自覚していて、だから死ぬ気でと思いながら迷宮へ向かいました」
白龍皇子の言う“ずっと前から気になっていたこと”、というのが分かった気がする。
鬼倭国から『アミー』攻略へ遣わされたのがなぜ他の誰でもなく此方の母親だったのか、ということを聞きたいのだ、おそらく。
「現在鬼倭国がどれほどの金属器を保有しているのか……つまりどれだけの数、迷宮を攻略しているのかは分かりませんが――」
現在我が国にある金属器はただ二つ。
一つはタケル様が持つ『カイム』。
そしてもう一つ、氷川家が持つ『アミー』。
「鬼倭国は、本来ほとんどの国民が島から出ないお国柄だったはず。それなのにわざわざ迷宮攻略をするために国を出るような人は、国内から選ばれた精鋭だったのではと考えるのは自然なことですよね」
「……」
『カイム』も『アミー』も、どちらも鬼倭島からほど近くの海上に出現した迷宮だ。周囲に取り合うような国が無かったために、どちらも鬼倭国の手中に収まった。
その通り、タケル様の命により遣わされた攻略班は、国内で選りすぐりの精鋭たちだけで構成された最強部隊だった。そこに此方ら氷川家も選ばれたのだ。
「だから、本題はこれです。『アミー』の保持者は何者なんですか?」
「……」
「それだけではありません。赤琉殿がその眷属になったのはなぜ?普段から主と戦闘を共にしていなければ、そうはなりませんよね。眷属とはそういうものだ」
此方が実は国内で重役に就いているのでは、という指摘もそうだし、今回のこともそう。白龍皇子は時折鋭い考察を突きつけてくる。なかなか侮れない人だ。此方は困ったように笑うしかなかった。
仰る通りだ。此方の母上は選ばれし人だった。
此方の母上は、国王である倭健彦様に次いで、国内で二番目に強い武人であった。だから、彼に続いて国内で二度目の迷宮攻略を果たしたのだ。そんな母上が嫁入りした氷川家は、国中の侍や忍を統率できる立場にある。氷川と名のつく誰しもが、それほど優れた実力を持つと自負している。
そして、現在の氷川当主はこの此方である。此方こそ、母上の迷宮攻略に同行した張本人でもある。此度タケル様の許しを得てはるばるシンドリアに赴くことができたのは、此方が実際それほどの重役を任される立場にいたからだ。
それを思うと……今こうして煌帝国の皇子さまと行動を共にし、彼らの軍事に手を貸しているなど、タケル様はともかく父上に知られたら一年逆さ吊りの刑でも済まされないかもしれないな。
答えを待ちわびている白龍皇子に向き直り、此方はそれでもきっぱりと告げた。
「お答えできませぬ。この件は鬼倭の国家機密に関わります」
「そうですか。では、その国家機密をあなたが知っているのはなぜですか?」
「お答えできませぬ」
「ま、そうですよね。俺もそのつもりで聞いたんです」
此方があまりに口を割らないから、今回もこうなることは察していたようだ。きちんとした返事は得られなかったのに、納得したように此方から視線を逸らした。後ろに手をつきぼんやりと夜空を見上げている。
しばらくの間、静寂を堪能。そろそろ軍人たちが白龍皇子を探しにやってくる頃だろうか。ここ数日の軍事行動でお疲れなのか、彼はもはや寝転がって草原の上で盛大にくつろぎ始めた。この人はまだまだ帰る気はないらしい。
「もう一つだけ聞いてもいいですか?」
「はいな」
「馬にも追いつけるのは、何か仕掛けがあるんですか?突風が吹いていない限りは難しそうに思えますが」
「それは普通に並走しているだけですよ」
「何を馬鹿なことを……」
「え?馬鹿とはなんですか。此方は大真面目ですよ」
「……は?」
ん?何か変なことでも言ったか?
「はあ……俺はいつになったら赤琉殿のことを一から理解できるんでしょうかね……」
「ふふ。理解しようとして下さっているのが、なんだか嬉しいです」
「だったら洗いざらい喋って下さいよ。俺は既に色々な話をして差し上げているのに」
「時来れば、全部お話しいたしますよ。此方はお口が固いのでね。覚えておいてくださいな」
「さてはまだ何か俺に隠していることがあるんでしょう。まったく」
「さあ、どうでしょうね〜」
……拠点の方向から馬の足音がする。予想通り軍人たちがここでくつろいでいる皇子さまの行方を探しに来たのだ。白瑛姫さまもきっと心配なさっているはず。
そうと分かれば此方はドロンの時間だ。彼が寝転がった時に乱れた服装をちょこっと整えてあげてから、上から顔を覗き込んだ。
「皇子さま。良い夜を」
「……」
それから夜風に身を任せて姿を消した。今日はここでお話をしたからテントにお邪魔する必要は無いと思って、少し早いけどおやすみの挨拶をしたのだ。でもなんだかスカした感じになっちゃったかな。まあいいか。
ああ、此方はついに煌帝国のために働かされるのか……。間違えた、“ただの”白龍さまのために働かされるんだった。まあまあまあ、此方とて大切なご友人のためとあらば力を尽くさぬことも無い。これから無償で無期限に提供いただけるという美味しいご飯を大事に大事に平らげてから、此方は外へ出た。
白瑛将軍が率いる軍隊はそれはもう数が凄まじく、彼らだけでも鬼倭国の侍の数を凌げるほどだった。それは言い過ぎかな?いやしかし、それほど圧巻なことには違いない。
白龍皇子は合流してすぐだからと将軍さまは今回の参加は見送るつもりでいたようだが、彼がおもむろに『ザガン』の力を見せつけると評価が一変した。シンドリアへの留学は彼にとってまさに転機であったことだろう。金属器を得るというのは、巨大な力を手に入れることと同じことだ。
此方も『霧隠れ』で身を隠しながら、基本は白龍皇子のおそばで様子を伺っていた。彼が声が出せる時はそのご指示に従い、それが難しい時は今朝再び仕込まれたネツメグサの種で合図を送られることで意思疎通をした。そして煌帝国軍は数日に渡って移動と偵察を繰り返し、徐々に異民族の拠点に迫っていく。
此方は事前に言われた通りに相手方の領地へ忍び込み、部外者がこのような真似をして申し訳ないと思いながらも徹底的に盗み聞きをして、必要な情報を事細かに煌帝国側に報告して差し上げた。白龍皇子はそれを元に新たな作戦を提案したり、軍の下っ端に指示出ししたりとさっそく活躍しているようである。
「信頼して下さっているのですか?もし此方が持ち帰ったのが嘘の情報だったなら、大変な損失ですね」
あれから毎日のように白龍皇子のテントに顔を出し、話をしながら軽い体操をして身を休める此方。軍人たちの前では一切姿を見せないようにしているので、ここくらいしか一息つける場所が無いのである。ただ居座るだけでは悪いから、たまには白龍皇子の肩を揉んであげたりして。最初は遠慮していた彼も今は拒絶するのを諦めて大人しく肩を差し出している。
「ここにはほとんど煌の人間しかいません。こんなところで煌が不利になるように動けば、あなたの身の安全は保証できませんよ」
「なんと。怖い怖い」
「あなたは賢いお人だ、いつも俺に言われるまでもなく“正しい”行動をして下さる。そういう意味では信頼していると言えます」
「ふふ。よかったです」
「第一、この作戦は鬼倭国にはなんの関係も不利益もないんだから、余計なことをする意味がないでしょうし。誠実にお願いしますね」
「は〜い」
白龍皇子も大概此方のことを理解しているらしい。これでもシンドリアで出会ってからたったの数週間の関係。しかしその短い間に積み上げてきた経験がそれなりに多いのも確か。
それにしても頂けませんね。武器を向こうに置いたまま、無防備の状態で急所のうなじを見せびらかすなど、気を許すにも程がある。もしも此方が皇子さまの命を狙う悪人だったならどうするおつもりなのだ。
「俺の肩を揉んで楽しいですか?」
「楽しいというか、少しでもお礼を返さねばとの一心で。皇子さまったらどこぞのお殿様みたく女子を侍らせて疲れを癒すだなんて、さぞ気分がよいことでしょうね。羨ましいー」
「はい?」
そんな戯言を言いつつ、肩を揉んでいると自然に視界に入る白龍皇子の鍛えられた肉体。左目の周りだけでなく、首から肩にかけても火傷痕が繋がっていることに気がつく。
お顔の火傷が一番目立つから今まで考えもしなかったけれど、もしやお衣の下にはもっと痕が広がっているのかも。痛くはないのかな。マッサージにかこつけて指先でそっと患部に触れようとしたら、その時白龍皇子が振り返ったのでぱっと手を離した。
「そういうことならもう結構です。お礼をすべきは俺の方なんですから」
「そうですか?しかし、此方は無償で無期限の温かいお食事を頂いている身で……」
「そんなことはいい。赤琉殿の働きに比べたら造作もないことです。正直俺はあなたの能力を侮っていました。なるほどこれは、『アミー』を保有する鬼倭国が羨ましいくらいだ」
なにやら褒めてくれているらしい。行き場をなくした両手で自分の頭に生えた角に触れ、にへらと笑う此方。そうであろう、凄いであろう。『アミー』の眷属器は素晴らしいのだ。皇子さまもようやく魅力に気づいたか。
それからまた数日程が経過。異民族への侵攻は順調に進み、煌帝国軍はこの周辺で目的としていた全ての領地を傘下に収めた。ほとんどは白龍皇子の『ザガン』が空気中の微生物に魔力を与えることで擬似的に眷属に仕立てあげた、物の怪たちによる活躍のおかげだ。あれはまさに海賊大聖母の拠点で使っていた技。
あの時は魔法道具によって意識を操られていたはずだが、どのように『ザガン』を使いこなしていたかの手順についてはなんとなく覚えていたそうだ。それもこの数日でどんどん操作感を上達させており、今では空を覆うほどの大群を操っている。で、制圧先の異民族どころか自軍の者たちまでもが畏怖の表情をしてそれらを見上げている。
何も無いところから生物兵器を生み出せるなんて、従者のいない白龍皇子にとっては百人力であろう。けれどもあの物の怪たちを眷属と呼ばれては、本当の眷属である此方の立場がない。なんだかグロテスクでおっかないし、あれを従者と数えるのも違う気もする。
でもまあ、白龍皇子はそんなことを気にするお方ではなかった。自分のために力を振るってくれる全てをなりふり構わずお味方にしてしまわねば、目的を果たせぬからな。穏便派と見られる白瑛姫さまにも意見をし、彼は武力行使で素早く制圧を終わらせた。お見事である。
+
そのお力が段々と認められ、心からの敬意を示そうとする軍人たちも出てきたところだというのに、白龍皇子はいつも徹底的な人払いをしてからお一人で草原を駆けてゆく。夜になると辺りは暗くなり、月明かりだけが頼りだ。聞くまでもなく夜風に当たりに来たのだろう。ここは確かに風が心地よい場所である。
「……」
姉君にすら本心を打ち明けていないお方だ。心は常に一人でいたからか、実際一人でいる方が楽な部分もあるのやもしれぬ。此方はそんな皇子さまにやれやれと笑み、少しの距離を保ったまま密かに後を追いかける。護衛の意味もあるし、今の彼は見守っていないとどこか不安な感じがする。ここ数日の侵攻に際して姉君とは少し意見がすれ違う部分もあったから。
物事は上手くいっている。けれど皇子さまとて姉弟関係が険悪になることは決して望んではいまい。
「赤琉殿」
風に乗って届いた白龍皇子の呼び声。それは独り言のような小さなお声だったが、此方は素早く地に足を着いた。
「はいな。お呼びでしょうか」
「はあ……。はは、あなたはいつも当たり前のように近くにいますね」
白龍皇子は言いながら馬から降りて、やれやれと笑み、背後に現れた此方を振り返った。ここまで来たら周囲に人の目も無くなったので安心して姿を現したまでだ。
もしかしたら此方にまた話があって、こんなところまで馬を走らせているのでは、とも思っていたのだが。その反応を見るにどうやら今回は本当に一人になり来ただけで、その上で念の為試しに呼んでみただけ……だったみたいだ。それはなんだか申し訳ないことをしたな。でも着いてきちゃったのはしょうがないですよね?
「ごきげんよう、皇子さま。風の気持ちいい夜ですね」
白龍皇子は心底不思議そうな顔をして此方を見ている。どうしてここにいるのかって?なんのことは無い、たった一人でどこかに行こうとするあなたさまのことが、少し心配だっただけ。
……先日のアクティア王国での出来事を、少し思い出しただけ。
「あなたって、いつも姿を消した状態でどうやって移動しているんです?」
白龍皇子は馬を引き連れながら、近くの小高い丘まで歩いて向かった。話を振られたということは、此方はここに留まる許しを得られたらしい。よかった。
その後ろをとことこ着いていき、彼が腰を降ろした隣に此方も座った。二人で並んで地べたに座ると、少し前まで野宿をしていたことを思い出す。
「風に身を任せて漂っているというか、文字通り風になっているのです。空気と同じになれば重力にも逆らえますからね」
「動きたい方向に風が吹いていない時もあるでしょう?だいたい家屋の中は無風のはず」
「それらの場合は風に逆らう必要があるので、刹那の間だけ交互に足を戻して地面を蹴って、慣性の動きで動いている感じですかね」
「移動中、足なんて見えませんよ?」
「それだけ短い時間で脚部を変化させながら地面を蹴っているということです」
「なんだか思ったよりも随分と高度なことをしているんですね?」
此方の説明に、白龍皇子は感心するように頷いた。普段通りの優しい応答。敵地に赴いている時や無表情の時はそこそこ近寄り難い雰囲気を放っているのに、話してみるといつもと同じく人当たりのいい彼になる。
「眷属器を手にした当初はそれこそ『消える』ことしかできなくて、消えた上で『動く』なんてもってのほかでしたよ」
いつものように頭の角に触り始めると、彼はそれを見て心做しか微笑んだ。きっと普段から見覚えのある動きを此方がするから面白くなったのだ。癖になっていることはとっくに見抜かれている。
「これを使いこなすのには相当苦労しました。でも幸運なことに、此方には眷属器使いのお手本がいたので、必死に真似をしていたらおかげで今のように上達して……」
「他にも同じ眷属器を持つ人が?」
「はいな。此方の父上です」
「なるほど」
父上は『アミー』の眷属器を用いた技の考案や習得が驚くほど早かった。『霧隠れ』で全身を消すのも、体の一部だけ消して戦闘での回避に応用するのも、周囲の空気を凍らせて簡易的な足場を作るのも、全部父上が先に身につけた技だ。此方はそれを見よう見まねで覚えたに過ぎない。
でもそれを言ったら母上の力の方が圧倒的だったけどなぁ。金属器の主なのだから当然と言えば当然だけど、『アミー』の本体はそれはもうできることの規模が段違いで、凄まじかった。なにしろ金属器を中心とした鬼倭島全体を覆い隠せるほど巨大な空間さえ、一度に霧に変えることが可能だったのだから。
あんなの国崩しにも最適なおっかない能力だ。此方が持っていなくてよかった、とまで思う。
「つまり、赤琉殿の母君が金属器の主で、その夫と娘のあなたが眷属ということですか。なかなか変わったご家族ですね」
「言われてみれば……そうかも」
「ところで、『アミー』の迷宮は鬼倭国内に出現したんですか?」
「いえ?鬼倭島のさらに東の海上ですが」
「へえ……」
変なことが気になるのだな。『アミー』の所在地など、シンドバッド王さまにも聞かれたことがないのに。首を傾げながらも素直にお答えすると、彼は数度ゆっくりと瞬きをしてなにやら考え込んでいる。
えっと、何か変なことでも言ったか?と、不思議に思ったところで。もしかしたら今のは、本当に失言だったかもしれないと気がついた。白龍皇子がどこか確信めいた様子で、まっすぐ目を合わせてきたことに違和感を覚える。
その美しい碧眼が、此方の目をまっすぐ見つめている。
「ずっと前から気になっていたことがあるんですけど、あなたの母君はなぜ迷宮攻略に?」
「単に……力を得るためですよ。誰でもそうなのでは?」
「どうして赤琉殿の母親である必要があったんですか?」
一度瞬きをした。一瞬、質問の意図が分からなかったからだ。
探りを入れられていることは分かっている。此方は未だにろくに自分の話をしていないから、白龍皇子はことある事に様々な質問を投げかけてくるのだ。彼が少し身を乗り出してくるから此方は両手で肩を押し返した。ち、近いです。
「つまり俺が言いたいのは……。迷宮攻略に行くということは、元々それに足る実力を伴っているはずですよね」
「……あ、ああ」
「でなければ死にに行くようなものでしょう。俺も『ザガン』の時は己が未熟であることを自覚していて、だから死ぬ気でと思いながら迷宮へ向かいました」
白龍皇子の言う“ずっと前から気になっていたこと”、というのが分かった気がする。
鬼倭国から『アミー』攻略へ遣わされたのがなぜ他の誰でもなく此方の母親だったのか、ということを聞きたいのだ、おそらく。
「現在鬼倭国がどれほどの金属器を保有しているのか……つまりどれだけの数、迷宮を攻略しているのかは分かりませんが――」
現在我が国にある金属器はただ二つ。
一つはタケル様が持つ『カイム』。
そしてもう一つ、氷川家が持つ『アミー』。
「鬼倭国は、本来ほとんどの国民が島から出ないお国柄だったはず。それなのにわざわざ迷宮攻略をするために国を出るような人は、国内から選ばれた精鋭だったのではと考えるのは自然なことですよね」
「……」
『カイム』も『アミー』も、どちらも鬼倭島からほど近くの海上に出現した迷宮だ。周囲に取り合うような国が無かったために、どちらも鬼倭国の手中に収まった。
その通り、タケル様の命により遣わされた攻略班は、国内で選りすぐりの精鋭たちだけで構成された最強部隊だった。そこに此方ら氷川家も選ばれたのだ。
「だから、本題はこれです。『アミー』の保持者は何者なんですか?」
「……」
「それだけではありません。赤琉殿がその眷属になったのはなぜ?普段から主と戦闘を共にしていなければ、そうはなりませんよね。眷属とはそういうものだ」
此方が実は国内で重役に就いているのでは、という指摘もそうだし、今回のこともそう。白龍皇子は時折鋭い考察を突きつけてくる。なかなか侮れない人だ。此方は困ったように笑うしかなかった。
仰る通りだ。此方の母上は選ばれし人だった。
此方の母上は、国王である倭健彦様に次いで、国内で二番目に強い武人であった。だから、彼に続いて国内で二度目の迷宮攻略を果たしたのだ。そんな母上が嫁入りした氷川家は、国中の侍や忍を統率できる立場にある。氷川と名のつく誰しもが、それほど優れた実力を持つと自負している。
そして、現在の氷川当主はこの此方である。此方こそ、母上の迷宮攻略に同行した張本人でもある。此度タケル様の許しを得てはるばるシンドリアに赴くことができたのは、此方が実際それほどの重役を任される立場にいたからだ。
それを思うと……今こうして煌帝国の皇子さまと行動を共にし、彼らの軍事に手を貸しているなど、タケル様はともかく父上に知られたら一年逆さ吊りの刑でも済まされないかもしれないな。
答えを待ちわびている白龍皇子に向き直り、此方はそれでもきっぱりと告げた。
「お答えできませぬ。この件は鬼倭の国家機密に関わります」
「そうですか。では、その国家機密をあなたが知っているのはなぜですか?」
「お答えできませぬ」
「ま、そうですよね。俺もそのつもりで聞いたんです」
此方があまりに口を割らないから、今回もこうなることは察していたようだ。きちんとした返事は得られなかったのに、納得したように此方から視線を逸らした。後ろに手をつきぼんやりと夜空を見上げている。
しばらくの間、静寂を堪能。そろそろ軍人たちが白龍皇子を探しにやってくる頃だろうか。ここ数日の軍事行動でお疲れなのか、彼はもはや寝転がって草原の上で盛大にくつろぎ始めた。この人はまだまだ帰る気はないらしい。
「もう一つだけ聞いてもいいですか?」
「はいな」
「馬にも追いつけるのは、何か仕掛けがあるんですか?突風が吹いていない限りは難しそうに思えますが」
「それは普通に並走しているだけですよ」
「何を馬鹿なことを……」
「え?馬鹿とはなんですか。此方は大真面目ですよ」
「……は?」
ん?何か変なことでも言ったか?
「はあ……俺はいつになったら赤琉殿のことを一から理解できるんでしょうかね……」
「ふふ。理解しようとして下さっているのが、なんだか嬉しいです」
「だったら洗いざらい喋って下さいよ。俺は既に色々な話をして差し上げているのに」
「時来れば、全部お話しいたしますよ。此方はお口が固いのでね。覚えておいてくださいな」
「さてはまだ何か俺に隠していることがあるんでしょう。まったく」
「さあ、どうでしょうね〜」
……拠点の方向から馬の足音がする。予想通り軍人たちがここでくつろいでいる皇子さまの行方を探しに来たのだ。白瑛姫さまもきっと心配なさっているはず。
そうと分かれば此方はドロンの時間だ。彼が寝転がった時に乱れた服装をちょこっと整えてあげてから、上から顔を覗き込んだ。
「皇子さま。良い夜を」
「……」
それから夜風に身を任せて姿を消した。今日はここでお話をしたからテントにお邪魔する必要は無いと思って、少し早いけどおやすみの挨拶をしたのだ。でもなんだかスカした感じになっちゃったかな。まあいいか。