「白龍様、赤琉様。ランチの準備が完了致しましたので今一度コテージへお戻り頂きたく」
白龍さんは声のした方に瞳を動かし、ほんの一瞬睨むように目を細めたあと、盛大に舌打ちをぶちかましました。その後すぐ、はあ、と呆れ気味に苦笑みをこぼす彼と、事態を飲み込めない私。触れる寸前で離れていく唇。なんだかよく分からないけど、とりあえずほっと一息つく私。正直助かりました。もしあのまま触れていたら……キスをしていたら、私の内臓という内臓が全て残らず爆発していましたかもしれません。
「お前か……夏黄文。少しは空気を読め」
「は。おそれながら白龍様。お嬢様がお待ちであります。今すぐに!戻るであります」
おそれながらと言いながら、何も恐れていないような言い分であります……。
やっぱりどうしても舐められてそうな感じを拭い去れない、彼の色んな意味で強過ぎる言葉に驚いてしまいます。夏黄文さんはいったいいつからそこに立っていたのでしょうか。少なくとも私は声をかけられるまで存在に気づきませんでした。さすが組織の人。まあ白龍さんは気づいていたと思うけど……まさか彼もあのタイミングで声をかけられるとは思わないか。
「分かりました。すぐに向かうと伝えてください」
彼の下した短い命令に、夏黄文さんは小さく一礼してその場を去っていきました。それにしても、思いっきり不機嫌丸出しで舌打ちをしていたのに、白龍さんは今はもう何ともないみたいにケロッとしています。さっきお話した通り、他人の部下には本当に何も思わないようにしているみたい。この間青舜さんを小突いていたあれは、実のお姉さんの部下だから仲がいいということなのかな。
「赤琉?ほら、よそ見をしないで」
「……!」
あ。やられました。は、白龍さんは……私の唇にキスをすることを決して先延ばしにしませんでした。彼はそういう人でした。……はい、とても柔らかかったです。
+
「あなたって人は本当に可愛い」
「……」うるさい。
いつまで経ってもふわふわした気持ちが続いています。触れた時間は一瞬だったにも関わらず一生感覚が拭えません。白龍さんの、さっき私が指輪をはめてあげた方の左腕を抱きしめるようにしながら、無意識に金魚みたいに口をぱくぱくさせていたら、フッと笑われたので殴りました。受け止められました。
さっきから向こう50M先でチラチラと振り返る姿が地味〜に視界に見えている夏黄文さんの後ろを追いながら、私たちはコテージへの道を戻っていきます。彼は遠くにいてもすごく主張の激しい部下さんです。
「ちなみに……白龍さんには部下はいないんですか?青舜さんみたいなのじゃなくて、その、専属の……白龍さんだけの、みたいな」
「いますよ」
自分で聞いておいてなんだと思うけれど、予想外の答えについ顔をあげました。左側に立っているから彼の火傷痕がよく見えます。
「……いるんですか?」
「いますよ。普通に。部下といっても……青舜や夏黄文とはまさに種類が違いますが。俺が顎で使えるだけの、ただの組織の“平”構成員がいると言ったほうが分かりやすいですか?」
「平……?あのマンションの部屋にも、メイドさんとか使用人すらいないじゃないですか」
「そんなもの要りませんよ。実家にいる時から手取り足取り世話をされるのが嫌だったくらいなのに。それを言うなら俺らが住んでいる最上階の一つ下のフロアは、全て部下のために用意した部屋です」
「へえ……」
下のフロアに限っては、別の女の子を住まわせているとかじゃないらしいです。なんでも、昼に動く人と夜に動く人など活動時間は分かれているため部屋を使う時はあまり重ならないけれど……1フロアが10部屋あり、そのうち一つの部屋に同時に2、3人が入るくらいの数は存在しているそう。単純計算で最低でも20人、実際にはそれ以上ということになります。加えて他の場所、例えば実家や料理店などにも常時配備させている人たちがいるらしく……結局何人いるのかはよく分かりません。他の人もどのくらいの数の部下を従えているのかは想像もつかないけれど、少なくとも20人以上というのは、今までいないと思っていた私からしたらかなり多い数です。
「私、一回も見たことないのに……」
「いえ。一回も、ということはないと思いますよ」
「……?」そうかだったかな。
「とはいえ、全員よく訓練された隠密機動要員です。記憶に残らないのも無理はありません。俺は常に誰かを侍らすのは好まないのでね、単身の方が動きやすいし。影からのサポートに徹し、有事の場合のみ姿を現し手を貸すように言いつけてあります」
そんな人たちがいるんだ。確かに白龍さんはお料理以外の家事もあらかたこなしちゃうから、使用人なんていなくても生活力があるけれど。私こそ住まわせてもらっている身で何もしないわけにはいかないから、掃除や洗濯とか出来ることを見つけてはお手伝いしているくらいで。あ、もちろんお手伝いが嫌なわけじゃなくて、お金持ちの人は全員使用人を雇っていると思い込んでいたから、驚いていたのです。
「……青舜さんや夏黄文さんとは違うと言いましたけど、その人たちは白龍さんとちゃんとした信頼関係があるんですか?」
「どういう意味です?」
「平の構成員さんなんて、言い方をするから」
「ああ、それは……」
白龍さんのことを悪く言うんじゃないけれど、白龍さんは裏切り行為はしないまでも、言ってしまえば組織(というかお母さま?)に反抗的な姿勢をとっていて、少し距離を置いている身なのです。そんな彼のことを好き好んで命令に従う人が、いるんでしょうか。それともただのはぐれものみたいな?
「……ただの言葉のあやですよ。皆、地位を持たないだけで組織の中でも有数の実力と忠誠心を持っています。なんせ、……」
白龍さんは言いにくそうにしています。
「……もともとは母上が可愛がっていた、母上のお付きの者たちばかりですから」
「お母さま?」
「彼らは俺が幼い頃から『煌樂白苑』ひいては母上に対して異常なまでの忠誠心を誓っていました。もちろん今もね」
「それは、じゃあ、前はお母さまの部下だった人が……今は白龍さんの部下になったということですか?」
「そういうことです」
言いにくそうにしていたわけはわかりました。でも、白龍さんはお母さまのことをあんなに毛嫌いしているのに、これはいったいどういうことなのでしょう。
「変な話でしょう?俺も最初は母上に偵察を命じられてやって来たのだと思っていましたが、しかしどうやらそういうわけではなく……」
「?」
「自らの主である、母上の“大切な大切な末の息子”に情が移ってしまったんでしょうね。部下はいらないと言ったのに、わざわざ母上の元から離れ俺に対して忠誠を誓い出した時には気でも狂ったかと思いましたよ」
「……」
大切な大切な末の息子。
「過去、俺が一度本気で家を出ようとした時に勝手に付いてきたので、それ以来こき使っています。物好きな人たちですよ」
愚痴……というより、もしかしてこれは惚気というやつ?
「俺が“そう”言えば、喜んで自らの首を落とす者たちです。理解せずとも結構ですよ。ひとつ言えることは、今はもう母上と繋がっていないのは確かなので、さっき気にされていた信頼関係云々は……心配に及びません。彼らの俺に対する忠誠心は、俺自身、引くくらいです」
なんだ、愛されているじゃない。とても安心しました。
「彼ら、今も近くにいますよ。そことか、あそことか。もちろん紅玉殿の部下である警備のことを言っているのではなく……」
「……?」どこにも見当たりません。
こんな隠れる場所なんてほとんどない庭園の、どこに?忍者かなにかですか?
「言ったでしょう?あの母上の元でよく訓練された隠密要員であると。素人には気配すら察することなどできません」
「……へー」
「ああ、実は普段あなたが俺の目を離れ学校へ行く時なんかも、半径30メートル以内に数人を追尾させているんですよ。なにかあった時の為にすぐ出てこられるように」
「……え?」
「もちろん警護のためですが」
「……へー」
じ、じゃあ、さっき私たちがキスをするところなんかも見られていたということで……それはつまり、通学路でこっそり猫さんに話しかけていたところとか、道端に生えたお花の花びらの数を数えていたところも、ばっちり見られていた、ということ……!?前もって教えてくれればよかったのに、次からは気をつけることにします。恥ずかしい。
+
「あら?思ったより早かったわね。もっとかかると思ったのに……ささ、席について」
「あなたの後ろにいる彼に、随分と急かされたのでね。いえ、ランチを楽しみにしていたというのもありますよ」
コテージに戻ると、さっき紅玉お姉さまとお話した部屋のまた奥、広々と食事のできるガラス張りのダイニングルームに通された私たち。楕円形のテーブル、庭園の景色がよく見える側の真ん中に私、左右にそれぞれおふたりが席につきました。本当は端っこが良かったけれど、紅玉お姉さまが私とお話をしたいからとこの席順にしたのです。そ、そういえば……白龍さん以外のお料理をいただくのは、白瑛さんのお家にお邪魔した時以来……?
「そうなのぉ?夏黄文〜?あなた、二人の会話を邪魔したりしていないでしょうね?」
「とんでもございません。お嬢様をお待たせするわけには参りませんので、当然一刻も早くお伝えしたであります」
「ふぅん?邪魔していないなら良いけど」
会話どころかキスを邪魔されたことを言えば、お姉さまはちゃんと叱ってくれるようなタイプのように思うけれど、白龍さんが何も言わないので私も黙っておきました。本当に幹部間の諍いは好まないらしい。
「白龍ちゃんほどの料理の腕なら、少し物足りないかもしれないけれど……でもね、わたくし自慢の専属の料理人が腕をふるって用意してくれたの。召し上がってくれるかしら?」
「もちろんですよ、義姉上。さっそくいただきましょう」
少し緊張しながら膝の上で手を握っているうちに、目の前で次々につがれていく料理の数々。白瑛さんの時もそうだったけど、なんだかこれもパフォーマンスの一種に思えて一時も飽きさせません。『煌樂白苑』本店も、こんな感じの雰囲気なのでしょうか……。そんなことを考えながら食器に手を添えた時、隣から静止がかかりました。
「赤琉、まだですよ」
あれ、私、何かやらかしました?タイミングが早すぎたのかな。紅玉お姉さまの前で、失礼なことをしてしまいましたか……?どきどきしながら彼の方を見やると、白龍さんがふいに右手をあげました。指先をくいっと曲げて、何か合図をしているようです。一体何を?と思う間もなく、背後から突然黒服のお洒落な覆面をつけた男性が現れたので、つい驚いて後ろを振り返ってしまいました。まるで忍者かと思ったその印象もあながち間違いではありません。だってその人は、そうだ、きっと……。
彼は「紅玉様、並びにコックの方々。そして我が主様方。お目汚し失礼致します」と断りを入れてから、私たちによそったものと同じものを口に含んで丁寧に咀嚼を始めました。あ、と思います。白瑛さんのご自宅でお昼ご飯を頂いた時も、同じ格好で、突然現れ、同じことをした人がいたのを思い出しました。
その時はてっきり白瑛さんのお家の使用人さんだと思っていたし、何をしているのかもピンと来なくてあまり気にしていなかったのだけど、今、分かりました。この男性はきっと、というかまさに、さっき白龍さんが教えてくれた彼の部下その人で……今は毒味をしているのだと。
「……そういうことだったんですね」
「なぁに?赤琉ちゃん、どうかした?」
「そうですね。まあ、普段俺の家では毒味などしませんからね。義姉上、赤琉は外食に慣れていないだけなんです。あまりお気になさらず」
「あらぁ、そうなの?」
白龍さんの部下が全ての料理の毒味を進めていく中、紅玉お姉さまは親切に事細かに教えてくれました。
「いい?たとえ信頼し合った私たち同士でも、それぞれお互いの料理人が作ったものは毒味必須なのよ。そうねぇ、練家の家訓、とでも言いましょうか?」
「以前、それで紅炎殿……彼女の長兄が狙われたことがありましたよね。彼は強靭な体力で毒などものともしませんでしたが。料理を愛する父上や叔父はそれで相当お怒りになって」
「そうね。あの方々のお怒りようは、まるで大災害だったわぁ。お店も一時的に閉めるくらい前代未聞の大事件だったんだから!でもね、わたくしも負けないくらい怒りを感じたわ」
お姉さまのつくる握りこぶしがガタガタと震えています。な、なんだかいきなり雰囲気が変わったような。
「今思い出しても殺意が消えなくってよ!わたくしの大切なお兄様を狙った下賎な輩は、当然拷問の末に焼き討ちよぉ!わたくしも直接この手で制裁を加えて差し上げたわぁ」
あ、怒ると怖いタイプの人だ……。紅玉お姉さまは絶対に怒らせないようにしなきゃ、と思いました。と同時に、やっぱり白龍さん以外の人も殺しの部分の関わっているんだなと改めて実感します。組織のお仕事について、もっと詳しく聞いてみたいな。
「だから、あなたも安全のために他所で食事をする時は従者を呼ぶのよ。分かったわね」
「は、はい。お姉さま」
すぐに元の様子に戻った紅玉お姉さまに安心しているうちに、毒味が終わったらしいです。気づけば白龍さんの部下はどこにもいなくなっていました。やっぱり気配なんか微塵も感じさせないのに、今もどこかで密かに見守られているということを思うと、隠密機動とはこういうことか……と新しく学びが増えました。
豪華なランチは私の舌では白龍さんのお料理と優劣つけられないくらい美味しくて、久しぶりに完食できるか危なかったけれど、なんとか食べきることができました。
「白龍ちゃん、最近はアリババちゃんのお店にいらして?」
「いえ……そういえばしばらく顔を出していませんね。兄上がお二人共“表職”の方が忙しいからと、全て任務を俺に回してくるんですよ」
「そうねぇ、あの方々のことは紅炎お兄さまに負けず劣らずわたくしも尊敬しているわぁ。それで組織の仕事もしっかりこなしているんだから……」
「まあ実を言えば、いくつかサボってジュダルに押し付けていますがね。そろそろ姉上に叱られてしまいそうなので、情報集めをしてもいいと思っていたところです」
「それなら、今日のうちにでも遊びに行ってあげなさい?新作のカップケーキ、あなたに早く食べてもらいたくてやきもきしてたわよぉ」
「アリババ殿、すっかりおだてられましたね。少し褒めただけなのに」
「いえいえ、食べものに関して白龍ちゃんに褒められるのって相当よ?さすが、あの子は色んな情報を知り尽くしてるって感じね」
「……?」
アリババちゃん?に、カップケーキ?に、白龍さんのお兄さま?のことも……。紅玉お姉さまはどうやら白龍さんとはとっても仲良しさんみたいです。同じ名字を持ついとこ同士なんだから、私には分からない話をしていても何もおかしい話ではないのに、……なんだか置いていかれている気分です。べつに顔に出していたつもりはないのに、紅玉お姉さまはすぐにそんな私に気づいて今度は私に話しかけてくれました。
「ねぇ赤琉ちゃん、わたくしに連絡先教えなさいよ」
「……?」
「電話番号のことよ、分かるでしょ?」
せっかく話題を振ってくれたのに、希望に添える答えが見つからなくて困ってしまいました。誤魔化すわけにもいかないので、素直に打ち明けることにします。
「私、携帯電話持ってません……」
「……!?はぁ?」
驚いた声に飛び上がる私。
「白龍ちゃん、あなた何を考えているの!?信じられない!フィアンセにスマホも持たせないだなんて、過保護にも程があるわよ!それに、独占欲のなんてお強いこと!」
「ど、どくせん……?」
驚かれるとは思ったけれど……そんなに大袈裟なことなのでしょうか?今はこんな生活を送らせてもらっているけれど、高価なものは小さい頃から持ったことがなかったから、私にとってはそれが普通でした。確かにクラスメイトにも同じように驚かれたことはあるけれど、どうせあの人たちとは連絡なんて取り合わないし。そもそも独占欲って、白龍さんにそんなの……。
「独占欲ですか。まあ確かにそれはありますけど」
あるんだ。
「白龍ちゃんって女の子のこと信用できないタイプだったっかしら?ジュダルちゃんには真っ先に笑われると思うわよ」
「もちろん、俺は彼女が望めば買い与えるつもりでしたよ。ていうかどちらかと言えば盗聴の方を危惧していて……少しでも危険から遠ざけたいんですよ」
「あらそう?わたくしには言い訳にしか聞こえなくってよ。そんなのどうにかしなさいよ」
「あのですね、この世には職権乱用で正々堂々と“合法的”な手段を使って盗聴を仕掛けるろくでもない警察官が存在するんですよ。その名も練白蓮と言う……!」
「関係ないわぁ!携帯電話がないんじゃ、わたくしが赤琉ちゃんとお話したくなった時にお話できないじゃない」
「で、でも……そんな高価なもの、私が持つのはもったいないです……」
「もったいなくなんかないわよぉ!ご安心なさい、この子は本家ご兄弟の中でも一番の稼ぎ頭なんだから!どんどんおねだりすればいいの」
「……えっ」一番の稼ぎ頭?
常日頃から羽振りが良すぎるとは思っていたけど、そうだったんだ。それは初耳でした。もしかして……お仕事以外にも何かやってることがあったりして。
「おねだりなんて……私、白龍さんにはもうたくさんのことをしてもらってるのに、これ以上は……それにご用がある時は、一度白龍さんに連絡してもらえれば、」
「そんなの嫌に決まってるでしょう!?いちいち手間がかかるじゃない!なんなのよ、あなたはわたくしとお話したくないわけ?」
「ち、違います……!私も、お姉さまと一緒にお話したいです……!」
思わず身を乗り出して本心からお姉さまの言葉を否定すると、彼女は安心したように私に対してにこっと笑いかけてくれました。その後すぐに白龍さんに方に向き直り、お姉さまらしく腰に手を当ててびしっと言い渡しました。
「いいわね!白龍ちゃん!今すぐこの方にスマホを買って差しあげなさい!そして番号が分かったらすぐにわたくしに報告すること!」
「はい、ええ、そうですね……分かりました」
「くれぐれもGPS機能なんか付けるんじゃないわよ!いいこと?」
「ああ、それならもう持たせているので」
「!?あなたヤバすぎよぉ!さすがこの親にしてこの子ありって感じがするわぁ!おばさまに言いつけてしまおうかしら?」
「あ、義姉上っ!なんてことを……!それは俺の前では禁忌ですよ!母上に言うのだけはやめてください……どうか!」
言い合いをする二人の間に挟まれながら目をぱちくりするしかできない私。白龍さんがこんなに焦っているところを見たのは初めてです。お母さまのことを言われて怒るどころか焦るだなんて、紅玉お姉さまは白龍さんと仲がいいだけじゃなくて、彼のことをよく手玉に取っていらっしゃるようで……ん?ていうか、GPSがなんですって?