「本当、初日から思っていましたけど、あなたの寝顔からは生気を感じられませんね。今日こそ死んだかと思いましたよ」
「……」
「さあ死体のふりをしていないで起きてください。あなたを起こす暇があったらもう一品作れます」
「……」
煽りと嫌味がふんだんにミックスされた、精神的に圧をかける起こし方をする人です。笑顔なのが余計に怖いです。そういえば、昔から母には深夜に急に起こされては、良かった、ちゃんと生きてた、と謎に心配された経験が何度もありました。私の寝顔ってそんなに死人みたいに見えるのでしょうか。直そうにも、自分の寝顔なんてどうやって確認すればいいの。
白龍さんのお家に来てから一ヶ月と少しが経過しました。四十日も寝泊まりしていたら、さすがに寝ぼけまなこでも自室から洗面所にたどりつけるくらいには間取りを把握できるようになりました。でも立ち入ったのことない部屋はまだあるし、開けたことの無い扉もまだたくさん存在しています。家具の場所も完全には把握できていないし、……大学には通っていないらしい白龍さんの行動ルーティンについても、あんまりよく分かっていません。
組織のお仕事の時間帯は決まっていないみたいだけど、彼は何故か毎朝欠かさず私のことを起こしてくれます。最近ようやくこの天蓋付きの大きなベッドに慣れてちゃんと寝られるようになったから、より一層眠りが深くなってしまったのか、彼がたまたま留守をしていた日に一度だけ夕方まで眠り続けたことがありました。白龍さんにはドン引かれました。せっかく作り置きしておいてくれた朝食も昼食も一切手をつけていなかったから、寝たまま死んだかと思ったそうです。しょうがないのです。もともと眠りが深い体質なのです。でも、ごはんを食べられなかったのは申し訳ないと思いました。それ以降はベッドの上で三十分以上は抵抗しないようにしています。それより短くするのは不可能です。ごめんなさい。
「……あ、あの」
いつものようにむせ返りながら美味しい朝食を食べたあと、白龍さんは私がお手洗いに行っているあいだに食器洗いを始めていました。彼は何日かに一回来る清掃の人以外に使用人らしき人を雇っていないらしく、驚いたことにたった一人で家事全般を全てこなしてしまうのです。料理、だけでなく、洗濯もです。私の下着も白龍さんが洗濯しています。といっても白龍さんに連れられたランジェリー専門店(スーパーで適当なものを買っていた私からしたらどこを見ても下着だらけで恥ずかしくて女の子なのにまともに目を開けられませんでした)で白龍さんに見守られながら買ったものなんだけど……あまりにも手際が良すぎて、気づいた時には全ての家事が完了しているのです。おかげで私は手伝う暇がありません。最近はお手伝いする隙を伺うために、常に気を張って彼を観察するようになりました。
「なんですか?そんなにジロジロ見て」
「その、おてつだい……」
「いいんですよ、食器を洗うのも料理のうちなので」
「……」
久しぶりに家事をしてるところに立ち会えたのに、振り返りもされず普通に断られてしまいました。あの、私って、この人のお嫁さんにされるんじゃなかったっけ。家事はお嫁さんの仕事だと思っていたけど、私の思い違いだったのでしょうか。こうやって断られるのは初めてのことじゃないけれど、毎回こんなにあっさり断られるとは思わずに話しかけてしまうから、毎回驚いて返事に困ってしまいます。
「……」
それならと、じっと見つめ続ける作戦に移行しました。すると彼は早くもため息をついて、料理用のナイフを水で流しながら顔だけこちらを振り返りました。勝った。
「あなたも、人に尽くされるのは居心地の悪いタイプですか」
「……。…………わたしも?」
「いいでしょう、分かりました。なら洗ったものを渡していくのでそこの布巾で拭いてください。床に落としたら殺しますよ」
勝ちました。じっと視線を送っただけで白龍さんを折れさせることに成功しました。長い戦いに勝利した気分です。なんだ、断られてもすぐにどこかに行くんじゃなくてじっと見つめ続けるべきでした。今しがた白龍さんが指をさした布巾を持って隣で待ち構えると、まずナイフを差し出されました。それを両手で受け取ろうとしたところで、一度も瞬きをしないうちに突然ナイフが姿を消して、白龍さんのずぶ濡れの左手が後ろから抱きしめるように私の右側頭部を押さえ、同時に冷たいものが喉元にあてがわれていました。息がとまりました。
「……鋭利なものを持った男のそばに安易に近寄らないこと。同じことを三日目に言いませんでしたか」
背後から、耳元で、そんなことを囁かれ、背筋がゾク、と震えました。頭を押さえつける手から流れる水が、耳の横を伝って服の中にまで垂れていきます。は、白龍さんっていきなりこうなるんだよなあ……初対面の時やここに来て三日目の時は身動きひとつ取れなかったけれど、今日は動けそうだったので、頭を後ろに倒して彼を下から見上げました。
「白龍さんは、料理用の包丁で人を殺せるんですか」
彼の、下からよく見ると長いまつ毛が揺らめきます。左右それぞれ違う色をしたあおい瞳が何度か見え隠れした後、ほんの少し拘束が緩んだ感じがしたので今度は腕の中で体ごと振り返りました。こんなに大胆に動いても、ナイフは私の体のどこへも掠る気配がありません。白龍さんがナイフをとっくに離していたからでした。
私と目が合った彼は、ペロッと一瞬舌を出してじっくりとこちらを見下ろしています。
「あなたの肝、バラしたらどんな味がするんでしょうねえ」
肝が据わっているということを言いたいみたいです。それにしても……白龍さんはカニバリズムの嗜好をお持ちなのかもしれない。もしかしてこの家に使用人がいないのは、彼がバラして食べちゃったから?そんな変なことを考えていたら、白龍さんはようやく私を解放してくれました。そして今ので乱れた髪を適当な感じで手でとかされ、再度布巾を持たされました。今度は、今度こそナイフも一緒に。
「拭くのが終わったら片付けもお願いします。もし場所が分からなくなったら逐一聞いてください」
白龍さんはさっきまでのやりとりなんてなかったみたいに、元の様子に戻って私に指示を出しました。食洗機(お皿などを自動で洗ってくれるやつらしいです)に入れるものは入れて、手早く残りの鍋やらを洗い終わると、慎重に両手で持ちながら丁寧に拭く作業をする私のお手伝いをしてくれました。お手伝いをしていたのは私のほうだったのに、そのお手伝いもしてくれるなんて、もうわけ分かりません。
白龍さんはお仕事に出ていってしまいました。今日は土曜日なので学校に行く日ではありません。今週は、どの科目も出された課題をその日のうちに終わらせることができたので、やることがありません。こういう時、私が白龍さんに許されているのはリビングのテレビを見たり、スクリーンが設置された映画鑑賞用のお部屋でサブスク(なんかよく分からないけど見放題やつ)を観たり、窓の外を見ることくらい。正直どれもそそられるものじゃなくて、強いていえば窓の外が一番興味あるけれど、今日は天気が良いから太陽の光が眩しすぎました。ちなみに私は吸血鬼ではありません。
となると、あとは寝ることくらいしかできることがありません。……寝ることにしました。起きたばかりだけど、今日も規則正しい早朝の時間に起こされたからすぐに眠れそうな予感がします。二度寝とほとんど変わりません。満腹な分余計にまぶたが重たいです。竜宮城みたいな洗面所で歯磨きをしてから、自室に戻りベッドに倒れ込みました。微睡みの中、来週は図書室で本を借りてくることにしようと決めました。
+
最近、お花がたくさん増えているような気がします。白龍さんの家を豪華に装飾しているのは家具だけではないのです。というのも、彼は何日かに一回、どこかから少しずつ花束を貰ってくるのです。今日もまた、お仕事終わりの白龍さんは左手に可愛らしいお花を持って帰ってきました。道行く女の子からもらったのかな、なんて。彼はそんなの受け取らなさそうだし移動もほとんど車だと思うのに、……いつ誰からもらっているのかよく分かりません。
そんな白龍さんが花瓶に花を移し替える作業をしているのを傍から見守りながら、私はタイミングを伺っていました。だって彼は今ハサミを持っているから、何も考えずに出て行くと今朝みたいなことをされると思ったからです。まるで園芸職人さんみたいな手さばきで茎の先を切る彼は、きっと料理に関わらず手先が器用なんだろうなあ……。
「用があるならどうぞ」
いつの間にか目の前に白龍さんが立っていました。彼って足音がしないから少し考えごとをするとよく姿を見失ってしまうことが多々あります。逆に急に至近距離に詰められることもあるから、ドッキリでも仕掛けられているような気持ちです。そんな彼の手には一輪の花が。まさか私にくれるの?既に細身の一輪挿しの花瓶に入ったそれを受け取ると、「どうぞあなたの部屋にも飾ってください」と言いながら、次の瞬間にはもう元の場所に戻って作業を再開してしまいました。
「ありがとう、ございます」
「で、なんの用です?」
「えっと……アルバイト、したいです」
「そうですか。理由を伺っても?」
「……え?」
まさか質問で返されるとは思わず、聞き返してしまいました。私はてっきり一番最初に断られると思ったのです。ばっさり「ダメです」と断られると思っていたのです。なので、その質問に対する適切な返事を今から考えなければなりませんでした。
結局今日は白龍さんが帰ってくるまで暇すぎたので、既に整理整頓されている自分のお部屋を一旦ぐちゃぐちゃにして片付け直すという無駄な行為をして時間が過ぎるのを待ちました。私の部屋にあるのは主に天蓋付きのベッドと、勉強するのにいい感じの机と、押し入れですらない、もう一個の部屋みたいになっているウォークインクローゼットというやつです。そこにはこれまで白龍さんに買ってもらった服や靴や下着が、きっちり種類ごとに分けられてしまわれています。たくさん買ってもらったのに、私は恵んでもらっているだけでこちらから何かをしたことがありません。少しお手伝いするくらいでは到底釣り合いません。お金にはお金を返さなければ。そう思って、これまで買ってもらったものの金額の計算をしたらとんでもない数字になったので肝が冷えました。そこに父の借金も足したらそれとは比べ物にならない数字になって、もう肝が爆発しました。
アルバイトをしなければなりません。高校に入ってから受けたアルバイトの面接は一度も通ったことがないけど、今更そうも言ってられません。バイト特集なるものが放送されていたテレビの前で、そう決心をしたのです。
「アルバイトをする理由です。だいたい予想はつきますが、一応聞かせてください」
「えっと、だから……3852万円ほどを稼がなきゃいけないからです」
内訳はお洋服代などが52万、食費代や光熱費代など他の諸々が素人目に見積もって100万円、残りは父の残した借金のお金です。そう説明すれば、白龍さんは「やっぱり」という顔をして返事をします。
「言ったでしょう?あなたに押し付けるつもりはないと。言葉通り、全額返す必要などありません」
「でも、お世話になっているのに何もしないわけには……いかないです」
「あなたの生活の面倒をみる代わりに、あなたを妻として迎え入れるということは以前説明したはずですが?」
「……白龍さんには感謝しています。白龍さんはそうやって言いますけれど、それとはまたべつの話で……私は恩返しがしたいのです。それだけです」
もらったお花を両手で持ってじっと観察しながら、言いました。お花を見ると花びらの数を数えたくなるのは私だけでしょうか。
「ふうん?良い心意気ですが、なんのアルバイトにするかなどは決めているんですか?相当割のいい職種じゃなければ、あなたには手軽に返せる金額じゃありませんよ」
「パパ活します」
「……」
白龍さんの手から花がこぼれ落ちました。それはテーブルの上に落ちました。
「なぜよりにもよって……世の中にある金を稼ぐ手段はそれだけではないでしょう」
「?私の家は、貧乏だから……少しでも足しにしようと思って何度かバイトの面接は受けてみたんですけど、一回も受かったことがありません。母には才能だって言われました」
「……ああ、まあ想像できるような」
「でもパパ活なら個人のやりとりだから面接とかないみたいだし、私にもできそうです」
「赤琉。あなた、その言葉の意味本当に分かってます?」
「……?お金持ちの男の人とデートするやつです。さっきテレビで見ました。最近は……一回の相場が30万円くらいらしいです。本当かどうかわかんないけど」
「……デートの後は?」
「え?えっと、お金もらったら帰ります」
深〜いため息をつかれました。なにやら馬鹿にされているようです。「デートだけで30も払う馬鹿がどこにいるんですか」って、……どういう意味ですか?テレビのニュース番組でやっていたことをそのまま言っただけなのに、白龍さんは心底呆れた様子でようやくお花を拾い直しました。
「あなたの甘さは蜂蜜といい勝負ですね」
「はちみつ……。食べたことありません」
「近日養蜂場に行く予定があるので調達して参りますよ。どうぞご自身の甘さを自覚してください」
養蜂場。白龍さんは、自分が使う食材はスーパーで買うとかじゃなくてほとんど現地調達しているみたいなのです。べつに、私の分なら安いやつでいいのに……。
「ダメです。理由が理由なら許可してあげてもいいと思っていましたが、あなたはきっとどこでもやって行けません」
「……」
「その代わり、あなたに頼もうと思えることなら積極的に手を借りますのでそれで満足してください。いいですね」
「……はい」
結局だめでした。なんてことないです、白龍さんとの面接というかお話し合いも合格ラインに達しなかったというだけの話です。自己肯定感が爆下がりになったところで、可哀想になったのかなぐさめの言葉をいただきました。
「あからさまに気落ちしないでください。赤琉は勉強以外で得意なことは?家事のひとつもできないわけじゃないでしょう?」
「……お掃除とか」
「清掃は業者がいるのでそれ以外で」
「……お洋服たたむのとか」
「ならお願いします」
お洋服をたたむのくらい誰にでもできるのに、私って得意なことなんて何もないのかも。白龍さんは前に私のことを認めた上でここに置いているって言っていたけど、私って本当にここにいていいのかな。
「いいですよ」
「……」声に出してないのに。
「俺、結構あなたのこと気に入っているので」
「……?」
心にもないことを言う人です。