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「……」
白龍さんは面食らったような顔をしてから、カウンターの方、アラジンさんたちがいる方に目をやりながら口元を押さえ、黙り込んでしまいました。額を押さえてテーブルに肘をついて、すっかり頭を抱え込んでいます。あれ、こんなにショックを受けるとは思っていなかったんだけど……戸惑う私に対し、すぐに姿勢を戻してまっすぐ瞳を見つめる白龍さん。少し物を言うのを怖がるような、またしても今まで見たことない白龍さんを目撃してしまいました。
「まずはっきり申し上げると、いません。あなたの他にお付き合いしている方なんて……。これは断言できます。あなたに誓って」
「……」いないんだ。
嘘を言っているようには思えません。でも私には嘘を見破る力なんてないから、実際のところどうかなんて、確信が持てません。白龍さんの言うことを疑っているんじゃないけど。
「そう、弁解させてもらったところで尋ねますが、何故そう思うんですか」
「……なんとなく?です」
「さっきのアラジン殿の話を聞いたから、ですよね。きっと」
「いえ?もっと前から思ってました、けど」
「……ええ?」
今度こそショックを受けたように自分の横顔に手を触れる白龍さん。私がこんなことを言う真意が知りたそうにしていたので、続けて話を始めます。
「でも、確かにさっきアラジンさんが言っていたこと、私も同じことを思っていました。白龍さんはなんでも出来るし、かっこいいので……きっとまわりの女の人が放っておかないんじゃないかって」
アラジンさんが言っていた、せいへき?のことはよく分からないけど。白龍さんは笑っているのかそうじゃないのかよく分からない顔をしています。
「褒めて頂けるのは嬉しいです。嬉しいんですが……ほら、あなたは滅多にそういうことを口にしないので……」
「あ、そ、そうですよね。今すごいこと言っちゃいました。ちょっと恥ずかしいです」
「でも二股をかけていると思われているのは良い気がしませんね……もっと素直に喜びたかったのに」
「ご、ごめんなさい!悪い気分にさせるつもりじゃ……もうこの話はおしまいにします」
なにも白龍さんを傷つけるためにお話をしているわけじゃないのです。少し気になったから、聞いてみようと思っただけで。白龍さんに言われたとはいえ、今ならいけると思った数分前の私を絞め殺したいです。
「でもここで話を終わらせたら、俺はあなたにずっと勘違いされたままじゃないですか。それは癪です」
「……ごめんなさい」
「謝らないでください。この際、腹を割って話しましょう。こういうセンシティブな話こそ避けて通るべきではないでしょうから」
白龍さんは私を責めるようなことは何も言わずに、一度も手をつけずに放ってしまっていたカップケーキを「ほら」と手を差し出し食べるよう促しました。アリババさんのカップケーキ。上に乗ったホイップクリームから頬張ると一気に甘い香りが広がって、しんみりした空気が少し和らいだ気がしました。
「最近の俺は、あなたのためだけに生きていると言っても過言ではないんです」
「……あんまり大それたことを、言わないでください」
「いいえ。赤琉は、俺の料理を毎食欠かさず召し上がってくれますよね。だから、俺はあなたが美味しそうにする顔が見たくて料理をするんだし、……あなたに可愛いものを着せてあげたくて仕事にも精を出しています」
「……」
「それに、他でもないあなたのために身だしなみを整えているんですよ。俺は……あなたが思うより出来た人間ではないし、本来はもっと汚い場所に生きる人間ですから」
「……」お仕事のことを言っているの?
「あなただって、不格好な男を連れ歩きたくはないでしょう?」
「そ、それはそうかもしれないですけど……でも別の理由もあるんです」
「別の理由?」
「その、女の人に慣れすぎというか……」
「そりゃあ女性をエスコートできないような男だとは思われたくないですよ。当たり前でしょう、そんなことは」
そういうもの、なのか。
「俺がこんなに必死なのは、あなたに対してだけですよ。まさか他の誰かに現を抜かしたりなんてしません。もしアラジン殿の言っていることが気になっているようなら……アレはただ茶化しているだけなので、あまり真に受けないでいただきたいところです」
そっか、アラジンさんは色々な女性と関係を持っているふうに感じたけれど、白龍さんはそうではなかった。そういうこと。
「私は、その、男性とお付き合いしたことがないので……そういうの、よく分からなくて。そもそも、私ために何かをしてくれる人なんて、お母さんくらいしかいなかったから」
あとは、ジャーファル先生くらい。
「白龍さんのそれは、普段の白龍さんでしかないと思って、前より距離が近くなった気がするのも、生活に慣れたのが大半だと思って、……自分以外の誰かに対しても当たり前に、同じように行われているものだと、思って……」
じゃあ今日のプロポーズはなんだったの、という話になりますよね、そんなの。頭では理解できました。でも、……。なんか、変。心の中では納得しきれない自分がいます。
「でも、だからどうというわけじゃ……ないんです。本当に、気になったから聞いてみただけなんです。私は別に、白龍さんの一番になんてならなくてもいいし……」
「……はい?」
「白龍さんにはもっと相応しい人がいると思うし……」
スプーンを置きました。音を立てないように。
「私のことも、あんまり優先しないで大丈夫ですから……もっと他の人やことに時間を使ってください。私も白龍さんにあんまり依存し過ぎないようにしなきゃ、ってずっと思って、」
私の言葉を遮るように、何かが視界に迫ってきました。同時に額に感じる痛み。白龍さんがデコピンをしたのです。でもこの前みたいな無慈悲な強さではなく、とても軽くて弱いもの。
「な、なん……」
額を押さえながら顔を上げた私は、すぐさま口を閉じました。白龍さんが、今まで見たなかで一番とも言えるほど不機嫌丸出しで眉間に皺を寄せていたから。怒っています。完全に、私に対して怒りを向けています。
「赤琉。さすがの俺でも今のは聞き捨てなりませんね。あなた、今日はどういう思いでプロポーズを受けたんですか」
「……それは、その」
「いえ……あなたの性格は理解しているつもりです。まだあなたは自分は相応しくないとでも思っているんでしょう。いくら俺に否定されても、心の根本ではずっと同じことを思い続けるでしょう」
「……」
「育ってきた環境が今のあなたを作っているんだから、今更それを責めたりしません。だって今の時代に家柄でどうこう言うのはお門違いでしょう?その上でお尋ねしますけど」
カップケーキを端に避けて、テーブルに肘をついて、私を下から覗き込むようにしながら、白龍さんは言いました。
「あなたの言う、俺にもっと相応しい人って、いったい誰のことを差しているんです?言い方は悪いですが、……家柄で差別しているのはあなたの方なのでは?」
「……あ、……」
ぐうの音も出ません。そんなの、白龍さんの言う通りです。私のほうが勝手に白龍さんを上に見て、自分を下げて……。でもそんなの、仕方がないじゃない。好きであのゴミ屋敷に生まれたわけじゃないんだから。そう思うのはきっと私のわがまま。なぜなら、白龍さんこそ好きでお金持ちに生まれたわけじゃない。
「俺たちの方こそ弱者に寄り添うべきだというのは、兄上の言葉ですが……現実はそう簡単にはいきませんね。俺はあの家に生まれたというだけで、幼少期から奇異な目で見られ、もてはやされてきました。俺にはそれが苦痛でたまらなくて……」
もしかしてそれが家出のわけなのでしょうか。そして、私はそれと同じ目で、奇異な目で彼のことを見ているのかも。日常的に彼が嫌がることをしているのかも……。
白龍さんは立て続けにお話をしました。時に私の反応を伺いながら、口調は優しく、でも言いたいことははっきりと。
「……でも家族のことは大切です。練家と安易に縁を切ろうなどとは思えない。性に合うので暗殺稼業も喜んで受け入れてきたし、今の俺はそれで有り金を手に入れ、生計を立てていて、今後もそうしていこうと思っている。けれど、血筋に違いなどあるわけがないでしょう?だって、人間は皆、暴けば等しく同じ色をしているんだから」
「俺も綺麗ごとだけを言うつもりはありませんよ。俺にとって家族以外の人間はどうでもいい存在です。家族のためならなんだってできる、とかいうありがちな台詞も言いません。俺はただの私情で人を殺せる人間です。貧しい人を見殺しにできる側の人間です」
「でも変ですよね、あなたのことは殺せないんですよ。少し前まではただの他人だったのに、見捨てるどころか一緒に住まわせて、一生懸命世話をして……まるで最初から大切な家族だったみたいに、扱っているんです」
「もう俺はあなたのことをどうでもいい存在だとは見なせない。だからこそさっきのプロポーズがあるんです。半ば強制的でしたし、……俺の中の愛情と同じものを、あるいは近しいものを、あなたが俺に対して抱いてくれているかは分かりませんが……」
今は目を逸らしてはいけないような気がして、じっと白龍さんの方を見つめました。ただのお嫁さんに、こんなことを言うでしょうか。他に女の子はいないことを彼は断定したから、それは本当なのだと思います。
だからといって。だからといって……私なんかにここまで積極的になるなんて、こんな未来など全く想像もできないほど貧乏な家に生まれた人間にとっては、彼の言葉の全てを受け入れるほうが無理があるというものです。私は……そこまでできた人間でも器用な人間でもありません。どうせ彼の期待を裏切るに決まっている。それなのに白龍さんは、どうしてそんなに真剣な目をして私の手を取るのでしょう。
「相応しいとか関係なく……俺には赤琉しかいません。俺自身があなたを選びたいと思い、こうして今そばに置いているんです。それが嫌なら素直に拒絶すればいい」
「……嫌なんかじゃ」
「あなたはそう言ってくれますけど、自信を持って言ってくれなきゃ、俺も不安になるんですよ。俺が勝手にあなたを連れ出したんだから、俺に言えたことではありませんが」
「……」
「自分から指輪をはめてくれましたよね。俺は嬉しかったです。それはもう、死ぬほど」
私だって、白龍さんのことを好きだと思う気持ちに嘘はありません。
「出来ることなら思い違いでこの関係を破綻させたくはありません。とはいえ、この気持ちを確実に証明する方法は今のところ……信じてもらうしかない。俺の言動だけで」
「……信じて、ます」
白龍さんの言うこと、信じてはいるんです。
「そう。それなら、これだけは覚えておいてください。今話したことは全部、本心から言ったことです。俺もあなたのことを信じていますから、どうか俺のことも信じて」
白龍さんは、笑いました。まるで私を安心させるような温かみのある笑顔です。……信じてはいるんです。白龍さんのこと、信じてはいるんです。こんな熱弁をされ、そんな真剣な目をされては頷く以外に私ができることなどありません。しかし、やっぱりこんな時にも白龍さんは口達者で女の子の扱いに慣れていると思ってしまう私は薄情な人間でしょうか。

「で、気になっているでしょうから正直に打ち明けますが……」
白龍さんはすっかり元通りになりました。言いたいことを言い切ったからか、もう不機嫌な様子はありません。私が始めた話のせいで怒らせてしまった上、ろくに返事ができなかったことにも不甲斐なさを感じて申し訳ない気持ちでいっぱいです。しかも白龍さんは私を安心させるために、自ら話を始めました。彼は、いい人。本当に、私にはもったいない。
「俺が関係を持つのは……あなたが初めてではありません。今はあなたしかいませんが、以前に何人か、“お付き合い”した方がいます」
「そう、なんですね」
「でも正直のところ全員好きで関係を持ったわけじゃないんですよ。言い訳に聞こえるかもしれませんが、組織の任務としてだったり、それこそ母上の機嫌をうかがうためだったり……」
「……私も最初はそうだったんですよね。お母さまの……」
「正直に言うとね。でも今はもうあなた以外には考えられません」
だからこそのプロポーズ、というのは彼の言葉です。
「なんで、私を選んだんですか?……その人たちと私って、何が違うんですか?」
つまり、だから、私のどこを好きになったのかということです。さっきはさんざんそのことについて話してくれたけれど、今は家柄についてのことを言っているのではなく……私自身のどこを気にいってくれたのか、とても気になります。
「白龍さんが選ぶくらいだから、その、お付き合いしてた元カノ?さんは、とても素敵な人だったんじゃないですか?私なんかより……」
「赤琉」
彼は言いました。さっきの話を思い出させるように、はっきりとした口調で。
「俺はあなたのそういう……すぐ自分のことを下に見下すような言動が嫌いです」
「……」
耳がちぎれるかと思いました。白龍さんの口から放たれた“きらい”という言葉が思いのほか殺傷能力が高くて、本物の刃物が私の体をえぐっていったように感じました。さすが殺し屋さんです。いや、これはきっと、私が脆いだけ。どうしようもなく醜いだけ。さっきの話で彼に対して引け目を感じていたせいもあったけど、やっぱり私って彼にとんでもない負担をかけていたのです。何をしているんでしょう、私。そのことはさっき気づいたはずなのに、再度彼の口をから言わせてしまったことが、ショックで、無様で、しばらく何も言えなくて放心状態になった私が、ついうっかり涙をせき止めるのを忘れて視界がぐらくら揺れたところで、白龍さんはお口をあんぐり開けて立ち上がりました。
「まっ、待ってください!俺は決してあなたのことを嫌いだと言ったんじゃなくて」
涙は私の意に反してとめどなく溢れ出てきました。俯いたまま膝の上に落ちていくそれらを見つめながら、これまで私が白龍さんに対してしてきた態度を思い出しました。
「ああもう……泣かないで。あなたを傷つける意図なんて微塵もないんです」
「分かってます、でも……私、たぶん口癖になってて、無意識のうちに白龍さんを嫌な気持ちにさせていたかもしれません。ずっと我慢してたんですよね……ごめんなさい」
「いいえ、今のは俺が悪いです。申し訳ありません。もう少し言葉を選ぶべきでした」
差し出してくれたハンカチで、ゆっくりと涙を拭いました。こんな時にも私を悪く言わない白龍さんです。さっきのは、きっと心の底から思ったことだから声に出たに違いありません。家柄を差別しているのは私のほう。血筋に違いなんてない。白龍さんは、正しい。
「……あなたの前では完璧な人間でいたかったのに、散々ですね。プロポーズをしたその日にボロ出しまくりでお恥ずかしい限りです」
「それは、ちがいます。わたしが、全部……」
「いいんです。さっきはあんなことを言ってしまいましたが、それはあなたの性格なんですから無理に直せとは言いません」
「でも……私は、白龍さんを、嫌な気持ちにさせたくありません。……だから、がんばって直します。ごめんなさい」
「俺のことは気にせず。ご自分のタイミングで少しずつ自信を持って話ができるようになればいいんです。そうなったら……それは喜ばしいことだと思いますよ」
やっぱり人間が違う気がする。白龍さんの方がずっと大人だ。こんなことで泣いて彼の手を煩わせてしまうなんて、情けないです。
それに……私って、たった一言きらいと言われただけでこんなに悲しくなれるほど、とっくに白龍さんのことが好きになっていた。いつまでもうだうだ言っている暇などありません。お嫁さんになることは確定事項なんだから、私も早く追いつかなきゃ。せめて白龍さんがむかしお付き合いしていた人くらいには、ちゃんとしなきゃいけません。


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