「まあ、この方が白龍の……初めまして。私は白龍の姉です。気軽に白瑛って、下の名前で呼んでね。今日はわざわざ御足労いただきありがとう」
目眩、立ちくらみ、腹痛、頭痛が全部一気に襲いかかってきました。質素な面も感じられる白龍さんのマンションの部屋とはまた違い、より目を見張るような美しい装飾が施された一軒家の客間。そこに私は立っていました。立ち尽くしていました。のどかな山を少し切り開いて建てられた、大きな隠れ家のようなこのお家は、まさか彼のご実家……?と思いきや、まさかまさかのお姉さん個人のお家らしいです。それも山ごと所有しているのだとか。日に日にお金持ち家族の実態が更新されていきます。
あの夕食後、今後のことにどきどきしながらこれまたふかふかなベッド(わざわざ私のために用意された天蓋付き?のもの)で眠りについたら(でも本当は眠れてない)、翌朝何故か土曜日なのに制服に着替えさせられ、突然高級そうな左ハンドルの車に詰め込まれ(これが彼の普段乗りらしい)、都会の一度も足を踏み入れたことのない高級ブランド店街に連れていかれた私。
「これはこれは、白龍様。わたくしども一同お待ちしておりました。ご要望に添いまして“関係者”以外の人払いは済ませております故……ごゆるりと店内をご覧下さいませ」
「ええ、どうも」
「……、?……??」
顔パス?
「ほら行きますよ、赤琉。そんなにくっついてないでご自分の足で歩いてください」
「ご、ごめんな、さい」
店先の豪華な装飾、どこかで目にしたことのある有名なブランドロゴ、多分もう物理的にきらきら輝いているスタッフさんの視線に囲まれた私は、白龍さんちのソファーに座るよりももっとカチンコチンになってしまいましたが、そういう白龍さんはまるで近所のスーパーを歩くみたいに、場馴れした様子で颯爽と店内に入っていきます。
休日なのに私たちしかいないのは、白龍さんのコネなのかなんなのかよく分からないけど、たぶん開店前に特別に入らせてもらっているかららしい、です。なにそれ。お金持ちの人に不可能はないんだなあ、と思いました。
「目についたもの、教えてください」
「え、えっと……?」
「何かないんですか」
目についた、もの……?くっつくなと言われて一旦は離れた私でしたが、もう次の瞬間には再び隠れるように背中に張り付く私。彼はやれやれと諦めたように、背中に手を回し私を横に移動させました。背中にいられるよりはマシだと思ったのでしょう。今度こそあたふたする私に白龍さんは自身の腕を掴ませるのを許し、もうそれ以上は気にする様子もなく自分は自分で店内をゆっくり内覧しています。
車の中でちらっと聞いたけど、お姉さんへのプレゼントを買うとかなんとか。そんな、彼から離れることも出来ないのに、落ち着いて商品を見られるはずがありません。そもそも私の目には眩しすぎて、良い意味でどれも同じに見えてしまいます……彼は、私なんかが選んだものをプレゼントする気なのでしょうか。
「えっと、……えっと」
「気になったもの、どれでも言ってください」
「ど、どれでもって……?」
「どれでも」
そんなことを言われても。でも、白龍さんの言うことを無視するわけにはいきませんから、私は彼が丁度手に取っていた黒のワンピースをおそるおそる指さしました。
「こ、これ……」
襟元とスカート裾のレースがとっても可愛いと思います。たぶん……。
「分かりました。そこのあなた、これを」
白龍さんはそう言いながら、近くに控えていた若いスタッフさんにサッとその商品を手渡しました。その人はかしこまりましたと頭を下げてお店の奥に消えていきました。何か嫌な予感がしたので、白龍さんの腕を引っ張ります。
「あの……今、何をしたんですか」
「見りゃ分かるでしょう。買うんですよ」
「えっ」
思わず声が出てしまいました。それはつまり、今の一瞬で購入を決めたということ?私の一言だけで?しかも、値段も見ずに、そんな、そんな暴挙が許されるのでしょうか……?思わず棚に置いてある小さな値札を確認したら、桁が見たこともない数字だということに気づいて体の芯から震え上がりました。
「わ、わた、わたしはそんなつもりで指さしたんじゃ」
「何を焦っているのか分かりませんが、安心してください。あなたに借金を作らせようなどとは考えておりませんので。全部俺持ちです」
「?そ、そういうことではなく……」
「まあ、実際に着てみて気に入らなければ『紅苑』の者らに譲れば良いだけですし。あそこはやたら女性が多いですからね。気にせず好きなものを選んでください」
「……??白龍さん、で、でも白龍さんの、お姉さまの好みのものも分からないのに……わたし、こんな、責任もって選べません……」
「はい?何を言ってるんですか?あなたのものですよ」
「えっ?」
今度は少し大きめな声が出てしまいました。慌てて目を泳がせる私。白龍さんは不思議そうに私を見下ろしています。その顔をしたいのは私の方です。
「だ、だって……今日はお姉さまのプレゼントをって、さっき車の中で……」
「ああ、そのこと。せっかくお会いするのに手土産のひとつもないのはどうかという世間話はしましたが、ここのブランドは姉上の趣味には合いませんよ。別のところで探しますから、今はあなたの……」
「な、なんで私の……?」
「だってあなた、学校の制服しか持っていないじゃないですか。ま、俺が燃やしたんですが。部屋にいる分には青舜が用意した簡易着で事足りますけど、さすがに今後のことも考えると出先用のものが必要でしょう」
「……それは、」
それは確かにそうなのかもしれないけれど、お洋服まで買ってもらうなんて、そんな、私には返すお金なんて無いのに。しかし私には拒否権すら無く、白龍さんに言われるがまま、その後複数の店舗をハシゴし、怒涛のペースで全身一式(複数)を選ばされました。
どれも私にはもったいない、とても可愛いお洋服……。そして、その一週間後の日曜日。この時をもって、私は彼の本当の目的をようやく理解することになるのでした。
+
白龍さんのお姉さま……名前は練白瑛さん。二人は性別が違う上に片方は火傷痕があるのに、そっくりそのまま生き写しのような顔をしたお姉さまが登場した時は、正直まだ事態を把握できていなかったのだけれど……顔を合わせた彼らが丁寧にお辞儀をして挨拶を交わした後(つられて私もお辞儀しました)、白龍さんが発した次の言葉で、全てを悟る私でした。
「ご紹介します。婚約者の赤琉さんです」
鼓膜がイカれたかと思いました。
「姉上。彼女に、御粧しのいろはを教えてやって頂けませんか。どうやらこれまで触れたことがないらしく……しかし、再来月の総会で母上に“ご挨拶”する前に、彼女の最大限の魅力を引き出して差し上げたいと思いまして」
その言葉だけでなく、白龍さんはいかにも私のことを“恋人扱い”するように、腰に手を添えて抱き寄せました。今まで私には一度も見せたことのないような笑顔を振りまいて、自身のお姉さまとお話をしています。怖。
「そうなのね。白龍が家柄など関係なく心に決めた方だもの、話を聞いた時から仲良くしたいと思っていたし、それくらい全然構わないわ。にしても白龍……今度の総会には顔を出すつもりなのね。あなたには珍しい」
「……俺ももう二十歳ですしね。そろそろケジメを付けようかと。こうして“運命のお相手”にも巡り会ったことですしね」
思ってもないことを言う白龍さん。彼は私の心中など微塵も気にしていないふうに、こちらを見下ろしにこっと笑いかけました。ガタガタガタガタ壊れかけの洗濯機みたいに震える私が本当に目に入っているのでしょうか。
「ええ、白龍が好みそうなとっても可愛い子だわ。さて、どんなふうに変身させてあげようかしら……そうねえ」
白瑛さんは頭からつま先まで、じーっと私の観察をし始めました。白龍さんとの初対面の時もこんなふうに見られたような……。
今日私が着ているのは、一週間前に白龍さんに買ってもらった、まさしく人生で一度も袖を通したことのないような煌びやかな黒のワンピース。自分で選んだ(選ばされた)ものとはいえ圧倒的に着せられてる感が凄まじくてとてもいたたまれない気持ちになるのに、白瑛さんはわざわざ私のような下民の手をとって、優しく握って、言葉巧みに褒めちぎり始めました。
「今日のお召し物、とっても似合っているわ。私には黒が似合わないからそういうのも憧れるのだけれど……あなたにはぴったりね。白龍に選んでもらったのかしら?」
「えっ、えっと……その、」
白龍さんが選んだというか、私が選んだというか。手を握られたまま無意識に体が逃げようとするのを、隣の彼が逃がすまいと抱き寄せて、それはもう別人みたいに私の頭を優しく撫で始めました。
「姉上、彼女は緊張しいであがり症なので優しく接してあげてください」
緊張しいであがり症なのは認めるけれど、今私が洗濯機になっているのは決してそれだけが理由ではないです。
朝からおかしいと思っていたのです。いつもより一時間早く起こされて、朝食も手短に、先週買ったワンピースを着させられ、白龍さんじきじきに髪の毛を巻いてくれたり、香水をつけてくれたり……彼自身もいつもより髪の毛の結い方が丁寧な気がすることに、私は車の中で気づいていました。今となっては全て腑に落ちる行動だったけれど、さすがに「俺に話を合わせてくださいね」だけじゃ戸惑うに決まっているでしょうが。もっとちゃんと事前に説明して欲しかったです。まあどちらにせよ戸惑うことに変わりはないけれど。だって、練家のようなお金持ちと、貧乏な下民である私が……どうしてこんなことに?
「そういえば姉上、青舜はどこに?」
「青舜なら雄兄様のところにお使いに出しているの。まだしばらくは帰らないわよ。用があるのなら私が聞くけれど……」
「いえ、構いません。俺が出向きます。そういうことで、改めて今夜迎えに参りますから……彼女のことをよろしくお願いします」
二人が話し込んでいるから頭の中でぐるぐると考えごとをしていたら、いつの間にやらそんな話になっていたらしい。あれあれ、白龍さんどこかに行っちゃうのですか、こんなところで初対面の人と二人きりにしないでください……。そんな願いは虚しく、彼はまるでいつもそうしているかのように私の額にキスを落とし、今度はいつものトーンで私にしか聞こえないくらいの声量で「姉上に失礼のないように」という言葉を残してさっさと去って行きました。
置いてかれた。ぐすん。