04
「わ、私聞いてないです……白龍さんのお嫁さん……?に、なるなんて」
白瑛さんは外見だけではなく心の中まで綺麗で優しくて、男性はもちろん女性も憧れるような麗しい女性でした。それとはまるで正反対に、貧乏な家で育った私はお洒落には全くと言っていいほど縁がなく、家でもどこでもほとんど学校の制服で過ごし、たまに母のお古を使いまわしては日々を乗り切っていたくらいだから、ファッションセンスなどあるはずもありません。そもそも体自体が清潔とは言えなくて、お風呂も最低限で済ませていたし、頭も体も石の石鹸が当たり前だったから、シャンプーとリンスの違いすら未だに分かっていません。あの竜宮城みたいなお風呂を初めて使わせてもらった時も白龍さんはシャワーの出し方が分からないことよりも、シャンプーってなんですか?という質問に大層衝撃を受けていました。
そんな程度の認識では“仮にも練家”としてやっていけないだろうということで、今回白瑛さんは手取り足取り、女性として知っておいて然るべきお化粧道具の使い方はもちろん、爪先から髪の毛のケアにいたるまで全身のお手入れ方法を懇切丁寧に教えてくれました。ここに来るまでにもある程度身綺麗にしてきたはずなのに、まるで魔法にかけられたみたいな変身ぶりに、鏡の前でどきどき胸が高まってしまいました。私ってそういえば、昔はモデルや女優に憧れていた女の子でした。
用を済ませて戻ってきた白龍さんは、そんな私を見ては驚いたように「お綺麗ですよ」と、本心かは分からないけれど有り体に褒めてくれました。この人、笑顔になるとこんなに爽やかないけめんになるんだ……と思いました。

「いいじゃないですか。お互い家が燃えた仲なんですから」
帰りの車の中で、すっかりつやつやになった自分の髪の毛をつい手で触ったり、鮮やかに彩ろられたネイルを眺めたりしながら右隣に座る白龍さんに婚約の話を問い詰めたら、適当な返答が返ってきたので思わず吹き出しそうになってしまいました。何を言っているのやら、私の家は他でもないあなたが燃やしたんですぅ。
ていうか……白龍さんのその火傷はやっぱり火事とかのせいなんだ。初めて聞きました。
「母上がうるさいんですよ。結婚だ、お見合いだ……と。兄上たちはこの歳でとっくにお相手を貰っていたのに、俺が実家から逃げていつまでも遊び呆けているから」
これで、遊び呆けているんですね。この三週間彼はきっちりマフィアの仕事をこなしているものとばかり思っていたけれど、本当はもっとやることがあるのでしょうか。練家の料理人とマフィアとの兼ね合いについてだって、実際のところどうなっているのかよく分からないし。そういえば、白瑛さんは至って普通のお金持ちのお姉さまって感じがしたけれど、彼女もマフィア業に関わっているのでしょうか。それと今この白龍さんの左ハンドルの車を運転している、彼らお付きの青舜さんという方も……。
「や、やっぱりお見合いとか、あるんですね。私には無縁で……それって、一体何をするんですか?」
「さあ?俺は全てキャンセルしてるんで行ったことがありません。母上が勝手に約束を取り付けてきたのに、行く気なんてしませんよ」
「……よく分からないですけど、それは、大丈夫なんですか?」
「ええ、まあ。三針で済みました」
「……???」
「大奥方のお怒りを買い、危うく殺されかけたけれど、なんとか抵抗したので三針程度の怪我で済んだ、という意味ですよ。今のは」
分かりにくい返事をする白龍さんの代わりに、運転席から青舜さんが補足して教えてくれました。三針?三針……。三針?お母さんに殺されかけた……?なんだか凄いおうちだなあ。けれど私も自分の父親を殺しているから人のことは言えないのかな。
「狂ってますよ、本当に。あの女を娶った父上の気がしれません」
「……あ、あの女……」
「通知がうるさくて変えた番号もいつ割り出されるか分からないし、嘘の住所にもすぐに気づかれるでしょう。いい加減自腹切って買ったあのタワマンまで乗り込んできそうな気配が……ああ、頭が痛くなる」
自腹を切って……?それはどういう意味でしょう。私はその言葉を知らないかもです。
今日の白龍さんはとにかく不機嫌そうです。というか、お母さまの話になった途端に急に口が悪くなり流暢になりました。私と同じ後部座席で長い脚を組む彼は、眉間に皺を寄せて腕を組んでいます。
「つまり、白龍様は遅めの反抗期でいらっしゃるのです」
「口を慎め、青舜。姉上に言いつけるぞ」
「何をおっしゃいますか。これは白瑛様のお言葉ですよ。先日そのようなことを漏らしておりました」
「……はあ」
今、車内に殺気が走ったような。ぶるりと震え上がる私に対して、余裕そうににこにこ笑いながら返事をする青舜さんに、白龍さんは言い返す気もなくなったのかそのまま口を閉じてしまいました。
「……あ、あの、白龍さん」
「……」
「その……お嫁さんが欲しい理由は分かりました。でも結局どうして私がこんなことになってるのか、答えを聞いてません」
「……」
返事が返ってきません。それどころか、とても面倒くさそうに睨まれました。どうやら話しかけるタイミングを間違えてしまったようです。しかし、思わぬところから再度別の声が。
「そうですよ白龍様!聞けば出会ってひと月も経っていないそうじゃないですか。そんな女性に同意もなく無理やり婚約を取り付けるなど、練家においては前代未聞ですよ」
「……」
「まあ、あなた様らしいですけどね。大奥方に反抗的かと思いきや、体裁だけでも伴侶を持とうとは……存外あの方を慮っておられる」
「それも姉上の言葉か?」
「いいえ。私の言葉です」
「お前はもう喋るな」
脚を組み換え、深く座席に座り込む白龍さん。直視なんて出来ないけれど、顔を傾けて髪の隙間から密かに見つめ続ける私の視線にもすぐに気づいて、もはや気疲れしたように笑みをこぼしました。
「……えっと、」
「ふふ、あなたもしつこいですね。そんなに気に食わないと?あなたにとっても良い話だと思いますけどね、少なくとも以前より良い生活ができているでしょう?」
「それは、そうなんですが……逆です。私、どう考えても釣り合いません」
こんな貧乏人に、どうして目をつけたのか。私のような貧相な頭ではとても理解できそうもありません。あの日、白龍さんが私の家を訪れるのは決まっていたことで……その時私が父親を手にかけていなかったら、彼が予定通り組織の任務を遂行するべく父を殺していたのだろうけれど、もしそれで私が“被害者”遺族側になっていたとしても、今と同じ未来になっていたかと聞かれたら……全く想像ができません。たぶん一緒に殺されていたんじゃないかと、個人的には思います。どちらにしても、いつ、彼が、どのタイミングで、私を生かし、連れて帰ろうなどと思ったのか、私にはとても……。
「赤琉。あなたは自分のことを相当卑下しておられるようですね」
突然、手を取られました。白瑛さんに施してもらった桃色の控えめなネイルが視界に入ってきます。これも正直私の身に余る、とても貴重なものだろうに……ネイルを経験することができるなんて、三週間前まではまったく想像もしていませんでした。卑下もなにも、生まれついた家柄は覆ることはないでしょう。
「しています、けど」
「あなた、そこらの女性より綺麗ですよ。オーラも並大抵なものじゃあないし」
そう、彼は言いました。
「やや常識に欠けているところもありますが、たった数日で必要な身振り手振りなどはほぼ身についたし、覚えが早いので差程ストレスに感じません。それに、特待生のみ受けられる給付型の奨学金を貰っているそうですね。国立高校の中でも国内トップレベルの学校に通っているうえで、です。学力にも申し分ない」
「……」
「まあ痩せすぎですが、それは程よく栄養を与えていけばすぐに改善しますし、あとは……家庭内環境が原因となっているであろうその普段の内気な性格とあがり症だけ治れば、母上に認めてもらうだけの素質は十全にあります。なんだ、あんたの欠点は家柄だけですね」
白龍さんの言葉がよく聞き取れませんでした。
「まあ……万が一合わなくても、いつでも始末できますし」
最後の言葉など、どうでも良くなるくらい。

長い道路を走り抜ける車。白龍さんは私の右手を一度握ってから、そのまま私の太ももの上に戻していきました。彼に触れられた部分が少し熱くて、つい掌を表や裏に返してじっと見つめてしまいます。対して白龍さんは、左手をぐーぱーと握ったり開いたり、ぶらぶらと揺らしたり。……?何をしているのか分からなかったけれど、べつに私の手を握るのが嫌だったというわけでも……ないようです。
なんだか今の私はとても沈黙に耐えられず、思い切って尋ねてみました。もしかしたら私は、一週間前の夕食の時に言われた「喋らなくなりましたね」という彼の言葉を思いのほか気にしているのかもしれません。
「手、どうかしたんですか」
「……事故で左腕が動かしづらいんですよ。たまに思い出す程度で、今はもうほとんど治りましたが」
「だから左ハンドルなんですか?この車……」
「ええ。買い換えるのも面倒なんで、そのまま乗ってます」
左手を壊すほどの何かがあったということなのでしょう。彼の家柄、本当に事故だったのかどうかも分かりません。怪我といえば……。
「……じ、じゃあ、その火傷の痕のことも、聞いてもいいですか」
「なんですか?急に俺に興味を持ち始めて」
「べ、べつに……」
今なら教えてくれるような気がしたから。そんなふうにあからさまに分かりやすいところにある火傷だから、気になっていてもなかなか言い出せなかったのです。誤魔化すように自分の胸元のシートベルトを握る私に、白龍さんは仕方ないですね、とため息をこぼしながら教えてくれました。
「ただの火事です。と言っても、家が半壊するくらいの」
「……そう、なんですね」
「六歳の時に厨房でやらかしましてね。兄上に助けられましたが、割とトラウマなんです。もうこの話は振らないでください」
なんて言えばいいのか分からないけど、とりあえず六歳で厨房に立っているの、すごい。普段あれだけの料理を作り上げる彼でも、過去には失敗したことがあるらしいです。
「だから……ご実家の料理人にはならなかったんですか?」
「……」
白龍さんは、まるで痛いところを突かれた、みたいな顔をして口を閉じました。変なことを言ったつもりは無いのですが……そのタイミングで車が停車し、いつの間にか窓の外には最近ようやく見慣れ始めたマンションのエントランスが待ち受けていたことに気づきました。
「白龍様。到着致しました」
青舜さんは素早く運転席を降りて後部座席の扉を右、左とそれぞれ開けると、私があたふたとシートベルトを外している隙に、外で待ち構えて手を差し出してくれました。おそるおそる握る私に、彼は「足元にお気をつけて」と優しくエスコートをしてくださいます。こんなの、ドラマの世界でしか見たことがありません。
「青舜、泊まっていくのなら最上階の適当な部屋を使うといい。荷物は自分で運ぶ」
「いいんですか!ありがとうございます。では私は車を停めて参りますね」
そうだ、今このトランクに入っているのは、今日白瑛さんにいただいてしまったお化粧道具の数々で、私は勿体ないから受け取れないと散々断ろうとしたのに結局渡されたやつ……。私がいただいたのだから、私が運ばなくては。急いで荷物を受け取りに行くと、青舜さんが突然私に耳打ちをしてくれました。
「ここだけの話、白龍様は練家の中で一番料理人としての腕が優れていらっしゃるのですよ」
「……そ、そうなんですか」
「他でもない、白龍様の料理のために、自分の会社を売った資産家もいるのだとか」
私とあまり背が変わらないのに、重そうな大きな革のカバンを軽々と取り出す青舜さん。へえと相槌を打ちながら両手を差し出したところ、白龍さんが横から青舜さんの頭を軽く小突くのを目撃してしまいました。
「いてっ」
「減らず口を……お前が姉上のお気に入りでなければさっさと片付けてやるのに」
「あはは、光栄でございます」
怒られてるのに何故か嬉しそうにしてる。そのことに感心するうちに、白龍さんは私が受け取ろうとしていたカバンを奪い取って、同時に反対の手で私の手も掴んで、颯爽とエントランスに向かいました。荷物取られた。有無を言わさずズリズリと引きずられる私。お車のそばできちっとお辞儀をする青舜さんは、幼げのある可愛らしい笑顔で手を振ってくれました。お、男の子……だよね?可愛い……。


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