「む、名前か?」 「え?」 結局あのままちどり荘の中に入っていけるほど図太くなかった私は、逃げるように流川くんに背を向けた。仕方ないので今回は運がなかったと思ってそのまま旅館へ帰ろうとその道を歩いていた時、まさかの花道と鉢合わせる。 どうやら運は私に向いていたみたいだ。 「花道どうしたの?明日の試合に緊張して散歩?」 「この天才が緊張だと?んなわけあるか!それよりお前こそ一人でなにしてんだ?迷子かぁ?」 「んなわけないでしょ、あんたに会いに来てやったの」 ボスンッと花道のおなかにパンチしてやったら、それはそれは素晴らしい肉体に跳ね返された。 「まあ別に話すこととかないけど」 「変なヤツだな」 「……なんか顔見たら満足したわ、宿戻ろっかなぁー」 「なんだぁ?つーかあぶねーぞ、仕方ねぇから送ってってやる」 そう言って私たちは並んで夜道を歩いた。すぐ隣の川から流れる水の音と、ジージーと虫の声が賑やかに聞こえてくる。 花道とこうして夜道を歩くのって、なんだか少し久しぶりかもしれない。 「明日すっごい強いとこだってね」 「そうらしいな、でもまあこの桜木花道様にかかればヤマオーなんて敵でもねぇぜ!」 「花道はすごいねぇ…」 「…なんだ、なんか変だぞオマエ?」 いつもなら「あはは」と笑って頑張れって言ってそれで終わりなハズなのに、ついつい出た言葉は嘘でもなんでもなく本心だった。ちなみにヤマオーではなくサンノウね。 「花道は凄いよ、本当にすごい」 「な、なんだよ?この天才が凄いのは当たり前のことだが、お前がこうも素直だと気持ち悪いぞ!?」 「人がせっかく褒めてんのに酷いわね…」 でも、いつもの花道だ。何も変わっていない。 少し歩けばもうすぐそこは私たちの泊まる旅館だった。花道に「俺らの泊まってるとこよりいいとこじゃねーか?」と言われてくすくす笑う。 明日も応援行くからね、って言ってそのままバイバイしようと手を上げた私だったが、気づけばすぐ目の前の花道の服をきゅっと掴んでいた。そして、 「ねえ花道、花道は私のこと……おいていかないよね?」 「はぁ?なに言ってんだおまえ」 私はなにを、聞いているんだ。しかもこんな時に。明日は常勝校と呼ばれる山王工業との試合で、花道はそのレギュラーなのだ。なのに私はなんて………バカな質問を。 「ご、ごめんっ……今の忘れて!ほんとごめん!」 「本当、わけわかんねーぞ」 花道に言われたらこれはもう末期だ。私は恥ずかしくなってすぐに引っ張っていた服の手をはなした。そしてパっと花道の顔を見上げたら、彼は眉を寄せてこう言った。 「名前はいつも、いるだろココに」 その花道の一言は、私の胸に突き刺さった。 そうだった。いつも、言われなくても、勝手に……私は花道のそばにいた。いや、そばを選んでいた。花道が勝手にどんどん前を進んでいっても、私は彼の後を追う。だってそこが、好きだから。 「あは……はは、そうだった」 「それについて来てくれねえと、オレが困るだろ」 “名前の飯がいちばんうめーからよ” そう言って花道は私の頭をぐしゃぐしゃに撫でた。それじゃただの飯炊きババアじゃないかっていうツッコミはめんどくさいのでやめた。とりあえず私は笑う。 「晴子ちゃんの焼うどんよりも?」 「う〜〜〜〜〜〜ん」 「そこは嘘でも私のって言うんだよバカ猿!!」 「ふぅ……」 旅館へ帰ってきて自分の部屋へ行くと洋平はまだ帰ってきてなかった。卓球台のある休憩スペースにも居なかったのできっとエトセトラの部屋でわいわいしているのだろう。ひと声かけようかなとも思ったけど今は少し一人でいたくて、私は敷かれた布団にぼてりと倒れて天井を見上げた。 「花道のせいじゃなかった…」 花道の言葉で、私はとても救われた。バスケを始めてどんどんと勝手に先に行ってしまう花道に、私は“置いて行かれた”と疎外感を感じていた。 でもそうじゃない。花道は確かに先に進んでいるけど、私は置いて行かれたのではない。私が勝手に足を止めていただけだ。花道が前へ進むなら、私も前へ進めばいい。そんな簡単なことに気づけなくて、アイツに気づかされるとか……ほんと、私はバカだった。 そんな私の今の心は晴れやかになっているハズ……なんだけど、まだ胸のどこかにモヤモヤとした何かがある。私は一体なにに、こんなにも苦しめられているのだろう。 「あ、おかえりー」 「うおっ!?……、びびったぁ…!お前、帰って来てるなら言えよな…」 パッと部屋の明かりがついて、私が布団の上で大の字になって寝転がっているので驚かせてしまったみたいだ。 「ごめんねー」と寝ころびながら言えば、洋平は「まあ別にいいけどよ、帰ってきてんなら」と隣に座った。 「ふふ、洋平と旅館でお泊りだぁー」 「なんだよ、可愛いなお前は」 寝転がって髪が乱れているのも気にせず、私は隣に座る洋平の腰に腕を回してぎゅっとしがみついた。そしてすーはーと息をすれば、旅館の浴衣だというのに洋平の匂いが染みついていて物凄く安心する。頭上からは洋平のへらりと笑う声と、その大きな手が私の頭を優しく撫でた。 「正直このまま襲っちまいてえヨコシマな気持ちがあるんだが、今は我慢しとく」 「へ?なんで?私はいつでも…」 「そーじゃねえよ」 どうして洋平がそんなことを言うのかまったく分からなかった。なにせ久々の洋平との二人きりの夜で、しかも旅館で……え、するよね? 思わず顔を上げて洋平を見れば、彼は困ったように笑ってそしてこう言った。 「今日、なんの日かわかるか?」 「え?なんの日って………インターハイ初戦?」 「はぁ〜〜〜……やっぱ覚えてねーか」 「え?え?ええ?」 ちょっと待って、カップルで「今日はなんの日?」と問う場面といえばもう……なんか大事な日なのでは。 えーっと、今日は8月2日で花道の初のインターハイ初日で…ってそれは置いといて!8月2日…8月2日…はに…は、ハニーの日?ハニー…ハニー…ヤニー……ヤニ?あ! 「ヤニの日!じゃなくて!!洋平と付き合った日!!」 「ヤニで思い出すなよ……まあ、正解」 そうだ、私と洋平が初めて付き合った日だ。それで「ヤニの日だね」とか言ってたのを思い出した!ていうか、 「ああああ!!わ、わすれてたぁ!!!」 「ひでーヤツだよ」 「ご、ごめん!なんか色々あったから!あのえと、ああっ!私としたことが!洋平との大切な日を忘れるだなんてぇ…!!」 「まあ落ち着け、うん」 これが落ち着いていられますか!!彼女として絶対忘れてはいけないその記念日を今の今まですっかり忘れてて、しかもあと数時間でその日が終わってしまうだなんて…!頭を抱える私に洋平がどーどーとなだめてくれて、なんとか息を整える。 「ていうか、私たち付き合って1年しか経ってないんだね」 「実はな」 そう、私たち実は付き合ってまだ1年しか経っていない。中学3年の夏に付き合いだしたのだ。なんだか洋平とはもっとずっと一緒に居る気がしてたけど……そうか、そうなのか。 まあ中1からクラスは同じだったし、実際喋るようになったのも中2頃からだった。 「それでまあ、付き合って一周年っつーことでよ……名前、ここ座れ」 「はいっ!」 何故か改まる洋平に私は急いで身体を起こして彼の正面に向き合い正座した。そして洋平の手が私の両肩に乗る。一体何が始まるというのだろうか…。 「今からお前のダメな所を言う!」 「ええ!?記念日なのにまさかのぉ!?」 想像もしてなかった発言にどういうサプライズだよと思わずツッコミを入れたくなった。でも洋平は至って真剣な表情で、私の心臓はどきりとする。 え、え、え、もしかしてこれは…最悪の事態も想定できるのでは?実はずっと我慢してて今日はその発散とかそういう?そうだよね、だって記念日も忘れるような女だし…。わ、別れるとか言われたら…… 「ちなみに別れるとかは言わねえから安心しろ」 「ぎゃ!?心読まれた!?」 「顔に出まくってるんだよバカ」 きゅっと鼻を摘ままれて泣きそうな涙はヒュンッとおさまった。そしてもう一度洋平と向き合って目を合わせ、私は一体なにを言われるのだろうかと心臓がドキドキしまくりながらも言葉を待った。 「お前はイイ女だよ」 「へ?」 「飯もうまいし勉強もできるし俺らなんかよりずっと社交的で友達も多いし、すっげー可愛いし、正直なんで俺と付き合ってんだって思うくらい…お前はいい女だよ」 「よ、ようへい…?」 ダメなところ言われるんだよね?あれ?なんでそんなに褒められてるの私? 「んでお前は気を遣えるイイ女だ。俺がバイトで忙しくてもお前は嫌な顔せずに笑って俺のこと見送って、俺がアイツ等との時間優先しても文句も言わねぇ、さっきだって俺に気ィ使って一人で出て行ったりした」 「そ、そんな…」 「高校に入って一人で家の事して学校も行って、んで最近じゃバイトまで始めて疲れてんのに俺らにはいつも笑ってて、」 え、ちょっと待って、なんで… 「お前は確かに強いよ、誰よりも強く生きてる。そんで俺たちに心配かけさせねぇようにって、ちょっとの弱音なんかは絶対言わねえんだ」 「ようへ…」 「しかもお前も花道と同じでバカだからよ、その辛さの原因に気づいてねーんだよなあ」 「………へ?」 ぱちぱちと、私は目を何度か瞬きさせた。 「なあ名前、もう隠し事はなしだ。ちょっとでも辛いって思ったこと、俺に言ってみ?」 ポロリと、涙がこぼれた。 それでも洋平は笑って涙に動揺せず、優しく彼の指が私の頬に伝った涙を払ってくれる。洋平には全てお見通しで、私が辛い時も本当は気づいていてくれていた。でも私がバカみたいに隠そうとするから、今の今まで黙ってくれていたんだ。 そんなことも気づけず、そして私はその辛さの原因も分からなくて……本当、花道のことなんもいえないや。 「本当は………洋平と、もっと……一緒にいたい。これだけじゃ足りないってくらい洋平ともっと居たい。でもバイトだったら仕方ないし、私ばっかりに時間とって花道たちとの時間を減らしてほしくない。洋平の邪魔はしたくないよ…」 「ああ、でも俺はお前にもっと我儘言ってほしいよ…確かに全部は叶えてやれねえけど、お前にもっと求められるのはすっげぇ嬉しいから」 それから私は、高校に入って思った色々なちょっとした小さな辛いと思うことを口に出していった。いいや、洋平が言わせてくれた。 一人暮らしになって大変だと思ったことはないか?友達に対してなにか思ったりするか?とか何でも全部、こんなこと聞いて楽しくないだろって思うことまで…なんでも聞いてくれた。 なのに洋平は全然嫌な顔1つせず、優しくうんうんって聞いてくれる。そうして話してて……私はやっと分かった。 「そっか、わたし……知らないうちに、無理してたんだ。全部どれも辛いばかりなんてことはないんだよ、ただちょっと辛いなって思うこともあって……でもそんなの辛いうちに入らないからって、自分のなかのどこかの片隅に押しやってた」 でもそれがどんどん溜まっていって、そして1つの“辛い”になってしまったんだ。バイトだって、確かに働くのは大変だし難しいって思うけど楽しいと思える。 でも楽しかったよ、辛かったよって言える人がいなかった。いや…いたのに、言っちゃダメなんだって思ってた。 「それにわたし…寂しかったんだ。私のお母さんあんな人だけど、それでも私のお母さんだし…全部が全部悪い人じゃない。ちゃんと私のこと好きって言ってくれる…」 母への気持ちも、色々話していてやっと理解できた。私は単純に寂しくて、もっとお母さんと一緒にいたかったんだって。でもここに残ると決めたのは私で、残ってよかったとも思ってる。だから今更母が恋しいだなんて言えるわけもなく……。 「ちゃんとそれ、お袋さんに伝えてやれ」 「うん…うん、そうだね」 優しく頭を撫でてくれる洋平に、私はぎゅっと彼の胸に抱きついた。なにもかもが取り払われていくような不思議な気持ち。やっぱり洋平は凄い。やっぱり洋平が……世界で一番好きだ。 「ちゃんと本当のこと言えた名前ちゃんにご褒美だ」 「?」 「後ろ向いてみ」 「え?」 「はやく」 「う、うん…」 そういっていそいそと動いて洋平に背を向けると、洋平は背後でなにやらごそごそと動き出した。「こっち見んなよ」と言われてしまいただ待っていると、私の乱れてしまった髪を束ねて持ち上げる。そしてその髪を持ってろと言われたので、洋平の手に代わって私は自分の髪を首上まで持ち上げた。 「ひゃっ!?つめたっ…」 「我慢しろ、すぐだから」 「うぇっ?え、え……これって…」 首筋につたわる冷たい感触。チャリ…と金属の小さな音がする。そして目線を胸元に落とせば……きらりと光るなにか。 「洋平……これ、」 「ささやかながら…とか言いてぇけど、わりと渾身のプレゼント」 少し眉を寄せて洋平は笑った。 首元に付けられたのは、しずくモチーフのエメラルドグリーンの石がはめ込まれたネックレス。しかもこれって、前にファミレスで私が雑誌見ながら欲しいなと呟いたあのネックレスだ。 え、ちょっとまって、これ確か数万はしたような…、 「もしかして、これの為にバイト詰めてたの……?」 「あー…まあ、そういうこって」 かっこよすぎるでしょ、私の彼氏。「さすがにこればかりは本当のこと言えなくてよ、寂しい思いさせて悪かったな」と言う洋平に、私はブンブンと首がちぎれるのではないかというくらい首を振った。 「これ以上好きにさせてどうするの…!」 「そうだなぁ……、」 “どうしてほしい?” にやりと、悪戯に彼は笑った。 「もうどうにでもして!!!」 「よしきた任せろっ」 人生最高に幸せな日でした。 |