そこは知らない場所だった。
 学園都市の外?とにかく見たこともないような変な場所。一応街みたいだけど、なんだか雑居ビルがごちゃごちゃと入り乱れるように並んでいて学園都市とは少し違った都会のようにみえる。夜だった。私はよくわからずも体は動いていて、早く家に帰ろうという意識がなんとなくあった。でも帰り道なんて分からなくて、ただただ知らない街を歩いている。それがとても怖く感じて、助けを求めるにも誰も知っている人がいない。能力も上手く使えなかった。
 途方もなく知らない道を歩いていた時、ピカピカとネオンの光が眩しい看板が見える。外から地下に繋がる階段があった。薄汚く埃の舞う、あまり上品とは言えない所だ。地下への階段の奥には扉があるのを理解し、私はただそこを入るでもなくぼーっと眺める。しばらくすると、ドアがガチャリと開いた。

『え。』

 私は息をのむ。だってそこから出てきたのは、紛れもなく“彼”だったのだから。―――けれど、違う。何故だかはハッキリわからないけど、“彼”は私を知らない。

『………』
『………』

 コツ、コツ――。靴の音を鳴らし、ポケットに手を突っ込んで彼はゆっくり階段を昇ってくる。そしてそのまま……私を通り過ぎて行った。一切目線も寄こさずに。

『っ………』

 声が出なかった。いや、出せなかった。恐怖で。だって彼は私を知らないから――、だからきっと声をかけても意味がない。何故か、そう思ってしまった。
 私を通り過ぎて歩く彼の後ろ姿を見つめる。このままでいいのかと私の中のなにかが急かすように心臓を掴んだ。けれど、私を知らない彼が、私を見てどう思うのだろうか。鋭い瞳を私に向けるのだろうか。あの、何も映さない瞳で――。

『あっ…』

 これはあくまで私の妄想だ。別にまだそうと決まったわけではない。だというのに何故か私はそう思っている。なぜだかは分からない。それでも彼はきっと私を知らない。

――― 一方通行。



「………ッ!」

 体内から直接耳にドクドクと煩いくらいの心臓の音が聴こえてきた。同じくらい呼吸も荒れている。見えた光の灯さない部屋とその天井に、ようやく自分が夢を見ていたのだと自覚した。
 ―――ああ、夢か。よかった。
 ひどい夢だった。もう既に夢の全貌は霞みがかるように薄くぼんやりしていたけれど、まだなんとなく覚えている。今考えるとありえないような場所でありえないシチュエーション、そしてありえない話だ。けれど私の心臓をここまで騒めかせたのも事実で、よほどあの時の私は怖かったのだろう。今もまだ少し、怖い。
 体勢を変えて横を見ると、もう一人の住人の姿はなかった。ああそうか、今日は帰りが遅くなるとか言ってたっけ。………だからあんな夢見たのかな。たった一晩いないだけで。

「弱すぎるでしょ」

 ポツリと呟いた声は誰の耳にも届くことはない。なんだか今寝たらまた同じ夢を見てしまいそうで怖くて、私はベッドから抜け出した。キッチンで牛乳をコップに注いでそのままリビングのソファへと移動する。
 部屋の電気もテレビも付けず、ただソファに膝を立て座り静かにその沈みに埋まった。普通の人からしたら静かである空間も、私にとってはノイズでまみれている。だから全ての音をシャットアウトし、ただただその場に蹲った。

「………………」

 音を消しても、私の脳内にはさっきの夢がまた流れてくる。他の、もっと楽しいことを考えようとしても人間の脳はそう単純にできていない。また怖くなって、ぎゅっと自身の肩を抱いた。

「………………」
「オイ」
「………………」
「………チッ」
「………………」
「音遮断してんな、オ"イ"
「ッ!?」

 バチッ――突如現れた小さな衝撃に、私の肩はビクンと跳ね上がった。

「びっっっっっ……くりしたぁ…!」
「こっちの台詞だ。暗闇で死んだよォに蹲って何してンだよ」

 私の世界に再び音が戻り、気づけば目の前には一方通行の姿があった。いつの間に……って、音消してたから気づかないのも当然か。

「ちょっと、嫌な夢見たから…」
「ガキか」
「う、うるさいなぁ……本当に怖かったの」
「あっそォ、じゃァオレは寝る」
「ちょ、ちょっと待ってよ…!」
「ア"ァ?」

 私の心情なんて勿論だけど知る由もなく、一方通行はただ眉を寄せて相も変わらずな反応だった。そのまま去ってしまいそうになる彼の服をぎゅっと摘まむと、彼の赤い眼がこちらに向いたのが暗闇の中でも分かる。そのまま瞳を合わせれば、“ンだよ”と面倒くさそうな顔を見せた。

「ちょっとだけ……一緒にいてよ」
「いるだろォが」
「そ、そういうんじゃなくて…」

 なんて言えばいいのか分からなくて変にモジモジとしてしまう。でも素直に言うのもなんだか恥ずかしく、私は口をもごもごとさせた。

「…………ハァ、」

 頭上からため息が聞こえたと同時に、ボフンと隣に沈みができた。

「………………」
「………………」
「………………」
「………………」

 一方通行は特に何も言うことなく、隣で静かに座るだけだった。暫しの沈黙が流れ、私はどうしようかとまた声を出す寸前までいって止める。それを繰り返していたら、隣から「オイ」と声がかかった。

「立て」
「え?な、なに…?」
「乗れ」
「わっ」

 わけが分からないまま立ち上がって今度は私が彼を見下ろせば、腕を引っ張られて態勢を崩し彼の上に乗っかった。更にそのまま背中に手を回して引き寄せられ、気づけば抱きしめる形となる。

「あ、あの…一方通行…?」
「顔に書いてンだよ、“抱きしめて”ってな」
「えっ」

 ブワッと瞬時に顔が赤くなるのが分かった。ドクドクと脈打つ心臓に、一方通行も気づいているだろう。彼の肩に腕を回し、私はより強く抱きしめた。

「………一方通行が、私を知らなかった」
「あ?何言ってンだ」
「私と一方通行は他人同士の世界だったの……それが怖くて、とっても、怖くて」
「…………」

 ぽつぽつと、夢の内容を彼に伝える。こんなのバカみたいだって鼻で笑われるような、ただの夢の話だ。

「今考えたらありえない話なんだけどね、私には恐怖だった……本当にそんな世界があるんじゃないかって、思って…」
「………くだらねェな」
「うん、ほんと、くだらないよ……」
「夢は、夢だろ」

 短い言葉だったけど、たったそれだけで私の心が救われるようだった。そうだね、夢は夢だ。そして今が確かな現実だ。私にはそれが分かる。

「ねえ一方通行……もうちょっと我儘言ってもいい?」
「仕方ねェな、トクベツに聞いてやるよ」
「うそ、今日の一方通行優しすぎない?なにか拾って食べた?」
「オ"イ"、前言撤回すンぞ」
「ご、ごめんなさい!うそです!」

 絶対“めんどくせェ”って返されると思ってたから意外な返事に思わず可愛くないことを言ってしまった。抱きしめていた体をぱっと離して手を合わせて謝ると、「さっさと言え」と急かされる。

「キス、したい…な」
「………」
「だ、だめ?」
「………いちいち聞くことかよ」
「だ、だって…」
「黙れ」
「んっ…」

 確かにいつも許可を得てしていることではないけど、今日はどうしていいか分からなくて聞いてしまった。恥ずかしくて目を逸らした瞬間、一方通行の手が首筋をなぞる様にして添えられそのまま引き寄せたと同時に唇が塞がれる。

「ふっ……ん、んぅ…」
「っ………、こんなモンか?」
「ぅっ………もっと、」
「ハ、欲張りだな」
「ぅんっ…」

 もう一度唇が合わさり、今度は舌を捉えられた。もう何度と重ねてはきているけど、その度に心がくすぐられ熱くさせられる。少し冷たい彼の舌が私のものと合わさると、ゆっくりと体温を分けるように温かくなっていった。

「んっ……はぁ、んっ…」
「……、っ……はァ、」

 どれくらいの時間が経ったのか、もう分からない。けれど今までよりも甘く、蕩けるような幸せなキスだった。もっと、もっと――と求める。

「ぅっ……うぅ……っ…」
「ったく、泣いてンじゃねェよ…しょっぺェだろォが」
「ご、ごめっ……」

 気づいた時には瞳から雫が零れ落ちていて、一方通行の指が優しくそれを掬った。それでも唇を離すことはやめないでくれて、何度も何度もキスをする。

「一方通行…すき、だいすき……っ」
「ハァ、チョロいンだよテメーは」
「ちがうってば、これだけじゃなくて、ぜんぶっ…」
「うるせェよ」

 また唇が合わさる。
 もう私の愛の言葉なんて聞き飽きただろう。それでも私は何度だって彼にそう言いたい。私の音のなかった世界は、一方通行――あなたによって奏でられたのだから。

「ほら寝ろ、次またくだらねェ夢みたら、タダじゃおかねェぞ」

 もう悪夢は見ないだろう。
 ずっとその温もりがある以上――。





サヨナラ悪夢


 

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