きみの魔法
「何をしている。」
「…芋虫ごっこ。」
「そうか。」
「待って。ねえ、待ってよ。お願いだからちょっとは突っ込んで。大丈夫かとか声を掛けてくれてもいいんだよ!すごく虚しい!」
「芋虫ごっこじゃないのか。」
「嘘だよ!転びました!転びましたよ!!これでいいですか!」
「いいんじゃないか。」
強がりで放った言葉を真に受けられて。別に気にも留めない反応をされたら自分で言っておいて何だか少し悲しくなった。転んだから心配してよなんて自分から言えばもっと虚しい気持ちになったりして
どれもこれも介億のせいだ…!
事の発端は、今度の軍議で必要となる情報を介億がまとめた書簡を昌平君へ届けるようにわたしへ依頼したことだった。どうせ二つや三つぐらいの話だろうと安請け合いをしていいよなんて軽く返事し、手伝おうかと蒙毅の申し出を断った数刻前の自分を恨めしく思う。蓋を開けてみれば二つや三つなんて可愛いもんではなく、ざっと数えて三十はある。そして何故かそれを無謀にも一回で運んでやろうとした不精な自分が一番悪いのはわかっている
何とか昌平君の屋敷まで辿り着けたはいいものの目的地まであと少しというところでつるりと足を滑らせる王道の展開。掃除の行き届いた昌平君の屋敷の廊下が恨めしい。ぴかぴかの廊下のおかげで強かにぶつけた膝小僧。強烈な痛みにそこにへばりついていたところをまさかのタイミングで昌平君に見つかるという間抜けっぷりに泣きたくなった
「昌平君は屋敷にいない時間では…。」
「所用で戻った。」
「ああ、左様ですか…。」
「なまえはいつまでそうしているつもりだ?今、どういう格好しているかわかっているか?」
「昌平君の助平。」
「見たくて見ているわけじゃないんだが。むしろ見せられているに近い状況なんだが。」
「何それとんだ痴女じゃん。」
すみませんね、見たくもないわたしの痴態を晒してしまって、と訳のわからない謝罪を口にする。何でだ。なんで痛い思いをした上でこんな謝罪をしなくてはいけないんだ。わたしだって別に痴態を晒したくて晒しているわけではないよ。昌平君に会うならもっと可愛い格好してきたわ!とこれまた訳のわからないことを言えば昌平君は「いつもと大して変わらないだろう」なんて。どういうことだ!
「いいから早く立て。誰か来たらどうするんだ。」
「昌平君の屋敷に昌平君以外が来るはずないもん。」
「家の者ぐらい何人かいるが。」
「もし出くわしたら芋虫ごっこ楽しんでるって言うから。」
「その状態で、か?」
「特典みたいなものだよ。お得だよ。」
「意味がわからん。」
「うん、わたしもわからない。」
「とりあえず立て。いつまでもこんなところで寝てるな。」
「………立てないんだもん。」
グッと下唇を噛み、長い沈黙の末に恥を忍んで言えば、昌平君はこめかみに指を当てながら短く息を吐き出して「最初からそう言え」と言って、つかつかと数歩すぐ側へ歩み寄り、芋虫ごっこを楽しんでいたわたしの脇に手を差し入れる。「え」と声を発したと同時に持ち上げられる身体。さすが蒙武と互角に戦えるほどの武勇の持ち主…なんて感心している場合ではなく。小さい子を抱き上げるかのように持ち上げられ、慎重さも相まって足がぶらぶらする。次いで、廊下の端にすとんと着地。その瞬間、ぶつけた膝にズンと鈍い痛みが走り、上手く立てずに前のめりに倒れ込んだわたしの身体を昌平君がスッと支えた
何これ…何という役得の状況!
身長差があるために、昌平君のお腹の少し上辺りに顔を埋める形で抱き留められて思わずドキドキしてしまった。しかも何だかいい香りがするし、とはしたないとは思いつつもこんな好機を逃せるはずもなく、すんすんと匂いを嗅いだりなんかして。なんか本格的に痴女っぽいな自分
昌平君は至って普通にわたしの身体を支える、というか腰に手を回すようにして抱き留めている。何だか手慣れている。まあ確かに昌平君はモテるし、そういうこともたくさん経験なさっているはずで。自分と比べて…というかわたしはそんな経験あるはずもなくこの状況に逆上せそうなのに、ずるい。自分ばかりが意識してしまっている状況が悔しい
「歩けるか?」
「……大丈夫。」
「はあ…そうか。じゃあ、そこに座って少し待っていろ。」
何が、そうかなのか。
溜め息を一つ吐き出して、その意味がわからないままわたしを廊下の端に座らせる昌平君。わたしは膝を抱えるような形で廊下の端に座り込んで、痛々しいほどに赤くなっている膝を見つめた。掃除が行き届いた素晴らしくぴかぴかの廊下は驚異的な摩擦力を発揮して、わたしの膝の皮が少し捲れている。正直見ているだけで痛い。内出血もしているようだからきっと明日には青くなっているんだろうな、と溜め息を吐く
可愛い服を着ても、もしこの足が見えたらみっともないな。そう思いながら痛い膝をそっと撫でてみるとピリピリと痛む。その痛みでじわりと歪む視界。今更ながらもこんな情けない姿を昌平君に見られるのが嫌で、昌平君がこちらを見ていないか確認しようとして俯いた顔を少し上げれば、散らばった書簡を拾ってくれている昌平君の姿が目に入って余計に泣きたくなる。こんなことをさせるためにわたしはここに来たわけじゃないのに。昌平君はこんなことをする人ではない。こんなことをしていい人ではないのに。役に立ちたかったのに、逆に迷惑を掛けて馬鹿みたい
「なまえ。」
「……。」
「どうした。」
「……昌平君。」
「何だ。」
「ごめんねえ。」
「何が、だ。」
「こんなこと、させて。」
「……。」
「昌平君の大事な時間奪って。わたし、役に立てなくて、迷惑かけて、ごめんねえ。」
震える声で、泣いていることがバレないように謝る。バレないように、なんて努力したところで目敏い昌平君のことだ。わたしが泣いていることなんてバレバレに決まっているが、取り繕わずにはいられなくて。その上自分の言葉で説明するこの状況に更に情けなさが募ってひどく落ち込む
俯いたら、ぽたぽたと赤くなった膝に涙が落ちて、塩分でピリッと痛みだす。痛くて痛くて余計に出てくる涙を拭うこともせず、下唇を噛んで漏れ出そうになる嗚咽を抑え込んでいたら、ぽん、と頭に乗せられた圧。思わず顔を上げればひどく優しい顔をした昌平君がこちらを真っ直ぐ見ていてどきりと跳ねる心臓
「何をそんなに落ち込むことがある。」
「だって。」
「なまえはよくやっている。」
「でも。」
「なまえといるとおれも肩の力が抜けて丁度いい。なまえはちゃんと、おれの役に立っている。」
「……っ。」
「ひどい顔だな。」
「ううううるさいよ。痛いの!膝が!」
「そうか。」
昌平君の言葉で泣いているなんて恥ずかしすぎて強がりを口にするわたしに、そうかと一言。そうかって、もう。さっきまでのわたしの目頭を熱くさせた言葉はどこへいったんだ、なんて思っていたら、わたしの膝に差し込まれる昌平君の手。理解の追いつかないわたしを余所に急に浮き上がる自分の身体に軽くパニック状態
何これ!何これ!!
まさかのお姫様抱っこに抱き留められた時以上に大興奮。さっきまでぼろぼろと零れていた涙はどこへやら。すっかり蒸発して消えて、代わりにニマニマと情けない笑みが零れ出る。そんなわたしを見下ろして昌平君が小さく笑って「百面相だな」なんて
「昌平君。」
「なんだ。」
「ありがと。」
「フッ…気にするな。」
素直に告げたお礼に余裕綽々の返答。でも、昌平君の耳が少しだけ赤いことに気付いて、わたしまで恥ずかしくなる。紅潮していく頬。勝手に上がる口角を隠すようにあなたの胸元に頬を寄せた
きみの甘い魔法で涙を消して
膝はまだ痛いけれど、胸の痛みは消える、そんな魔法。
(主、そちらになまえが…おやぁ。)
(か、介億!)
(ああ、なまえが芋虫ごっことやらで遊んでいたから捕まえたところだ。)
(ハッ、芋虫ごっこ!何と珍妙な!それにしてもなまえ、色気のない格好だな!ワッハッハ!)
(何だと!)
芋虫ごっこで乱れた衣服のまま抱えられちゃったもんだから、色々と丸見えだったらしい。見られるなんて思ってもいないもんだから油断していた格好だったのも悪い。慌てて隠すも元凶に「色気がない」なんて言われて、震える拳。ギロリと介億を睨みつければ「おー、怖い怖い」なんて笑いながらそそくさと逃げ出した。大体にして様子を見に来るくらいなら最初から手伝ってくれればこんなことにならずに済んだのに、なんて唇を尖らせたわたしを横目でちらりと見たあなたが至って真面目な顔で「衣服に色気は必要ないだろう。着用できれば問題ないはずだ」なんて言われて少しがっくりきたけど、これは彼なりの気遣いだと受け取っておく。そんな気遣いのお返しに、とばかりに「今度昌平君に見られる時は色気のある服にしとくよ」なんて言ってみれば、小さく笑ったあなたが「それは楽しみだな」なんてカウンターパンチをくらった
あとがき
昌平君にお姫様抱っこをしてもらいたかっただけ…。
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