溶かしていく。
田里弥と倉央のお茶会も早々に切り上げて帰路につく。正確に言えば、早々に切り上げさせられた、が正しい。一人で出掛けたわたしに気付いた劉勇がどこから聞きつけたのか倉央の屋敷まで迎えに来たのである。折角楽しい時間を過ごしていたのに劉勇の登場によって終わりを迎えたことをぐちぐちと文句を言っても、その百倍お小言が返ってきて、耳が痛い。ここは左から右に受け流すのが得策か、と反論はせず、文句は唾と一緒に飲み込んでやることにした「あんたはなんでそううろちょろと…!」
「あーはいはい、ごめんなさい。」
「姫様には自覚が足りないんですよ!いい加減亜光様に言いつけますよ!!少しは叱られろ!」
「そういうのは良くないと思う!告げ口とか!」
「じゃあ大人しく主人の帰りを家で待ってろよ!」
「まあまあ、劉勇さん。香鈴様のそういう破天荒なところも亜光様は好いていらっしゃるんですから。」
「黄延…!」
「余計なこと言うな、黄延!調子に乗ったらどうすんだ!」
亜光様の名前を出して責め立ててくる劉勇を見かねて、一緒にお迎えにきてくれた厩番の黄延が助け舟を出してくれる。その言葉に嬉々として頷くわたしに、「調子に乗せるな!」と怒る劉勇。間に挟まれた黄延は苦笑を漏らしながらもわたしに味方してくれた
今更深窓の姫君を演じたところで亜光様には全てバレているし。
そんなわたしを見たらむしろ病気なのかと亜光様に疑われそうだ、なんて開き直りもいいところだけれど。まあ、確かに屋敷を抜け出して一人で町に繰り出したのは自覚が足りなかったと怒られても仕方ない。迎えに来た時の劉勇の珍しく安堵した表情を思い出して、劉勇に心配を掛けてしまったことは反省しなければいけないな
「ごめんね、劉勇。」
「何だ、姫様が素直に謝るなんて気持ち悪いな…。」
「もう!人が折角素直に反省しているのに!」
「そもそも反省するようなことはしないでほしいですけど。」
「ああ言えば、こう言う!」
「まあまあ。」
またわたしと劉勇の言い合いが始まる気配に間に割って入り仲裁をする黄延。黄延の仲裁に熱くなりそうな言い合いも鎮火。こほん、と咳払いを一つして仕切り直し。出掛ける時は必ず声を掛けると伝えれば、わかればいいと言わんばかりに大きく頷かれた。本当にこの従者は!
言い返しそうになるのをグッと堪え、口を吐いて出そうになった言葉を何とか飲み込んだ。飲み込んだ言葉の代わりに溜め息を一つ。なんて大人な対応なんだろうか、なんて自分で自分を褒めてやったりなんかして
「そう言えば、この間の亜光様との遠乗りはどうでした。」
「えー、聞いちゃう?それ聞いちゃう??」
「いや、そこまで興味ないんでやっぱりいいです。」
「何で!自分から聞いておいて!」
「いや、ただ珍しく遠乗りに誘われていらっしゃったから、何かあったのかと思っただけですよ。」
「……まあ、長く留守にするって話。」
「あー…なるほど。」
「今回の帰省はそのための準備みたい。」
「あまり屋敷で過ごす時間はなさそうですね。」
「うん、そうね。」
「寂しいですね。」
寂しいことだけれど、それは仕方ないもの。
黄延の言う通り、なかなか二人の時間が持てないのは確かに寂しいけれど、練兵がいかに大事か。それは十分に理解している。亜光様だけの武じゃ勝てない。だから、兵の一人一人の底上げのために練兵は必要不可欠で、そこには将軍である亜光様がいることで士気も上がるし、精度も上がる。ぶっつけ本番の実戦で力を出せる人間などほんの一握りだ
「ああ、そうだ。」
「ん?」
「その練兵中の亜光様ですけど、もうすぐ帰ってくるって。」
「ちょ、何でそれを早く言わないの!?」
「驚くかなぁって。」
「それは良かったね、お前の目論見通り物凄く驚いたわよ!」
少し寂しい気持ちになっちゃったな、と思っていると、おもむろに声を上げる劉勇。その口から放たれた言葉にギョッとして少し後ろを歩く劉勇を振り返ればニヤリと笑みを浮かべてわたしを見る。その顔にそこはかとなくイラっと来たけれど、今はそれどころではない
早く帰って、亜光様をお迎えしなければ!
本当は馬で駆けてお迎えに行きたいところだけれど、それは先程反省したばかり。さすがにさっきの今でそれをやるほど阿呆でもない。それに今から帰って馬を引いて、となると時間が掛かってしまう。何はともあれ後ろを歩く二人に早く早くと声を掛けて、足早に家路を急ぐ
「……?」
「どうした、姫様。」
「あ…ううん、何でもない。」
屋敷に向けて急く足を数歩動かし、ぞわり、と背筋を這う何か。背中に何物とも言い表せない視線が突き刺さり、思わず来た道を振り返る。しかしそこには何もなく、ただ何もない道があるだけ。急に足を止めたわたしを不思議そうに見遣る劉勇
…なんだ、気のせいか。
何でもない、と言って再度屋敷へ足を向けて歩を進めた。全速力で帰ったおかげか、家に着いた時にはまだ亜光様はお戻りになっていなくて。家の者に主人を迎えるための準備を急がせる。練兵で疲れているだろうから湯の準備も頼み、わたしも自ら厨に立ち、食事は亜光様の好きなものを。少しでも疲れを癒して、活力となれるように。そうこうしている間に屋敷の門が開く音が聞こえ、急いで玄関までお出迎えするために厨から駆け出した
「ただいま戻った。」
「亜光様!おかえりなさい!」
「フッ…お前が屋敷でおれを出迎えてくれるなど珍しいこともあるものだな。」
「もう。」
わたしが亜光様を迎えに飛び出さず、屋敷で迎えていることを揶揄われて頬を膨らませれば、不器用にも機嫌を取るようにぽんぽんと頭を撫でられて。その手には乗らないぞなんて思いながらもニヤニヤと勝手に上がっていく口角。ああ、なんてちょろいんだろうか
夕餉も湯の準備もできていると言うと、まずは湯に浸かると言う亜光様の後をついていき、甲冑を外すお手伝いをする。がしゃん、がしゃんと湯殿には不釣り合いな音が響き、次いで衣がぱさりと床に落ちる音が響いた。落ちた衣服を拾い上げ、退散しようとするわたしの手を掴む亜光様。何か御用でもあるのだろうかと首を傾げるわたしの手から服を取り上げ床に放ると、「お前も入れ」とわたしの手を引き、湯船へと歩き始めてギョッとした
「あ、亜光様、それはあの、ちょ、ちょっと…!」
「なんだ。」
「一緒に入るのは問題があるっていうか、あの。」
「何が問題だ。」
「ここ明るい…っていうか、服!服!!せめて服を!」
「構わん。」
「亜光様、え、何、ちょ、力強っ!わわっ、うそっ、待っ、わっ、へぶぁっ。」
亜光様の力に敵うはずもなく、抵抗虚しく湯船へ飛び込む。ずるずると引き摺られてしまい、足がもつれ前のめりになった体勢を整える間もなくそのまま湯船へ飛び込んでしまったために、水面に顔を強かにぶつけ、さらに思いっきり湯船のお湯を鼻から吸い込んでしまい、鼻の奥がツーンと痛んだ。ごぽごぽとお湯が口からも入ってきて危うく溺れかけ、慌てて湯から顔を上げて、やたらと顔に貼り付く髪を掻き上げれば、そんなわたしを見下ろしながらフッと鼻で笑う亜光様。何が起こったのか事の理解が追いつかないわたしはそんな亜光様をぽかんと見つめる
わたしの悲鳴が屋敷中に響いたせいで湯殿の扉の前に何事かとドタバタ集まる人の気配。扉の前から「どうかしたのか、姫様!」という劉勇の声が聞こえて、ハッと我に返る。返答に間が空いたせいで劉勇らしき人影が扉に手を掛けているのがわかった。こんな格好見られるわけにはいかない、と扉の方を振り返り、今にも扉を開けんとする劉勇を止めるために反射的に伸ばした手を背後から絡めとられる。次いでこっちを向けと言わんばかりに力任せに引かれ、反対の手でわたしの後頭部をガッと掴み唇に噛みつかれた
「んーっ!」
食べられる悲鳴。一緒に酸素まで根こそぎ奪われて、頭がくらくら。ぼうっとする頭の端っこで扉が開く音が聞こえた
「姫さっ……と、失礼しました!」
劉勇の慌てた声。シッシッと猫でも追い払うように出ていけと合図をする亜光様。恥ずかしさからか、それとも湯の温度によるものかは最早よくわからないが、血液が沸騰するかのように体全体が熱くなり、ぐるりと視界が回転して意識が遠のいた
逆上せるほどの熱できみを溶かしていく。
どくどくと血液を沸騰させながら
(香鈴。)
(うー…ん……。)
(……香鈴?)
(………。)
(おい、香鈴!)
そよそよと頬を撫でる心地良い風。その心地良さをただ享受するように、目を開けずに笑って「気持ち良い」と呟けば、「そうか」と返ってくる声にびっくりして、さっきまでのまったりと流れていく時間はどこへやら。思わず目を見開いてそこを凝視。目の前で団扇をパタパタと仰ぎながらわたしの顔を覗き込む亜光様の顔。ばちりと目が合って、飛び上がるようにして体を起こせば、ぐらり、と視界が斜めに傾いて。床へと逆戻りしそうになった体を寸でのところで亜光様が受け止めて、「悪かった」と悪戯がバレて叱られた子供のようにバツの悪そうな顔で笑って言った
あとがき
時々いちゃいちゃさせたくなる。