追いかけて

「香鈴。」

「ん?」

「今日は帰りが遅くなる。夕餉も要らぬ。」

「えっと、お食事はどちらで…?」

「……外で摂る。先に寝ていろ。わかったな。」

「い、」

「わかったな。」

「うう……はい。」

「劉勇。香鈴を頼むぞ。」

「御意。」


今日はいつもと違い、甲冑ではない出で立ちの亜光様。もしかして今日は練兵ない日なのかしら!と、うきうきしながら部屋を出て、門へと向かう亜光様の背中を追い掛ければ、ぴたりと屋敷を出る前に止まる足。そして後ろを追いかけるわたしを振り返り、今日は遅くなる、と告げる。しかも夕餉を外で摂る、なんて。先に寝ていろと言われて、反射的に嫌だと言おうとした返答に被せるように強く念押しされて渋々頷くしかなかった

もしかして…浮気?

いやいや。亜光様に限ってそんなことは。でも、先に寝ていろなんて。わたしが嫌な疑念を抱いている間に亜光様は屋敷を後にしてしまう。後を追い掛けようとするわたしの肩をガシッと掴む手。ゆっくり振り返ればにこりと笑う劉勇の顔が目に入った


「どこ、行く気で…?」

「と、止めないで劉勇!これは一大事よ!」

「何言ってんだ。亜光様が大人しくしてろって言ったじゃないですか。」

「先に寝てろとは言ったけど、大人しくしてろとは言ってない!」

「屁理屈言わないでくださいよ。それは大人しくしてろって意味です。いいから、観念しろ。な?」

「いーやーだーっ!」


劉勇の力に敵うはずもなく、抵抗虚しくずるずると屋敷の中に戻される。ポイッと部屋の中に投げ込まれて、扱いの雑さに劉勇を睨みつけてもどこ吹く風といった様子で気にも留めていない


「主人に対する態度が成っていない!」

「相応の態度を取ってほしいなら、相応の行いをしてほしいもんですね。」

「劉勇の馬鹿。」

「馬鹿ってなんだよ、ふざけんな。」

「亜光様が浮気してるかもしれないのに!」

「はあ…どうしたらそんな思考になるんですか。あんたの方がよっぽど大馬鹿じゃねえか。」

「ううう…だって、だって、夕餉要らないって言ったのよ?!練兵だったらまだしも、あんなお洒落な格好して…それに、どんなに遅くなろうとも先に寝てろなんて言ったことなかったもの!」

「お洒落、だったか?普通の格好だったと思うが。」

「あんな素敵な格好して歩いていたら世の女たちがこぞって亜光様に群がってしまう…!甲冑姿も素敵だけれど、あれはあれで色気があって素敵…。」

「ああ、やっぱり頭おかしいわ、こいつ。」


主に甲冑姿ばかりの亜光様の貴重な普段着を思い出して、ニヤニヤが止まらない。そんなわたしを見て劉勇が何か失礼なことを言った気がするが今はそれどころではない。咳払いを一つして「とにかく」なんて言ってニヤニヤしそうになる表情筋を何とか引き締めた


「練兵でもないのに、夜は遅くなるし、夕餉は要らない、先に寝ていろなんてどう考えてもおかしい!」

「いや、だからおかしいのは姫様の頭ですって。」

「浮気…浮気してるかも…。」

「それはないだろ。」

「劉勇。」

「ダメです。」

「まだ何も言ってないじゃない!」

「どうせ後を追うとか言うんでしょ?お見通しですよ。」

「ううう。」


扉の前で仁王立ち。立ち塞がる劉勇に地団駄を踏んで、「退きなさい!」と言っても効果はなし。本当にこの従者は!

どうにかして亜光様の後を追いたいところだが、ここを出なければそれも出来ない。どうにかして出る方法を探るも、色仕掛けも可愛くおねだりしても劉勇には効かないことは実証済みである。どうにかして、と考えを巡らせ、そう言えば、と部屋を見渡して気付く。「もういいわよ」と言って諦めた振りをして劉勇を油断させる。唇を尖らせ、つまらなさそうな顔で窓辺に近付き、窓を押し開いて劉勇を振り返り、ニヤリと笑ってやった


「あっ、おい!ちょっと待て、まさかっ。」

「べーっ、だ!」


それに気付いて止めるためにこちらへ走り寄る劉勇に挑発するように舌を出して、よっと、なんて掛け声つきで窓の外へと飛び降りる。ぼふっ、とすぐ下に植えられた青々とした植木が緩衝材の役割を果たしてわたしの体を受け止める。劉勇の怒号が窓から降り注いでくるのを鼻歌を歌いながら聞き流して、捕まる前に、と急いで屋敷を飛び出した

亜光様は確かこちらに…!

屋敷を出て亜光様が曲がった方へ足を向ける。あれから少し時間が経ってしまったために、亜光様の姿は見つからず途方にくれる。どこへ行くかも告げずに行ってしまったから、目的地もわからない。それが余計に怪しさを漂わせて、やっぱり、なんて嫌な考えが頭を巡る。いやいや、とその考えを打ち消すようにぶんぶんと頭を振っていると脳味噌が揺れに揺れて少し気持ち悪くなった


「…ここで何をしている。」

「……うほ、賁様!」

「うほほん…?」

「ご、ごほん!な、なな何しているんですか、こんなところで!」

「それはおれの台詞だが?」


急に背後から声を掛けられて、びくっと跳ねる肩。くらくらする頭で何とか振り返れば、眉間にググっと皺を寄せて大河のようになっている王賁様の顔。驚きすぎて噛んでしまったのを繰り返されて気恥ずかしくなった。それを誤魔化すように咳払いを一つして、なんでこんなところに王賁様がいるのか訪ねれば、同じことを訪ね返されちゃって苦笑


「いや、あの、えっと…。」

「こんっのじゃじゃ馬姫がー!」

「げっ、もう来た…!」

「……また勝手に出てきたのか。」

「窓から飛び降りるなんてじゃじゃ馬もいい加減にしやがれ!!」

「窓からって…香鈴、お前…。」

「ぎゃっ、何でわたしの背中を押すんですか…!」

「大人しく捕まれ。それは香鈴が悪い。」

「これには事情があるんですー!」

「大した事情でもないでしょうが!」


鬼の形相で追いかけてきた劉勇。もう追いついたのかと舌打ちをして逃げようとするわたしの肩を掴む王賁様。離してー!と言う間もなく、劉勇がすぐ目の前にやってきて、何とか逃げようとするもわたしの背中をぐいぐいと劉勇の方へ押しやる王賁様。恨めしく見つめて抵抗するもあっさりお縄となり、肩を落とすしかない

このままでは亜光様が!

尾行を断念せざるを得ないのか、なんて歯噛みするも、結局は姿を見失っているので尾行のしようもないのだが、それは一旦置いておいて。青筋を浮かべて笑う劉勇の顔のなんと怖いことか。般若が劉勇の顔に貼り付いている。助け舟を期待して王賁様を振り返るも、犬猫でもシッシッと追い払う仕草に泣きたくなった


「ひどい、王賁様!」

「あまり従者を心配させるな。」

「だって、だって。」

「だっても何もありません!帰りますよ!おれが亜光様にお叱りを受けるんですからね!!」

「嫌よ!亜光様が浮気をしていないと確証を得るまで梃子でも動かないから!」

「亜光?」

「あ、そう!王賁様、亜光様を見ませんでした?」

「亜光なら向こうの通りに行ったが…。」

「ありがとうございます!行くわよ、劉勇!」

「なっ…行くわよじゃねえって、おい!」


拳を開き、掴まれた腕を回旋させて劉勇の手の隙間からスッと引き抜けば、呆気に取られている劉勇を余所に王賁様へお礼を述べ、一礼して足早に向こうの通りを目指す。数秒遅れてハッとしたように我に返った劉勇がわたしの後を追った


今、あなたの背を追いかけて行くから。
逃しません、どこまでも!


(どこで覚えてきた!)
(えー?)
(腕抜けなんてどこで覚えてきやがった!)
(秘密ー。)
(チッ。)


憎々し気に言い放つ劉勇が可笑しくて、揶揄うように笑って勿論どこからなんて教えてあげない。その様に舌打ちをする劉勇にムッときて「本当に主人への態度が成っていないわね!」と言えば、「それなら奥方らしくしてろ!」なんてくどくどいつものお小言が始まる。これを相手にすると終わりはないな、とお小言ははいはいと聞き流し、わたしの意識は一点に集中。あなたがいるという向こうの通り。息を切らしても、足を止めることはなく走って走って、今行くから。


あとがき


ただのストーカー嫁やないけ!と思いつつも、楽しく書いてしまった。

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