小さな嵐
「……どこで拾ってきた。」「えっと…ちょっと、そこで?」
「何だよ、香鈴。この顔の怖いおっさんは。」
「こら、舜。わたしの旦那様に向かってなんて口の利き方するの。」
「えっ!お前、これの奥さんなのか?!」
「つまみ出せ。」
「舜!謝りなさい!!」
隣で全く謝る気はないという態度でぶすくれている舜の頭をガッと掴み、何とか頭を下げさせる。「ちゃんと言って聞かせるから!子供の言うことだから!!」と目の前で眉間に皺を寄せて片眉を吊り上げている亜光様に頼み込んで何とか舜をつまみ出すのは許してもらった
舜をここへ連れ帰るのは間違いだったかしら…。
事は数刻前に遡る。練兵へと赴く亜光様をお見送りし、屋敷から少し距離のある町の方へ買い物に出たのが事の始まりだ。そろそろ塩が切れそうだったし、他にも米や魚を買い付けようと荷物持ち要員として劉勇と黄延をお供に町へ繰り出して、塩の値段が少し上がっているなあ、なんて品を見ていた時、どん、と子供が一人わたしにぶつかった。ぶつかったことを謝りもせず、その場から逃げるように駆け出す子供の背を血相を変えて劉勇が追いかけて行くもんだから、呆気に取られていたわたしと黄延が慌てて劉勇たちを追い掛ければ、追いついた頃には子供は劉勇に捕まっていて。襟首を掴まれて暴れている子供は4、5歳といった歳の頃だろうか
ぶつかって謝らなかったぐらいでそんな怒らなくても、と劉勇を宥めようとすれば「姫様、こいつに財布を掏られてんだよ!」とわたしまで怒られる始末。暴れている子供を見れば、確かにその手にわたしの財布が握られていて、これは怒られても仕方ないな、と頭を抱えるしかなかった
「はーなーせっ!」
「こら、暴れないで大人しくしなさい。そうすれば放してくれるから。」
「おれに指図すんじゃねえ、おばさん!」
「誰がおばさんだって?口の利き方から教えてあげるから、そこにお座り!」
「誰が座るか!やんのか、お、ば、さ、ん!」
「やってやろうじゃないの、このクソガキ!」
「おい、同レベルの戦いになってんぞ。」
おばさん、という単語にカチンときて暴れる子供の頭をガシッと掴んで、ギリギリ締め付けてやれば、涙目でわたしを見上げながらも反抗的な態度。やられたらやり返すの応酬に劉勇が溜め息を吐きながら仲裁に入って何とかこの場を収めつつ、とりあえず、と子供からわたしの財布を取り上げるとわたしの方へそれを放った
「あっ、何すんだよ!」
「何すんだよ、じゃねえ。これは姫様の財布だ。」
「その割には投げて寄越すなんて雑な扱いをする!」
「ちゃんと持っておけ。姫様がボケッとしてっから掏られんだよ。」
「ちゃんと持ってましたけど!?この子の腕前が凄いんだわ!」
「へへっ。わかってんじゃん、おば…お姉さん。」
「変なこと褒めてんじゃねえ!お前も調子に乗んなよ!!…で、どうしますか。」
「どうしますか、って何が。」
「こいつ、役人に突き出すか?」
「え。」
劉勇の言葉に顔面蒼白になる子供。その姿に苦笑し、襟首を掴む劉勇の手を制して、放してやるように促す。劉勇の手から解放された子供に目線を合わせるようにして膝をつき、震えているその手を取って、涙で潤んだ瞳を見つめた
「そこまでしなくていいよ。お財布は無事だし。」
「甘いですよ、姫様。こいつまたやるぞ。」
「…わたしは香鈴。あなた、名前は。」
「………舜。」
「舜、あなたはどうしてこんなことしたの?」
「……別に。」
「おい、何だその態度は。やっぱり役人に突き出すか?」
「もう劉勇はすぐカッカッして…そうね、まあ、何もなしじゃ舜のためにも良くないし…罰与えようかな。」
「ば、罰…?」
「おいおい、何企んでんだ……。」
罰という言葉にびくりと跳ねる肩。再び顔面蒼白になる舜の両頬をむにっと摘まんでにやりと笑って「さあ、行くよ」とその手を引いた。やれやれと肩を竦める劉勇。黄延も苦笑を漏らして舜の手を引いて先を歩くわたしの背を追った
まずは、とお買い物を再開。塩や魚を買い付けて、本当は劉勇たちに持ってもらうつもりだったが、舜にどんどん持たせて運ばせる。荷を渡す度に「重たい!」と文句を漏らす舜に、「じゃあ、役人?」と耳打ちすれば舌打ちで返事が返ってきて
素直な反応に思わず笑ってしまいそうになるのを堪え、近くで待たせていた黄延に翆を連れてきてもらい、荷を翠に括りつけると目が点になっている舜をひょいっと抱っこして前に乗せた。びっくりした顔で馬上からわたしを見下ろす舜。くるくる表情が変わって面白いと思いながら、わたしも舜の後ろに乗るようにして翠に跨ると、舜がさらにびっくりしたように「香鈴が乗るのか?!」とか、なんて可愛い反応をしてくれるんだろうか
脇腹を叩き、翆を走らせる。速度を上げてく翠の速さに舜が「速い…!」と目を輝かせながら言う姿に、いつかの自分と重なり懐かしくなった。初めて乗ったであろう馬に興奮している舜。「あまりしゃべり過ぎると舌を噛むよ」と言ってさらに翠の速度を上げる。しばし翠を走らせれば見えてくる屋敷。門前までついて、翠の足を止めるとぽかんと口を開けたまま石化した舜を微笑ましく思いながら、乗せた時と同じように抱っこして翆から降ろしてやる
「何だ、ここ…。」
「ここはわたしの家だよ。」
「香鈴の…?こんなでっかいとこに住んでんの?」
「おい、舜。姫様を呼び捨てにするな。」
「劉勇。いいから。…ほら、舜。荷を持ってこっちに運んで。」
「お、おう。」
「はあ…。」
劉勇の溜め息を背中で受けながら、舜を屋敷の中へ招き入れる。勿論買ったものは舜に持たせて。塩やら魚やらなかなかに重量のある物ばかりを持たせ、厨へ。それぞれの荷の置き場所を指示して、順に並べさせる。舜はきょろきょろと辺りを見渡し、まだ落ち着かない様子。わたしはその様子に思わずクスリと笑い、さて、と一声上げた
「舜、一緒に夕餉の準備をするわよ!」
「ゆ、夕餉?」
「旦那様が帰ってくる前に終わらせないと!」
「何でおれが!大体、何だよ罰って!もういいだろ?!荷は運んだんだから!!」
「もういいなんてわたしは言ってないわよ。ほら、さっさと手を洗う!」
「はあ?!」
「舜、この姫様は言い出したら聞かないから素直に従っておけ。それが一番面倒じゃないぞ。」
「劉勇、何か言った?」
「いいえー何もー。」
「いいから劉勇は水を汲んできなさい!はい、急ぐ!!」
「黄延、水を用意しろってよ。」
「おれですか?!」
劉勇に言い付けたのにさらりと黄延に押し付ける劉勇に「この従者は本当に!」と文句を漏らしつつ、慌ただしく厨を出ていく黄延の背中を見送った。水を汲んでもらったら、舜に米の研ぎ方と炊き方を教えてやる。跳ねる水に苦戦しながらも何とか米を研いで、劉勇についてもらいながら火を起こし、釜で米を炊き始める舜を横目に、わたしも野菜をざくざくと切って汁物の準備を進めた
汁物を作り、魚を焼き終わった頃に馬の蹄の音が聞こえ、主人を迎えるために使用人たちが慌ただしく動いていく。わたしも亜光様のお出迎えに行かなきゃ!と米炊きに挑戦していた舜の手を引けば、その顔が煤で真っ黒になっていて思わず笑ってしまった。ムッとした顔で力任せに顔を拭い、手を引くわたしに「痛えよ!」と文句を一つ。そして、出迎えた亜光様に冒頭の言葉をぶつけられたのである
「何だって香鈴はあんなおっさんと結婚したんだ?金か?もっと若くていい男いるだろ。劉勇とか。」
「こら舜!」
着替えてくる、と言って部屋に足を向けた亜光様の背中を見ながら、舜がわたしに放った無邪気な言葉たち。ぴたりと足を止める亜光様。慌てて舜の口を塞ぎ、窘めると、べ、と舌を出して反抗的な態度。さっきまで素直に言うことを聞いていたのに亜光様と会った途端一体何なのだ。「舜、お前よくわかってるじゃねえか」と満足そうに笑う劉勇を睨みつけ、ぺし、と舜の頭を軽く叩き、納得のいかないという顔をする舜の手を引いて、再び歩き出した亜光様の背を追った
小さな嵐がやってきた。
鼻のてっぺんに煤をつけた、そんな嵐が。
(劉勇のせいで亜光様が怒ってる…。)
(何でおれのせいなんですか。姫様が悪いんだろ。)
(おれもそう思う。)
(そもそもの原因は舜だよ!)
(…何だよ、本当のこと言っただけだろ。)
頬を膨らませ、面白くないという顔をする舜。確かに亜光様に相談もせずに勝手に連れ帰ったわたしが悪いのは重々承知しているけど。わたしも舜につられて唇を尖らせる顔をすれば、二人顔を見合わせてその状況に思わずくすりと笑う。仕方ない。まずは夕餉の時間だ。亜光様に一言、声を掛けてからくるりと踵を返して向かう厨。「ここからどうすればいいんですかぁ!」と火の番をしてくれていた黄延が涙目で助けを求め、それに舜が「泣くなよ、男だろ!いいか?ここからこうすんだぜ!」と煤に汚れた鼻を擦りながら自慢げに教えている姿に劉勇と二人声を出して笑った
あとがき
亜光様に「つまみ出せ」って言わせたことでもうミッションクリアした気分になった。