何も、何も、何も。


大人しくひーくんが満足するまで我慢してたけど、お腹に回る腕がどんどん締めてくる。お昼ご飯が口から戻ってきそう。腕を引っ張っても、寧ろ締め付けが酷くなる為、もうどうしていいのか分からない。私が履くのが先か、ひーくんが満足するのが先かの勝負になってきた。………負けそう。
ぐるぐるとしていると、さっき迄何故か叫び、落ち込んでいた守護神さんが立ち直っており、

「さっきのサーブの奴!。そのデカくて目付きが悪くて沙智ちゃんとイチャイチャしてるお前!!」
「?」

流石に怒られるかな…。でも私は必死で抵抗してるんです、怒るならひーくんだけにして…!。と、祈っていたけど、守護神さんが言いたかったことはお説教ではなかったらしく、

「お前、どこ中だ!!」
「……北川第一です」
「マジか!強豪じゃねーか!。どうりであのサーブか!!俺、中学ん時当たって2-1で負けたぞ!」
「え、そうなの!?」
「おう!。そん時もサーブ凄え奴居てよォ!」

多分そのサーブが凄い人って及川先輩かな。ひーくんが入部した時から、凄いサーブを打っていたって聞いたし。もう同じ学校の先輩って訳ではないけど、それでも知り合いの人が褒められてる所を見るのは嬉しい。今度及川先輩に会った時、褒められてましたよ〜って伝えてみよう。……いや、そもそもひーくんが許してくれるのだろうか。

そう言えばさっきから守護神さんのことを、守護神さんと呼んでいるけど、お名前はなんて言うんだろう。聞いてみようかなと思っていると、ひーくんも守護神さんになにか聞こうとしており、菅原先輩から"西谷"とフォローが入った。

「ニシノヤさんは…どこの…中学」

しどろもどろになりながら、ひーくんは西谷先輩に聞いた。

「千鳥山!!」
「!。強豪じゃないですか!。何で烏野に!?。やっぱり烏養監督の復帰を聞いて!?」

千鳥山………??。ひーくんの反応からしてかなりの強豪なのは分かるけど、流石に中学レベルで何処が凄いとか強いとかは覚えてない。マネージャーになって、高校の強豪はそれなりに調べたし、にぃの仕事のお手伝いで強い人達に会ったことはある。お家に帰ったら調べてみようかな…中学校のことも。
来年、再来年に入ってくる1年生の出身校からどのくらいのレベルなのか分かるもんね。強いところに居たら、練習量も試合の場数も多いから、即戦力になる可能性が高いし。
とりあえず、西谷先輩の出身校は強いところで、そんな強いところにいた人だから、西谷先輩もひーくんと同じで監督目当てで学校を選んだのかな。もしそうなら、本当に烏養監督って方は人気で名前が広がっていたんだなぁ。だが、私とひーくんの考えは違ったらしく、

「…いや、俺が烏野に来たのは」
「…?」
「女子の制服が好みだったからだ。凄く!」
「「「………」」」

思わず私、ひーくん、翔くんは黙ってしまった。せいふく…制服???。え、しかも女の子の制服で決めたって言った??。思わず頭が処理落ちしていると、お腹に回っていた腕が外れて、ひーくんは私の両耳を塞いだ。見上げると、口パクで「聞くな」と一言。
西谷先輩には大変申し訳ないけど、聞かなくてもいいかなって思ってしまったので、大人しく私もひーくんの手の上から両耳を塞いだ。

にぃもににも、何故か烏野の制服可愛いって絶賛してた事を思い出した。写真をパシャパシャと撮られたのがトラウマである。普通の制服だと思うんだけど。

そんな事を考えている間に、何故か西谷先輩は学ランを羽織っており、田中先輩と一緒に自信満々な顔で何やら語っている。耳を塞いでるから何も聞こえないけど、ひーくんの顔からして聞かなくて正解だったかも。数学の公式を見せた時のポカーンとした顔をしている。訳が分からないって。

「あ!!!!」

耳を塞いでいるにも関わらず、西谷先輩の大きな声が届いた。西谷先輩の視線の先には潔子先輩が居て、

「潔子さぁ〜ん!!。貴女に会いに来ました、潔子さぁ〜〜〜ん!!」

ドドドッと大きな足音をたてて、西谷先輩は潔子先輩の元へと走っていった。とりあえず制服のお話が終わったみたいだから、耳から手を離すとひーくんも離してくれた。……其れにしても西谷先輩って

「相変わらず嵐の様だな…」
「ゲリラ豪雨…」
「………」
「げ、元気な方なんですね…」
「はははっ!。喧しいだろ!。…でも、プレーはびっくりするくらい静か」

ひーくんのサーブを受けた時の音。ドッと腕にボールが当たった時の音だけが響いていた。あんなに元気で、菅原先輩から嵐のようと例えられていても、プレーは何処までも丁寧で優しかった。一言で言い表すのは勿体ないけれど、皆さんが天才だと言うだけのものをこの人は持っている。

「で、旭さんは!?。戻ってますか?」

潔子先輩の元に駆け出して行った西谷先輩が、私たちのところに戻ってくるとそう言った。頬に大きな足音手のひらの後が残っているのも気になるが、"旭さん"って一体誰の事を指しているのだろうか?。
もしかしてリベロ以外にも誰かいるんじゃと思っていたけど、その"誰か"が旭さんのことなのか。

「……いや」
「!!」

でも、西谷先輩が謹慎明けの人物ならば、旭さんって方は一体何をして部活に来な、

「あの根性無し……!!」

突然の怒声に身体が震える。私のことじゃないのは分かってるけど、それでも誰かの怒鳴り声は苦手で怖い。思わずひーくんの腕を掴むと、そっと私を抱き締めてくれた。其れに甘えて、ひーくんの胸にしがみつく。

「こらノヤ!エースをそんな風に言うんじゃねぇ!」
「うるせえ!。根性無しは根性無しだ!」

ひーくんの鼓動を聞きながら、届いたそんな怒りの言葉。
旭さんは烏野のエースの人なんだ。でも何でそんなチームからエースと認められた人が来ないんだろうか。西谷先輩が冷たく根性無しと言うのだから、怪我っていう訳じゃないみたい。……もしかして、西谷先輩が停学、部活禁止になった理由に関係あるのだろうか。

考えたいけど、怒鳴り声と張り詰めた空気が心臓に刺さる。痛い、怖い、苦しい。私の方が根性無しじゃないか。

「はっ、ん…は、」
「沙智?」

ひゅっと息が詰まる。どうしようどうしよう。
上手く息が吸えない。吐くってどうしていたんだっけ、吸うって何処まで吸っていたんだっけ。

私に向けて根性無しって言ったんじゃないって分かってるのに。こんな事で倒れちゃったら、もう"要らない"ってされちゃう。嫌だ、其れは嫌なの、いや!。
頑張るって決めたのに、普通になれたって思ったのに、なんでどうして、何時もいつも

いっしょにいられないの。

遠くで西谷先輩が何か叫んだ声がする。大きな声の筈なのに、何一つ聞き取れなくて。本当ポンコツ。

息も上手に吸えない。怖がりで泣き虫で。
迷惑ばかりかける情けない私。
物心ついた時から何時も私はお父さんもにぃもににも悲しませてきた。お母さんだって私のせいで。こんな自分に何も価値なんてないって思ってた。周りの人に迷惑をかけて、悲しませる私なんて要らない子だって。

だけど、其れでもこんな私と結婚したいって言ってくれたひーくんが居た。俺にとっては大事で必要だって。愛してるって言ってくれた。
私をたくさん、沢山救ってくれた彼に私も報いたくて。彼との約束を果たしたくて。
頑張って、頑張って、頑張ってきたのに。
上手く呼吸が出来なくて、
霞んでいく視界中で輝く私の唯一。

「ご………さ、い」
「おい、沙智!」

普通になれなくてごめんなさい。
其れでも、お願い。
"要らない"なんて言わないで。



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